鉢雷 だっこ
「あ〜……最高の気分だ」
 五年長屋の一角、家具が無く少し広い空き部屋の中に、僕たちは五人集まっていた。
 ──最近実習続きで碌に話せてなかったから、ちょっとゆっくりしようぜ。八左ヱ門の一声から始まったそれは、各々が隠し持っていたとっておきの酒や甘味や豆腐を携えて、二日間に及ぶ休暇の始まりにふさわしいゆったりとした空気を湛えている。
「兵助はいつでもどこでも、豆腐さえあれば最高だろう」
「はは、確かに」
 豆腐みたいな白い肌を赤くした兵助が寝転びながら言った言葉に、三郎と勘右衛門が混ぜ返した。二人とも酒にはそこそこ強いからか、外で秋風に吹かれてきたばかりかのように涼しげな顔をしている。笑いを含んだ言葉のおかげで途端に睨みを効かせた兵助に、悪い、と手で謝ってはまた手元の飲み口を近づけている。
 相当なペースで呑んでいるけれど、まだ持ち寄った酒のうち半分以上が手付かずのまま、部屋の中央に固められている。
 隣から発せられる弾んだ声が、腰を引き寄せるように添えられた手が、薄く濁った膜の外側で起きていることかのように、全てぼやけて見えている。
 ……どうしちゃったんだろう、僕。こんなにお酒弱かったっけ? 忍務中になんて呑まなかったものだから、間が空いたことで、お酒に弱くなりでもしたのだろうか。
 そんなことを考えていると、ふと円になって座る僕の右隣から、八左ヱ門がのそりと動いた。
「いやー、しっかし晴れて良かったな。ほら見ろよ、月がまんまるだ」
 にこにこと笑いながら酒を呷り続ける八左ヱ門が、からりと戸口を引いて、お猪口を持った手から人差し指だけを伸ばして外の月を指す。
「おお、本当だ。綺麗だなあ」
 ひゅう、と口笛を吹いた勘右衛門が、五段に積んであったうち一番下の段しか残っていない月見団子を、まとめて三つ口へと放り込んだ。
「……今年もこうして月見ができて、良かったな」
 もぐもぐと咀嚼を続ける勘右衛門の横でもぞりと影が動く。いつの間にか体を起こしていた兵助が、八左ヱ門の向かいの戸から外を覗き込んだ。
 一年生の頃、たまたま月見亭の掃除当番を受け持っていた五人でこっそり月見をしたあの日から。今年も、また今年もと年を重ね、気づけばこうして揃って月を見る夜は毎年の恒例行事になっていた。
 五年生である今年は、詰め込まれる実習のおかげでもう秋が終わりそうな頃になって、ようやくこうして揃うことができたのだ。
 ──忙しい日々だった。あちらの城下町でやっとの思いで反逆の芽を摘んだかと思うと、その足でこちらの山の奥へと合戦の印を取りに行き、同時に任されていた遣いの道中でその情報をまとめながら届け物の用事を済ませて。
 兵助や勘右衛門のい組二人はもちろんのこと、同じ組である八左ヱ門や……果てには三郎とすら、まともに話す時間は一切取れなかった。
 五年生の中では八左ヱ門の次くらいに体力に自信のある僕だけれど、その体力を買われたことでかえって体力の消耗が激しい囮役を何度も任された。三郎は別所で潜入することが多かったから、いつもみたいに途中で入れ替わって疲労を誤魔化すこともできなかったし。
 ……だからだろうか。ここ一月ほど体がずうっと重かったんだ。どっと続けて起こった日々が少し落ちついて、お酒も呑んで……ふわふわと緩んだ気が眠気を連れてきたものだから、僕はお猪口を両手で摘んだまま、つい少しだけぼうっとしてしまっていた。
「……そうだな」
「わ、三郎が素直だ……雷蔵、こいつもう酔ってるぞ」
「お前こそ、雑な振りで絡むなんてらしくないな勘右衛門……だよね、雷蔵」
「二人ともよく分からない絡み方するなよな、雷蔵が困るだろ。なあ、雷蔵」
 圧を感じて顔を上げると、三対の瞳が僕をじいっと見つめていた。
「っえ……なに。ごめん、聞いてなかったや」
 僕の左側にぴったりと座っていた三郎が、徐に額に手を当ててくる。酒で特段温まることもなく、いつも通りのひやりとした指先が僕の熱を少し奪った。
「……熱があるわけじゃないな。雷蔵どした、眠いなら布団まで運ぼうか?」
「後ろから見ても耳まで真っ赤だぞ、雷蔵。少し寝た方が良い」
 三郎の提案と八左ヱ門の心配に応えようとした時、ふと僕の正面に座る三郎の顔がぽかりと僕の視界に浮かんだ。僕と同じ顔を模して、今は僕をただ心配そうに覗き込む、顔。
 視界の端があいも変わらず滲むなか、夏の終わり、今日と同じような満月の下で想いを告げられた時の顔が、目の前の三郎と重なった。
 いつもより何重にも増やして重ねたことで頰の血色が掻き消えた顔で、告げると同時に下げたままだった頭を上げて僕の顔を目にした時の、あの心配そうな表情。
 あの時は、涙が止まらずしゃくり上げる僕を前に、ただ黙って抱きしめてくれたんだった。
 そうして思い返していると、ある一つのわがままが心の内からそろりと頭を擡げた。
 ……普段ならこんなこと皆の前でなんて絶対に言わないし、少し照れるから、言わなくて良いかもしれないとも思うんだけど。
 けれど、とても長く続いた実習と、黙り込む僕を心配そうに覗き込んでくる眉の下がり具合と……あとは、ずっとそうっと腰に添えられ続ている手の温もりとか。いつの間にやらどうも重たい瞼とか、八左ヱ門に加えて兵助や勘右衛門もそうっとこちらを伺っていることだとか。
 そういうものが一つ一つ僕の背をあたたかく撫でて行って、つっかえていた僕のわがままをするりと喉から滑り落としてしまった。
「……眠いから、さぶろ、抱っこしてつれてって」
 上に向けた両の手のひらを前にぐ、と差し出しながら、首を傾げて問う。
 するとたちまち、ひゅ、と止まった息が、じわりじわりと目の前に在る顔を赤く染めていく。同時にきゅうっと細められた目がしぱしぱと瞬いて、ゆっくり近づいてきたかと思うと、小さく音を立ててこつりと額が合わせられた。
「……もちろんだよ、雷蔵」
 崩していた膝裏に腕が差し込まれ、ゆっくりと持ち上げられる。素肌に触れたことで、さっきまでひやりと僕のそれとは差があった手先が、あたたかく熱を持っているのがわかった。広げた腕の内側に入ってきてくれた首の後ろへ手を回し、耳と耳を合わせるように首筋に頭を擦り寄せる。
 すると、視界の先にいた八左ヱ門が片眉を下げて一歩下がった。
「俺らの前だから良いけどさー……あんまり外でいちゃつくなよな」
 僕が何かを言うより先に、三郎が言葉を返す。
「何を言う、お前たち以外にこんなかわいい雷蔵を見せてたまるか」
 ぴたりとくっついた体を伝って、いつもと少し違う三郎の声が耳へと届く。同時に、目の前からも後ろの方からも、小さく微笑むような吐息が三つ落とされた。
「……じゃあ行こうか、らいぞう」
「……うん」
 みんな、おやすみ。
 じんわりと頭を揺さぶる振動と合わせて、僕も小さく喉を揺らした。小さくもしっかりと返ってきた三つの声音に、腕の内にあるあたたかいものに、どうしてか、胸がゆるりと締め付けられる。
 歩くたび届く振動に揺られながら、月の光が照らす廊下を眺めながら。僕はゆっくり目を閉じた。
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鉢雷ワンドロ だっこ
初公開日: 2026年09月28日
最終更新日: 2026年09月28日
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