もう夏は過ぎましたが、まだ気温調整を覚えてくれない令和ちゃんのおかげで日中はまだ暑いので、涼を取るために今日はホラー二本立て!
一本目はこの作品!
名前も監督も全く知らない作品だったんですが、予告編に心の妖怪アンテナが反応したので見てみることに。
料理教室の講師として働いている松岡。いつもの料理教室での調理中、ひとりの青年が突然「チャイムのような音がする」と言い出します。その青年は普段から言動がおかしかったため、松岡は気にしません。しかし青年は別の日に「自分の脳は半分が機械になっている」と言い出します。困惑する松岡と料理教室の人々。青年は次の瞬間、自分の頭に包丁を突き立て――。
わたくし人形使いはジャパニーズホラーというジャンルを久しぶりに見ましたが、いやーなかなか怖かった。上映時間は45分と短めですが、その中に現実とも妄想ともつかないじっとりとした怖さが詰め込まれています。
まず空気感が怖い。冒頭のなんてことはない料理教室や日中の明るい喫茶店でのシーンでも異様に不気味な、今にも恐ろしいことが起こりそうな空気感が漂っている。そして案の定というべきか恐ろしいことがなんの前触れもなく突然起こるという。
じゃあこの空気感を醸し出している要素は何かと考えると、それはふたつあります。
まずカメラアングル。妙に遠くから全体を映し出している広角のカメラアングルは、なんというか「他人事の視線」といった感じ。いわゆるPOVホラーのような映し出されている登場人物の感情がそのまま現れるようなカメラアングルではなく、平坦で感情の感じられないカメラアングルは冷たく無機質。そのカメラアングルから映し出される惨劇も、日常風景の中に埋もれてしまっているように見えます。このカメラアングルなんだか見覚えがあると思ったらあれだ、「関心領域」で感じたカメラアングルだこれ。
そしてもうひとつの要素は音。そもそも映画における音という要素は映画の質を直接的に左右する非常に重要な要素なんですが、本作ではこの音が不気味で居心地の悪い独特の空気感を醸し出しています。キーとなるチャイムの音もはっきりとではなくぼんやりとしてるし、いきなり無音になったり不協和音みたいな音が気づくか気づかないかの音量で低~く流れてるのでスクリーンの中には常に一定の不快感が保たれているという……。
本作は登場する異変については、その正体や発生原因や仕組みなどを詳しく描写するタイプの作品ではありません。すべてははっきり説明されないまま終わります。
思うに、本作の異変の正体は「日常生活の中に潜み堆積している悪意」なんじゃないかと思います。料理教室の講師として働いている松岡の家庭は一見なんてことはない普通の家族。しかしその端々にさまざまな歪みが描写されています。
例えば、松岡の妻が出しているゴミは大量の缶ビールの空き缶。大型のビニール袋に3つという量は明らかに夫婦だけで消費できるような量ではありません。また、松岡自身も自信過剰で自己愛が強い性格であろうことが喫茶店での面接のシーンでわかります。
松岡の妻も空き缶を踏み潰し続けるシーンで日常的に不満やストレスを溜め込んでいることがわかりますし、息子も明らかに悪い先輩とつながってしまっています。
松岡の家庭以外でも、料理教室で不審な言動を続けて自殺した青年や、意味不明なことを口走って料理を拒否する女性生徒など、その異常行動の向こうには日常から生じるストレスや歪みが透けて見えるんですよね。
本作における異常の正体は、いわゆる悪霊や幽霊といったオカルト的なものではないと思います。日常生活の中に当たり前に存在し蓄積された歪みがなにかの拍子に発露したというのが本作における異常の正体なのでは。つまり本作はいわゆる「怪異のせいで日常が崩壊したのではなく、最初から日常は限界に来ていて崩壊するべくして崩壊した」タイプの作品だったと思います。
ラストシーンで松岡が家の外に出たときの異様な轟音は、日常の中にすでにそれだけの悪意や歪みが満ち溢れているという描写だと感じました。
チャイムとは誰かが、なにかが来た音。本作のタイトルにあるチャイムとは、歪みがあるラインを超えたことによる崩壊が訪れた音だと言えるでしょう。
続けて2本目はこの作品!
中古とはいえ念願のマイホームを手に入れた幸福な一家。しかしその家には悪霊がとりついていました。ひとり、またひとりと殺されていく家族。ついに残されたのは長男の則雄と認知症の祖母・春枝のみとなってしまいます。そのとき、曖昧だった春枝が突如覚醒! ふたりは家族を殺した悪霊・サユリとの対決に挑みます。
本作もホラーなんですが、「Chime」とは全く方向性の異なるホラーでした。だって序盤で家族が則雄と春枝を残して全滅するところまでは正統派ジャパニーズホラーだったのにばあちゃんが覚醒した途端世界観がマーダーライセンス牙みたいになるんだもん。なんだよあのファンキーなばあちゃんは。若い頃いったいなにしてたんだよ。
といった感じで導入こそ正統派ジャパニーズホラーなんですが残された則雄と春枝は全力で悪霊に立ち向かうというガチ対決をやらかすとんでもない作品でした。
いやー面白かった。オタクにはしばしば強いじいちゃんばあちゃんが大好きな人種がいるんですが、本作ではめっちゃくちゃ強いばあちゃんがこれでもかというくらい堪能できるのでからくりサーカスのルシールとか好きな人はいますぐ見に行け(命令形)。
その立ち向かい方というのも良かった。ばあちゃんいわく「命を濃くする」として、しっかり飯を食べてよく寝て運動するというもの。そう、非常に意外な点なんですが、このばあちゃんは霊能力で悪霊に対抗とするわけではないんですね。家族が全員死んで意気消沈している則雄を文字通り叩き起こし、悲しみに飲まれないように叱咤する。死者である悪霊に対して「生者であることそれ自体」で対抗しようとしているわけです。
しばしばこういった悪霊に対しては「愛」や「希望」がその対抗手段や対立概念として挙げられますが、本作における悪霊に対する対抗手段はより直接的というか原初的な「命を持っていることそのもの」だと感じました。事実、姉や母親は悪霊に直接的に取り殺されたというよりは、絶望に引き込まれてそうした「命の力」を失った結果自滅したって感じだったしな。これがまたいかにも古老の教えという感じでいい。
というかこのばあちゃんやっぱりひとりだけ世界観がおかしいよ。悪霊の根源であるサユリの頭蓋骨を庭から掘り出してきて「メインディッシュが出てきたわい」と来たもんだ。言動がほとんどコブラなんだよなあばあちゃん。
このばあちゃんがもう異常に頼もしい。おかげで早くも序盤で完全に終わりって雰囲気でしたが、いきなりノリがロッキーになってしまう。イキイキしすぎだろ。いやまあでも、普通に真っ当な話ではあるんですよね、こういうときに悲しみに暮れたままだと「引っ張られる」っていうのは。
そしてばあちゃんやる気満々すぎる。孫を叱咤するだけでは飽き足らず、そもそもの原因であるこの家で殺されたサユリの家族を拉致ってくるとかパワフルすぎる。もう大好き。
ばあちゃんの作る食事もうまそうかつ生気に溢れてて、序盤で家族が死んでいくごとに食卓のメニューが雑になっていくのとは非常に対照的。
ばあちゃんはもう覚醒時からやる気満々で、一切怯むことなく悪霊相手に「祓って済ませるつもりはねえ、地獄送りにしてやるんじゃ」とまで言ってるので完全に常時臨戦態勢なわけですが、この「祓って済ませるつもりはない」の意味がこの怒涛の後半で明らかになるという。
ばあちゃんがサユリの家族をわざわざ拉致ってきたのは、サユリの恨みを晴らさせるため。回想シーンで明かされるのですが、サユリはかつて父親に性的虐待を受けていました。母親と妹はそれを無視。サユリはそのまま引きこもりになり、かつての美しかった容姿は肥満と不摂生によって醜く太った姿になっていたのでした。作品冒頭では、部屋に引きこもったままのサユリを父と妹が無視する中、母だけが食事を部屋の前まで運んでいました。ここまではサユリが引きこもってしまったことで家族が崩壊してしまったかのように見えます。しかし後半で明かされたサユリの過去では、サユリは被害者であり、錯乱して家族に襲いかかったところを逆に家族全員で殺され、死体を隠蔽されてしまったのでした。
この悪霊の後ろに家族の凶行があったということを調べ上げたうえで拉致ってきたんですよねばあちゃんは。これが「祓って済ませるつもりはない」の真意だったという。
しかしサユリはそれでも憎しみが晴れず、最終的に規雄に思いを寄せるクラスメイトの少女を取り込みます。とうとう全面対決となったとき繰り出されるのがこれまでさんざん練習してきた太極拳でもって迎え撃つこの構図がたまらん。
本作は家に悪霊や殺人鬼が侵入してくる「ホーム・インベージョン」タイプの作品ではなく、家族が移り住んできた家そのものに悪霊が憑いていたというパターンです。なので必然的に、人間側は敵の本拠地で日常生活をしながら悪霊の襲撃に備えることになるというかなり特殊なシチュエーションになっています。
これ、本作を象徴する構図でもあると思うんですよね。家族に殺されたサユリがその恨みで家に縛られ続けているのに対し、一家は夢のマイホームであり家族の思い出があるその家を同じように捨てられません。どちら側も、本来家族を守ってくれるはずの領域である家に縛られている。
規雄は無断で外部から霊媒師を呼びますが、結局役に立ちません。悪霊・サユリに唯一対抗できるのが、家族の中にいたばあちゃんしかいないというのが本作のキモと言えるでしょう。これも、対象が喪失した場所でその原因を浄化するという一種の喪の作業だったと言えるかもしれません。