「三叉足のイペリット?」
「ええ。鳥のような足跡が確認されています。センサーにも通常通り反応するので脅威は無いのですが、まだ生態は分からぬ部分が多いようで」
「あの体から、細い足が生えてんのか」
「そうですね。ただあの重量を支えるためか、六本ほど猫の髭のように生えています。その分機動性が高く、走行時間は通常のイペリットのおよそ1.3倍ほどかと」
「なるほど」
所長とデルウハの真面目な会話が行われている。そこに、子供の影が入り込んだ。所長のアウターを掴み、引く。
「しょちょう」
「ん? くのえ、どうしたんだい」
そう答える所長は、手がふさがっている。報告書を手にしているからである。彼が声と目線だけを子供に掛けると、抱っこか何かを期待していたのが叶わなかったのか、今度はデルウハに向き直った。
「たいちょ」
「なんだ」
デルウハが屈んでやると、翠の目がじっと見上げて来た。相手はハンターとなった子供である。怪力と不死身の子供である。だがデルウハの子供だ。その点は公言されており、子供自身も認識しているのかは分からぬが隊長と呼びながらも親密そうにデルウハの体に向かって手を伸ばした。
「だっこ」
二歳程度の子供である。デルウハが抱えるのには簡単で軽い。むしろやわらかく、壊れそうなほどである。小さな子供の手がデルウハの肩に触れてぺちぺちと叩く。人間同士の触れ方は学んだのか、デルウハの体を壊すような事はしなかった。この力加減を教えたのは所長であるが、その上澄みの恩恵だけデルウハは享受している。こうなるとただの子供のようだ。
「たいちょ。たーいちょ」
普段触れ合うことが少ないからか、子供はデルウハにぺたぺたと触れて機嫌が良い。無害で、怪力はどこへやらだ。すると、二人の背後から走る音と声が割って入って来る。
「くーちゃん! あ、隊長! 所長も」
いちこである。続いてみちもやって来ていた。子供はぶんぶんと二人に向かって手を振ったので、懐いているようである。にこにこしながら二人の名を呼んで手をばたつかせた。
「いーちゃん、みっちゃ」
「すみません隊長、ちょっと目を離したら走ってちゃって…」
いちこが申し訳なさそうに手を伸ばしたので、デルウハは子供をいちこに託した。子供も特に抵抗することなくすんなりといちこの腕に収まる。にこにこといちこが笑った。すると、所長が面目無さそうに言う。
「むしろすまないね、いちこ。面倒見てくれてありがとう」
「いいんです、いい子ですから」
怪力ではあるしその制御は出来ないが、同じく怪力の子供にはちょうどいいのだろうか。年下の子供がいる事で、元来面倒見のいいいちこや、可愛いものが好きなみちは空気が穏やかになっている。よみはまだ煙たがっているが、同じように遠巻きに見ているむつと同族意識が育まれているようだ。いつかとにこは、中立であろう。子供が好きではないが、嫌いではないというスタンスだ。子供に懐かれれば、面倒ではないが声を掛けたり様子を見る程度である。部隊として分断されてはいないが、一致団結まではいかない。まあ子供への免疫もない年齢であるし、デルウハはそこまで期待はしていなかった。子供を利用するのは不確かな要素である。幸いにも子供の反応で二人組程度に分かれているので、デルウハとしては楽であった。すると子供がデルウハに手を伸ばす。
「たいちょ」
「なんだ」
「まただっこしてね」
「え。今文章を…」
所長が驚いたように言う。いちこも驚いていた。どうやらこの子供の発育では、文章を発するのは珍しいらしい。二語文であれば喋るのだが、まさか長文になるとはと繰り返す所長から、三叉足のイペリットの情報は出て来ないのだった。
三叉足のイペリットの出現は、大きな衝撃でもなかった。遠巻きにデルウハ率いるハントレスは、双眼鏡でその姿を覗き込んでいた。空を舞うイペリットに比べれば、猫の髭のような六本の足も愛嬌があるものである。だが、双眼鏡をいち早く離した者がいた。よみである。イペリットの幼体に拒否反応を示したことがある彼女だが、今回のイペリットも嫌いらしい。新種のイペリットはその髭をぶらんぶらんと揺らしながらかさかさと歩いていた。その為か、顔が横長に広く平坦であるのも嫌らしい。
「キモい!」
「猫っぽいわね」
「猫っぽくない!」
全て否定するありさまである。六本足がかさかさと同時に動き出し、イペリットの前の雪原に三叉の足跡が残る。その動きにも鳥肌を立てていた。
「ああ…ほんとにイヤ…」
「あれが猫の髭みたいなもんなら、センサーになってる可能性もあるな」
「なんでそんな、みんな平気なわけ…」
デルウハの冷静な言い方に、よみは腕をさする。本能的に嫌らしい。その様子に、むつが心配そうに声を掛けた。
「よみちゃんは、後ろにいる…?」
「そうしたいけど…」
暴れ回りたい気持ちはあるらしく少々の葛藤がある。まだ三叉足のイペリットは周囲を見渡している程度だ。人間に気が付けばすぐにやって来るだろう。このまま奇襲を仕掛けるか、遠巻きに生態を確認するかというのが今の彼らの任務だ。すぐに風に乗ったにおいで、人間に気付くはずである。だが新種のイペリットは人間に興味が無いのか、うろうろと六本足で何かを探るように歩いている。だが、研究所に来られてしまっては人間にとっては脅威である。倒さねばならない。
「さて」
「ぺりっと!」
デルウハが指示を出そうとしたその瞬間だ。所長と手を繋いでいたはずの子供が、新しいハンターである九重(くのえ)が剣を携えて走って行ってしまったのだ。雪原の山肌をあっという間に下って、その姿は新種のイペリットに向かって行く。デルウハとしても予想外の行動であった。
「くのえ! 待て! 戻れ!」
「や! たいちょうきらい!」
拒否の声と、こちらに向かって舌を出す子供の顔が見えた。その一方、あろうことかイペリットが子供の気配に気付いて向かってくる。つい一週間前まではくのえが飛び出す事はあった。だがデルウハの声掛けに即座に戻ってきたものだが、何故か今日に限っては無視してイペリットに突っ込んでいく。これが親子間の問題であるなら、まあ反抗的な日もあろうと言える。だがくのえが所属するのはデルウハが率いる部隊だ。命令違反、規律無視である。看過できぬ問題であった。
「くのえーーー!」
心からのデルウハの怒声だが、それでも子供は足を止めない。
「なんでだ! 戻れくのえ!」
「くーちゃん、戻って!」
いちこも加勢したが、子供は振り返りもしなかった。慌てるハントレスに、所長が思わずデルウハに声を掛ける。
「デルウハ殿、もしかしたら」
「あんたな! 手を離すな子供の手を!」
「ひ、すみません」
そう言って思わず顔の前に庇った所長の手には、紫色の指の跡が付いている。くのえが力の限り所長の手を握り締めたあかしだった。思わず話してしまう程の怪力だったのだろう、ハントレス達の冷たい視線がデルウハに突き刺さる。不可抗力をこれ以上責めるのは得策ではないが、所長は何かを言おうとしていた。
「なんだ、なんか言いかけたな」
「その…多分ですが、今くのえは反抗期かと」
「はあ?」
ハントレス達も怪訝な顔をしている。その向こうで、イペリットとくのえが対峙していた。大剣を持つ子供が、イペリットの髭のごとき足を切りつける。その細い足は綺麗に切り落とされていた。デルウハは所長を見るべきか子供を見るべきかで悩んだが、ひとまず子供は問題なさそうである。所長を見るとデルウハは言葉を続けた。
「反抗期って…こいつらぐらいの年齢のもんだろ。そんな早い時期に起きるのか?」
「ちょっとデルウハ、それどういう意味?」
「人間の成長過程で、三回ほど反抗期が起きると言われています。おそらく、第一次反抗期かと。ちょうど一歳半から三歳までに起きるものでして…」
「くのえはどこまで成長した?」
「成長スピードは、今四倍ほどですから二歳ですね…」
ハンターとして改造された子供の体は、生まれてから成長が非常に早いのだと言う。そう作ったと所長から聞いていた。所長は何かを思い出したのか、しずしずと言う。
「この反抗期は、通称イヤイヤ期と言われてまして…」
「イヤイヤ期?」
「なんでも与えられる物や強制事項に対してNOを示すのだとか…その。デルウハ殿のいう事を聞かないのは、そのためかと」
なんでもNOという時期。その事実がデルウハの身に浸透する。ハンターとして改造し、産まれた頃からイペリット退治を見せ、生業にさせるために擦り込んで来た子供。持ち合わせるのは怪力。赤子の時分で成人男性を容易にぶん投げて来た子供の、イヤイヤ期…。
「この時期は魔の二歳児とも言われて…経験者に尋ねたのですが、皆怪獣だとか魔物だとか仰ってましたね」
所長は苦笑いを浮かべる。だがデルウハはその内容には興味を持たず、尋ねた。
「それ、いつ終わるんだ」
「四歳…あるいは五歳を超えれば終わるとは言われていますが…」
「くのえならいつ終わる?」
「最小限に見積っても…三ヶ月はかかるかと…」
三か月…三か月も命令無視する怪力の子供を手懐けろと…?
「くーちゃん!」
いちこの声で子供の方を見やる。既にイペリットの細い足を二本ほど切り終えた子供がそこにいるが、イペリットとて何もしていないわけではない。踏み付けんばかりに、胴体にある足が大きく浮いた。目標は、細い髭を斬り付けるのに夢中になっている子供である。容易にそれは踏み付けることが出来たのだった。どずん!と質量のある物が落ちる音。ハントレス達は青ざめ、助けに行こうとするがデルウハは止めた。
「なんで止めるの!?」
みちが珍しく声を荒げる。だがデルウハは冷静だ。
「いいから動くな。いいか。お前らに代わりはいない、それにくのえはただの規律違反、命令無視だ。これが部隊なら、脱走兵をわざわざ助けに行く事になる。本隊を、そんな事で危険には晒せない」
「でも…!」
デルウハの行動は正しいのだろうとハントレスも分かっているようだった。だが人道的に、あるいは仲間意識から助けに行かずにはいられないだろう。だがデルウハとて新種の生態が分からぬ以上、うかつに手を出すつもりはそもそも無い。少数で様子を見ながら倒すつもりだったのだ。そこに駆け出したくのえは、完全なる誤算である。
ただ、安心感はあった。くのえはハントレス達と同じく不死身の子供であろうから、この程度で死なぬのだろうと高をくくっているのだ。だが、ふと見た所長の青ざめた顔を見て思わず疑念がよぎり、所長に詰め寄るのだった。
「待て。くのえは不死身なんだろ。再生するんだろ?」
「……いえ」
はあ? まさか我が子可愛さに不死身にしなかったとでもいうのか?
思わず出て来そうになった言葉を呑み込み、所長の胸倉を掴みかけるがデルウハはアウターの裾を握りつぶすだけでひそひそと話し始めた。ただの怪力の子供で、防御力もろくにないのなら出会ったばかりのハントレスと同じである。何の戦略もなく獣と同じだ。それでいて不死身でないのなら、もはやくのえに価値があろうか? 所長はデルウハに気圧されながら、ぽつぽつと喋り出す。
「完全な再生能力はあの子にはありません。ただ…」
「ただ?」
「隊長、くーちゃんが!」
いちこの声に振り返ると、潰されたはずの足を押し上げるように人影が現れた。だが本来いるはずの、二歳の小さな子供ではない。成人男性の体であった。だが着ているものはそのままで、剣を片手にした見慣れぬ人間である。髪は焦げ茶で、瞳はデルウハと同じ翠。その特徴で、もしかしてとにこは眉を顰める。
「あれ、くのえじゃない…?」
「どういう事だ」
デルウハが所長を見やると、所長は安堵したように息を吐いてぽつりぽつりと続けた。
「再生能力はございますが、限定的といいますか。回数が限られてしまうのです。細胞の許す限り、といいますか…その代わり、ある特性があります」
「危機的状況になると、全身の細胞分裂が促進され…最大値となる年齢の肉体にまで成長するのです」
成長。デルウハが振り返って確認すると、確かに十代後半あるいは二十代前半の男だ。男は剣を片手に、イペリットに向かうと踏みつけた足を切り落とし、続いて髭を数本まとめて切り落とした。その変化にデルウハと共にハントレス達も驚いているようで、助けに行くという空気はみるみるうちに無くなっている。助けるべき幼子はそこにいないのだ。
だが、ハントレス側にも変化は訪れていた。みちがわなわなと震えているのが分かり、むつが怪訝な顔をする。
「みちちゃん…?」
「くーちゃんが、くーちゃんが……」
みちの珍しい変化に、周囲も気付いたようだ。彼女は顔を真っ青にして、叫んだ。
「可愛くない……!」
「みちが倒れた!」
前途多難である。くのえの安否はともかくとして、みちは幼子の変化にショックを受け、可愛がっているいちこも少なからず動揺しているようだ。遠巻きにいたよみとむつはその変化が理解出来ないようだが、いつかとにこは分からないが、みちの変化には驚いている。
なんだろうな、この混沌……。デルウハは思う。みちはとりあえず、むつといつかが介抱したので人員は割けない。冷静になれ。新種のイペリットは今、片足を切られて髭部分も半分の数は切られている。だが子供でやり方が分からないのか、くのえはイペリット本体には傷を付けない。イペリット討伐には、体積の半分以上を傷付ける必要がある。くのえがやっているのは、ただいたずらにイペリットをいたぶっているに過ぎないのだ。
ただ、機動力が落ちたのは間違いない。
「よし。よみ、にこ、いちこ行け」
「え、あ、ああ、うん!?」
よみ、お前もテンパってどうする?
知らず知らずに彼女も子供に毒されているのだろうか。だが素直によみが飛び出したのににこも続く。いちこも慌てて後を追った。主戦力はよみとにこで、いちこは子供のお守りのつもりだったが、よみがイペリットの背中に剣を突き立て、いつもの容量で肉を削り落とす。にこも同様だ。いちこも続く。イペリットはそこで、どうも簡単に倒れ込んだ。どしゃ、と雪の上に倒れ込むイペリットを、よみが確かめるように踏みつけた。何の反応も無い。屍である。
「ふん」
大したことは無いようである。新種とはいえ通常と変わらぬイペリットということか。デルウハは安堵した。
と、そのよみにぬっと男が近付く。くのえである。幼子のように彼女の顔を真横から覗き込み、にこにこと笑って、そのままあろう事か十五歳の小柄な少女に、若い男は抱き着いたのだった。
「ギャーーーー!」
「よみちゃ、つよい~」
「離れなさいバカ!」
よみが男を突き飛ばそうとするが、体格差のせいかビクとも動かない。怪力の者同士である、怪我は無いだろうが拮抗した争いに、にこが吹き出してクスクス笑う横で、いちこが慌てて止めに入った。
俺に似てるのが嫌だな……。
くのえの体格はデルウハと似たような、骨太の体格である。日本人の所長の血も入ってるようだが、体格はスイス人の骨格を受け継いだようだ。
「いつ戻るのよーーー!」
よみの怒声が響き渡る。所長も慌てているが、みちをとにかく研究所に戻そうといつかとむつは帰路についていた。
「くのえ! 帰還しろ」
「やだ!」
成人男性の駄々は可愛くない!
せめて二歳児に姿を戻せ!
心の声を必死に押しとどめ、デルウハが何を言うべきか思案していると、所長が口を開いた。
「くのえ! 今日のおやつはプリンだ。戻っておいで」
「ぷりん」
「プリン!?」
よみ達も反応していたが、男は真っ先に反応して所長の元に駆け出す。その道中、体は徐々に縮んでいき、所長の元にたどり着く頃には子供の姿になっていた。抱き着いた二歳児を抱き上げ、所長はよしよしと頭を撫でる。
「よく頑張ったね。でも、隊長の言うことは聞くようにね」
「はぁい。ねえぷりん」
「プリンってホント!?」
よみ達も戻ってきた。くのえのオヤツの時間に合わせて、最近ハントレス達にもオヤツが用意されている。なかなか得られない甘味に、子供達は夢中になっていた。所長は頷く。
「今日はそうだよ」
「マジ?!」
「良かったね、くーちゃん」
いちこがにこにこと笑うと、子供もにこにこと笑う。デルウハはというと、甘味には興味はあるが今はこの頭が痛い問題をクリアしなければならない。だが、やはり食欲には勝てぬのだ。
「俺にもあるよな」
「ございますよ」
「デルウハは大人じゃん~」
にこがからかうように言うが、いいんだとデルウハは開き直る。
「大人は頭使うんだよ」
とにかくこの事態を、子供を纏めるのには想像以上にカロリーを使うのだ。プリンだけで全てが収まるとは思わぬが、ひとまず今日を乗り切り、食事が出来ればそれでいい。デルウハに向かって、くのえが手を伸ばした。
「たいちょ、だっこして」
お前さっき俺の事嫌いとか言ってたよな?
子供というのはどこまで向き合えば良いのか、デルウハにはまだ皆目見当もつかないが、とりあえず抱えてやると子供は何が面白いのかキャッキャっと笑う。早く成長して貰いたいが、殺す名目が無ければ殺害は出来ない。困るんだが……。
そう思いながら所長に返すと、あーー!と泣き出す。怪獣の躾は所長に任せたいが、そうもいかないのだろうなとデルウハは思案をめぐらせるのだった。