面白いけど、なんだか危なっかしくて放っておけない子だな。それがクロちゃん、そう、黒木智子に初めて会った時、彼女に抱いた第一印象だった。
「よし、じゃあこっそりお姉さんにだけ教えて」
お姉さん、だって。自分で言ってて笑っちゃうよね。でもクロちゃんといると、私はあたかも彼女の人生の先輩かなにかのように振舞ってしまう。最近親しくなったばかりで、同い年なのに。
私は大抵誰とでも仲良くなれる、というか、細かいことは気にしないっていうのが、私の強みだと思ってる。ただ、私は自分から相手に知り合い以上の関係を迫ることはない。あくまで、相手が私と仲良くしようという意図があれば、それを受け入れるというスタンスをずっと貫いてきた。それが衝突を避けるという点において、最善手だということも知っている。あ、こういうの、来るもの拒まず、去る者追わずっていうんだっけ?
だけどクロちゃんは違う。彼女が私に対して及び腰になっていることに、私は気づいてる。今までの私だったら、それを察知すれば必要以上に彼女に絡みに行こうとしなかったはずだ。だけどここ最近の私は事あるごとに彼女に知り合い以上の関係を迫ろうとしていた。今だってそう。内緒話をすることを口実に、お互い裸であることは無視して、私は彼女に身体を寄せた。彼女は分かりやすく顔を赤くする。それ、お風呂が熱いせいじゃないよね。私は私のせいで彼女の心がかき乱されているその様子を見るのが楽しくてたまらない。多分、彼女には人を惹きつけるなにかがあるんだな。砂糖かシロップみたいな甘くて蕩けるような魅力が。私は蟻さんよろしく、まんまとそれに引っかかったわけだけど。だって面白いじゃん!
「あっその、加藤さんが」
なんて舞い上がっていた矢先に、クロちゃんの口から突然明日香の名前が出てきて、私は少し動揺する。けど、私はそれを表には出さずに、それでそれでって先を促す。明日香、クロちゃんの家に行ったんだ。知らなかった。
明日香といえば、最近彼女の様子が時々変なのも、クロちゃんが関係しているんだろうなと私は薄々勘付いていた。明日香とはそれなりに付き合いが長いけど、以前はあんなんじゃなかったんだよ。ううん、今でも明日香は私や夏帆、風夏に対しては等身大の高校三年生の加藤明日香として接してくる。
明日香は、その容姿も相俟って大人っぽく見えるかもしれないけど、本当は末っ子気質で、ちゃんと子供っぽいところもあるんだ。私達に対して時々遠慮のない言い方をする。機嫌が悪いとき、決して八つ当たりはしないけど、分かりやすく黙り込んだりする。だけど私達はそれに特別気を悪くしたりしない。慣れたことだし、人にはひとつやふたつ欠点はあるものだって、わかってるからね。そういうときは、無理に機嫌をとろうとせずに美味しいものでも食べるか、買い物に行くか、なんなら放置しておけば次の日には元通り。そういうものだよ。それで今日までうまくいってたんだから。
だけどクロちゃんと接しているときの明日香は、私の知らない明日香だ。
まるでお母さんかなにかのように彼女に接する。彼女の成績を気にして、勉強を見てあげたり、課題を出したり、やたらと手を焼いているのを知っている。それだけならまだいいよ。同じ大学目指してるんだもんね。だけど、時々明日香はクロちゃんのプライベートを必要以上に探ろうとする。私には当然それをする権利があるのだとでも言うように、クロちゃんのお母さんみたいな態度で。
別にそれが気に入らないわけじゃない。明日香がそうしたいならそうすればいいと思う。私にそれを口出しする権利はない。クロちゃんの態度で明日香が一喜一憂している様を見るのは、悪くないし。じゃあ、私が今抱えてるこの気持ちはなんだろうな。
クロちゃんは時々明日香に怯えている。明日香を失望させたくなくて、無理してる。少なくとも、私はクロちゃんをそんな気持ちにはさせないよ。明日香って本当は子供っぽくて、頑固なんだよ。クロちゃんの前では見栄張ってるだけなんだから。私はクロちゃんが勉強できてもできなくても気にしない。明日香が沢山の課題を出すなら、私は美味しいスイーツが食べられるお店に連れてってあげる。そう教えてあげたい。だから、明日香じゃなくて私ともっと仲良くしない?って。
私、変だよね。でもこれ、クロちゃんのせいだからね。クロちゃんてば、一体私になにしたの?
「このど変態の、ど○ズが!」
突然内さんが彼女に食ってかかる。この子、こんな子だったかな。ああ、きっとこの子も私や明日香と同じなんだね。クロちゃんのせいで、変になっちゃったんだね。
クロちゃんの周りには常に誰かがいる。人で溢れている。彼女は、愛されている。
***
ラフな格好だった。白いTシャツにスウェット生地のパンツ。アメニティのスリッパ。遠目から見た後ろ姿でもすぐに彼女だと分かったのは、その背中の小ささと四肢の細さのせいだ。珍しくひとりでいる彼女に、声をかけないという選択肢は私の中になかった。
「くーろちゃんっ」
「あ……」
「なにしてんの?」
「いや、お茶買おうと思って、自販機に……」
「じゃあ私も一緒に行く」
クロちゃんの横に並ぶ。俯いているクロちゃんの表情は、私からは見えないけど、耳が赤くなっているからなんとなく想像できる。お風呂でのことを思い出してるんだろうな。可愛い。それについて追求してやりたいという加虐心と、あんまり弄ると嫌われそうだという自制心が脳内でせめぎ合う。
クロちゃんの昼間の私服はチェックのジャンスカだったり、シフォン生地のトップスにショートパンツだったり、いかにも女の子って感じの服装だ。だけど寝間着に関しては、平たく言えば地味で、そして無防備だ。よく見ると下着の色が透けてるし、襟ぐりからは肩紐が見えている。
クロちゃんよりも露出の高い服や、身体のラインが出る服を着ている子はいっぱいいる。でも彼女たちは、なんというか、もっとちゃんとしてる。クロちゃんはつついたら簡単に手に入ってしまいそうな危うさがあった。だから、明日香も内さんも躍起になって、彼女を自身の管理下に置こうとするのかもしれない。私みたいな、彼女を揺さぶろうとする存在から守るために。
「クロちゃんさ」
「え?」
「勉強、しんどくない?」
「だ、大丈夫だよ」
「そっか」
私の言う「勉強」が、合宿の授業や課題のことではなく、明日香からの課題やプレッシャーを指していることに、クロちゃんは気づいているかな。気づいてないよね。鈍そうだし。
「あ、あのさ、やっぱりコンビニ、行く?」
「え?」
クロちゃんからの思わぬお誘いに私は素直に驚く。だって、気まずいとか、早く戻りたいとか考えてるんだろうなって思ってたから。
「明日香は? 今日もすぐ来るんじゃない?」
「あー……、その、今日はクラス上がったばっかで、宿題もあるから、自由時間にしよっかって言われてて」
「そうなの? じゃあコンビニでお菓子とジュース買って、喋りながら宿題でもする?」
言いながら、私は考えていた。そもそもなんで私はクロちゃんと仲良くなろうとしているんだろう。面白くて、わかりやすくて、私の掌の上で踊ってくれるから? 無防備で危なっかしくて放っておけないから? 好奇心? それとも。
「クロちゃん、明日香に勉強教えてもらってるじゃん?」
「え? うん」
「しんどかったら言ってね。ほら、明日香って真面目すぎるところあるでしょ。」
クロちゃんはまた「大丈夫」って言うのかな。私は、クロちゃんから「しんどい」って言葉が聞きたいのかな。私が今してることは、明日香への裏切り、なのかな。