「ふうん、なるほど。で、アッシュに覚悟はあるの?」
「あります」
即答する彼の目はまるで敵を見るようにベレスを見据える――かつての教え子の肝の据わった視線に、ベレスは思わずにやりと口端をあげてしまうが、それでもアッシュの表情がゆらぐことはない。彼は本当に変わった――いや、変わったように見えるが本質は最初からまったく変わってはいないのか。彼をそのようにしたのは間違いなくベレスの意図ではあったが、そうなったのは彼の意志だ。ベレスとてなにもかもできるわけではなく、運命を変えられるわけでもないから、アッシュが今ベレスの前にいるのは、彼の選んだことでしかないのだ。
「まあ、一応聞いておくけども。それは、君の為?それとも、誰かのため?」
「……両方です」
少し考えるようなそぶりを見せてから、アッシュは真っすぐに答える。両方、という言葉を聞いて、ベレスはますます笑みを深くした。クロードがこの場にいたら、人の悪い笑みを浮かべていると呆れるだろうか。
「僕は、僕のせいでシルヴァンが悲しむのが嫌ですし、シルヴァンはきっと僕が死ねば後を追うようになにもかも捨ててしまうでしょうから……」
「ふふ、その自信もなかなかどうしてすごいと思うよ」
褒めたつもりではなかったのがわかったのだろう、どこか悲しそうにアッシュは微笑み、肩を竦めた。
「……確信させているのは、彼ですよ、先生。今の彼は……いえ、きっと、彼は昔からそうだった。喪うことがこわくて、どうにもならないんです」
「そうだね。私が見ててもわかるくらい、シルヴァンは君が大切で仕方なくて君がいなければ本当に死ぬだろうね。彼の寄る辺は、この世界で君くらいしかいないだろう」
気づいていない、あるいは見ていないだけで、シルヴァンにはもっといろいろなものが在る。けれども、そのいろいろなものは、彼にとっては些細ではないにせよアッシュほど彼にとって意味があるものではなく、生きる意味にはなりえないものでしかないのだ。ベレスの断言に、アッシュは悲しそうに微笑った。その笑顔があまりにもきれいで、ベレスは少しだけ彼にこんな顔をさせてしまうシルヴァンが羨ましいと思う。自分の隣に、そんな顔をしてくれる、してほしかった少女の姿はない。
「けれど、この選択は彼に君を置いていくという苦痛と悲しみをを残すよ。シルヴァンは最後、きっと悲しみながら死ぬ。この世界にすべてが丸く収まる方法なんてないから。それでも?」
念を押すように問うも、アッシュの若葉色の瞳に宿る強さは決してゆるがない。ああ、そうだ、彼はだって、覚悟を決めたと、最初から言っていたではないか。それなのにこうも何度も念を押すのは、きっとベレス自身がこの選択をすることに、戸惑っているからだろう。
「僕だってほんとうは……いえ、覚悟があるといったのにこんなことを言うのは違いますよね。先生、ですから、お願いします」
「いいよ。けど、一応確認はとらせてほしい」
あっさりと許諾するベレスに、アッシュはどこか硬いな表情のままだ。それはベレスのこれからいう言葉の重みを感覚的に理解しているからなのだろう。それは長いことベレスがそういう教育を彼に施していたのも理由にはなるが、生来の気質もある。そういう彼の本質をベレスも察知して、そこを伸ばしていただけといえば、それまでだった。
「はい、先生」
「うん。まず、眷族化と簡単に言うけど、あんまり簡単じゃないんだ。私は君に私の血を与えるだけでいい。けれど、与えられたものは五日間眠りにつく――その眠りは、恐らくありとあらゆる意味で、与えられたものにとって拷問に等しいものになるだろう」
「はい」
「生きていることが苦しいと、眠りながらに感じる地獄、そういうものだよ。私の血は君を食らおうとするだろう。君を、滅ぼそうとする。そして、私の与えた血が君の血を食らいつくしてしまえば、君はそこで死ぬ。けれども逆に私の血を君の血が屈服させてしまえば、君は晴れて私の眷族となり目覚めるんだ」
「はい」
「……と、まあ、こんなところだったかな、セテス」
「雑すぎる気もするが、間違いでもないな。アッシュ、本当にいいのか。眷族化とは、生半なことではない。眷族化すれば私のように寿命で死ぬことはほぼなくなるが、それがどういう意味かを……きっちり考えるんだ」
セテスの言葉にアッシュは口を開きかけて、閉ざす。紡がれなかった言葉の予想はついたが、ベレスは黙っていた。敢えてセテスは彼に時間を与えたのだ。アッシュは決して感情や勢いのみで行動する人間ではないが、それでも、シルヴァンのこととなるとどこかで感情が先立つことを本人も認めていた。それは、互いが互いに必要としている間柄であるからでもあるし、その関係自体は好ましいものと、この軍の誰もが思っていた――一度はこちらに刃を向けたアッシュと、そのアッシュを認めたときのシルヴァンのあまりに悲痛そうな表情と叫びを、皆が知っていたから。彼のあんな声を聞いたことがない、と唇を噛みしめていたイングリットの複雑な表情は、今でも思い出せる。
「わかりました、セテスさん、先生。改めて時間をくださって……ありがとうございます」