10年後宗みか
ぼんやりと浮上する意識の遠く、カチャカチャと食器がぶつかる音がする。
キッチンで誰かが料理をしているのだろう。
誰か…というのは正しくない。この家には自分とパートナーの二人しかいないのだから。
みかはのそりと重い体を持ち上げて目を擦る。
遮光カーテンを閉め切った寝室は薄暗く、正確な時間は把握できない。
ベッドサイドに置いたスマホで時間を確認すれば9時を半分ほど過ぎたところ、早起きとも言えないが寝坊とも言えないような時間。
昨晩はみかの方が帰りが遅く、眠っている宗を起こさない様に静かに布団に潜り込んだ。
同じように宗もみかを起こさないように静かに布団を抜け出して、今朝食の準備をしてくれているのだろう。
フローリングにぺたりと素足を下ろせば、ルームシューズを履くようにと宗に怒られる事は目に見えていてもついついそのまま歩き出してしまう。
素足の裏に冷たい木の感触がぺたりと吸い付くのが好きなのだ。
ぺたぺたと足音をさせながら洗面所に向かう、洗顔と歯磨きと、寝癖のチェック。
最低限の身だしなみを整えて、キッチンに向かう。お小言をもらう原因は一つでも少ない方がいい。
リビングダイニングに繋がる扉を開けば、一面に張られた大きな窓から爽やかな陽光が取り入れられている。
窓よりは奥まった場所にあるキッチンでは、予想通り宗が朝食を作っていた。
「おはよう」
みかの姿をみとめると、宗がちらりと視線を寄こして挨拶をくれる。
その声が少し硬い気がしてみかは首を傾げた。
ここ数年は顕著にみかに甘い宗は、朝の挨拶一つとっても砂糖を溶かしたように甘い声で囁く。
最初は恥ずかしくて恥ずかしくて堪らなかったその声も、今となっては無くては物足りない程になっている。
宗の機嫌があまりよくない事を察したみかは、一瞬のうちに様々なことを考える。
怒っているのか、機嫌が悪いのか、体調が悪いのか…機嫌が悪かったり怒っているのならばそれは自分に対してなのか他人に対してなのか…
見極めるため、みかはいつも通りを装って宗の背中にそっと抱き着いた。
「おはよぉ……ご飯の用意してくれてありがとぉ」
「君は昨晩遅かったのだから気にしなくていい、それより起きたのなら紅茶の準備をしてくれるかい?」
包丁を握っている訳でも、手が汚れている訳でもないのに抱きしめ返してくれない。けれど会話は普通にしてくれる。
恐らくこれは何かに拗ねている、けれどみかが悪いという物ではなく不可抗力な物に対して。
彼の返しからそこまで読めるほどに付き合いはもう深く、長い。
一先ずは言われた通り紅茶の準備をすることにして、宗が拗ねている原因を探るのは後回しにしよう。
ティーポットを温めて、紅茶を注ぐカップを温める用のお湯も用意する。昔はポットで淹れる紅茶など見た事が無くて、一から教わった手順も今では茶葉ごとに蒸らし時間を変える事も出来るようになっている。
朝食の時にはミルクティーにすることが多いから、ほんの少しだけ蒸らし時間は長めにする。
蒸らす時間を待つ間に、二人の時間を濃密に過ごしすぎて紅茶が渋くて飲めなくなったなんてことも日常茶飯事だが、今日は恐らくそんな心配もなさそうだ。
宗が用意しているプレートは木目調の楕円の浅皿で、みかが昔ワンプレートの料理を酷く喜んでからは朝食はワンプレートで出されることが多くなった。
買い置きしていたクロワッサンがそろそろ食べてしまわないといけない時期で、少し落ちた風味を補うようにクロワッサンのフレンチトーストが真ん中できらきらと存在感を主張していた。
彩の野菜は日によってまちまちだが、今日はアボカドと一口大に切ったナチュラルチーズをオリーブオイルで和えて塩胡椒したものが添えられている。
紅茶のポットとカトラリーをみかが準備していると、最後に五分立ての生クリームにミントを添えて丁寧に粉砂糖までふったフレンチトーストが鎮座したプレートが運ばれてくる。
甘いものを朝食に出す時はみかのご機嫌を取りたい時が多いのだが、さて…とみかは内心で首をひねりながらも何食わぬ顔で席に着く。
いただきます、と揃って手を合わせれば静かな朝食が始まった。
いつも喋るのはみかばかりで、宗は相槌を打ったり時折仕事の話や今日の予定などを報告してくることもあるが、みかが黙っていれば基本的に静かな食卓になる。
黙々と食事をする宗をチラッと盗み見ながらも、口に含んだフレンチトーストの豊潤な香りとみか好みの甘味に思わず「えへへ、おいしい」と笑みが零れる。
「おかわりもあるよ」
と、みかが口を開くのを待っていたかのように宗が視線を向けてくる。
少し寄った眉と下がった眦。
拗ねているのに、みかと会話できない事も嫌なのだと葛藤している時の表情に、思わずみかは笑みを零した。
「もう、宗さんどないしたん?おれに言いたい事あるんやったら言うて?」
自分が拗ねているとバレていたことに宗は驚いて目を見開くが、元々感情を良くも悪くも我慢できない人である。誤魔化せていると思う方が間違っているのだが、それを言うとまた拗ねるので一先ず今は黙っておく。
アボカドとチーズを口に運びながら、宗が口を開くのを待つ。
末っ子気質なところがあるせいか、彼は時々だんまりを決め込んで悟ってもらいたそうにする。
世の中そんなに甘ないで、と正面からぶつかったのはもう何年前だろうか。
何度か唇をはくはくとさせた後、ふいと視線を逸らしながら彼はポツリとつぶやいた。
「今朝起きたら、君が知らない匂いを纏っていたから…」
別にいいのだよ、僕だって撮影後に外でシャワーをして帰ってくる事だってあるんだし。いつも家で使っているものと違う香りがする事なんてあって当たり前だ。
目を合わせないままに、彼はポロポロと言葉を零す。一度話し始めてしまえば饒舌な彼の事。
みかは聞き手に回りながらも、溢れる言葉を誘導する様に言葉を挟む。
「うん、おれが撮影所でお風呂入ってきたのが嫌やったん?」
「そうじゃなくて…その、この間話していただろう。鳴上に借りたシャンプーがいい匂いだったと…その時と同じ匂いだったから」
「んぁ??なるちゃん…?」
少しだけ宗の言いたいことが解りそうだったのに、また解らなくなってしまった。
せっかくの温かいフレンチトーストが冷めないうちに、言葉の合間に口に運ぶ。熱で少し溶けたクリームと粉砂糖の甘さが口いっぱいに広がる。
もくもくと咀嚼する間、目を泳がせる宗の言葉をじっと待つ。
恐らく今、自分で言っていて子供じみた独占欲をさらけ出してしまった事に気付いて言葉が続かなくなっているのだろう。
何となく言いたいことは理解できるが、ここで察してあげるほどみかも昔のように甘くはない。
自分に対する独占欲の言葉などいくらでも聞きたいに決まっている。
「宗さん?なるちゃんがどうしたん?」
昨日は確かに親友の嵐と同じ現場で、彼に誘われてシャワールームに寄って帰った。
久しぶりに同じ現場になったのだし、少しでも長く喋っていたいと思うのはいけないことだろうか?
「…だって…ないのに…」
フォークで器用にアボカドを掬い上げながら宗がぼそぼそと告げる。
「…?もっかい言うて?」
聞き取れなかったと告げると、観念したように顔を赤くした宗が口の中の物を飲み下すと同時に大きな声ではっきりと答えた。
「僕だって最近君とお風呂に入っていないのに、鳴上の方が君とお風呂に入るのはずるいと思わないかね!」
「……」
「……」
紅茶のカップを持ち上げた体勢で固まるみかと、テーブルに拳をついて力説する宗。
二人の間でよくある光景ではあるものの、意外な宗の言葉にみかは琥珀と瑠璃の大きな瞳をパチリぱちりと瞬かせることしか出来ず、宗は宗で自分の言葉にどうたら良いのか解らなくなって固まってしまった。
「…ふっ…んふふふふ」
先に相好を崩したのはみかの方、紅茶のカップを両手に抱えたままふにゃりと笑みを浮かべる。宗が好きだという、『締まりのない』笑顔。
「なんだね、笑いたいなら笑うと良いよ。自分でもめちゃくちゃなことを言っている自覚はあるからねっ!」
みかの笑みに宗が開き直ったように腕を組む、普段は本当に凛として格好良くて、何でも完璧にこなす神様みたいなこの人が。子供の独占欲のような理由で朝から拗ねていたのかと思うと可愛くて仕方がない。
普段から翻弄されてばかりのみかだが、時折こうして宗が可愛い嫉妬をみせてくれるから、そんな彼の独占欲を叶えてあげたくなる。これもまた、彼の思惑の内なのだとしたらそれはもう開き直って一生彼の掌の上で踊ろう。
いつだって、みかの望みは彼と共に在るのだから。
「宗さん、おれとお風呂入りたかったん?」
「べつに、最近入っていないと言っただけで入りたいとは言っていないよ」
「んぁ、そうなん?じゃぁ今からお風呂に一緒に入ろうかと思ったけど、えっかぁ」
宗が作ってくれた朝食に集中するふりをして視線を外せば、視界の端で彼が慌てた顔をしているのがわかる。
笑いそうになるのをグッと堪えて食事を進めれば、彼もまた食事を再開する。こういう不器用なところが堪らなく可愛い。
「…みか」
プレートを空にした宗が伺うように声をかけてくる、ここで楽しそうな顔をしてはいけない。いつも通り、何も気にしていない風に装わなければ拗れてしまう。
「うん?どないしたん?」
「やっぱりお風呂に一緒に入って欲しい、君から慣れない匂いがするのは嫌だよ」
思っていたよりも直球で宗が言葉を伝えてくる。もう少し遠回しな言い方をするのではないかと予想していた分素直に驚いてしまった。
「おん…ええよ?」
拗ねる彼が可愛いと思っていたのに、いつだって最後は彼に翻弄される。
みかが頷いたのを確認して、宗はごちそうさま、と素早く席を立つ。
木の器は少し慌ただしく重ねても割れる事は無い。
プレートだけ流しに置いて、宗はみかの手を引いて浴室に向かう。
机の上に置きっぱなしになった紅茶は、きっともう渋くて飲めないだろう。
その分、可愛らしく拗ねて見せた彼をうんと甘やかして、お風呂上りに今度は彼に美味しい紅茶を淹れて貰おう。
耳を赤くしながら手を引く宗の姿に、嗚呼なんて愛おしいのだろう…と叫びたくなる気持ちを抑えて、同じ匂いに包まれる時を思って心を弾ませた。
おわり
長々とすみません!!一発書きだとこんなかんじです!
思ったよりお時間を取ってしまって申し訳ありませんでした!楽しかったです!!
ハートもありがとうございます!嬉しいです!
お付き合いくださりありがとうございました!
テスト配信は終了です!明日また書きたいのでお時間合う方は見てやってください。
明日は辰桜えちを目標にします!
おやすみなさい!!