真っ暗。真っ暗。教室の中、何も無い空っぽの箱のように。すべてを飲み込む粘っこい真っ黒のスライムのように。窓の痛いほどの赤色だけが教室に浮かんでいる。赤色の外にさえ、家や鳥、山などの風景は見て取れない。
ホラーゲームや何処かのバイオレンスなゲームの演出のような、コントラスト。この空間は窓の赤色とそれ以外の黒のみ。
いつの間にか解けていた足の呪縛を頼りに暗い暗い闇の底、フラフラと手を前方に伸ばして歩いていく。何も見えない。分からない。
かつり
不意に壁か何かの出っ張りに触れた。反射でそれが何なのか、手探りで確かめる。不定形の泥濘の中の有形物。
それだけでも不安は大分ほぐれた。
下に飛び出した出っ張り。強く押すと、フラッシュが焚かれたかのように教室が真白に染まる。
(スイッチだったのか)
何も見えない場所に慣れてきた目にはいささか刺激が強い白光の中、ほとんど目が閉じているという程に目を細める。
ぱちり、ぱちり。
しばらく経って。少しはまぶた越しの白色にも慣れてきた頃。何度か瞬きをして、目の前の光景を確認すると元の暗闇に劣らないほどに奇妙な、そして恐怖すべき光景があった。
じじ、と音を鳴らして疲れたサラリーマンのように点滅する薄汚れた蛍光灯。
薄暗い中浮かび上がる悪趣味な赤色。
それよりも何よりも。一番怪談らしく、一番馬鹿らしっくて、それでいて、いや。だからこそ一番恐怖を煽る光景。
(馬鹿らしい)
思わず胸中で否定の言葉が出る。然し、夢ではない。3Dな映画でもない。学園祭の出し物などでもない。
明らかな現実だった。
黒板に貼られたそれは、いつの間にか根付いていた太古の神道的な、または仏教的な信号。だめですよ、の典型例でありKEEP OUTと書かれたあのロープと同じ雰囲気を纏うもの。
それは大量のお札だった排水口に詰まった大量の髪の毛のように執拗に貼られたお札。お札、お札、お札。
まるで黒板の緑色を憎むように。紙でできた真白のドレスを着せるように。一部黒板の範囲から飛び出してまで執拗に張られている。
実に性質の悪い、恐怖の演劇装置だった。
床、壁、天井。至るところに。見回してみれば黒板だけではない。まるで、自分が悪鬼としてこの「教室」と言うつづらに閉じ込められたかのようだった中央には雑に机と椅子を組み合わせて張り巡らせた、四角四面の注連縄さえある。誰がいつ変えたのか知らないが、妙に真新しくて白くて白々しい。
思わず、教室の扉の方に向かう。視界の隅に映っていた。場所は分かっている。
(逃げろ、逃げろ、逃げろっ)
本能とはまた何か別の認識が、警鐘を鳴らす。
バタバタと少し離れた扉へ向かう。スリッパが騒がしい。まるで自身が座敷わらしだ。
ガタリ。
教室の引き戸に手をかけた。開けては居ない。開けられていない。手を添えただけになった。
ガタガタ、ガタガタ。
何度も引っ張ろうとする。開かない。開かない。開かない。
完全に閉まっている。
(ならば内鍵だ)
完全に冷静を欠いた脳で思考する。急いで膝を折り曲げ視線を下げると、そこには鍵のかわりにつるりとした黒いアクセサリがついていた。開けられない。開けられない。
窓もない、鍵もない。ガラスもない。
否、一応あるがあの赤色の外へと飛び出すのは無謀だろう。
教室内よりもどちらのほうが十分に危険に感じられる。
閉じ込められた。
そんな状況に、ゾクリと背中が粟立った。
帰れないのだろうか?一生このままなんだろうか?
親の顔、級友、食物、そしてあの教師の顔が浮かぶ。
「出たい....」
か細く、声が漏れた。鍵を見るために曲げた足を伸ばし、緩りと立ち上がる。
出なくてはいけない。
そんな思考が脳内の大半を占めていた。
◇ ◇
取り敢えず、今度は反対側の扉を調べてみる。正直結果は予測できている。そしてそれ通りだった。
開かなかった。鍵も何もついていない。内側からは開けられない。知っては居たが、少しガッカリした。
とは言え、2回同じことを確認したからだろうか?少し心が落ち着いてきている。悪く言えばこの状況に、異常に徐々に適応しつつある。
(まぁ、他のところを調べるしかないよな)
そう思い、顔を上げると。
樹脂製のプラスチック面に、名も素性も知らない少年が写っていた。自分ではない、知らない少年。思わず目を見開く。視線がくぎ付けになる。
特にその状況以外に不自然な点はない少年。ただ妙に印象に残らない少年。感情が抜け落ちた虚無の表情を浮かべ、見ているのかも分からない目をこちらに向けている。何かあるのかすらも分からない虚無の顔で。ブツブツとに何を言っているのかも分からないほど小さく口を開けて。ただ、ただ、じっと。見ている。
(何も見ていない)
そう目を背けようとして視線を下にそらす。
その直後、風切は(やめておけば良かった)と後悔した。
その少年には胴体がなかった。虚無の顔にも頷けるように、それもはもうあっけなく。反射の具合などではない。何か大切なものをなくしてしまったかのように、腕や足は部分的に見えているのに。胴体の部分だけがなかった。首からはその空白を埋めるように、撫でるように寂しげな血液がどろりと垂れている。
嫌になって、見たくなくって。
これ以上無駄なものを見ないで済むように、どす黒い血液をシャットアウトするように目を閉じる。五感の一角が一時的に遮断され、他の感覚がより鮮明になる。ブーンと低い蛍光灯の音が鳴り響く中、自身の衣擦れや心拍が聞こえる中、鋭敏になった耳はかすかな「いらないもの」を拾った。拾ってしまった。
囁くように、小声で
吐息混じりの、ウィスパーボイスで。
それは耳の中に、果ては脳の意識に滑り込んできた。
「返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください。返してください」
整然と並んだ一連の文字列は、聞き手を責めるかのようにただただただただ、同じ文言を繰り返す。
返してください。
返してください。
返してください。
返して
耳を塞いでへたり込んだ。こんなのを聞いていたらおかしくなる。爪痕が胸に食い込もうとしてくる。
深呼吸。1回深く吸って、1回深く吐き出す。3セット。
少し、鼓動が収まってきたところで立ち上がる。
(近くに居てはいけない)
一刻も早く気を逸らすために。一刻も早く離れるために。
風切は周囲を見回した......後ろのドアには決して目を向けないように。
そうしていると、くろぐろとした文字に彩られた壁の中に一冊の冊子を見つけた。紐をかけられて吊るされている。
見るに、それは風切の通うこの学校の部誌と同じ装丁の冊子だった。
気を紛らわせるためにも、出る手がかりを集めるためにもすぐにその冊子の方向へと向かう。
手に取るとその冊子の表紙には表紙には「オカルト研究部」と書かれていた。装飾などはなく、いたって簡素だ。
少し古い紙の匂いがするそれを丁寧に開く。
パラリ、と少し張り付いた紙が剥がれる音がしてノートが開いた。
ーーーーーーー
【404教室】
どこにも存在しない教室。入ると自分も存在しなくなる。
→どこにあるか探し中。空き教室のどこか?
【アバラさま】
見た目は普通の中学生か高校生くらいの少年。
胴体がない。モブ顔。
召喚方法
「アバラさま アバラさま 骨を持ってきました」と唱える。
→召喚して何になるの?嫌いな奴殺してもらうとか?
→バカ、こういうのはロマンだよ。
【ゆ~れいさん】
片目のない幽霊。顔はその都度変わる。
人の片目を抉ることが好き。
→キモ。できれば会いたくない。
ーーーーーーー
徒然なるままに書いたような、掲示板じみたまとめノート。そんな情報すらも今の風切にとってはありがたい。
(なるほど)
さっき見た嫌な情景が思い出される。胴体のない少年。
呼び出したのは自分だった。
(あれがアバラさまだったのか)
喉にものが落ちるように、ストリと腑に落ちる。
その非現実的な事実が背中に突きつけられ、自身に対する現実味が少し薄れた。
自分が実行した手順が呼び出したのだ。
しかし、その手順がその部誌に書いていない。その事が引っかかった。
(何を返してほしいのだろう、アバラさまは)
部誌を片手に、近くの窓の外に目を向ける。
マットな赤い空間。しかに何があるわけでもない赤い空間。それはこのおっかなびっくりな教室の中ではちょっとした「気をそらすポイント」なのかもしれなかった。異常の中の異常に気休めポイントを見出してしまった自分に気がついてほ、と息を吐く。
慣れてしまってはいけない。戻れなくなるから。
一般に。
そう思いながら今までの事を思い返していると、ふと箱のことを思い出す。
(そう言えば、この教室の中心においてこいと言われていた)
それが最初のミッションだった。異様な状況に飲まれ、忘れかけては居たが。
過去のいろいろで記された怪談には、それはもう多種多様な種類がある。無論、与えられたミッションをこなす系の物もある。置いてけ堀で魚を置いて帰るだとか。冥界から振り返らずに帰るだとか。
ミッションを、もしくは与えられた条件をこなせば皆帰れている。
(少なくとも知っている限りでは)
途端、部屋中央の注連縄に目がいく。この場でのお題は
「404教室の中央に何も見ずにこの箱を置いてこい」
であった。
中央だ。あの祭壇は。注連縄は。
どきり、と心臓が脈打ち一歩踏み出す。
部屋の真ん中に。注連縄の方に。
真ん中に。そう思っていたはずが、いつの間にか注連縄に占められていたのには気が付かなかった。
ぱたり。と最後の一歩を踏み出し注連縄とは目と鼻の先程まで近い位置に立つ。
置けば帰れる。置けば帰れる。
......
切れば帰れる?
(そうだった)
そうだった。そうだった。
眼の前のこの注連縄を切らなくては帰れないのであった。
箱なんかではないのだ。注連縄が悪いのだ。
結界と言って、自身をここに閉じ込める注連縄が。
封じ込めてくるこの注連縄が。
(切らなきゃいけない)
異様な興奮の下、脳がまるで本能のように注連縄を切れと叫んでいる。
(あぁ、でも)
切る道具がない。
ハサミも、カッターも何も。
(嫌)
ある。あるではないか。自身という最高の道具が。両腕が。
その注連縄は丈夫そうには見えなかった。白々しい白い紙垂以外は大して変えられても居ない古いものに見えた。
千切ってしまえ。千切ってしまえ。
(千切って千切って千切って千切って千切って千切って千切って千切って千切って千切って千切って千切って千切って千切って千切って千切って千切って千切って千切って千切って千切って)
千切って。
ぷつり。
気がつくと手の中には引き千切られたような紙垂があった。
粗い表面に削られて、掌からは血がにじんでいる。
(異様な興奮の中、俺は何をやったのだろう?)
自身の身を傷つけるほどそれは大事なことだったのだろうか。
これは果たして切ってもいいものだったのだろうか。
(あれは誰の意思だったのだろうか?)
自身の中に誰かが入って、『取り憑かれたように』自身で千切った注連縄。それを見ていると、また自分の本当の意思が分からなくなりそうになった。
忘れない内に、自分があやふやにならない内に。急いで教師から手渡された木箱を注連縄の中、教室の中心に置く。気が付かなかったが、注連縄の中央には黒い大きな箱が鎮座していた。現在風切が持っている箱も黒塗りなので、重ね合わせると親子みたいになる。
ことり。と箱の上に箱を重ねて置いた。
何か特別なことが起こるわけでもなく、何かが召喚されるわけでもない。
しかし男性教師の頼み事は完遂できた。
箱を置いたらそのまま帰っていいと言われていたことを思い出す。本当にこれでいいのだろうかとも思うが、これ以上できることはない。
(さて帰ろう)
踵を返したその瞬間。 カラン、と後ろの方で音が鳴る。
はっと我に返る。 すると全て、元通りになっていた。
というよりかは全て無くなっていた。
気味が悪いほどお札が貼られた教室も、
サイケデリックな赤い空も、
あなたを見つめていたアバラさまも、
自分の血を吸い込み千切れたしめ縄も、
全て無くなっている。
ただ足元に転がっている箱があるだけだ。
よく見ると、蓋が開いている。
落ちた衝撃で開いたのだろう。
重量感はあったはずなのに、中からは何も出てこなかった。
柔らかくオレンジ色に照らされた明るい教室に立っていた。
最初、帰ろうとしたあの教室に立っていた。
少しそこに漂う埃っぽい空気を吸い込み、くしゃみした。
扉に手を掛けると、引っかかることもなくすんなりと開けることができた。もう誰も帰りを拒むものは居ない。
グラウンドには部活動の片づけを行っている生徒が見える。自習していた生徒はもうすでに下校したようだ。 元気な掛け声はもう聞こえない。
至極、当たり前の風景が広がっている。あの空間に送られた直前の時間から連続した、平凡な日常が。
かぁ、かぁとあいもかわらずカラスが鳴いている。
カラスが鳴いたのなら、帰らなくては。
「カラスが鳴いたら、帰りましょ」
口先で童謡の一節を口ずさみ、また帰った。
◇ ◇
帰り道、目の前を歩く同級生の会話が耳に入る。
「ねぇねぇ知ってる?『ゆ~れいさん』!」
「片目がない幽霊のことでしょ?自分の片目をずっと探してて『返して』って言って襲ってくるって噂のやつ」
「えっ!?違うよ~!」
「ゆ~れいさんは箱を渡してきて「これをどこどこに置いてきてください」って言ってくるの」
「本当に違うじゃん…で?置くとどうなるの?」
「その箱を置くとね…片目を、抉られるんだって~!で、抉られた人は次のゆ~れいさんになるんだって!こわ~い!!ちなみにゆ~れいさんの回避方法って箱を誰かに渡すだけでいいらしいよ!不幸の擦り付けだね~」
「くだらな。そもそも近くにゆ~れいさんがいるのにどうやって他の人に箱渡すの?」
「えっ、分かんない…遠くの場所に指定されるように祈るしかないね…というか出会った時点で終わりじゃん…箱渡さなかったらどうなるんだろ…?」
「さぁ?死ぬんじゃない?」
他愛のない、根拠のない噂。
自分にはもう関係のない噂。
(終わったことだ)
あの箱がどうなったのかは、知らない。
(そういえばあの男性教師は片目が無かったな)
思い出し、また忘れた。
結局のところ怪談は人々の思い込みなのだ。
口伝で伝えられ、口伝で生まれ変わる。
あの教室のことも、最早夢朧のように曖昧になっていた。
ENDーA
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