「ニンジンジュースを供しますね」
テランスが「ヨーテ殿はどうしているんですか?」と訊いた直後、ヨーテはいつもは伏せがちの顔を上げ、そう宣ったのだった。
その言葉に、テランスは脳内に疑問符が数多飛ぶのを感じた。いったい、どういうことだろう。ニンジンジュースとは?
一方で、斜め向かいに座っているジルが「まあ」と愉快げに笑う。それに合わせて、彼女が持つゴブレットがかすかに揺れ、テランスは少し心配になった。その視線にすぐに気付いたのか、ジルは卓にゴブレットを置いた。何かがツボに入ったらしく、ジルの笑いは止まらない。凛々しい淑女といった印象をジルに持っていたテランスだったが、別の一面を見た気がする。
ヨーテとジルが共通で知っている、とある事実。自分の問いへの回答として、何故に人参が出てくるのか。それを彼女達は知っている。
……まあ、そうだろうな。テランスはそうも思った。ヨーテが「供する」と言った先――相手のことだ。自分は、その人のことを勿論「知らないわけではない」が、「詳しく知っているか」というと答は「否」になる。伝聞や、かつての邂逅、そして今。話をすることも多くなった今はともかく、いや、今もだろうか。ミドの言葉を借りれば「解像度が低い」のだろう。
「ジョシュアはね」
ハテナが止まらないテランスのために、ジルが説明する。
「昔から苦手……というか大嫌いなのよね、人参。何が駄目なのか訊いても答えてくれないの。ただ、首を振るだけで絶対拒否の姿勢を崩さないから、クライヴが手を焼いていたわ。栄養があるからって説き伏せても、甘く煮てみても、絶対に分からないように料理長が苦心した挙句にポタージュにしてみても、すぐに分かっちゃうみたい。何がなんでも嫌なんですって。そういうことをしてはならない「身分」だとは自覚しているけれど、礼儀作法にも適っていないけれど、こればっかりはって」
「……それで、ヨーテ殿はニンジンジュースを?」
事情が少し汲み取れたテランスは、改めてヨーテに訊ねた。ええ、とヨーテ。
「蜂蜜と林檎の果汁が殆どで、あとは薬効のあるハーブを数種加えたジュースです。教団関係者の数名にも味見をしてもらい、美味のお墨付きをいただいたのですが……。まあ、普段はお飲みになりません」
両手でゴブレットを包み込むように持っていたヨーテは話し終えると、はあ、と遠い目をして溜息をついた。
テランスはジルと顔を見合わせた。あのヨーテが溜息をついている。珍しい。
「ですが、時と場合によるのです。そう、テランス様が仰った状況下に陥ったなら、私は迷いなくニンジンジュースをジョシュア様に供します」
「……「様」はどうかおやめください。呼び捨てで構いません」
自分への呼称をヨーテに修正を求めながら、テランスは「成程」と腕を組んだ。
三人がこうして世間話?に興じている事の始まりは、カンタン卿とロズフィールド卿だった。
年の節目に相応しい品として、復興著しいロストウィングのなかでも「今年一番よくできた」新酒入りの樽を持ってきたカンタン卿に合わせたのかそれとも対抗したかったのか、ロズフィールド卿はポートイゾルデ近隣の特産なのだというシードル樽を持ってきた。こちらも新酒とのことだったが、そんなこんなでパブを営むメイヴが空笑いをするくらいの酒樽が隠れ家の倉庫に鎮座している。ダルメキアは酒を飲む風習がないらしく、後からやってきたハヴェル卿はこのよく分からない勝負には参加せずに呆れ顔をしていた。……しかし、後からメイヴにこっそりと数種類の「コーディアル」と「薬草茶」を渡したらしい。なかでも、高価な薔薇の花びらのエキスを集めて煮詰めた秘伝のコーディアルはご婦人方に好評だろうとハヴェル卿は滅多に見せない笑みを浮かべたとか。
『飲み明かすってことよねえ』
酒精を含むものと、含まないもの。住民も、離れていた者も、ここぞとばかりに集められた者も、勝手にやって来た者も年忘れと年明けを祝う催しを楽しみにしていた。酒やその他の飲み物は、催しの添え物なのか、主役なのかも謎だが、隠れ家が壊れるほどに盛り上がることを予見したカローンが『先に片付けの分担を決めておかないといけないね』と釘を刺した。
そして、ちょうどアレテ・ストーン前で挨拶を交わしていた三人を――テランスとジルとヨーテを――カローンに目配せされたモリーが隣のメイヴに合図をして呼んだ。
『味見、してくれない?』
三人が囲んでいる卓の中央には、シードルが置かれている。カンタン卿のワインのほうは度数が高いので、また別の者に飲ませるのだとメイヴは言った。確かに、昼間から酔いつぶれるわけにはいかない。
飲み始めた頃に通りすがったロズフィールド卿が「美味いだろう」と呵々と笑いながら念を押してきたが、確かに美味しかった。そして、軽い。これならば、「彼」も杯を重ねても大丈夫だろう、と思いながらテランスはロズフィールド卿に笑顔で礼を言った。
そうして始まった三人の「酒宴」は、「乾杯!」ではなく「今年もお疲れさまでした」という台詞から始まった。誰かが先に言ったわけでもなく、本当に同時に同じような言葉を発した。次の瞬間、それぞれが目を瞠って、さらに数拍を置いて溜息を、そしてさらにその後には笑いが止まらなくなったのだが、ジルが最後まで笑っていたのがテランスには意外だった。そして、ヨーテの隠しきれていない頬の緩み具合も意外で。
しかし、お疲れさま、とは何を指すのか。それぞれに色々とあるとは思うが、自分としては悪くない一年だったとテランスは思う。いや、総括すれば、最良に近い年だったかもしれない。
ずっと、彼と共に在れた。色々な事象は起きたし、彼への心配も尽きない。それでも、彼と離れることのないこの一年は幸せだった――。
笑い合う彼女達を眺めながらぼんやりと回想に浸っていたテランスは、ふう、と再度小さな溜息をついてゴブレットを呷った。