デルウハは写真を滅多に撮らなかった。日本を訪れる前から、殆ど習慣として身に付けてこなかったのだ。家族旅行や記念日、そういった機会に自分のスマートフォンを誰かに差し出すことはある。しかし自分の記録の為に進んで写真を撮るという行為は、 年に数回あるか無いかであった。とはいえ、記録以外での写真の用途は多々あるものだ。主には弱みを握る為の物的証拠となる。その為、デルウハはシャッター音を無音にしていた。おかげですんなりと根回しも排斥も、彼の目的の為に手段や手間は選ばない性格ゆえに成功している。その相棒であるスマートフォンで、今デルウハは珍しく自分の為に写真を撮った。
 所が同じベッドで眠っているのである。彼との性交渉の後、シャワーを浴びてほかほかとした体のそのままに、所はバスローブだけ纏って珍しく寒がらずにベッドで寝こけている。その分、室温を高めにしているのだ。デルウハにとっては暑く汗が出る手前だが、痩せ型の所にはちょうどいいらしい。そのせいか、珍しく前をはだけさせて、白くほっそりとした首が枕によって緩やかなアーチを描いて見えている。所は寒がりで、デルウハにひっつくか布団にくるまるかであるのに、珍しい事だった。本日の気温が冬らしくなく、温かい日である事も影響しているのだろう。遠慮が無くて、だらしないとさえ思う身の投げ出し方をデルウハは撮ったのだ。フォルダに残っている事を確認する。若くて、惰眠を貪っている寝顔である。
 もう少しアップの顔も撮ろうと、カメラアプリに画面を戻す。若い肌のきめ細かさは、ズームをしたとて数万とある画素のおかげで潰れないだろう。だがデルウハはあえてスマホを所の顔に近付けた。物理的にカメラに近付け、寝顔を撮る。無音であるからか、所はスマホをかなり近い距離に向けられていても、起きなかった。デルウハがまさか撮っているとは夢にも思わぬのだろう。寝顔からみるに、夢の中ではきっと彼は穏やかに過ごしている。
 デルウハはスマホをサイドテーブルに置いた。そして空いた利き手でペットボトルの水を飲む。硬水が体に合うので、硬水のペットボトルをわざわざ買ってきている。一度所も口にしたことがあるが、軟水に慣れた彼は不思議な顔をして、それ以降進んで飲みたがらなかった。水分補給をしてふとベッドサイドの時計を見やると、23時47分。ベッドに入ったのは、21時2分だったからシャワーの時間を差し置いて一時間半程度は貪っていた。まだ早い気もするが、話し相手もいないし眠ってもいいだろう。デルウハはもう一度水を飲むと、所の隣に入り込んだ。ぎし、と寝台が揺れる。先程までしょっちゅう軋んでいたのに、デルウハが乗ったことに驚いたような音だ。ベッド周りの照明を落とし、玄関だけは点けておく。真っ暗にした際に、部屋を襲われる際への対処である。真っ暗で誰か分からぬ、といった事を回避するためだ。日本まで追って来るような敵は作っていないが、それでも残るデルウハの習慣である。所がいるからといって、日本だからといって直る習慣ではない。
 「ん」
 所が、横にデルウハが来たことに気付いたらしい。眠そうな瞼をこじ開け、ぼんやりとデルウハを見た。その顔を眺めていると、所がすり寄ってくるのでシーツがすりすりと音を立てる。そして彼は無遠慮にデルウハに抱き着いた。所が無造作に置いた手が、デルウハの胸や腹に当たる。だがぽんと置いた程度である。デルウハが退かすほどでもない。
 所はまだ半分夢の中なのか、腕をもぞもぞと意味もなく動かしていた。まるで、そこにデルウハは夢ではなく現実にいると確かめるような動きであった。胸をかるく摘まむような動きである。そうして気が済んだのか手が止まった数秒後、所はとろんとした目でデルウハを見つめたまま言う。
 「でるうはどの」
 「なんだ」
 「ちょっとお太りになられましたね…」
 はい?
 それだけ言うと、所はことんとそのまま寝入ってしまった。デルウハの腕を枕にしている。その点は問題ないのだが、現実に一人残されたデルウハは、その唐突な言葉の意味を考えざるを得なくなった。
 それは悪い意味なのか? 痩せろということか? どういうことなんだ…。
 心当たりはあった。確かに日本に来てからは朝も昼も夜も食事を堪能しており、また日本は物価がデルウハから見れば安いので、大量に食べても問題なかった。チェーン店も高級店も、目星を付けていた場所は一通り行った。それでもまだ見ぬ飲食店は大量に日本に転がっていて、石を投げれば飲食店に当たるのではと思う程だ。所も連れて行ってるから、所の体付きもすこし変わっている。中でも腰回りは顕著である。本人も気にしているようだったが、まさか自分にまで言及してくるとは思わなかったので、驚く。
 だがデルウハとて、ただ食事を堪能している訳では無い。日中は観光に調査でひたすら歩き、隙間を縫ってジムにも通っており、体力の衰えは無いはずである。食事の質が悪くての肥満というより、栄養過多の肥満であろうか。すぐコンビニに入ればそこには食事があるし、何かしら買える。飽食の国らしく、それは幸せな事であろうが確かに太った…。
 だが筋肉が付いた可能性もある。ジムは、本国にいた時よりも熱心に体を動かしているからだ。人を抱くのに年齢は関係ないが、デルウハは四十となり、時と共に衰えはじめている。所に飽きられるなどの可能性は憂慮していないが、物理的に逃げられる可能性は考慮しなければならない。鍛えているのはその為である。逃がさぬためだ。
 まあ、どうしようもない話だな…。
 それ以上にデルウハは体型について考えるのを止めた。眠るのである。所の手はまだ胸と腹にぽんと置かれており、邪魔ではあるがそこまで気にならない。腕枕をしたまま所を抱き寄せると、すやすやとした寝息が聞こえる。デルウハは目を閉じた。
 「これから一週間は、寿司週間にする」
 所は有名チェーン店の回転寿司屋に連れて来られ、テーブルに着いた途端にそう言われたので、目を白黒させた。
 「お寿司が気に入ったのですか?」
 「まあそれもある」
 所は妙なところで言葉を切ったデルウハに、首を傾げた。だが他の客のわいわいとした声に紛れ、まあいいかと流したようだ。卓上のタブレットを取り出す。
 「せっかくですから、頼みましょうか。私もお寿司は嬉しいですよ」
 「そんなに好きだったのか?」
 所は日本人である。魚は研究所でも食べられていたはずだが、そういえばデルウハのお供で寿司屋に行くと、彼はいつも目を輝かせていた気がした。
 「30年は人工変異魚を食べてたものですから、海の魚は嬉しくて」
 「ああ、なるほどな。あれも悪くなかったぞ」
 「え、召し上がってたんですか?」
 「塩漬けにしてな」
 ああ、と所は驚いたような納得したような声を上げた。そしてタブレットで頼みながら、レーンに専用の皿が辿り着いたのを手に取りながら、二人は寿司をほおばる。その会話は、デルウハの人工変異魚の保存食についてだった。
 「なるほど、卵は活用できますからね。内臓も改造を施してましたので、食べなくて正解かと」
 「魚にとっちゃ、迷惑な進化だろうな」
 「ははは、確かに。でも食べやすいように生物を進化させるのは、人間だけですよ。肉質をやわらかく、味を美味しく、手軽になんて人間の業が詰まってますのでね」
 所はそう言うとネギトロを口に運ぶ。骨際の肉がうまいから、わざわざ貝殻や道具を使ってこそげ落とし、その上で食べるのだから執念を感じられる食べ物だ。
 「おいしいです」
 所は本当に美味しそうに寿司を頬張る。デルウハはというと、うなぎ丼をかきこみ、うなぎの握りを口に運んだ。十皿ほど頼んだのに、あっという間に無くなったので所はタブレットを見やった。
 「あ、てんぷらも頼みますか? ここは寿司屋ですが、ラーメンもおうどんも美味しいそうですよ」
 「人間の業が詰まってるな」
 「ふふ、確かに」
 また太るかもしれないが、この瞬間の食事は悪くない。所が海の魚を飽きるまで食べるのには、あと何年掛かるのだろう。生涯ほどは掛かるかもしれないと何故かデルウハは考えるのだった。
カット
Latest / 82:18
カットモードOFF