閑話休題⑥
 店は調べたが、デルウハが結局指定した焼き肉店はチェーン店であった。所の快気祝いである。風邪をこじらせなかったものの、高熱と吐き気と寒気に襲われたのをデルウハが介抱したのだ。たまたまデルウハが泊まっている時で良かった。宣言通りデルウハは風邪に発症せず、所もその後熱を出さずに少々のけだるさはあるものの…そのけだるさは無いものとして振舞うことは出来た。デルウハが一度ホテルに帰るというので、その見送りをした後、夕方になってから店舗の前で待ち合わせだ。
 デルウハが目立つので分かりやすい。所が近付くと、自然な流れで腰にデルウハの手が回った。往来の少ない道であるが、完全に無人ではない。所の足がもつれて胸元に倒れ込むと、デルウハは当然のように受け止めてくれた。所は胸板に顔を埋めながら、慌てて顔を見上げる。
 「…人前ですよ」
 「そうか」
 デルウハは事も無げである。ぽんぽんと頭を撫でてきて、店に入るのに腰を抱いたままエスコートしてくれた。気恥ずかしいものの、断りきる理由もない。案内された席に着くと、もうデルウハの関心は肉に移ったようである。食事を優先する彼らしい。所は日本語のメニュー内容を説明すると、店員を呼び止める。あっという間にテーブルには注文した大量の肉が運ばれてくるのだった。
 「食べられますか?」
 「愚問だな」
 「はは、それもそうでした」
 デルウハの分厚い肉体を見れば、テーブルを埋め尽くす肉など許容範囲であろう。前回は春が焼き肉をやってくれたので、見様見真似で自分から焼く。家族で行くときは母親が積極的に焼いてくれたので、すぐに手を出なかったが今は二人きりである。デルウハも手を伸ばしてきたので、二人で焼くことにした。焼肉の主導権は、お互いに持つことにする。これが平和である。
 「タンがすぐ焼けますので、どうぞ」
 「それ空けたら次は、これはロースか?」
 「そうです。でもハラミもありますよ」
 「どれがいいとかあるのか?」
 「ああ、でもお好みです。脂が気になるのなら、後にさっぱりしたものを残すとか…」
 「なるほど、組み立て方によるな」
 そう言いながら焼き肉を楽しむのは、二人だからだ。一人であれば好きな物を簡単に食べられるが、二人であればこういった会話も楽しめるのだ。決めた献立通りに焼かれた肉が、ばくばくとデルウハの口に運ばれるのを眺めながら、所は頬杖をついてサワーを飲む。すると、デルウハはその視線に気が付いた。
 「なんだ?」
 「おいしそうに食べるなぁ、と思ってですね」
 「あんたも食べろ」
 「いえ、デルウハ殿が食べるところで、正直つまみは十分です」
 「だから瘦せ型なんだろうが。いいから食べろ」
 デルウハがそう言うが早いか、トングで摘ままれた肉がぽいぽいと皿に乗せられ、あっという間に所の取り皿は肉で埋め尽くされた。所の快気祝いなのに、主役はこれではデルウハである。しかし看病代と考えれば、デルウハが主役でも問題ないかと所は思い直した。事情はどうだっていいのだ。デルウハが望む食事が出来れば、それで問題ない。所も箸で焼き肉を口に運ぶ。デルウハは箸を使えないようで、店に頼んで出してもらったフォークだ。そういえば春におごってもらった時もフォークだった。箸ばかりの店に行かないから分からないが、この調子だと蕎麦屋などもフォークなのかなあとぼんやり考える。
 「なんだ、さっきから」
 「いいえ。…デルウハ殿の事を考えていただけです」
 「目の前にいるのにか」
 そう言ってぐあっと開いた口に、フォークで突き刺した焼き肉が放り込まれる。箸の方が美味しいのかなあこの場合。なんだかステーキのようで、デルウハの口に運ばれるのは焼肉らしくない。
 「目の前にいるからこそです。…こういうの、恋人の特権でしょう?」
 
 あのデルウハが咀嚼を止めた。所は気恥ずかしさで思わずサワーをあおる。その顔はアルコールではなく赤らんでいる。
 「すみません、忘れてください」
 「出来るか」
 「…でしたら、肉に集中して忘れるよう努めてください」
 「出来ん」
 「……恋人恋人って、デルウハ殿が言うから…」
 「それ以外になんかあるのか。パートナーじゃまだ早い」
 「それは早いですけど。早いと言うか、まだそうなると決まってませんけど…」
 「だったらセフレがよかったか?」
 「嫌です…」
 所がたわむれに肉をつつく。その箸遣いは丁寧なものだが、食べもしない肉をつつくのは行儀が悪い気がした。すると、咀嚼を終えたデルウハが口を開けて見せる。
 「ん」
 「なんでしょう」
 「肉入れろ」
 食べないのならばという意味であろう。所は箸で一枚のすっかり冷めたカルビを取ると、デルウハの口の中にそっと置くのだった。丁重すぎて、涎が零れ落ちそうなほどに時間が掛かった。ただでさえ冷めたカルビである。だが咀嚼していれば味に問題はない。多少、熱い物を食べるあの高揚感は無くなるが、うまい肉だった。
 「美味しいですか」
 「まあまあだ」
 こちらはあたたかな白米を、デルウハはフォークで口に掻きこむ。併せて食べる旨さがあり、肉は日本独自の米とよく合った。所も冷めた肉を口に運んでいる。焼き網には肉が乗っておらず、全て食べきったのだがすぐに追加を頼もうとデルウハがメニュー表を指差す。はいはいと所が渡して、注文は所が行った。共同作業だなあと思った瞬間、もう一度頬をかっと焼く感覚がして、サワーの残りをあおる。一人で何してるんだとデルウハは思ったが、待つ間にキムチに手を出すのだった。
 「そういえば、聴講はもう来られませんよね?」
 「なんだ。興味があれば行くが」
 「あ、いえ。ちょっとひと悶着…というか、ちょっとありましてですね…」
 所は歯切れが悪く言う。どういうことだと続きを促すと、同学部でも有名な帰国子女がいるらしい。スクールカーストというものがあるのなら、上位に居たであろう派手好きで目立ちたがりであるという。その点は大学において好きにすればいい、その代わりカーストは作らない風潮があるのが大学だが、物珍しいものに興味があるのか、ある日彼女が所に話しかけて来たという。
 「ねえ、この前の聴講の人さぁ」
 「あ、うん。あの人が何?」
 デルウハが何か大学で聞きまわったのかと所はぞっとしたが、どうやらそうではないようだった。
 「紹介してくんない?」
 彼女は期待と当然だろうという思いを込めてそう言い放ったという。デルウハはキムチを咀嚼しながら思った。
 
 え、何の話?
 「どうやらその、一目惚れと言いますか…彼女がデルウハ殿が気になったようでして」
 知らんが。
 デルウハには寝耳に水である。大学には所を探しに行ったのであれから用はなく、近寄っていない。だが知らぬ間にそんな事が起きているとは知らなかった。帰国子女は、所にデルウハへのコンタクトを願っていたようである。講義終わりの混んでいる食堂で、所は驚いて声が出なかったという。そこに、春がやって来た。彼女と所の間にひょこっと顔を割り入れると、事も無げに言ったのだ。
 「え。あの人、しげ君の恋人だよ?」
 「は?」
 「だから、恋人。Lover、情人」
 「中国語まで言わなくても分かってるわよ。じゃなくて、はあ? 本当なの所くんさあ!」
 帰国子女は激昂したように声を張り上げるので、食堂の注目の的になってしまった。所はそこまで目立つ存在ではない。視線に気まずそうにかけそばに目線を落とす。だが帰国子女はそれを許さなかった。
 「なんとか言いなさいよ」
 「いや…春君には紹介してるけど、本当だよ。恋人で…」
 「何よそれ。嘘ついたら承知しないわよ!」
 「嘘じゃないよーデルウハさんは、しげ君の看病もしてたし」
 春が火に油を注ぐような事を言う。だが第三者の意見は、それなりに信ぴょう性はあるらしく帰国子女はわなわなと体を震わせながら、同性愛やもろもろ言いたいことを必死に選抜しているようだった。最低限、人として超えてはならない言葉を選ぶ理性はあるらしい。可愛らしい顔立ちだが、性格がきつくてつり上がった眉で、所を長いまつ毛で縁取った大きな瞳で睨みつける。
 「…嘘じゃないのね…?」
 「本当だよ。嘘ついても仕方ない。だから、紹介は出来ないよ」
 「本当にそうね? あたしの誘いを断る為だったら」
 「違うよ。本当に恋人だよ」
 所はそう言い切りながら、口の中がくすぐったく感じた。
 慣れない単語であるせいと、他人に恋人と宣言するのはなんだか勝手が違うのだ。何も事情を知らぬ野次馬が口笛を鳴らすので、俯いてしまった。代わりに春が帰国子女に突きつける。
 「分かった? つきまとうのやめてよね、しげ君可哀相だから」
 「誰がつきまとってるのよ! ふん、もういいわ。時間の無駄だった!」
 そう言ってぷりぷりと怒った帰国子女は離れたが…噂ではまだ狙っているだのと聞いた。春が噂を耳にしたと教えてくれたし、同学部の友人もなんとなくそういう噂だと聞いているらしい。それをデルウハに言っても仕方ないと思ったが、思い出したので仕方がない。快気祝いのついでに話してしまうのだった。デルウハは反応に困る顔をしていた。
 俺に関係ない場所で、俺に関する話をされてもだな…。
 「すみません、デルウハ殿には関係ないんですが、もし聴講にいらっしゃる時は気を付けてもらいたいなと思いまして…」
 「ああ、まあ気を付けようもないところだが…」
 「すみません…多分飽きてくれるといいんですが」
 一目惚れの効力がどこまであるか分からぬが、とにかくそういったもめごとは起きるものだ。面倒だから聴講に近寄らないのが吉であろう。そう考えを固めたところで、追加の肉がやって来る。
 「美味しそうですね」
 気を遣ったのだろう、所がそう言うのに特段反応せず、デルウハはトングで次々に網に肉を乗せていく。
 「デルウハ殿。…怒っておられます?」
 「怒ってないが、舐められた態度を取られたんだ。それなりに肉付けろ。それで断り切れよ、俺が言えるのはそこまでだ」
 「かしこまりました。もちろんです」
 そう答えた所の皿にどさどさと焼けた肉が乗る。だがふと前を見れば、対面のデルウハは負けぬほどに肉を貪っている。この肉で果たして食事は終わるのかなあと考えながら、所も肉にかぶりつくのだった。
カット
Latest / 111:39
カットモードOFF