セグニティスがアルバイトを終えて帰宅すると、なんだか髪を梳かす僅かな音がするので何かを察した。
 「イーラ、取ったん?」
 「ん? ああ…そろそろね」
 そう言いながら櫛で梳かしているのは、地球人に転生したイーラだ。その髪はもともと黒いものだけれど、一部分は金髪に染めている。それをいつもブレイズヘアで編み込んでいるのだが、今日はその編み込みを取り、髪全体のケアをするらしい。長く波打った黒髪と金髪を梳かしていると、いつものイーラの感覚と違った。だが全ての編み込みが外れたわけではないようで、根元周辺は残っている。イーラはセグニティスを待っていたという顔だ。
 「早く帰って来てって言ったよね。まあいいや、これ手伝って」
 「おーけーおーけー。その前にやな、風呂入ろ」
 「は?」
 イーラは髪を揺らしながら怪訝そうにセグニティスを見上げる。ブレイズヘアは幾分か手入れが面倒である髪型だ。だがその髪型にイーラがこだわるのは、デスドライヴズの時に頭部に付いていたパーツとなんだか似ていて安心するのだ。要は頭の上に何かが乗っかっているのが安心するようである。そのため、幼い頃から怒りに振り回されていたイーラは、頭部にタオルを乗せると落ち着くのだと周囲に言われてきた。ブレイズヘアは編み込まれた長い髪が頭部全体を覆うので、自然と安心感があるらしい。だからか、彼は高校を卒業してからすぐにその髪型にして、今の所変えたことが無い。だからセグニティスは高校からの付き合いだから、中学生のイーラだった人間の髪型をよく知らない。よくある短髪だったと聞いている。出会ってから殆どブレイズヘアである。だがほんの少し記憶の中にある、高校の長髪時代を思い出せるこの瞬間は、セグニティスは好きなのだった。結局風呂を沸かし、入る二人である。成人男性が二人入るのにはあまりにも狭いが、実は浴槽だけは広い物件を選んでいた。だから足を縮こませれば、物理的に不可能ではない。セグニティスが足を伸ばすうえに、イーラが窮屈そうに入る。それでなんとか済んだが、イーラは不満げだ。
 「あのねえ、早く取ってよ」
 イーラは髪を洗ったセグニティスをしり目に体を流して風呂に入った。まだ髪は洗っていない。髪を洗う事で得られる解放感を得られていないのだ。風呂に入ると自然と頭皮に汗が滲んでくるし、そのせいで余計に頭が不潔なもののように感じてしまう。分かった分かったと言いながらセグニティスは、湯につかっているイーラの肩口以上ある髪を掬い上げてみたりした。だが肘鉄が飛んで来たので、すぐに編み込みをほどく作業に入る。
 「ごめんて」
 全て解くと、何故か急に頭が軽くなったような気がして、おそらくそれは湯に髪が浸かって浮いているからかもしれないが、イーラは頭を振った。そしてすぐに風呂を出ると頭を洗う。頭皮に指が入り、かゆいところも全て届いた。隅々まで洗ってしまうと水を吸った髪は重くなったが、それでも爽快感に比べたら微々たる物だ。ふうと息を吐き、満足げなイーラはまた浴槽に戻る。律儀である。
 ちゃぱちゃぱとお湯が揺れるのは、二人分のせいでお湯が吐き出されるのもあったが、セグニティスがイーラの髪をいじるからでもあった。毛先を水中に遊ばせて、まるで生き物でも相手にするように指で撫でたり、絡めてねじってみたり、髪同士を擦り合わせたり。
 「やめてくれる? 痛むんだけど」
 イーラは毛先で遊ばれて不満げである。だがセグニティスはこの髪が好きなのだ。金髪に染められてはいるが、なんだか昔を、デスドライヴズを思い起こさせるような色合いが好きなのだ。
 「ワイ、この髪好きやわ」
 「僕も気に入ってる。だから触るな」
 「えーええやん。あとでケアしたりますさかいにな」
 髪を優しく愛撫するようにセグニティスの指でなぞられると、なんだかぞわりとしたものがイーラの背に走る。髪には神経が通っていないというが、多少のセンサーにはなるはずだ。そのせいだろう。その背が少し丸まったのを見たのか、セグニティスの手ががばっとイーラのわきの下を両端から掴んだ。びくっとイーラは前に飛び退く。振り返るとセグニティスは笑っていた。
 「何するんだバカ!」
 「ええやん。イーラ可愛いんやもん」
 「ふざけないでくれるゥ…?!」
 「この長さ、高校時代を思い出すわぁ。あん時、イーラ死ぬゆうてたもんな」
 「…うるさいよ」
 イーラは過去をほじくり返されたくないのか、前を見た。だがセグニティスのちょっかいは続く。
 「死ななくてよかったもんな? こーやって髪も首とか、おっぱいとか触れんもんな?」
 そう言って髪、首筋をつうと指先でなぞり、胸筋を背後から乱暴にわしづかみにした。流石にイーラもかなり苛立ったのか立ち上がって振り返ると、怒鳴りつける。
 「いい加減にしなよ!」
 どん!
 「あ」
 風呂場の隣は隣室である。どうやら声がかなり響いたらしく、隣人が壁を叩いて抗議したのだ。謝罪の言葉が届くか分からないが、すんませんとセグニティスが呟いてから静かにイーラは浴槽に戻った。座り込むとセグニティスの体には触れる。そこにあるものが同性だから分かっていたが、じとりと振り返るとセグニティスはにこにこと笑っていた。
 「なんで反応してるのさ、変態」
 「やって、なんかこの髪型のイーラとだと、高校に戻ったみたいなんや。若い時のイーラって感じで、興奮するやん」
 「今も十分若いよバカ」
 二人は二十歳前後の若者である。だからセグニティスの言う若い時は、ほんの二年前の事を指すのだが世間的にはあまりにも短い二年でも、二人にとっては非常に濃い二年であった。だからセグニティスには、それが遠い昔の区切りのように感じられるのだ。イーラもその濃密さは分かっている。だから彼は抵抗せず、ため息だけ吐くのだった。
 「明日バイトだからしない」
 「口だけ! 口だけでええから、なんなら先っちょだけ!」
 「それで収まったケース無いでしょ」
 そう言いながらひどく抵抗しないのは、イーラのセグニティスへの甘さか。とにかくたかが髪で発情しないで欲しいなあと思うが、ブレイズヘアをほどくと何故か急に声を掛けられることもある。
 「髪ごときでなにが変わるのさ。前には、劇団見てるって女の子が連絡先渡してきたっけ…」
 「それ断ったやろうな?」
 疑問だが断定の意味を含んでセグニティスは言う。
 「だからなんなのさ。突っ返したよ」
 ほっとしたようだ。
 「髪ごときで判断されちゃたまらないね…僕はこれが好きでやってるんだ。不良だとか見る奴が悪いのさ」
 「でも髪切ったらイケメン言われてたやろ。美容院の人に」
 セグニティスは手入れが楽だからと短髪だ。だが落ち着く色だからと緑に染めている。美容院は同じところに通っているので、会話は筒抜けなのだ。
 「そんな事で、この僕が髪を切ると思う?」
 「思わん。そういうとこやで、ワイが好きなイーラはんは」
 そう言ってご機嫌に抱き着いてくるセグニティスを、若干鬱陶しそうにイーラは身をよじる。もういいだろうと風呂から上がると、セグニティスは抱き着いて来た。
 「完全に火ぃついたわ。それに悋気の虫もな。虫退治に、イーラに沈めてもらわなあきませんわ」
 「怠惰の癖に、淫蕩に変えてもらったら?」
 「もう怠惰のデスドライヴズやないもん、ワイは人間やで」
 だから調子が悪いんだとイーラは言いたくなったが、惚れた弱みかあるいはそれ以外か、口付けはあっさりと受け入れるのだった。
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