八乙女楽という人は分かりやすい人だ。
喜怒哀楽の機微がよく表情や雰囲気に出ることが理由だろう。
嬉しいときは、嬉しいように。悲しいときは、悲しいように。
決して衝動的というわけではなく、ただ素直に表情や仕草が動くのだ。
何か落ち込むようなことがあればチャットのやり取りにぽこん、と捻ったなぞなぞが浮かんだりと、分かりにくく本人はしているのであろう所作まで分かりやすい。
だから。
「龍、ドライブ行くか。海まで。」
なんでもない日に、そう声をかけてくれるタイミングもまた、分かりやすかったりする。
「今から行く?」
「龍が良ければ。夕焼けにはちょっと間に合わねえかもしんねえけど。」
レッスン用の靴やビニール袋に入れたレッスン着なんかを大きめのバッグに詰め込むと、誘われたままに助手席に乗り込んだ。
空はすでに一面の茜色で、確かに楽の言う通り海までつく頃には暗くなっているだろう。
ぼすん。と柔らかい席に腰かけて、隣で運転をしてくれる楽に目を向ける。
「腹減ってるか?」
「え?…うん。何か軽く食べられると嬉しいかも。」
「じゃあちょっと寄ってくか。」
この間、いい店見つけたからさ、と言った楽は、淡い青の入った明るめのサングラスをかけてハンドルを握る。
時折、ぽつ、ぽつと口を動かし、緩くも気を抜かない表情で運転をする楽は、見ていて飽きる気がしない。
「…なあ、龍。」
「ん?」
信号で止まって、一拍。
それからこっちを向いた楽と、ぱちんと目があった。
視線が刺さる、と。はっきりと口にされたのは、結構昔のことだったと思う。
「楽、かっこいいなって思って。」
そう口にすれば、口角が緩んでしまうのはなぜだろうか。
何度したって心からの言葉でしかないそのセリフを音にすると、楽は何度だって、仕方ない、って言うみたいに笑ってくれるのだ。
空は、夕焼けから夜空に変わるまでにも、いくつも色を持っている。
紺色みたいな、それでいてどこか白にも見える。
そんな名前のない時間の砂浜は、少し、世界から離れたような気がしたりもする。
「夜は涼しくなってきたね。」
腰を下ろしたコンクリートブロックは昼間の温もりがほんのり残っているが、吹く風はどこか秋の気配がした。
「昼間もマシになるといいけどな。」
同じように隣に腰を下ろした楽は、途中のパン屋さんで買ったコーヒーに口をつけていた。
半分くらい残っている自分のカップを抱えながら、目を閉じてみる。
何度も、何度も繰り返す波の音。
通り過ぎる夏の終わりの匂い。
そして、確かに隣に楽がいる、揺るがない気配。
それらがただ今ここに『ある』と感じるためだけに、静かに目を閉じる。
楽が唐突に俺を海に連れて行ってくれる時は、俺がいっぱいになりそうな時だ。
時には行き詰まることも必要なんだけど、どこか深いところではまってしまった、そんなとき。
楽は、こっちをうかがってくれている、なんてことまで分かりやすいから、気づいてしまったら年下に余計な心配をかけたことに落ち込んだりもした。
だから、心配かけてごめん、なんて言葉が口からすべり落ちたこともある。
そうしたら、楽はぽかん、とした顔をしたのだ。
『もし、龍にとって余計なことだったら止めるけど。
ただ、龍がしんどい時は、なんかしてえなって。』
龍ならそのうちどうにかしちまうかもしんねえけど、それでも。と。
そんな、面と向かって『甘やかしたい』と言われたのは初めてで、ぐるぐると他にも考えていたことなんて全部吹っ飛んで、ぽかん、と今度は俺が口をあける羽目になったのだった。
ゆっくりと目をあけると、さっきよりも夜の気配が濃くなった世界がそこにあった。
「楽、ありがとう。」
残りのカップの中身を飲み干すと、足に力を入れて立ち上がる。
「考えてたことは何とかなりそうか。」
「うん、まだ考えるけど、なんとかなりそうな気がしてきた。」
「なら良かった。」
ぱん、とズボンについた砂を払って、車に戻る楽を追いかける。
レッスン室でくたくたになった頭と体は、ここに来る前よりもずっと軽くなった気がした。
「ありがとう、楽。」
俺は追いついて、もう一度そう言うと、楽はくすぐったそうにはにかんで
「いつでもいいぜ。」
と返してくれたのだった。
カット
Latest / 65:25
カットモードOFF
文字サイズ
向き
チャットコメント通知