髪が乱れた。いつもはセットしている髪がひらりと落ちたので、デルウハの手は頬に添えられる。くしゃくしゃと髪を掻き乱してみると、再びはらりと髪が落ちる。ひゅー、ひゅーとデルウハの目の前の所長が息を切らした。とろりと蕩けた目に、皮膚が血流が良くなり紅潮している。還暦の前後に、ここまでの感覚を他人から与えられることになるとは思わなかった。デルウハの手がつつつ、と頬から首筋をなぞると小さく肩が跳ねる。
「ン…」
「髪型が変わると印象も変わるな」
「…そうでしょうか」
わしゃわしゃとデルウハの両手に頭を包まれ、髪をわざと乱される。まるで犬かのように撫でる無邪気な手を振りほどくには、デルウハの力は強いので所長には止められなかった。オールバックにセットした髪はどんどん乱れていき、長い髪が額から垂れていく。
「で、俺の要望は呑んでもらえるな?」
デルウハは無邪気な顔であった。何か欲しいものがある時の笑顔であった。所長は頬から紅潮は引いたものの、まだ潤んだ瞳で翠の瞳を見上げる。その顔は不満がほんの少し滲んでいたが、それでも殆どが諦観であった。
「…分かりました…ご要望にはお応えします」
「そう来なくちゃな」
所長の頬を優しく撫でながらデルウハは笑顔である。所長はといえば、目線のやり場に困ったように泳がせていたが意を決して前を見やる。翠の瞳を真正面から見やった。
「デルウハ殿」
「なんだ」
「…要望をその、口付けで決めるのはやめにしませんか…? 貴方の要望には勿論応えますが、ここには200余名の命も懸かっていて」
「ン?」
デルウハは笑顔である。先程とは種類の違う笑顔であった。圧をかけるかのような笑顔である。再び所長が何かを言えば、より分かりやすく言うのならば口答えをすれば即座に対応すると言わんばかりの笑顔だ。所長は言葉につまる。
「まだ足りないのか?」
べろりとデルウハの頬を舌で舐められ、所長は肩を竦めた。舌が視界の端でちらちらと見え、赤に近い桃色の動きが先ほど所長の口腔内を翻弄したように、動く。その動きを思い出すのは、口腔内での感覚だ。鳥肌のような感覚が身に走る。
「も、もう足りてます」
「じゃあいいだろ。もうあんたは了承した、それだけでいい話だ」
「はい……」
所長は目線を下にずらす。翠の瞳を見ているとこれ以上は呑まれると思ったのだ。だがデルウハによって顎を掴まれてしまい、逃げ場を無くしてしまった。
「これからもよろしくな」
「はい…」
所長は反論の材料を失い、翠の瞳を見つめながら答える。その代わりに所長はごくりと生唾を飲むと静かに口を開く。
「その代わりではなんですが…」
「なんだ」
「もう一度して下さいませんか?…駄目、でしたら良いのですが…」
「へえ」
デルウハの顔がぐんと近付く。所長の顔に自由は無くなり、もう一度舌が口腔内に差し込まれた。舌がぐるぐると中を巡り、ぞくぞくと鳥肌にも似た感覚が上顎から脳の頂点へ、甘く痺れてくる。与えられてくるキスが上手い。それだけで身が蕩けてくる。まさかこの年齢にもなって夢中になると思わなかった。それ程にデルウハの舌遣いに、文句が解ける。
離れると透明な糸が垂れ、それを掬い上げるとデルウハが舌なめずりした。所長の腰が砕けて、ずるずるとその場で倒れ込む。
「あんたも好きなもんだな」
「…デルウハ殿のせいです…」
小さな呟きは文句のようでもあったが、デルウハの耳にはそこまで入らなかったらしい。所長は新たなタスクをどこにねじ込もうか考えながら、まだ体は余韻に浸っている。