湿った雨の匂いと油臭いテレビンの臭い。
そこにあの人は芳ばしいコーヒーの香りを連れてきた。
「はい、君のはミルクと砂糖マシマシにしといたよ」
柔らかい色のカフェオレは、香りも柔らかくなっている気がする。
「俺もブラックのがいいです」
「お子ちゃまにはまだ早いよ」
「俺、もう十五なんで……子供じゃないですよ」
「それいつの時代の話よ!」
ケラケラ笑われてブスッと尖らせた唇のまま、少しだけ温いカフェオレを口に運んだ。
「おいしい……」
「だろ? 俺もカフェオレにすればよかったかな……」
しっかり苦味があるから、その分砂糖や牛乳でまろやかにしても釣り合いが取れてるんだろう。それをブラックのままで飲むのは、確かに俺にはまだ早いかも。
それにしても、本当にいい匂いだ。
口元のカップから、芳ばしい湯気をいっぱいに吸って大きく吐いた。
「はぁー……」
「それ飲んでる間、描いてていい?」
「う、動くのとかって……」
「大丈夫。多少は動いていいよ。とりあえずそのまま座っててくれたら勝手に描くから、立ったりどっか行ったりだけしないで」
「いいねぇ、美少年」
「……へ?」
「発達途上って感じがさぁ……中々、大学生にもなるとそういうやつ周りにいないから。モデルなんかもね、みんな大人ばっかりでさ」
「はあ……どうも?」
「……なんかこれ、セクハラ? ごめん、今俺、脳直で話してるから。忘れてくれる?」
「セクハラなんですか?」
「そういうつもりはないけど……少年愛の何たらって、なんか……哲学? かなんかにあってさ。もう美少年って単語だけでセクハラな気もする」
「……ハラスメントって、嫌がらせですよね」
「そうね。セクハラ。性的嫌がらせ」
「じゃあ、別に……嫌とかではないんで」
「そ? まあ、描いてる間の独り言は許して」
「よくそんな、喋りながら描けますよね」
「んん……まあ、なんでだろうね。出来てるから出来る」
「っふふ……なんとか構文」
「なにそれ、お兄さん知らない~」
「ん、ありがと。もういいよ」
「見ていいですか?」
「ドーゾ。……あぁ、コーヒー冷めてら」
「淹れ直すけど、お代わりいるかい少年?」
「うん」
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なんか、つまんないな。
こまっしゃくれた子供なんだろうな、俺。
「……あれ? あっ」
無い。そういえば靴を履くとき靴箱の上に置いてその後手に取った覚えが無かった。
「嘘だろ……」
買えないと思うとなおさら喉が渇く。コクリと唾を飲んだ喉がヒリついているような気がして、八つ当たりのように自販機を睨んだ。涼しそうな顔しててむかつく。
「買わないなら、先に買っていい?」
「え? あ、すみません。どうぞ」
「ありがとね」
「よければお兄さんが奢ってあげよっか?」
「へ?」
「汗かいてるしさ、なんか飲みなよ少年。熱中症んなるぞ」
「いや、でも」
「もうお金入れちゃった。どれがいい?」
「じゃ、じゃあ……カルピス。……あ、やっぱり水で」
「はい、カルピスね~」
「えっ!? あ、でも」
ガコンとボトルの落ちる音がした。
「あ……あの、ありがとうございます」
「いいよ。財布忘れないようにな」
財布を探していた所まで見られていたみたいだ。
恥ずかしさになおさら顔が熱くなった気がした。
「あの。ありがとうございました」
改めて深く頭を下げた時、ポタリと大きな雫が落ちて来て頬が濡れた。
「うわ」
小さな舌打ちの音。直後に腕を掴まれる。
「え? ちょっと何!?」
「いいから、来な」
引き摺られるようにして連れてこられたのは、公園の中の小さな東屋だった。
「ごめんね、引っ張っちゃって」
「い、いえ……」
「雨凄いね。少年は……傘持ってないよね」
「雨止むの、二時間後だってさ。ほら」
気象アプリには、時まで降水確率百パーセントの文字と傘のマークが踊っていた。
「ど、どうしよう……」
「迎え頼める人とかいる?」
「今、お母さん仕事中で」
「服濡れてるし、寒いよなあ」
「うん……」
「ウチで雨宿りしてく?」
「えっ」
「いつでも通報していいよ。あくまでも、保護のつもりで言ってる。下心は無い」
「行く」
「わかった。すぐそこだから、走るぞ」
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「あ? 仕方ないじゃん、床が濡れちゃうでしょ~?」
すぐ戻るから! と
「お待たせ!」
「なんでまだ着てナインですか!」
「いいから、それよりすぐ脱いで。シャワー使っていいから」
「なに?」
「あ、……あーごめん。事案だよなあ」
「脱ぐから……向こう向いてて下さい」
「はいはい」
「終わった? じゃシャワーこっち」
「あれ?」
「ウチ湯船無いんだわ。ごめんね」
「へー」
「青い方が水、赤い方がお湯。こっちでシャワーと蛇口の切り替え。大丈夫だね?」
「はい」
「あの、お兄さんは?」
「こんな狭いところに二人も入れないでしょ。俺は大丈夫だから、気にせずしっかり暖まってから出ること! いいね」
「わ、わかった」
なんか、変わった人だ。
つまんなかった日常がどんどん塗り替えられていくみたいで、そわそわする。
「シャワーありがとうございました」
「ちゃんと暖まったみたいね。取りあえずこれ着て」
「ありがとうございます」
「乾いてる」
「ウチにアイロンがあって良かったね~」
「お兄さんは、シャワー浴びないんですか?」
「大丈夫、大丈夫。ちゃ~んとパンツまで履き替え……ックシ!」
「大丈夫だってば。それに、君のこと一人で置いとけないでしょ」
「わかったよ! シャワー浴びたらいいんでしょ! ったく。案外押しが強いね君」
「俺、何も言ってませんけど」
「出してあるものは見ていいけど、引き出し開けたりしないでね」
「いいから、暖まってきて下さい」
「ガスとかアイロン、勝手に触って怪我しないように!」
「わかったってば!」
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