爽快サイクリング
「ねぇーカキツバター、はぁ、はぁ……あとどれくらいなの? まだぁ?」
一漕ぎごとに重くなるペダルを、なんとか踏みしめ前に進む。先を行く男の背中に声をかけるが、相手も余裕がないようだった。息も絶え絶えの声が聞こえる。
「はー、はー……地図では、あと、もう、ちょいだって……。ほら。あそこだろ?」
キツい坂道を登りきれば、ようやくゴールが見えてきた。白くそびえ立つ大岩の前に、目的地を示す素朴な立て看板。身体を傾け、ペダルから片足を外して雪を踏みしめる。もう下半身の力を使い果たして、立ってる感覚すらないくらいだった。
「やぁあああっと着いた! 到着ー!」
心の底から叫んだあと、ゼイユは風よけゴーグルを外してふぅと達成感に浸った。
カキツバタと予定を合わせて取った休日。たまには一緒にサイクリングでもしましょうと、やってきたのはチャンプルタウンから一番近いパルデア十景、ナッペの手。ポケモンセンターでレンタサイクルを借りてきて、のんびり景色を楽しもうという計画だった。
今日は予想外に良い天気すぎて、自転車を漕ぐには熱いくらいだった。じわりじわりと汗をかき、着てきたウィンドブレーカーのジッパーを下ろす。手袋も外して、ハンドルを握り疲れた手指をほぐす。深呼吸をすれば、雪山の冷えた空気が心地よく身体に染みこんでいった。
カキツバタもゼイユと同じくらいにはヘトヘトだった。大きく上に伸びをすると、「こんなに大変だとは思わなかったぜぃ」と苦笑いでぼやいていた。
自転車を降り、看板の横に止めておく。それから恐る恐るナッペの手の先に立ってみれば、眼下に広がる大パノラマに圧倒された。
「わぁ……この湖、結構広いのね」
「へー。これが噂に聞いてたパルデア十景でやんすか。ハッサク先生が泣くのもわかんねぃ」
「あの人はなんでも感動するじゃない。でもよかったわ。噂だけの観光地じゃなくって」
見晴らしの良い高い崖の上からは、オージャの湖が一望できた。ぽっかり浮かぶ真ん中の島や、深い青に染まる綺麗な湖面。その上にうっすら漂う雲の流れや、北の海に向かって飛んで行くポケモンの群れまで見えるほどクリアな空気。近くを落ちる滝の音が、あたりの静けさを強調させていた。反対側を向けば、ゼイユが暮らすチャンプルタウンが遠くに見えた。曲がりくねる道路を指差しながら、あそこを走って来たんだねぃとしゃべり合う。こうしてすがすがしい風景に出会えると、苦労して山道を登ってきた甲斐があるというものだ。
「写真撮る?」
「もっちろん」
ゼイユはロトり棒を伸ばして、広い湖を背景に記念写真を一枚撮った。二人の新しい思い出として、満ち足りた気持ちで保存した後、もう一度この目に絶景を焼き付けておく。
「まだ時間あるし……来た道降りて、湖の方にも行ってみるか?」
「いいわね。そこでお昼にしましょ」
しばらく景色を楽しんだあと、雪のちらついてきたナッペ山から降りようと、再び自転車にまたがった。サドルに腰を下ろしてゴーグルをかけ直しながら、カキツバタにしみじみ呟かれる。
「ゼイユにサイクリングしようなんて言われてさ……最初は『マジか! めんどくせ!』って思ったけど。たまにはありかもな。ポケモンじゃなくて、こうして自分の足で色んな場所に行ってみんのも」
「そうね。でもこの坂道はあたしもちょっとキツかったわ。お互い舐めてたわね、パルデアの大地を」
「へへ。帰りは下りだ。頑張った分、楽できるっつーもんよ」
さぁ行こう、と雪を蹴り上げる。往路と違って軽いペダルをこぎ出せば、カラカラカラと小気味いい音が鳴り始める。ピカピカに磨かれた銀のホイール。その回転が増すのと一緒に、なんだか力がみなぎっていく。ゼイユはスピードを上げ始める男の背を追いかけながら微笑んだ。いつもみたいにあいつのカイリューの背中もいいけれど、こういう離れた視点から眺める景色も、そう悪くないと今は思える。
男はブレーキもかけずにぐんぐん進む。負けじとついて行こうと加速すれば、途中のカーブで小石に乗り上げ、がくんとタイヤごと宙に浮き上がる。危うく転びそうになりかけて、ヒヤリとしながら体勢を整える。
「ちょっと速すぎ! いくらなんでも勢いつきすぎでしょ!」
「おうおう、頑張ってついてこーい! 置いてくぜーい!」
「もう……そうやって、すーぐ調子のるんだから」
ゼイユは悪態をつきながら、ハンドルを握り直して前を見据えた。あーあ。来るときは全然乗り気じゃなかったくせに、無邪気にはしゃいじゃってさ。そっちがその気なら、こっちも考えがあるんだから。
「待ってー。タイヤがパンクしたかもー」
あえて穏やかに呼びかければ、置いてくなんていいながら、カキツバタは速度を緩めて振り返ってくれる。すかさずその横を全速力で通り過ぎながら、一気に距離を突き放す。
「おっさき~! 一番乗りは渡さないわ」
「あ、ずりぃ! オイラの人情裏切りやがって!」
「あはは! ざまあみやがれってのよ! あー気持ちいい!」
ゼイユはペダルから両足を離して、子供みたいにけらけら笑った。
たとえどんなに険しい道のりでも、知らない道でも、二人で楽しく進めばいい。小さな冒険の積み重ねはまだ続くのだ。どこまで行けるかはわからないけど、今はただ、爽やかな風と一緒に坂の下まで駆け抜けた。
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