最初は夢だと思った。
 所は、二会敷の家で用意されたあたたかい布団に潜り、新品のベッドに横たわったはずだったのである。おやすみと声も掛け合ったのをよく覚えている。それなのに、目を覚ましたら自分は鉄格子の中にぽつねんと座らされていた。ふと身体を見る。相変わらず両腕は無い。代わりに両足はある。だが足首には鉄輪が付けられ、さらに鎖が付けられていて逃げ出さぬようになっていた。鎖がたわんでいることから、自分は逃げ出す意思すら見せなかったようである。所は寒々とした鉄の冷気に身を震わせた。ここはどこだろう。夢としても、なんだか辛い夢だ。
 例えば、公安からの追求で思わず嘘をついてしまった未来だろうか。それにしては牢屋はがらんとして無骨で、自分と鎖以外は存在せず、人権が保証されていない。法治国家としての行動では無い気がした。では誰が?
 「起きたか」
 するとスープ皿を片手に、牢屋にデルウハがやって来た。
 「え、で、デルウハ殿…?」
 「随分だな。あんたが寝てる間に食事の差し入れしてるとはいえ、俺の顔忘れることあるのか」
 「あ、いえ…その……まさかまたお会い出来るとは」
 「おいおい寝ぼけてるのか? あんたはずっとここにいるだろ」
 湯気の立ったスープである。デルウハは事も無げに、当たり前であるかのようにそれを所の前に差し出そうとして、ああそうかと辞めた。
 「やせ細る訳だな。手が無いから食べられない」
 「あ…」
 そうだ。この両腕はデルウハに切り落とされてしまった。所は唐突に思い出す。だがなぜ自分がここにいるのかは曖昧だ。
 「まさかあんたが生き残るとはな。命が惜しくなったか? まぁ今となっちゃどうでもいい事だが」
 スープ皿に突っ込まれたスプーンを、デルウハが手に持つ。スープがひとさじ乗っていた。ごろりとした野菜も乗っている。所は怪訝な顔をした。デルウハは自分の食事を、ここでするのかと思ったのだ。だがスプーンは所の口元にずいと近付いた。
 「あ、え」
 「食え」
 慌ててぱくりと口に運ぶ。だがここは夢らしく、何の味もしなかった。味がしなかったというべきかもしれない。デルウハが、食糧を分け与えに来ている?その異常さに、唾液すら分泌されない気がした。
 「美味しいです」
 心にも無いことを口にする。所のその言葉に、デルウハは次の分を匙ですくい、また所の口に運んでくれた。それの繰り返しである。
 「あんたの飯は無いはずなんだが、まぁ予想よりは畑が出来てな。その分こうして提供出来る」
 「はあ…」
 「飯を差し入れしても食わないと思ったんだ。食えなかったんだろ」
 そう言われて自分の手を見やると、痩せ細っているような気がした。だが夢である。夢であるから、思い込みで体型はいくらでも変わる気がした。
 「多少手間だが、まぁ差し入れしてやろうと思ってな。とっとと食って精を付けろ。元気になり過ぎても困るがな」
 「はい…」
 もぐもぐと味のないものを咀嚼しながら、所は従順にしていた。夢である。あくまでこれは夢なのだ。だからデルウハにも会えたのだ。そうであるなら、気にしなくもいいのか。だがあのデルウハに食事を分け与えられるなど夢でしかあり得ないだろう。おまけに食べさせてくれるなど、夢でしかありえない。咀嚼を終えると、空になったスープ皿にスプーンがからんと鳴る。最後の味のしない食事をし終えて、所が飲み込み終わるのをデルウハはじっと眺めていた。見られている食事は喉が通らないが、それでもなんとか飲み込む。ごくん、と音が大きく聞こえた。きっとデルウハにも聞こえただろう。所はひとまず報告する。
 「食べ、ました」
 「おう」
 デルウハはその報告を受けると、ずいと所に顔を近付けて来た。真っ先に食器を片付けるのかと思ったので面食らう。所は床に座り込んでいて、デルウハは屈みこんでいたので距離を詰められると、所は尻でずるずると床を滑るぐらいしか道が無い。手が無いとはそういうことだ。足の力だけで咄嗟に下がらなければならないのだ。
 「で、るうはどの?」
 顎を掴まれた。ぐんと顔が近付いてくる。あの翠の瞳が近い。何の抵抗も出来ぬまま、所の顔にデルウハの顔が近付いて、そのまま口を食べられるように噛み付かれた。
 やけに生々しい感触だった。唇になまあたたかい息が触れ、口の中も同じもので満たされる。デルウハの太い血管の質感、皮膚のにおい。それらすべてが急に所の身に迫って、すぐ傍に彼がいるような気になった。だが実際には、デルウハと口付けする機会などほとんどなかったのだ。それなのに今、ダイナマイトで死ぬはずだった身が生き残ったせいで、あり得ない事が起きている。デルウハが生き残ってしまった自分を生かした、何のために皆殺しをしたのか分からぬ食事を分け与えてくれるなど、これは夢だ。夢だ。そのうえで口付けし、性欲処理の為だけだったのに優しく触れてくるなどーー夢だ。舌が口の中に入り込み、水音を立てて離れた。唾液が絡んだ事だろう。緊張でからからになった口に、潤沢な舌が入り込んで、潤した。所が体を固くしてることに気付いたのか、デルウハは肩を掴むとぐいと押し倒そうとする。のしかかろうとする体が触れた時、固いものが当たったことに気が付いて、これは処理の為だと気付く。
 「で、デルウハ殿…!?」
 「なんだ。今日はうるさいな」
 ばさっと上着を脱ぎ捨て、鍛え上げられた肉体がシャツ一枚になる。ああ、これは夢だ。夢のはずなんだ、と必死に自分を納得させ、デルウハの手が自分のシャツに手が掛かったのを確認して、目を閉じた。
 夢から覚めた時は目を開いた。夢だと信じ込んで目を閉じたはずなのに、直前までしていた事とあべこべであるので、所は目を瞬かせる。ここは二会敷の契約しているマンションの一室である。所がもらった自分専用の部屋で、横たわっているのは自分用のベッドだ。鉄格子のなかでは無い。
 「あ、ああ……ああ…」
 所は大きな息を吐き出した。デルウハの手の感触は、所の身に何も残っていない。スープの味も、あの時感じた皮膚のにおいも息遣いも、何もかも。生々しいと思った口付けの感触すら、あっという間に夢の世界が遠ざかり、世界を繋ぐ扉が閉じてしまうと何も思い出せなくなってしまう。それが急に悲しくなった。眠っている時は義手を付けていないから、無い手で顔を覆いたくても出来ない。
 「………」
 無い手で、所は思わず股間を見やった。年齢故か、反応はしていない。もう少し具体的な夢なら反応したかもしれないが、静かなままだ。義手を付けるか悩む。義手には防水機能も多少なりとも付いていて、防水カバーを付けなくても日常生活は最低限であれば問題ないと二会敷が言っていた。
 「これで自慰行為も出来るよ」
 司令室にて、義手の説明をしていた時の発言である。兼東司令と、心配して来た銅矢と所がその場にいた。義手の説明をひとしきりしたあと、喩えとして出したのであろうが…所はその時、顔を赤くして両手で顔を覆ってしまった。
 「なんで一番年上がうぶな反応なんだ」
 兼東司令が呆れたように言う。所はごにょごにょと、か細く言う。
 「女性のいるところでそんな事…」
 どうやら兼東を配慮しての事であった。二会敷は首を傾げる。
 「兼東くんは、女性扱いしなくてもいいんじゃない?」
 「おい二会敷」
 「まあまあ」
 銅矢が慌てて間に入った。その場はそのまま兼東の小言と二会敷ののらりくらりとした会話で終わったのだが、今そのことを思い出したので、所は義手を短い手で引き寄せる。かちん、と音を立てて右手を装着すると、陰茎に手を伸ばそうとして…。
 「……」
 やめた。
 陰茎に触れれば、もしかしたら夢の世界の扉はもう一度開くかもしれない。閃くように思い出すかもしれないと願ったのだ。あの舌の感触が、吐息のにおいが、もう一度味わいたいと思ってしまった。それも虚しい話である。もし実際に自分が生き残っていたら、デルウハにとどめを刺されて死を迎えただろう。飼い殺しにされ、性欲処理の為に生かされることなどないはずだ。それなのに。縋ってしまう。目の前にデルウハが現れると、どうしても怖くなって体が固くなったのに、離れるとどうしても忘れられない。まるで心は、あの鉄格子の中に飼い殺しにされているようだ。
 「デルウハ殿」
 気が付くと、口にしてしまっていた。まだきっと自分は囚われている。そして一生、研究所から離れられないのだと知る。何せ人生を捧げた研究所であるのだから、僅か一か月で別の世界にやって来たからと言って忘れられないのだ。
 ひどい人だ。こんな夢にまでやって来るなんて。所は目を閉じようとしたが、目覚まし時計を見やってふと、起床時間であることに気が付いて起き上がった。身体を動かした方がいいと判断したのだ。早めだが朝食の準備をしてしまおう。所は起き上がると、着替え始めるのだった。
 「シゲさんおはよ」
 「おはよう」
 卵を焼いていると、二会敷がやってくる。あくびを携えているので、昨夜は眠れなかったのだろうか。
 「何か熱中してた?」
 「うん仕事…レポートまとめるのがね。雑務が多くて」
 人体実験の際に応援は来るが、レポートやら雑務に関しては二会敷の手に余るところであった。自身の研究成果を挙げるだけでは人手が足りないのである。だから最近の二会敷は少々であるが、機嫌が悪い。だが表にはほとんど出さずにいるが、同居している所には顔を惜しげもなく見せている。がりがりと頭をかくと、眠気に負けている目をこじ開けようと必死だった。
 「うー…コーヒー淹れようかな」
 「淹れるよ、待ってて」
 「うん」
 手伝うと言っても、所はEDFに勤めているのだが、準研究員といった非正規の身分である。給金は出ているが、EDFが用意してくれた衣服などの金額を差し引いているので、現状二会敷の手助け無くては生きられそうになかった。
 コーヒーを淹れて、手渡す。二会敷はあくび交じりにありがとうと言った。
 給金の件でもう少しお世話になる、と伝えると二会敷はいいよとだけ軽く返してくる。彼が自分に関して深刻なことは一度も無かったな、と所は感謝している。コーヒーをぐびぐびと飲んでいる二会敷に背を向けて出汁巻き卵を皿に乗せていると、唐突に出会ったが、背後から彼がのしっと寄りかかって来た。
 「わ」
 小さなフライパンがまだ熱いのだ。所は驚いて振り返ると、ぐりぐりと肩口に頭を埋めて来る。
 「シゲさ~ん…」
 「ど、どうしたの。疲れた?」
 「んー…ちょっとね」
 二会敷の声はそこまで弱り切っていないが、眠気には負けているようだ。
 「僕さぁ。あんまり他人と暮らせないんだけど、シゲさんは大丈夫なんだよね」
 「あ、ありがとう。嬉しいよ、役に立ててるなら」
 「…ん…」
 「二会敷くん?」
 ああ、これは本当に疲れてるなあ。まさか眠ってしまうなんて。所はそう思い、力を抜いてもたれかかってくる男を抱えると、支えながら静かに歩こうとした。だが一歩進むと振動が伝わったのか、二会敷が目を開ける。ああ、と彼はどこかバツが悪そうに言った。
 「ごめん。眠かった」
 「いいよ。疲れてるなら、少し仮眠を取ったらどう?」
 「うーんいいや。じゃあ、顔洗ってくるね…」
 そういう二会敷はふらふらとだが洗面所に向かう。大丈夫かなあと所は心配するが、子供でもないのだから付いて行く事は無いだろう。少し冷めてしまったが、出汁巻き卵の乗った皿をダイニングテーブルに並べるのだった。
 「所さん!」
 出勤してしばらくしてから、第三研究室に銅矢がにこにこしてやって来る。先程宇宙人の撃破をしたばかりで、機嫌が良かった。
 「やあ銅矢くん。先程は素晴らしかったね」
 「へへへ、ありがとうございます! 32連勝!」
 若者らしくポーズを決めてみせるので、所は微笑ましく見た。この若者は真っすぐで、これからも夢と元気いっぱいでいてもらいたいものだ。
 「あ、そうそう。貴由からお菓子ありがとうございましたっって! 俺もめっちゃ美味しくてびっくりしました」
 「良かったよ、喜んでもらえて」
 「また会ってくださいね、それじゃ!」
 それだけ言って銅矢は去って行く。やっぱり元気だなあと所は感心するのだった。貴由とは年齢が離れているが、友人のようになった。連絡先も交換し、チャットをうまく使いこなせない所に優しく教えてくれている。どうしても家で分からなければ二会敷に尋ねていたりしているが、今の二会敷は少々機嫌が悪く、手を煩わせるのは少し憚られた。
 新技術や新製品への好奇心は人一倍あるつもりだが、目を酷使するスマートフォンには少々手こずっている。老眼鏡にブルーライトカット機能を付けたものを掛けて、自宅では小さな画面とにらめっこである。ふと、貴由とのチャットがひと段落ついて、顔を上げる。自宅の時計は夜八時になっていた。二会敷はまだEDFだ。新しい宇宙人対策に泊まり込みになると言う。所もサポートしようと申し出たが、正式な研究員ではない為に手伝う事も少ないということだ。喫煙所で煙草を咎められてから、どことなく二人の間に漂う空気は気まずいものだった。
 二会敷は疲労を感じているし、きっと余裕が無いのだろうと思う。所は彼のサポートがうまくいかない事に無力感はあるものの、一週間も暮らしていると風呂も食事も自分で用意することが出来た。鰹節が食べたいと言ったら、二会敷が削り器と鰹節を買ってくれたので、暇があれば出汁を取っている。
 無心にかしゃかしゃと鰹節を削っていると、心が少しだけ落ち着くのだ。今日の分の鰹節を削り終えて箱をかんかんと叩くと、鰹節が舞うのと同じくふんわりと良い香りが漂った。所はそれを鍋の中に入れた。一度沸騰させて火を止めたお湯である。箸でぐるぐると回して対流を作ると、鰹節は沈んでいく。鍋の横にボウルにざるを入れ、キッチンペーパーを乗せる。そこで濾すのだ。手際良く準備ができるのも、時間があるからである。このまま一分か二分置くのだが、ふと思い立って所はリビングに向かった。
 灯りを点けてカーテンを閉じているが、夜の闇が窓の向こうに迫って来ていた。所はカーテンをしゃっと開いてみた。窓を隔てたベランダの向こうには、人々の営みであるビルやマンションの明りが見える。所が見たかったのはこういった光景だった。平和な人類の光景である。この灯りの向こうにいる人々は所を拒絶するものかもしれないが、見ていると安心するものだ。温かい電気の灯りである。
 「おっと」
 もう濾さなければ。あまりお湯に置いておくと生臭さが出てしまうのだ。この出汁を使って、みそ汁でも作っておこう。出汁が余れば煮物に使えばいいと言うが、なかなか手が出ない。今日は作ってみようかと考えて、冷蔵庫を覗き込んだ。ジャガイモと人参と玉ねぎと…鶏肉があった。煮てみようかな。レシピはスマートフォンで検索ができる。便利な時代である。そして少しずつだが料理の面白さが分かって来たところである。それを同居人に食べさせられないのは残念だが、煮物とみそ汁なら少々持つだろうから、冷蔵庫に入れておこう。こうして料理をしていると、背後に気配を感じるのは気のせいだろうか。少しずつ料理が出来上がっていくと、部屋には良い香りが漂ってくる。その匂いにつられるように背後にデルウハの気配を感じるのは、幻覚だ。
 所は何も無いことを振り返って確認した。何もいない。ただリビングのがらんとして空間が広がっているだけである。安心してキッチンに目を向けたその時だった。太い腕が唐突に首に回って来て、ぐっと引き寄せられる感覚がある。幻覚だ。幻覚である。そう言い聞かせているのに、耳元に吐息が当たった。他人の吐息である。視界の端に分かる腕の太さには見覚えがあった。それにふわふわとした防寒具が手首についている。
 「何作ってる」
 幻覚だ。幻覚なのだ。だがデルウハの声が聞こえる。所は短く浅くなる呼吸の中で、必死に目を閉じてその幻覚を振り払おうとした。デルウハがここにいるはずがない。想起が勝手に想像力で呼び起こしているだけなのだ。だが何かの奇跡が起きたのなら、デルウハもこの世界に来てしまったのなら。淡い期待を浮かばせては理性で沈め、幻覚であると必死に言い聞かせている。だが答えなければならない。淡い期待の中で、答えなければならないのだ。
 「…煮物を。それとみそ汁を」
 「へえ」
 デルウハが答える。これも幻覚だ、想像力の産んだものだ。喉が引き絞り、吸えなくなる中で所はそれでも声を振り絞った。
 「私と、同居人の物です…」
 それは、デルウハを撃退するための呪文のようなものだった。デルウハの分は無いというのが、幻覚と現実に折り合いをつける言葉なのだ。ふっと首が軽くなる。デルウハの感触がまったく無くなったかと思うと、所はその場にへたり込んだ。まだ煮物はぐつぐつと煮えている。みそ汁も沸き立ってはいない。だが呆然としていると、こぽこぽと鍋が音を立てたので慌てて立ち上がる。みそ汁だ。
 「……」
 火を止める。デルウハはもういない。いないのだ。だが夜の寒さが、どうしようもない悲しさが、背を包んでくれて一瞬だけ和らいだ気がした。自分に都合が良いのだ。だから幻覚なのだ。デルウハはまさに、心の隙間に生まれて来る悪魔である。寂しくなると囁きかけてくる。
 やめて欲しい、だが全てを忘れ去ろうとする自分を戒めるようで、デルウハには完全に消えて欲しくない。でもデルウハを忘れたがっている心もあった。今の生活に穏やかに暮らしたいと願う罰当たりな自分も確かにいるのだ。このままこの世界で、全てを忘れて暮らしたいと願う卑怯者の自分を、デルウハの形を借りた想起の悪魔は罰するように現れる。ああ、と煮物が焦げるような匂いがして、慌ててそちらも火を止めた。大きく深い溜息を吐く。
 「…私は」
 どうしたいのだろう。自分は卑怯者だ。どちらに転ぶ気もない。贖罪に身を捧げる気も、割り切って図々しく生きる気も。そのどちらにも向かえないのだから、デルウハの幻影に付け込まれるのだ。それでも腹は鳴る。生きる為には食事が必要である。炊飯器がぴーぴーと音を立てて、ご飯が出来たことを知らせてくれる。白米の良い香りも。
 「…食べよう」
 生きる為である。少しだけ涙が滲むが、みそ汁にご飯、煮物と簡単に済ませることにした。時間にして15分も経っていないだろう。二会敷はまだ帰って来る様子はない。食事を済ませたら風呂を済ませて、生きる為に行動しよう。今は深く考える必要はないはずだ。くううともう一度腹が鳴る。自分用のお茶碗によそい、テーブルに持っていく。その動作に集中し、何も考えずにとにかく食事を口に運ぶ。話をしたいが、二会敷はまだ帰宅してこない。そうしているうちに、風呂も済ませ、あっという間に戸締りを確認しベッドに入る。22時だ。少し早いが、眠ってしまおう。二会敷には業務連絡で煮物とみそ汁があると伝えて、寝台に入ると所は目を閉じるのだった。
 二会敷は帰って来た。深夜である。ようやく目処がついたので帰って来たのだ。明日は休日であるが、昨日の宇宙人の襲来の後処理のせいで休むことはままならないだろう。
 「シゲさーん。寝ちゃったか…」
 チャットではみそ汁と煮物があると聞いていた。用意してくれたのだろうと思うと、チャットを見た時は顔は綻んだが、雑務に結局その笑顔は奪われて帰って来たところだ。あっためて食べるか、眠気に襲われて眠るかが悩ましいところである。二会敷は眠そうに目を擦った。癖なのか頭をがりがりと掻いた。ふわあ、と大きなあくびが出る。早く部下を兼東くんが引き戻してくれないかなあと思うが、うまくいかないのが現実である。
 「あ、おいしそう」
 冷蔵庫を覗くと、みそ汁が一人前のお椀に収まっている。小鍋が二つあるので沢山作ったのかもしれない。当分は困らないなあと思う。お椀を取り出し、一人前の煮物を入れた器も取り出した。所が気遣ってくれたのだろう。ちょうどいい盛り付け方は電子レンジに入れた時に見えた。ほかほかと湯気が立つ皿をテーブルに並べて、箸を取り出す。元婚約者がお揃いだと揃えてくれたものだ。食器乾燥機に入れても大丈夫な仕様らしい。漆塗りのように見えてそうではないものだ。実用性を取った元婚約者の気質が窺える。その箸を使っているのは、今までほとんど家にいなかったからだ。だから捨てたいとすら思わなかった。手に馴染むし、買い直すのも時間が無くてやっていない。だからこの箸も何回使っただろうか。
 「いただきます」
 煮物はうまく出来たか分からないと書いてあったが、味がしみて美味しかった。食べ終わると片付けて、もうお風呂は明日でいいやと思って寝室に戻るために廊下を歩く。広いリビングの右手に廊下があり、その奥には三つほど部屋がある。物置と寝室と、今は所の部屋にしていた。子供が生まれた時の為の部屋数だったが、結局婚約破棄したので自由に使っている。一番手前が物置で、隣に寝室、さらに奥に所の部屋があるので二会敷が自分の部屋に入ろうとした時だった。
 「ん…」
 くぐもった声が聞こえる。二会敷は怪訝な顔をした。ぐっすり眠っているのであれば静かである。それなのに、押し殺すかのような声がする。聞き耳を立てる訳ではないが、あまり聞いたことのない声に耳をそばだてると、何か人の名前を呼んでいるようだ。
 「で……の、あっ。…ああ…」
 もしかして、と思った。自慰行為の声ではないだろうか。それならば聞いてしまうのは問題がある。だが足が動かなかった。勝手だが、少々だけショックを受けていた。別に所が性的欲求の無い聖人であると思ったのではない。誰か他人の名前を呼んでいるのだ。それは勿論、所の人生を深く知らぬ身である。だが誰の名前を呼んでいるのか、見当が付く。定期的に所が語る”その人”なんだろう。その事実が、二会敷の身に迫ると急に腹の奥がねじれる気がした。
 ダメだ、聞かなかったことにしよう。二会敷は今コンディションが万全ではない。そのため精神も、判断力も万全ではない。所に抱く感情が今の波風立つ状態で、冷静に対応できるとは思えないのだ。間接照明の付いた部屋で、広いベッドに寝転がってみる。普段は手足を伸ばせて自由だと思えるのに、人がまだ入れる隙間がなんだか煩わしく感じるのだった。
 初恋の人間が発したのが、この世で一番美しいと感じたのだ。まだ六歳かそこらの歳だったけれど、その時地球上にそれより美しいものは存在しなかった。
 「そこのあなた。 わたくしを助けてくださらない?」
 生まれて初めて他人の口から発せられる丁寧で上品な言葉に、生まれて初めて聞く鈴を転がす声に、目の前の人物に毛穴ごと向いた気がした。ニ会敷と運命の彼女は、軍部の誰かのホームパーティか何かで出会ったのだった。ホストの孫娘だった彼女は、客人が庭で談笑するのを後目に庭の端っこの花畑に潜って何やらしていたのだ。幼い二会敷はパーティに飽きてしまって、庭の端にやって来たので彼女とはそこで出会った。亜麻色の髪で、草に少しまみれながらも彼女はふっと初対面の二会敷に笑いかけて言ったのだ。
 「助けるって何を?」
 「マリーゴールドを摘んで欲しいの」
 娘は二会敷が手伝った両手いっぱいのマリーゴールドを抱え、淡い空色のドレスが草色や泥にまみれても構わずに客人達に一本一本配って回った。母親らしき女性が悲鳴をあげるほど、彼女のドレスは汚れていたけれど彼女は誇らしげだった。それからすぐに着替えるよう言われ、屋敷に引っ込んでいく彼女は今度は桃色のドレスで現れて、まるでお披露目のように恭しくカーテシーをすると、ぴょんぴょんと客人の間を飛び跳ねる。落ち着きのない子だと二会敷は思ったが、その天真爛漫さに、幼いながらすっかり心を奪われてしまっていた。
 それが兼東の又従兄弟にあたるとは後ほど知った話である。軍部に属する幼子二人は意気投合するのも早かった。だが、それきりであった。手紙の交流をしてそれは数回は続いたが、二会敷も彼女も幼かったので、どちらかが飽きて辞めてしまった。それ以降のホームパーティで出会うことはあっても、年に一回あるか無いかであったし、家族の都合で二会敷が必ず参加するとも限らなかった。そうこうしている間に思春期になり、美しく成長した彼女とは二言三言交わすだけで終わってしまった。それきりの縁で、美しい初恋の想い出で終わる予定だった。
 それに留まらなかったのは、二会敷が士官に就任して二年目の頃である。興味のある研究に明け暮れる暇もなく、軍人の息子は軍人になった。集団行動は苦手であったが規則は規則である。二会敷が久しぶりに実家に帰宅しようと道すがら歩いていた時。ふと、あの懐かしい思い出が過ぎったのだ。
 亜麻色の髪の少女である。思春期の16ぐらいの時に出会った時、もうほっそりとした首から開いた背が美しい弧を描いて、彼女の成長を視覚的に感じた。時間があるからと、その彼女の家に行ってみようとしたのは無意識だったのか。屋敷のある町に向かっていくうちに、なんだかとんでもないことをしている気がすると思った時、人気のない夜道を駆け出す人影があった。その影は女性であった。彼女に見えた。二会敷は不思議なことに直感でそう思い、彼女を追い掛けてみみることにしたのだ。
 近くの公園で、疲れ切ったのか彼女は地面に倒れ込んでいた。だが悲劇的な事があったように、ストッキングに砂利を滲ませて泣いている。ハンドバッグを手にしているだけであった。公園には人気がない。二会敷は悩んだ。だが彼女の泣き声は間違うはずもなく、美しい鈴を転がす声だった。だから勇気を出して近付いていき、助け起こす前に声を掛ける。
 「あの、大丈夫ですか」
 ぴくりと彼女の肩が動いた。泣いていたら見知らぬ男に声を掛けられたのだ、警戒して当然である。だが、彼女は顔を上げた。二会敷を顔を確認する為に。
 「二会敷さん…?」
 「えっ」
 思春期には声変わりをしていたから、彼女は声変わりした声に気付いてもおかしくは無かった。だが思春期のたった二言で、自分の声を覚えておいてくれたのだろうか。その事実に、若い二会敷の顔に血潮がかっかと登る。暗がりでよかったと思った。だが今は、初恋の彼女に再会と、憶えていてくれたこと、そして何故泣いているのかを尋ねなければならない。二会敷が差し出した手に、彼女は細い手を乗せた。彼女を立たせることくらい、軍部で鍛え上げられた彼には朝飯前である。
 「ふふ、強くなられたのね」
 「うん。…座ろうか」
 二会敷は口下手な青年ではない。だが事情のある女性に、べらべらと喋るほど節度がない訳でもない。だからベンチに座らせ、自分も彼女の隣に座った。
 彼女は、しばらく黙っていたがポツポツとだが言葉を紡ぎ出す。どうやら政略結婚が行われようとしていた。国防軍の海軍に属する父の腹心の部下がいる。将来への見込みはあり、大将になる素質だという。彼と結婚をしろというのが、彼女の父の意向なのだという。
 「嫌よ。見ず知らずの方と一緒になるの…」
 拗ねたように彼女は言った。いつも上品な口調だったのに悪い言葉も覚えているようである。少なくともあの初恋の頃から、確かに成長しているのだ。二会敷も彼女もである。
 「だから逃げてしまいたかったの。それを、まさか二会敷さんが捕まえてくれるなんて」
 運命かしらね、と軽く彼女は言った。彼女は白馬の王子様を信じていないようである。このまま好きでもない男と結婚し、子供を産み、家系のために尽くす。その旧時代的なやり方は家を繁栄させるかもしれないが、人権には少し疎いやり方だ。
 「じゃあ僕と一緒になったら」
 「え?」
 彼女は驚いたように二会敷を見る。二会敷としては、初恋の彼女の危機であるのだ。最大限手伝ってあげたい気持ちがあるが、ひとまず婚姻の意思が無いことが伝わらなければならない。だから目くらましのつもりで…と自分に長らく言い訳していた。
 本心は違うのだ。もしここで初恋の彼女と結ばれるのなら、それは二会敷の心をひどく満たすものだったから。若い二会敷は顔を赤くさせる。彼女はその表情で、二会敷の本気を知る。
 「僕、なら将官まではいけると思ってる。もし貴方が嫌じゃ無ければだけどね」
 「嫌じゃないわ。だって…」
 彼女は花のように微笑んだ。その言葉の先は、男が言わなければならないと思ったが、彼女はそのまま穏やかに続けた。
 「私の初恋の人ですもの」
 初恋から結婚に至る確率はおおよそ100人に一人であるという。二会敷と結婚するとなると、家柄は問題なくととんとん拍子に話は進んでいった。二会敷はまだ士官で研究者であったから、一旦は婚約者として結婚は落ち着いてからとなった。
 今からおよそ20年程前であろう。地球外物質を使った宇宙人への兵器開発の最中だった。頭が複数あるシャワーA星人へのものだ。被害はまだダミー市街地を超えないが、地球外物質の使用にまだ制限がある時代である。二会敷が開発した地球外物質を使用した毒ガスは、当然人体実験の運用が無ければ許可は降りなかった。だが多頭のシャワーA星人の脅威は計り知れなく、再生力が高いために通常攻撃ではパイロットの命が空中に散ることが多々あった。
 即座に危機であるから運用許可を取らねばならない。死刑囚の使用ももちろん考えた。だが彼らはそれを使って「死んだ」らサンプルを残しただけになり、「生きた」としても何の説明も出来ぬ。数回だけ死刑囚の使用をしたが、若き二会敷にはかえって二度手間だと思った。
 そのため彼は、周囲を驚かせる実験方法を編み出す。自身がその役割を買って出たのだ。死ぬぞと周囲には窘められるし止められたが、毒ガスの製造は一刻を争う危機である。二会敷を人道的理由で止めるのには、人類は少々危機だった。二会敷を使った人体実験の使用許可が降りた。だから心置きなく毒ガスを吸い、改善方法と人間への害を自ら刻むようになったのだった。
 そのおかげで、人体に影響のない毒ガスは産まれた。当時それを宇宙人に届けてきたパイロットは、生きて戻ってくる事が出来た。
 「助けてくれたんだな。ありがとうな」
 彼は涙ながらにそう語った。二会敷は達成感で、この仕事への矜恃が高まるのを感じた。必要なことであれば、政府は理解してくれるのだ。二会敷はウキウキとしていたが、二会敷の実家はそう思わなかったようである。彼を呼び出したのは、祖父の二会敷大将(現在は特別顧問)だった。人体実験の件が、国防軍に所属する家族にも伝わったようである。
 二会敷は褒められるとばかり思っていた。だが実際は、激高した祖父に杖を投げ付けられて終わりだった。パーシモンの高い杖なのに、とは思った。当たらなかったので被害は無いが、二会敷家の者がすることではないと散々お説教を喰らうことになったのである。二会敷家の者が、自らの身体を危険に晒すなど、という考えを変えようと、若い彼は必死にその有用性を訴えた。だが、訴えたところで次に出てくるのが「家柄にそぐわない行動」そして「婚約者」である。
 これには二会敷はぎくりとした。まだ婚約者である初恋の彼女には、人体実験を行ったなど伝わっていない。だが二会敷家の者がとうの昔に彼女に伝えてしまったのだろう。結婚したら住む部屋はもう決めていて、二人で家具は運び込んでいた。そこに二会敷が戻ると、婚約者は俯いて待っていた。
 「おかえり」
 「ただいま」
 その時彼女が今日買ったと報告してくれたのが、食器乾燥機でも使える箸であった。だがすぐ本題に切り替わる。
 「人体実験って、なに?」
 ストレートな言い方に、二会敷は同じようにストレートになんの飾りも入れない言葉を尽くし、その必要性を説いた。婚約者はその場で納得してくれたようだった。二会敷は安堵した。心から安堵した。彼女を苦しめたくなかったのだ。
 それからは人体実験部隊は二会敷の体を張ることが少しずつ始まっていた。運用に許可を得るため、その分人々の被害を少なくさせるためだ。宇宙人を撲滅するためだ。そう婚約者には力強い言葉で話すこともあった。彼女はうんうんと聞いてくれたものだ。
 二会敷はその生活に満足していた。給金も手当も高く、婚約者には生活に余裕のある暮らしをさせてあげられる。人体実験は表立ってないが、兵器開発において絶大な信頼を、銅矢がまだ勤めていない昔のパイロット達から得ている。死に向かう可能性がある以外に、日常は代わり映えもしないものだった。だが、婚約者がある日突然言った。
 「人体実験、やめられない?」
 「え、どうして?」
 二会敷には必要性しかない方法である。すると婚約者は急に涙をポロポロと流し始めた。二会敷はそれらを美しいと思った。だから肩を抱いて安心させるように面と面を突き合わせる。
 「説明してもらえる?」
 「……もう限界なのよ。いつ貴方が死んでしまうか分からない中で、朝にあなたを何食わぬ顔で見送るのが! 本当は行って欲しくはないのに、止められないわたくしが…! 無力で、それでいて胸が苦しくて…」
 予想以上に深刻なトーンで彼女は話したものだから、二会敷も困っていた。もうすぐ将官への出世が見えているのだ。確かに危険な任務だが、その分の見返りは絶大である。
  「君を苦労させないよ」
 「もう苦労かかってるんです…! 私、私ね。きっと心が弱い人間だなんだと思うわ。軍人の孫娘なのに。朝あなたを見送って、”今日死んだらどうしよう”と想像するだけで涙が出てくるんです」
 「…うん」
 「最初の結婚話も、国防軍の人で海の人だった……もし海で行方不明になったら、私は何を頼りにしなければならないのか分からなくて…」
 「で、でも」
 二会敷は必死に引き止めようとした。自分は必ず帰る。そんな嘘を吐いていいのだろうか。
 「僕はどこにもいかないよ…?」
 「人体実験、やめてくださるんですか」
 「そ、それは出来ない。けど、君のことは世界で一番愛している。離れたくないんだ」
 「私も貴方が世界一でした。…でも私は心が弱いんです。私が一生を終えるまで、呪ってくださって構いません。私を死ぬまで非難してくださって結構です。……私はもう疲れたんです。帰りがいつになるか分からない軍人の夫は。……次はもっと、生まれる家を選ばなきゃ」
 そう苦笑いする彼女の顔が目に焼き付いた。二会敷への愛は失われていると言うより傷付いてその跡により、見えなくなっているようだ。そこを理詰めで説得して、彼女の心を取り戻すのはもう無理なようだった。二会敷は悟る。もう部屋を借り、日用品を買い揃え、彼女の趣味でラグやスタンドライト、ソファーが選ばれたのだ。二会敷の部屋は、まだ元婚約者の色濃い時間が流れている。
 結局二度の結婚騒動を経て、サラリーマン家庭と今暮らしているらしいと風の噂で聞いている。年賀状が極たまに届くのだ。その婚約者が出ていった後、家具はそのままだったから人気がいない部屋にて、二会敷はどうしようかなと思っていた。
 初恋の人との恋愛成就率は10%。 思えば一般的に語られる中で、あまりにも低い数字である。その確率論を覆せるかもしれないこの共同生活だ。二会敷を包み込んでくれる彼女、本当に辛そうに言った。
 「貴方は他の人を助けて、私を助けてはくれないのね……」
 彼女の心は、きっとどこまでも傷付いたのだろうと二会敷は思った。それ以降彼は彼女に会っていない。助けてくれという単語は、二会敷の中に根付いている。パイロットからの感謝、市民からの感謝、それら全てに二会敷は何の感情を覚えなかった訳では無い。助けてくれてありがとう、守ってくれてありがとう。その言葉はむしろ支えになる物であった。若い二会敷は、それがあるから人体実験に身を投じるようになったのだ。だが彼女にそれを話しても、もう無駄であることは承知の上だった。
 家に残された若い二会敷は、ほたほたと涙が零れるのが分かった。泣いて忘れてしまいたい。だが泣けば泣くほど、思い出は色濃く残ってしまう気がした。ぐす、ぐすっと彼は泣き崩れる。若い二会敷は感情には素直に泣いたのだった。
 
 それからの二会敷が、助けてという単語に少しだけ弱くなるのは理解出来るだろう。ただ言葉半分に言うのでは無い、全力をもって必死に伝えられたら。私を助けてくださいと、元婚約者が泣きながら言うのなら。もしかしたら聞いてしまうほどの危うさを二会敷は孕んでいる。
 「その上で、所が口にしたのか」
 兼東司令は二会敷をよく知るのか、所の言葉に嫌な予感を覚えたようだ。二会敷は若い時ほどはしゃぎもしないし、所の言葉が忘れられない訳でもない。
 ただ、助けてくれと迫る者には弱いのだ。
 「僕の事信用ないね?」
 「まぁな」
 「あの人なら大丈夫だよ。良い大人なんだしさ」
 「我々はお互いいい大人だ。まぁいい、所に興味を持つなら接触許可くらいは取ってやる」
 「うん」
 兼東司令は二会敷少将の性格をよく理解し、立ち回るようだ。だが彼女は二会敷に助けを求めたりはしない。初恋で折り曲げられた感覚に従い、今も心がときめくのは「助けてくれ」である。所は全力で二会敷に縋った。その健気さに心打たれ、勝手に初恋に近いからと傍に置いて自由に使っている。
 「僕はね、本当は勝手な男なんだ」
 「前からだぞ」
 所との接触許可を取り付け、あの助けてくれを確かめたくなった。一度全力で抱き留められなかったものを、今度は抱き留める事が出来るだろうか。二会敷には自信はない。だが、所なら容易そうであった。
 「あ、あのぅ」
 抱き締められた所は驚く。そして抱きしめる二会敷は言った。
 「僕が守るから。きっと心配しないで」
 その手の言葉に飢えていたのか、所は心から安堵した顔をする。きっとそれが、勝手ながら気に掛かった始まりであった。
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