というわけで当然のごとく、大好評上映中の「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を見たからには原作本を読まずに入れらないということで、鑑賞当日に購入してきた原作本を再読しています。
上下巻の通読は電書版ですでにやっているので、今回は映画版では惜しくもカットされた部分や逆に映画版でパワーアップしてた部分を確認しています。
カット部分についてはグレースが自分の置かれた状況を悟るまでの5章くらいまでの部分、映画で描かれていた部分はロッキーと出会ってからのパートを読み直してました。あとラストシーン。
「ここはどこ? わたしはだれ?」という謎解きとしての面白さはやはり原作のほうが圧倒的。対してロッキーのビジュアルや二人の交流が深化した映画版を見てからの合流パートも改めて読み直すと味わい深いですね。特に原作ではグレースとロッキーが相互認識を深めていくパートにたっぷり尺を取っているので、オタクがよく言う「このパートをあと524178852時間見せろ」が実現されます。
あとやはり、原作と映画でもっとも相互補完が行われているのはストラット長官ですよね。原作ではアメリカ陸軍を動かせるレベルのとんでもない権力をもっており、プロジェクト・ヘイル・メアリー遂行のためには一切の情を捨てて行動する「鉄の女」っぷりを披露してくれた長官の内面を、映画版ではあのカラオケシーンで明示してくれたのがたまらなくいい。……と同時に、映画版では出されなかった人類側が取った、サハラ砂漠を舗装して太陽光パネルを敷き詰める、核爆弾で南極の氷を溶かすといった取り返しのつかない行為に背筋が寒くなります。しかもこれ、あくまで延命行為でしかないんだよな……。
原作と映画では色々と違いや優先順位の違いがあるわけですが、一難去ってまた一難の油断ならないトラブルの連続を、グレースとロッキーが協力して解決していく流れは尺の都合もあって、そこらへんはやはり原作のボリュームに軍配が上がりますね。
しかし映画にも映画の魅力がありますし、映画もまた字幕版と吹替版で魅力が違うでしょう。わたくし人形使いは吹替版はまだ見ていないのでそちらも早々に見て、本作の魅力をさまざまな角度から見ていきたいですね。