さて、閃ハサからこっち見たい映画がどんどん公開されていくのでいよいよ1日が24時間では足りなくなってきました。お願い俺に時間を。
というわけで今日見てきたのは、闇バイト×ヒグマという前代未聞の組み合わせのどうぶつふれあいバトル映画「ヒグマ!!」。なんだよこの東亜プランみたいなタイトルは。なお写真はスマホのバッテリーが切れたのでありません。
主人公・小山内はゲーム制作者を目指す18歳の少年。めでたく大学合格の通知を受け取り喜んだのもつかの間、特殊詐欺の被害に遭っていた父親が自殺したことで進学を諦めざるを得なくなります。そして生活費を稼ぐため、小山内は闇バイトに手を出してしまいます。
闇バイトの66番として活動していたある日、小山内は脱走を企てた若林の捕獲と始末を命じられ、上役の9番とともに山中へ。そこに現れたのは、なんと巨大なヒグマ!
瞬く間に小山内と若林以外の全員を屠ったヒグマは、今度はふたりに牙を剥きます。ふたりはこの恐るべきモンスターから、そして闇バイトの魔の手から逃れられるのか!
いやーなかなかおもしろかった! 例によって例のごとく最低限の前情報のみしか入れずに見に行ったんですが、もうひとりの主人公とも言えるヒグマがCGではなく特殊造形で作ってるという時点で100点ですよ。
最初にヒグマが襲ってきたときのあの実在感と臭気を伴った圧倒的恐怖感、はじめて「エイリアン」を見た時の記憶を思い出しました。というかトラックの荷台にヒグマが鼻面を突っ込んでくるシーン、アレどう考えても「エイリアン」のオマージュですよね。オタクはみんなああいうあからさまなオマージュが大好き。中盤の廃墟もあからさまになんか悪魔崇拝してる集団がいそうな場所ですし、ラストシーンはあからさまに「悪魔のいけにえ」で笑ってしまいました。たぶん探せばさらにたくさんのホラー映画オマージュが見つかると思います。
そして昨今邦画ではあんまり見られないグロゴア全開の人体破壊描写も山盛りなのでそっち方面でもなかなか満足。こうしたグロゴア描写は一定のラインを越えると残酷描写からギャグになるものですが、本作ではそのラインをわかったうえでグロゴア描写をやってる気がします。最初のヒグマ襲撃や廃墟でのバトルはモンスターパニック的な怖さがありましたが、ラストはもうほとんど笑いの方に傾いてた感じ。これ、意図的にやれてないと観客は期待してたものと違うという違和感を抱くことになると思います。その点本作は、怖いグロゴアがほしいときには怖いグロゴアを、ギャグとしてのグロゴアがほしいときにはギャグとしてのグロゴアをくれるのでとてもいい。特にラストは爽快感すら覚えるグロゴアでした。やっぱモンスターパニックは首が飛ばないとな!
その一方で闇バイトを取り扱っているという点も、一見ヒグマとは全然関係ない要素なのにけっこううまいこと絡んでた感じでした。ヒグマにいったん狙われたら逃れられないのと同じように、いったん闇バイトに手を出したらそう簡単に足抜けはできないという。
単に話の導入部分で闇バイト要素は消化されたと思ったら、割と底の方で闇バイト要素は生きてた印象です。小山内はもちろんのこと若林にしろハンターの神埼も、別段正義に目覚めて闇バイトから抜けようとしたりヒグマを追ったりしてるわけではありません。小佐内にしても、ヒグマは倒しましたがこれで足抜けできてもとの生活に戻れるかどうかは怪しいもの。
ただ、それぞれの人物には多少なりの正義や良心はあったと思うんですよね。それは、「多少の良心や正義感があっても闇バイトのような行為に手を染めてしまう」とも「闇バイトのような行為に手を染めていても、多少の良心や正義感は残っている」とも読めます。ヤクザの面々はともかくとして、このへんは意図的に曖昧にしてるような気がしますね。どんな人でもこの境界線のどちらかに転んでしまうことはあり得るという。
まあ小佐内に関しては正統派の贖罪&救済ルートがあるとは思いますが、それとはまた別の救済ルートとも言えるのがラストでしれっと生きてる神埼ですよね。あそこまで強かに生きるというルートもまたアリという。むしろサバイバル的には生き残ってなおかつこれからも生き残り続けられそうなのは小山内と若林ではなく神埼なんですよね。今までもああやって生き残ってきたでしょうし。さらにホラー映画的文法で考えるなら神崎こそがラスト・ガール・スタンディングなのでは!?
この辺を考えると、この映画からは「たとえ罪を犯しても人と人とのつながりがあればやり直せる!」というキラキラ理想論的エンドよりも「これくらい図太く生きていこうぜ」的なサバイバル推奨エンドを感じました。