閑話休題➁
体温計の鳴る音が聞こえ、おおかた予想は付いているものの、恐る恐ると所は数値を確認するのだった。37.8とある。
「ああ…風邪ひきましたね…」
「なんだ、横で寝てたのにどうしてそうなる」
隣で眠っていたはずのデルウハは体調を崩していないようで、呆れ顔である。彼はぴんぴんとしていた。隣で眠っていたはずなのに、この差は如何にか。所はもぞもぞと布団を被りながら言う。
「多分…デルウハ殿の隣が暑くて…夜に汗かいたまま、服脱いで寝たのが原因ですかね…」
若さとは、面倒くささと強烈な眠気との戦いである。眠気に抗えずに寝冷えする格好になったのが原因のようだ。
「医者は」
「うーん、微妙ですね…一晩経てば治りそうですが…」
デルウハは所の部屋を見渡した。
「なんか作ってやる。米くらいはあるか」
「あります…あと、サージカルマスクとゴーグルを…もう遅いかもしれませんが…」
「なんで普通の日本の大学生の家に、サージカルマスクとゴーグルが?」
「なまじ知識があるもので…」
所が言った段ボールの箱に、サージカルマスクが箱ごと入っている。ゴーグルも医療用だ。デルウハはその二つを着けると、キッチンを探り始める。米は見つかった。粥を作るつもりなのだ。米を見つけ、鍋を見つけるとコンロに置く。IHではなく、都市ガスである。新しい学生用の単身アパートであるはずが、そこはなんだか古めかしい。米を計って研いでいると、所がぼそりと呟いた。
「今日春君と出掛ける予定だったのに…」
「なんだ。俺を置いてどっか行くのか」
「いいじゃないですか…ゲームセンターですけど来ます?」
「行かん」
「ですよねぇ…」
そう言いながら所はスマホに何か打ち込んでいる。どうやら春に断りの連絡をするのだろう。ぼうっとした顔で、目でブルーライト画面を見やっている。打ち込みが終わったのかスマホを置いてぱたりと倒れ込んだ。どうやら相当まいっているらしい。研ぎ終わると鍋に入れ、水を注いで中火に掛ける。手際の良さはデルウハの要領の良さか。その間に冷蔵庫にあったカットねぎを取り出し、卵を取り出した。所からはキッチンは見えないが、デルウハの足音から迷いが無いのが伝わって来る。
「…日本料理なのに手際いいですね」
「研究所でさんざん読んだからな」
「ああ…そうか、お一人の時間に」
「何か文句でも?」
「いえ…貴方に関わった時から、あのように殺される覚悟は出来ていましたとも…」
所は力なく笑った。それは風邪のせいであったが、デルウハには見えていない。
「さて、まだ掛かるな」
「すみません。…ゼリー飲料とか無かったですか、それとサプリでも」
朝食代わりに簡単に済まそうと言うことなのだろう。だがデルウハが鬼気迫る顔で所に元にやってきて、顔を見た。
「風邪の時に肝臓に変な負担かけるんじゃねえ。ちょっと待ってろ、30分で終わる」
「はぁい…」
所は頷くばかりだった。アイスノンが耳に冷たく当たる。だがそれよりも頭皮の向こうがかっかかっかとして、熱を持っている。その炎症を鎮めるためにはこの冷たい枕が必要だ。
「はあ…」
「なんだため息ついて」
「風邪だと、人はため息をつきたくなりますよ…暑いですし…」
「汗かいたら拭いてやるよ」
「ああ、そうですね。シャワーくらいは浴びれますが」
「よろけたらどうする」
妙なところでデルウハは過保護でいてくれる。それが愛情ではないことは、所長には分かっていないので、布団の中で密かに顔を赤らめた。
「じゃあお願いします」
「昼頃にでもしてやるよ」
このまま看病されるのも悪くないのかなあと所はぼんやりとしながら思う。そうして粥が出来ようとしていた40分後あたりで、インターホンが鳴った。
「はい」
デルウハが応対する。そこには春がいた。手にはビニール袋を持っていることから何か差し入れかもしれない。だがデルウハは忘れていた。この時、ゴーグルとサージカルマスクを着けて重装備である事を。春が目を見開くのが分かる。その表情から、何か良からぬ事を春が感じているのが分かる。それは本来、所の部屋にいるはずのない異物への拒絶反応だ。春が大きく息を吸ったと同時に、デルウハは春の口を手でふさぐ!
「強、盗」
「春さん! 春さん、私です! デルウハです!」
「あ、デルウハさん! ごめんなさい、変な人かと思っちゃった」
春はデルウハと分かるとあっけらかんとしたものである。デルウハは口を塞いで正解だったと感じた。良かった。このまま強盗だと叫ばれると朝からややこしいことになるのだ。所がううん、と寝返りを打ったような声を出す。
「春くん…?」
「あーしげ君。なんか大変そうだね。これ、ゼリーだから食べて」
「ありがと…」
先程の強盗騒ぎはどこへやら、春は所の元へ行くと何個かゼリーを出してベッドに並べて見せるのだった。所が触ってみると、それは常温である。売っているものを買ったばかりで、スーパーで冷えていなかったのだろうか。その疑問を春にぶつけるように目をやると、春はなんだか楽しそうな顔だ。
「あのね、ゲーセン行って取った!」
「え、行ったの一人で?」
「そう。それで100円で三回取れるやつで取った。すごくない?」
そう言ってずらずらと並べる口で吸えるゼリー飲料はみな常温だ。獲物を見せて来る猫のように、微笑ましくもありありがとうと所は礼を言う。
「ごめんね、一人じゃ寂しかったでしょ」
「ううん。でも次はしげ君行こうね」
「分かった、約束するよ」
そんな会話をしているうちにお粥が出来上がったらしい。デルウハが茶碗に盛りつけたものを持ってきた。
「わーデルウハさんすごいね。料理上手ですね」
「いえ、一人暮らしが長いだけですよ」
そうだ、大量殺人を犯してから七年。今の年齢でさらに数十年…思わず所は妙な笑いを起こしそうになり、必死に堪えるのだった。