デルウハの眼球は二つ作り出した。本来なら片方だけでいいのだが、人間の中の細胞は分裂する際にそれぞれの形が遺伝子として組み込まれており、培養するにあたって二つ出来上がるのは致し方ない点であった。スペアがあっていい。そうデルウハは言ったのに所長は苦笑いした。この男は首の接合手術を成功させるなどかなりの無茶を強いられている。ひいては彼は人類の救世主になるかもしれないので、所長も倫理を超えた実験が役に立つのならばと全面的に協力してきた。手術の日程を擦り合わせたのち、デルウハが立ち去った後に、所長は密かに取り出したるものがある。培養液に浸かったそれは、人間の舌だ。普段口の中に収まっているとは思えぬほどずっしりとした筋肉の塊である。自由自在に口腔内を動き回るのだから、その筋肉は当然必要な物であるが、口の中にある部分だけを想像して見るとかなりのグロテスクさを伴う臓器である。所長は辺りを見回した。そしてその誰かの舌を培養液から出すと、培養液を拭き取り、しげしげと眺める。舌は個体差はほとんどない。性差はあるのだが、舌を鍛えると言っても皮膚の下の筋肉のように変貌することはほぼほぼ無い。奇形であることはあるが、所長の目の前にあるものはきわめて一般的な舌である。だがその持ち主が大事なのだろう、所長はおそるおそる自分の舌をべろりと出した。舌体と呼ばれる、目に見える部分にそっと自分の舌を這わせ始める。
 本来は舌は唾液がまとわりついて、それがどこか煽情的な物への演出をする。だがこの舌はただの舌であり、パーツである。唾液は何も無い。だがそれでも、誰かを思って舌を重ね合わせて、舌先でなぞっていくと勝手に脳が演出をしてくれる。ぞくぞくと身を走るものは背徳感か、達成感か。舌のざらつきが、心地良くは無いが培養液で湿っていてどことなく生きていた者のように感じられる。
 「すまん、聞き忘れたことが」
 運悪く、用が済んだはずのデルウハが戻って来た。所長は咄嗟に舌を離したが、その重ね合わせたのを見られていたのかデルウハはぽかんとしていた。そして考えを巡らせる。この研究所は人道を外れているとはいえ、そうそうにスペアが必要な人間はいない。必要であるのなら切迫しているのはデルウハ一人である。先程所長と会話した時、眼球の培養と合わせた副産物が出来てしまったと言っていた。それがデルウハの脳である。その倫理観の有無はさておきに、そう考えれば舌というパーツが出来ていてもなんらおかしくはない。デルウハの体を再現するものが今研究所には揃っており、他に培養が必要な人間はいない。つまり。
 あれ俺の舌じゃね?
 そう結論付けると、デルウハはすたすたと所長に近付いた。
 「いやっ、この、それはその…」
 デルウハは考える。性的欲求とは厄介である。自慰によって発散させればいいが、ほんの少しでもそこに不満があると例えば人肌を求めるだとか本能的に誰かを組み敷きたいだとか…を考えた瞬間、人間の思考は性欲が基盤となり正常な判断など出来なくなる。戦場において性欲は個々の人間には顕著となり、残虐性と混乱を招く結果となる事もある。そんな事に振り回されている余裕などない戦場においても、人間の本能は根強い。だからデルウハは、少ないながらも回数が訪れる性的欲求の相手には所長を指定している。誰かを抱きたいなど性欲を万人に向けるからこそ、頭が性器に支配されるのだ。あらかじめ相手を指定しておけばそこで事務的に、あるいは機械的に対処が出来る。従順で抵抗せずに妊娠もしないし追いすがりもしない。最適な相手だと考えて所長にも了承を得ているはずだったが、まさかその相手が自分のグロテスクな内臓にキスを?
 「…欲求不満なのか?」
 「え、いや、そうではなくて! その!」
 生憎デルウハには今性欲がない。考える事は次から次へと訪れ、試練はいつだって彼の元へと寄越される。所長を満たす気などはさらさらないし、そういう契約でもない。ただ発散したい時に独占させてもらうだけだ。その時思い出すのが所長の隠しきれぬ善性で、その相手を組み敷くことで脳も体も満足したのちに何の支障も出ぬようにした。だが、これは見誤ったのか? どう問い詰めようかと思ったが、所長があまりにも舌を大事に抱えているので、それもふと目に付いた。嫉妬などは無い。ただ内臓愛好家なら相手に選択したのはまずかったと思うだけである。
 「あー…まず整理しよう。死体愛好家みたいなもんがあるが、あんたは」
 「ち、違います! 内臓が好きなわけではありません!」
 所長は嘘を言っているようには見えない。じゃあと次の手を考えると、それはデルウハに傾倒しているか否かである。
 「俺の舌でなくてはならない理由が?」
 「理由…そう、ですね。理由はたくさんありますよ」
 「欲求不満か? だったら悪いが自分で慰めてくれ」
 悪魔はいつでも合理的であるが、所長への負担を考えれば少々非合理的な、対等ではない関係性に持ち込んだ事が問題だったかとデルウハは自省する。娼婦に黙っていろと言うようなものだが、所長は年齢もそれなりで何より研究所の為に自分を引き入れた胆力の持ち主である。問題は無いと判断したが、人間の心は操るのには難しいものがある。だからといってデルウハが所長を慰めている時間は無い。だから舌なのか?と気付くが、所長はだんまりを決め込んでいる。
 「何も言わないのなら合意とみなさせてもらう。舌でもなんでも、好きに使って…」
 待てよ自分の性器もおもちゃに使われるのか? やっぱりそう考えると特殊性癖じゃないだろうか。これは長期的に相手をするのに問題がある気がするが、今更誰か斡旋してもらうわけにもいかまい。
 「…貴方の物を使っていいのですか?」
 所長が呟く。もしかしたら、所長にはデルウハの真意が伝わっていないのかもしれないという疑念が湧いた。ただの欲求解消道具としての契約だったが、必要以上にこちらに縋りついているのかもしれない。それは困るが、所長は殺せない。まだやってもらうことは数多とあるからだ。失う事をシミュレートしたところで、所長の重要性が大幅に傾くのだから。
 「使いたいのか」
 「…いえ、忘れてください。この事も」
 仕方ないとデルウハは所長の手から舌を自分の手に取った。自分の物であるが、あくまでスペアだ。乾いているただの内臓である。デルウハは所長を後ろ手に固定すると、戸惑う背を見ながらサービスしてやるかと思う。後ろ手で固定しながら動けない所長の体に、舌を、片手で近付けたのだ。まるで舐めるような動作で服の上から首筋を、そのまま胸部へ。意外と胸部は所長が好む場所である。下腹部に向かうと触れてもいないのに腰が小さく動いた。効果絶大だなとデルウハは満足げだ。
 「今度忘れずにこうしてやろう。忘れなかったらな」
 「…あ」
 後ろ手で固定した所長の臀部に舌を極力近付ける。だがすぐに背筋からつうと下げ、尻の割れ目までなぞると所長の腰がゆらゆら動いた。
 「あ、あ…」
 「こうしてほしい?」
 デルウハにしては優しく囁きかける。このたまの優しさが、人間の心を掴む要因だとは知っている。
 「して、いただきたいです」
 「そうか。忘れなかったらな」
 だが突き放すのも忘れない。そこで優しくし過ぎれば、依存性が高くなる。一定の水準をもって所長とは付き合っていかなければならないのだ。すべてはデルウハの駒である。所長もそれは分かり切っていたとしても、脳がどうしてもそう考えられぬのだろう。肉体の一部を明け渡すことは、心も預けるということだ。だがその心をうまく手玉に取りたいデルウハとしては、好都合だが少々手間でもある。
 やはり俺の性器作ればいいのでは?
 だがそれを口にすると好感度が下がる。やめておいた。
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