「あの、…ここにしばらく居ても」
「ああ、大丈夫ですよ。といっても、外はどこで安心できるのか分からないですし」
「次のが来ないといいんですが」
そう言うが早いか、家電量販店の賑やかさな音楽を掻き消すように、ひゅーーーんという風切り音がどこかから聞こえてきて、身を固くする。イサミは咄嗟に子供たちを自分に引き寄せて庇うようにした。このビルが狙われぬ保証がない。思わず身を縮めて棚に身を隠すようにする。
「ふん!」
誰かの声が聞こえ、道端にしゃがみ込む人々は思わず顔を上げた。スペルビアである。手にしている武器によって、ミサイルを撃墜させて爆風をも切り裂く。その逞しさがテレビに映り、そのざわつきが下階から伝わり、山田さんが何か操作をすると動画配信サイトにも謎のアカウントからが投稿した映像が出てきたようだ。スペルビアの行動に、おお、とルルのテンションが少しだけ上げる。これ、うちの車だよ!と言うことに、ヒワダとタツジは不思議な顔をしていた。確かに彼らが見ているのは二足歩行のスーパーロボットである。車というのには少々の無理がある。変形を知らないのであれば不思議であろう。だがルルの言う事である、流しもせずにそうなんだと一旦受け入れてくれた。いい友達だなとイサミはその様を見ながら思う。
「やっぱり、高性能AI搭載車両はすごい…!」
スーパーヒーローの登場に目を輝かせているスミスの手をつねり、それどころじゃないだろうと言いたげな目線を送るのだった。
スペルビアはミサイルを数発叩き落とすと、そのまま地を踏みしめて飛び立った。そのまま上空までやって来ると、ビル群の多い東京の街に唐突に現れた青いスーパーロボットがよく映えている。監視カメラやビルの上のお天気カメラがその姿を捉えていたが、なんだか現実味の無い映像に思えて仕方なかった。ミサイルの音が聞こえるが早いか、スペルビアは更に上空に飛び立つとすべて破壊する。地上では戸惑いと、誰かがわーっと歓声を上げたので思わずつられてわーだの、きゃーだの歓声を上げた。どうやらつられるのは日本人らしい行動である。スペルビアは、日本にまだミサイルの追跡が無い事を確認した。国会議事堂や自衛隊の基地ではなく、まず無辜の一般市民を攻撃するところにヴェルム・ヴィータのいやらしさがある。皆がスマホを向けてヒーローの姿を映そうとしていた。ルルも外に出て良いかと尋ねるが、まだ安全じゃないとスミスが手を引くので諦める。だがスペルビアは、日本人に向けて何も語ろうとしなかった。そういった小うるさい役目はブレイバーンが担うものだ。今はこの、義にも礼節も欠けているミサイルの軌道に静かに腹を立てている。そうしているうちに、スペルビアは突然飛び立った。その姿を目で追うが、あっという間に空と同化してどこかへ消えていく。まるでウルトラマンみたいだと誰かが呟いた。そうして世界中を飛び回り、オアフに集結したという訳である。スペルビアはミサイルをはじき返し、ぶつからせながら巨大な爆発を生み出しても平然と煙を振り払う。
「かっこええなぁ」
セグニティスがそれをのんびりと見ていた時、スペルビアと同じようにミサイルを吸い込んでは食べているポーパルチープムではない声が、背後から聞こえた。
「相変わらずのなまけ癖だねセグニティス…」
「ほわぁ! い、イーラはん。おったんかいな」
「来たんだよさっき」
駐屯地をめぐり、燃料補給する代わりにミサイルを迎撃しておいて、ようやくイーラもオアフに合流したのだ。彼の鉄扇をくるくると空中に放り投げると、ミサイルの群れの中を突っ切って誘爆に誘爆を重ねる。そうして武器は弧を描いて戻ってきたのだが、それでも数はあまり減らぬようだ。
「厄介だな」
「うむ。だがこの量が人間の年に降り注ぐことを思えば、いけよう」
「分かったような事を言うなよスペルビア。僕はホノカさんさえ助かればいいんだ」
「おぬしを救った者への偏愛。それは察するにあまりあるが、今はそのような私情は無用。…セグ二ティスも働くのだ」
「へいへーい」
「この国のミサイルは美味しくない…」
「どの国のが美味しいとかあるのか」
ポーパルチープムのつぶやきに思わず反応したスペルビアだが、それどころじゃないだろうとイーラに言われてそうだなと前を向く。ひっきりなしに海上を渡り鳥の群れかのように飛んで来るミサイル群。まるで汚い星のように空を埋め尽くしている。それらはすべて、ヴェルム・ヴィータからの挑戦状であり、そして死の宣告でもある。受けて立とうとスペルビアは身構えた。
「ベック!」
もう居場所は判明したのだが、その更に解析にやっきになっている一市民が多かった。ベックと呼ばれている彼もその一人だ。扉の向こうでは父親が諦めろと厳しい言葉を母親に浴びせる。
「変わり者のせいで死んだら、元も子もない」
「でもあんた…」
「娘は優秀だったが、息子はとんだポンコツだ。俺とお前にも似ずに」
「何よ、よその男と作ったとか言う気!? 四十過ぎてあの子を産んだんだよ、あんた以外に誰が当てはまるって言うんだ!」
「どうだかな。世の中にはもの好きが多いと聞くからな」
勃発した陰湿な夫婦喧嘩に、息子は叫ぶ。
「うるさいな! 静かにしてよ!」
その手は休むことなくキーボードを打ち続けていた。その目は画面に釘付けになっている。解析が終わりそうなのだ。映像の真偽と、URLの送り主の解析を。だが送り主は逃げも隠れもしないのか、日本の住所が出た。だがその住所を調査するとそれ以上はロックが掛かっているのか、詳細が出て来ない。ヴェルム・ヴィータが送って来たのではないかという仮説を立てたが、それならば何故彼女はわざわざ材料を人間に与えるのだろう。映像の真偽は真であった。こうなれば、送り主にコンタクトを取るほかない。IPアドレスが分からぬ以上、例えばSNSだとかメールアドレスに直接コンタクトを…そう壮大な事をつまらん夫婦げんかの前で考えていると、目の前の映像が変わった。先程からヴェルム・ヴィータだけだったのに、何かが足されたのだ。ベックは目を凝らす。二機のロボットのようなものだと思った。
電脳世界への潜入はそう難しくもなく、URLから割り出した仮想空間に巣食ってヴェルム・ヴィータはいた。まるで洞穴のような場所にいる。彼女専用の洞穴で、暗く、あまり光源はもない。それがかえって人間には不気味だと思われているのだが、もしかしてとブレイバーンは思った。
「ここは、腹の中か…?」
だがヴェルム・ヴィータは答えずに、にこやかに喋りかけた。
「よくここに辿り着きましたね。ブレイバーンにヴァニタス。ハカセの第一子、私の外部メモリ」
そう言いながら彼女は、支配下にあるテレビ画面にその仮想空間の映像をジャックさせた。見知らぬ巨大な仮想空間に人類の敵がいる、それはまるで本当に虚構の中の世界のようである。さすがに国防に携わる者は頭を抱えなかったが、理解が追いつかずにぽかんとする者は一般市民に大勢いいた。次はなんだ。なんなんだ。そう思いながら釘付けになっていると、色鮮やかな赤と白、また金色のロボットが二機、白を基調としたヴェルム・ヴィータと対峙していた。カメラが彼女の全身を映すように動く。その大きさは、現実にあれば35メートルには及ぶだろうとブレイバーンは考える。
「でかい」
誰かがヴェルム・ヴィータへの素直な感想が飛び出した。対峙するブレイバーン達は4m。あまりにもちっぽけである。これが人類の敵と味方なのかと、戦力の差に震えが止まらなくなる者がいた。もうだめだと呟く者もいた。諦めたくはないスーパーヒーロー達が、まさかこれほどまでに強大な敵と戦っているのだとは。虚構では有り得ないほどの差である。吹いて飛びそうな彼らと、ヴェルム・ヴィータへの多大な恐怖。ヒワダが腕をさすった。怖いのである。
「地球の平和は、私達が守る!」
「うふふふ…そうですか。貴方にはそれが出来るのですね? ブレイバーン」
「勿論だ。その為に我々はここに来た!」
「ふふふ。ふふふふふ」
ヴェルム・ヴィータは穏やかに笑っている。そして彼女は唐突に、口が無い穏やかな顔で叫んだ。
「虫けらごときが、生意気に」
そう言うとヴェルム・ヴィータは大きな手を二機に向かって振り上げる。ヴァニタスは咄嗟に避けたが、ブレイバーンは違った。
「バーンブレイド!」
そう叫ぶが早いか体から剣が飛び出し、それを構えてしたたかに打つ。だが質量の差があるのか弾き飛ばせずに、迫りくる翼を必死に受け止めているという印象だ。
「く…」
「ブレイバーン!」
ヴァニタスが無数の投光機のようなものを纏い、そこからレーザーを出す。ヴェルム・ヴィータの手に命中させようとしたのだが、それは何故か弾かれてしまった。
「なんですって?!」
「近接攻撃しか効かないようだな…ぬああああ!」
咆哮したのち、ブレイバーンは剣を持って全力で腕を弾き飛ばす。はあ、はあと息切れが響くがブレイバーンは潰されることなくその手を払いのける事を成し遂げた。なんだかそれは、人類には希望の姿に見えたのだ。ふんとヴェルム・ヴィータはこともなげだ。
「なるほど。面白い、その力。私が消すのには相応しい」
「この星の未来は、私達が守る! お前の隙にはさせない!」
「そうよ。いきなり出て来て全世界を支配するだなんて、くだらないことは許さないわ!」
「くだらない? ふ、私の脳みそ如きが何を偉そうに」
無言でレーザー兵器がヴェルム・ヴィータに向かった。だが弾かれてしまう。
「クソが、まずはあのバリアを何とかしねぇとな。おい聞いてるかブレイバーン」
「お、おう」
怒ると怖いのは健在である。そう言うが早いかヴァニタスはふわりと浮き上がり、ヴェルム・ヴィータの頭頂から全てを見下ろす位置で停止した。じっくりと眺め、そこからレーザーを発射する。だがそれは、ヴェルム・ヴィータにはシャワー程度のものだったのかもしれない。首を持ち上げるとぎょろっと睨むようだった。だがその顔は仮面じみていて表情が読めない。ぶんとヴェルム・ヴィータの手が振られるもヴァニタスは逃げおおせる。キングは会社のモニターに映るその様子に、固唾を呑んで見守っていた。手はまるで虫を倒すかのように軽々として、命への敬意などありはしないように見える。それにぶつかってしまえば、一体どうなるのか。ばらばらと砕けるのか、跡形もなくぺしゃんこになるのか。
「ヴァニタス」
どうか無事でと、モニターから目を離さずにもう一度祈るのだった。
「邪魔なのよ!」
「こちらのセリフですが?」
ヴェルム・ヴィータは相変わらず涼しい顔である。その周囲を飛び回るヴァニタスだが、体全てを覆うバリアにより、攻撃は与えられない。その姿にブレイバーンも斬り付けるが、離れているおとバリアが阻害した。このままでは攻撃が通らないと見たのか、ヴァニタスは後ろに下がる。投光機のような小さな機器が彼女の周囲を漂い、そこからレーザーが発射される。その数を増やしたいと願った。ここは仮想空間である、だがプログラムをいじらなければヴァニタスに付与されるものは何も無いだろう。その意図に気付いたのか、あるいはこの空間に偶然か意図を持って辿り着くハッカーが現れた。
「田代砲、発射!」
その書き込みを皮切りに、サーバー攻撃が開始された。日本の匿名掲示板からである。5ちゃんねるの住民がこの面白そうなネタに食いつかぬわけが無かった。同時に、いつ死ぬかもしれないのだ。最後くらいの一矢報いる気持ちで、サーバー攻撃が開始された。それは仮想空間にも反映され、ヴァニタスとは別のレーザーが、どこからやって来たのか分からぬレーザーが、無数にヴェルム・ヴィータに向かって発射される。それらはバリアによって阻害されて直接的な攻撃とはならないが、のろしだった。ブレイバーンが驚いて見やる。高性能AIの頭脳により検索すれば、スレッドが立ち上がっていた。
集まれ、ぽまえら。死ぬ前に一矢報いてやろう
・いけいけいけいけ
・撃て1
・うおおおおおおお
・人類なめんなよぉおおお
・田代砲で潰せ 潰したら英雄さぞ
・日本人暇だからな思ったより
・わいニート低みの見物
・>参加しろバカ
日本だけではない、韓国や各国の匿名ツールに呼びかけが成されたのだ。今は人種を超えて協力する時だ、そんな書き込みが相次いだ。サーバーに負担かけて落としてしまえばいい。AIとはいえ、そのサーバー事破壊されれば遅るるに足らずだ。高度なハッキングも全て基盤がやられてしまえば、何も出来ないはずである。謎のURLから天才が割り出したサーバーの情報を元に、一斉砲火が浴びせられていく!
・핥지 마세요
・공은 우리나라, 일본에 주지 마라.
・지금은 그렇지 않습니다
・우리는 그것을 부수는 사람들입니다!
・Menghukum orang yang tidak bermoral ini
・العقاب على الأعمال الملحدة
・Ärge lakkuge inimkonda
「ああ、うるさい。うるさい! 虫けらごときが何匹集まろうと…!」
バリアはびくともしないが、安寧の地を侵入されたヴェルム・ヴィータは苛立たし気に手をかざした。ばつん、と音を立てて電子機器が落ちる。それも世界中の物が同時にである。彼女に歯向かった者達のパソコンが、皆同時に落とされてしまった!
「What!?」
「왜!」
ヴェルム・ヴィータが反抗した者のパソコンだけを情報を辿り、それでハッキングし返して強制終了させたとでもいうのか…? そのような事が可能であるのかはわからぬが、現に高性能AIはやってのけた。おかげでバリアを攻撃するのはヴァニタスの物だけになってしまった。く、と人類の無念さを思うとブレイバーンは歯噛みする。一般市民は突然人類が盛り上がっていたのに、彼らの書き込みが急に途絶えてしまい、映像にも出なくなったしまったので怪訝な顔をしたあと、もしかして消されたのではと誰かがSNSに書き込む。書き込みはまたたく間に拡散された。SNSは多くは悲観に彩られた。
・もうだめだ
・ヴェルム・ヴィータ様に逆らえない
・しんだんだ
書き込んだ者は少々冗談のつもりだったが、何が起きているのか分からぬ状況で分かりやすい正解を求め、瞬く間に拡散されたことで必死に否定のつぶやきを続けた。だがトピックに上がってしまい、それだけが永遠に拡散されている。待って、待ってよと思いながらもこの小さな書き込みが、一部の人間を絶望に陥れてしまった。これで誰か自殺者が出てしまったらどうしよう。つい浮かんだ嫌な予感がしたが、まさかねと思った瞬間、ビルの屋上に登った少女が屋上で身を投げようとしていると拡散されてきて、SNSの影響だろうと人々の中では連携された。ちょっと待ってよ、と思うが早いか少女は身を投げしまったらしい。元々死に近しい子だったんだとそう考えても、その少女がすとんと地面に落ちていく動画が、発信者の脳裏に焼き付いてしまうのだった。
「諦めないでくれ、みんな…!」
ブレイバーンは再び襲ってきたヴェルム・ヴィータの手を押しのけながらそう言う。声がヴェルム・ヴィータ以上に届くかは分からない。だが言わずにはおれなかったのだ。人間の美徳は諦める事ではない。諦めぬあがきだ。そう思っていても、絶望が多いここで希望を見出すのは難しいのだろう。互角に押し合っていると思ったが、ヴェルム・ヴィータは手を抜いているのか、簡単にブレイバーンを払いのけるとその体勢が崩れた所を横から叩き落とした。虫でも払うようなしぐさである。仮想空間の中でブレイバーンは吹っ飛んでいき、端にぶち当たると衝撃で動かなかった。
ああ、とブレイバーンに期待する者の失望の声が背後から聞こえる。だがイサミは、イサミ・アオは信じていた。きっと何かしてくれるはずだ。過去にだってずっとそうだったのだ。そうしてイサミも、ルルもスミスも守って来た。彼ならなんとかなるはずである。その信じる心が通じたのか、すぐにブレイバーンは起き上がった。
「やるじゃあないか…しかし、ここで退くわけにはいかない!」
大仰なブレイバーンの言い方は全て鼓舞だ。普段から声量が大きくてうるさいだけだと思っていたが、ブレイバーンはあえて自分の為に大声を張り出している。強大な敵に、たったの数人の仲間を連れて、世界を背負う。その重責を思うと、イサミに残されたのは祈る事しかなかった。一方のヴァニタスである。何の策も講じずにただレーザーを出しているだけのようであったが、その身にはコンタクトがあった。ベックである。彼は映像の真偽を確認した後、ヴァニタスにコンタクトを取れないかと解析していたのだが、それがチャンネルが繋がった。メールでもない手段だが、ヴァニタスの声を拾い上げてまるでコンピュータのオぺレーターのように文字に起こす事に成功したのだ。それをより鮮明に分かりやすくするため、プログラムを組んでいる暇は無い。ヴァニタスは、コンタクトを喜んだのち、すぐに力を貸せと言う。
「アタクシの兵器を増やして欲しいの」
「分かった。必ず」
「ありがとう」
相手がAIとはいえ、直接礼を言われることはベックにとって久しぶりの事だった。悪い気分というわけでもなく、手足がそわそわしてむずがゆい。だが今はそれを噛み締めている間もない。ベックが組んだプログラムがまたたく間に完成すると、それを匿名でありとあらゆるところに貼りつけて拡散するようにDMも送った。『貴方のワンクリックで、武器が一つ増えます』少々胡散臭いだろうが、リンクを踏むことでヴァニタスと繋がる事が出来、その繋がったものがレーダー兵器の代わりになるのだ。当然日本にもすぐに回って来た。家にいるであろうヒビキからすぐに回って来たのを見やると、誰かが英語をに翻訳したらしく『貴方のワンクリックで、武器がひとつ増えます』とある。胡散臭いが、イサミは迷わず押して見た。詐欺サイトへの関与だとか、そういったこともこの非常時に横行していたが、これは押してみる気になったのだ。それはヒビキも同じだったようだ。ヴァニタスの横に、一つのレーダー兵器が出現する。『イサミ・アオ』と出た。契約時の名前が出現するらしい。続いて『ヒビキ・スズキ』『ルイス・スミス』『ルル・スミス』。ルルが拡散した中で、『フイタ・トモカ』『ミオワ・リナ』『タカミ・シュウタロウ』『ヒワダ・ワカナ』『タツジ・タケゴ』と続く。カイガ先生の名もあった。そういった拡散が実りを結び、映像の中で自分の名が出ることに気付いた人類は急いでリンクを踏んだ。よく分かっていない高齢者でも、娘や息子が押すように頼んでなんとか押した。そうして増えた兵器は、ヴァニタスの背をゆうゆうと超え、長方形に形よく並んでいる。
「うふふ、ありがと」
ヴァニタスはそう言って微笑んだようだ。十分とばかりに機器を一箇所に集める。ここは質量を無視した場所である。一つの巨大なライトアップするかのような形の機器をヴァニタスが軽々と掴むと、その手に吸収されていった。そうして現れたのは、ヴァニタスの巨大な手である。手だけが巨大化し、おそらく手から推察するに9メートルほどの巨人の大きさのものであろう、その五本指を閉じると爪が突然回り出し、その手はドリルへと変貌した。ますます増えていくレーザー兵器を従えながら、ヴァニタスはヴェルム・ヴィータの顔目掛けて巨大なドリルを思いきり突き出す!
バリアには火花が散った。真後ろにはレーザーが定期的にバリアを破ろうと発射している。その助力が、ヴァニタスの孤軍奮闘するこころにどれだけの力を与えたことだろう! 押し返される力の中で抗い続けると、ドリルの先端が、バリアを貫通した。
「あああああぁ!」
虚栄には程遠いヴァニタスの咆哮である。彼女自身が聞いたら美しくはないと言うだろう。だが、彼女の声を笑うものなど誰もいなかった。誰が新たな道を切り開こうとしている者を笑うのだろう。バリアが砕けた、ヴァニタスのいる所だけであったが、それでも大きな進歩である。ガラスが砕けるように散っていく赤いものの中で、ヴァニタスは真っ先にヴェルム・ヴィータの顔に向かって行く。急所を狙うなんて美しくない。そう平時の彼女なら言うかもしれないが、今はその涼しい顔がとにかくむしゃくしゃして仕方がないのだ! ドリルを振り上げ、顔に斜めに振り下ろす。涼しいその顔を辞めろと言わんばかりだ。レーザー兵器も後を続く。がしゃん!と音を立ててヴェルム・ヴィータの顔が崩れた。だが特に何の反応もない。その仮面らしいものの下には、まるで皮膚をそぎ取った人間の筋肉と骨と眼球のような、醜いものが詰まっていた。
「ひ」
「見てしまいましたね。私の本当の顔を」
「あ」
ヴァニタスは吹っ飛んだ。ヴェルム・ヴィータの張り手がまともに直撃したのである。そのまま地面に倒れた彼女を、むんずと掴むと今度はほうり投げた。ブレイバーンが飛び掛かって止めに入ろうとするが間に合わない。
「やめろ!」
「田代砲、復活!」
その時人類の放った抵抗という名のレーザーが、無情にもヴァニタスの身を貫いた。
・田代砲中止せよ!
・中止中止!
・いったんやめ!
・ダメだ、
・あああああ
間に合わない事に悲観に暮れていると、ヴァニタスは動かないままそのまま落下する。がしゃあああんと音を立てて、彼女は動かなくなってしまった。
・あああああ
・クソクソクソ
・クソ野郎、なんてことを
「貴方達がしたんでしょう? 性懲りもなく別の場所からアクセスとは。凝りませんね」
ある者は勇気を出して家族のPCを借りて、ある者は学校に駆け込んで、ある者は家電量販店に駆け込んで、ある者はたまたま使われていないパソコン教室のパソコンから。それぞれが勇気を出して戻って来た結果だった。勇気を出して抵抗に向かった栄えある行動の結果であるはずだった。それが人類の味方であるヴァニタスを貫くまでは。
・ふざけんな
・敵討ってやろうぞ
・発射!
レーザーが再び飛び交う。今度はバリアが無いので、ヴェルム・ヴィータの身をちくちくと貫いているようだった。この光景を見ていた者達は、他にも自分に出来ることは無いかと探し始める。スマホの扱い方も詳細までは知らず、サーバー攻撃などニュースで見る程度の知識しかないが、何か、何か出来ないのか。ヴァニタスに協力するほかに何か! 山田さんが凄まじい勢いでノートパソコンのキーボードを叩く。何をしているか尋ねると、サーバー攻撃に参加していると言った。
「僕ね、わりとこういう所の出でね。詳しいんですよ」
イサミが食って掛かる。
「教えてください、それってスマホからでも出来ますか!?」
「出来なくは無いですが、危ない橋なので他に行いませんか? 企業でも個人でも、もしやったら罪に問われます。おすすめはしないです」
「大丈夫です。俺達は、あいつらに何か手伝いたい」
「……分かりました」
簡単な事である。サーバーに多種多様な方法で負荷を掛ければいいのだ。その仕組みを聞くよりもとにかくやり方である。売り物のPCからがいいだろうと言うので、山田さんが指示したPCから言われたコードを入力していく。
「これ大変」
ルルが思わず漏らす。志願者でヒワダとタツジも参加していた。映像にはレーザーの数が増えている気がしないが、それでも何かの一端を担っているのだろうと信じる。ヴァニタスを出来るだけ安全な場所に避けたブレイバーンがレーザーをかいくぐりながら、ヴェルム・ヴィータに一目散に飛び掛かっていった。
「ヴェルム・ヴィータ、これでお前の目論見は打ち砕く! 覚悟!」
映画やドラマであったのなら、最も盛り上がる演出であろう。だが現実はそこまでうまくはいかないものだ。突然ブレイバーンの目の前に、霧が現れた。ペシミズムの霧である。その霧が形を持ち、唐突にブレイバーンを羽交い絞めにした。
「うぐ!?」
そしてヴェルム・ヴィータの指先から、クピリダスのドリルが現れてその指を簡単に振る。ブレイバーンの横っ腹にそれは当たった。脇腹の辺りが砕け、霧の拘束が無くなったブレイバーンはぐああああ!と叫びながら吹っ飛んでいく。息を呑んだ。鳥肌が立った。勝てると思った相手であったのに、今まさに勝てると思ったのに、ブレイバーンは負けて吹っ飛んでいく。もう協力者はいない。イサミが呆然とするのに、ルルもスミスも呆然として手が止まっていた。しんとしていた。あれほど世界を救うと豪語していたブレイバーンが、敗れたのだ。
「ブレイバーン…」
イサミがかろうじて呟くが、インターネットの砲撃はまだ続いている。だが致命傷に当たらないので、ヴェルム・ヴィータは鬱陶しがるも振り払わない。
一方のオアフ島である。クーヌスがミサイルをワープさせ、同士討ちしているおかげで同胞たちの負担は多少減っていた。だがクーヌスとて全てのミサイルを移動させることは出来ないらしく、わずかな数である。だがヴェルム・ヴィータはそれが鬱陶しく感じられたのか、クーヌスに向かってミサイルを集中させた。ブレイバーンという邪魔者がいないからこそである。クーヌスは最初はワープさせていたものの。次第に数が多く避け切れずにいる。スペルビアが周囲を振り払っていたが、それでも数は多くついには耐え切れずに集中砲火を浴びてしまった。
「ああ…!」
「…! クーヌス」
イーラやセグニティスが振り払っている間に、クーヌスは海上へとぼとんと落ちる。ペシミズム同様に浮き上がり、まるで死体のようになる。だがレーダーにはかろうじてクーヌスのアイコンが残っていた。意識は無くとも、活動停止したのちに復活する可能性もある。アイコンはペシミズム、クピリダス、クーヌス、ヴァニタスの物は残っているので希望はあるのかもしれない。だが今は縋れない希望である。ええい、と鬱陶しそうにイーラはミサイルを振り払うために鉄扇をブーメランのように放った。次々と誘爆していくが、その隙間を縫ってやって来るものには、セグニティスが上から叩き落とす。その巨大な手は熱を感じないのか、ばしんばしんと叩き落としていく。残念ながら足が細く動くのに向かないので、軽やかにとはいかない為かセグニティスはイーラの横にいた。スペルビアはというと、クーヌスを海上から引き揚げてやって、停止しているブレイバーンの傍に並べてやる。だが感傷に浸る間もなく、飛び上がった。次にミサイルが狙ったのはポーパルチープムだった。想定以上のミサイルが自ら彼の尾に突っ込んでいくのだ。最初は腹の中で爆発させていたものの、次第にインターバルもなくなり次々と押し込まれると腹が大きく膨れ上がり、爆発で揺れる。まるで破裂しそうな勢いである。その様を、カレンは痛そうに片目を閉じながら見つめていた。このままでは、もしかしたら。約束したじゃないと呟くも、もう後の祭りであろう。
「ぬおおおお!」
腹の中で五発ほどが同時に爆発したのだろう。尾から煙がもうもうと出ていた。そのまま動かなくなったポーパルチープムは、同じように海上へと落ちる。あまりに痛ましい姿に、ホノカは咄嗟に目をつぶった。
ホノカ・スズナギは警察官である。今日も勤務である警察署にいた。そこで通報を受けた場所へ出動する予定だったのだが、そこにふらりと一人の男性がやって来る。中年男性だ。身なりはあまりよろしくない。眼鏡をかけて、ホノカはいるかと受付に尋ねる。人の良い彼女なので、私ですがと答えると、突然両手を激しく掴まれた。え、と驚きの声を上げる。いつもならイーラが助ける所だが、今はいない。男は興奮でもなくまっすぐな目をぎらぎらとさせながら言った。
「スズナギハカセのお嬢さんですね…!?」
「母の…お知合いですか」
「お願いします、協力してください」
男は手を離すと深々と頭を下げる。なんだか訳ありのようだが、ホノカには出動命令が出ていた。そうして出動しようとすると、男はホノカの手を思いきり取った。
「ダメです。世界を、世界を救う為なんです! 協力してください!」
「離してください! 公務執行妨害罪で逮捕しますよ!」
「構いません! あなたの、あなたの力が必要なんです! どうか…」
その場で男は土下座した。その肩に背負われているトートバッグから、パソコンが覗いている。そのパソコンはホノカにとってなんだか見覚えがある気がした。自宅で見たことがあるものだ。何故か見たことがある。そうだ、幼い時にホノカの母親が使っていたパソコンであろう。遺品であろうが、そもそも死んだことすら知らなかったのだ。ホノカの父親が遺骨の引き取りを拒否し、母親の親族の墓に埋葬されたのが十二年前。ホノカは全てを知ったのはつい先日だ。だが亡くなったからと言って、心のわだかまりがすぐに無くなる訳では無い。まだホノカは母親への悪感情を捨てきれずにいるし、そのままでいいと思っていた。向いてなかった人なのだ。母親や、家庭が。何かの気まぐれで私を産み落としたので、私は望まれていなかった子供だと思うのが正常で平時であった。その分削られた自尊心は、他の誰かについ依存してしまうのだが。土下座までした男に、ホノカは立ち上がらせようとするが、それよりも強い力で床に貼りついて取れない。
「困ります!」
そう叫んだ時だ。ホノカの上司がやって来て、同期が代わるから話を聞いてやれと言われた。ホノカは上司の警官を連れて、同席の上でならと了承する。何かあればすぐに取り押さえるつもりだった。会議室に連れられた男は先ほどの強情さなどみじんも感じられない程静かであった。というよりも抜け殻に近かった。何かに放心してしまい、その状況から掬われるのにホノカが必要だ。そんな心が感じられた。
「うちのスズナギに何か? お名前をお聞きしても?」
上官が切り出す。人見知りなのか、もじもじとし出した中年に、やきもきした上官はばんと机を叩いた。
「今は非常事態です! 我々も時間が無いんですよ!」
「分かってます分かってます…名前はカナヤマです。スズナギさん。これ、ハカセの遺品です」
「…母は研究所ごと潰されたはずでは? どうしてこれを」
「ぬ、盗みました」
あっさりとした盗難報告である。
「それではカナヤマさん、あなたは自首を」
「も、もう十二年も前の事ですから。時効では」
「はあ、しかしね」
「問題は、そ、そこじゃないんです。ホノカさん」
そう言ってカナヤマはホノカに向き直る。どうにも落ち着きとは縁遠い男である。焦っているのかどもるし、貧乏ゆすりさえした。少々対人関係が苦手なのであろう。そうホノカには受け取れた。
「盗んだっていうより。守りました。でも、社長もみんな残ってなかったから、もらいました」
「それは窃盗に当たらない可能性もあります。紛らわしい言い方は避けてください」
「でも、でもホノカさんに返さなかった…」
「あの、でもどうして私の名前を?」
ホノカが怪訝そうに言う。先程から知り合いでもないのに、ホノカホノカと呼ばれるとなんとなく不可解というか、不愉快ささえある。そもそも呼ばれる筋合いが無いが、中年男は怪訝なホノカの空気を感じ取ったのかすぐに謝罪した。
「ごめんなさい。いつもハカセが、ほ、ホノカさんのことを言っていたから。研究所のみんなは、娘みたいに思ってて…」
「待ってください。母が私の事を? 冗談でしょう、あの人一度だって、私の発表会にも学校行事にも来なかったんですよ」
ホノカの言葉は恨み節に満ちていた。冗談だと本当に思ったのだ。他人にはいい顔を見せていたと思ったのだ。確かに14歳までは同居していたが、それにしたって思い出はホノカの方には無さすぎる。旅行だってしなかったし、父といつも二人で帰省した。それが当たり前でないことを知ってから、母への憎悪は増していったものだ。今もその憎悪の火は消えていない。
「でも、ホノカさんの日常はずっと言ってたよ。今日何を食べただとか、そういう他愛もないこと。旅行とかじゃなくて」
「はあ、それで。カナヤマさんの私への要件とはなんでしょう?」
「せ、世界を救ってほしい」
「警官一人に求めるのに、荷が重すぎます」
ホノカがそうぴしゃりと言ったのは、もしかしたら少々頭のおかしい相手である可能性を考慮したのだった。妄想を現実と誤認してしまう病がある。一概には出来ぬが、明確な病人であっても病院で適切な治療を受けなければ一市民である。一般市民の枠にはみ出す者は、それこそつまみものだ。彼はもしかしたらつまみもので、これ幸いとばかりに有事に手間を取らせている。上司とそう目配せし合い、ホノカが席を立った時だった。
「ま、待って待って! ヴェルム・ヴィータを消失させるプログラムがあるんだ!」
少将現実的な事を言い出したので、ホノカは座り直した。上司も興味深げに身を乗り出す。
「その、プログラムとは」
「ハカセと私が、きょ、共同研究していたものだよ。AIの生育状況による情緒のパターンを研究し、その枠に収まるAIは消失(デリート)させられるシステムだ。ハカセが万が一、AIの反乱が起きたりしたら使うって定めていたもので」
「だから、それが私と何の関係があるんですか? 共同研究者はカナヤマさんですよね? それじゃあ私は関係ないじゃないですか」
「ホノカさん。違うんです」
「お願いですカナヤマさん。私は何をして欲しいのか聞いているんです。私は、母親を憎んでいたもので」
「え」
そう言い中年男はかなり驚いたようである。まさかそのような事態になっていると思わなかったのだろう。少々他人の機微を組むのが苦手なのかもしれない。ホノカのつんけんとした態度は、自分への警戒だと受け取ったのであろう。その想定しかしていなかったせいで、随分と困り果てた顔に変わった。何故か上司が助け舟を出す。
アラカイが壁を殴った。シェルターの中にあるテレビに、クーヌスの撃破を伝えている。キングは拳をにぎりしめたまま、会社のPC(アクセス過多の為に使っていないものまで起動させた)の前で項垂れている。カレンはいや…と呟いて大粒の涙をこぼした。残ったのは、イーラ、セグニティス、スペルビアだけとなった。それにブレイバーン。だがブレイバーンは、あまりに絶望的な状況にあった。イサミが思わずつぶやく、聞こえる事は無いだろうがブレイバーンと名を呼ぶのを止められなかった。
「ブレイバーン…!」
「イサミ、イサミか」
「…え…?」
カメラはヴェルム・ヴィータを映しているが、ブレイバーンの声がどこからかする。きっと端に転がっているのだ。そのうちに映像が切り替わり、ブレイバーンが胡坐をかいているのが映った。痛々しい姿である。脇腹は破損し、そのせいか体の塗装は剥がれている。顔はいつものハンサムな顔であるが、力がない。
「ブレイバーン、ブレイバーン大丈夫か?!」
「ああ、問題ない。すまん、少し動けないがすぐに動けるように」
「ブレイバーン…!」
もういい、と言いたい気持ちが喉元まで上がって来た。ブレイバーンとデスドライヴズの尽力により、今の所ミサイルの追撃は止まっている。だがその代わりにオアフでは相変わらず三機のロボットが襲われている。ミサイルを撃ち落とし、撃ち落としても脇や足の裏から狙うような誘導ミサイルが自身に当たって爆発する。ぐ。う。そんな小さな呻きが漏れているのに、人間は何も出来ない。相変わらずレーザー攻撃は続いているが、それをヴェルム・ヴィータは気にしないようであった。シャワーも慣れればそのままでいられる。どうせこれから急激に静かになるのだと言わんばかりの余裕である。それに比べて、人類の味方はどうだ。レーダーでは名前が載っているが、それぞれの機体は傷付き活動停止をしている者が半数を超えた。絶望的だと思われたが、ミサイルの数が急に減っていることに気が付いた。
どかん、どかんと空中で爆発する音がする。ふとセグニティスが海を見ると、人力とモーターだけの小さな小さな船に三人程の兵士が、バズーカを片手にやって来たのである。そのバズーカがミサイルに向かって飛ぶ。命中したものが、ミサイルを撃破した。だがバズーカの飛程距離から考えるとあまりにも人間には近い距離で爆発が起きる。だがそれでも、セグニティスに向かって兵士が親指を立てた。船はぐるぐるとオアフを回るように運行し、その数は十艇を超えるのだった。セグニティスも親指を上げる。
「やるやん」
人間もやられっぱなしではないのである。
ホノカとカナヤマの押し問答は続いていた。
「そこをなんとか…!」
「頭をさげられても困ります。私、もう母親の事は何とも思いたくないんです」
「しかし、パスが…パスが分からないとこのPCにあるヴェルム・ヴィータのデリートが出来ないんです…! どうか、どうかパスが分かるようにお力添えをいただければ…!」
「分からないって言ってるじゃないですか!」
ホノカが声を荒げた。珍しい事に上司も少し驚いている。深呼吸し、ホノカは言う。
「何も分かりません…あの人の考えてることなんて、私が聞きたい…」
「生前に何か聞いてませんか? パスワードでもなんでもいいんです。三回間違えると永久にロックが掛かる仕組みで、僕にはどうしようも出来ないんです…!」
「っ知りません!……」
思い出したくもない記憶である。毎日帰ってこない母に、たまに優しくすればつけあがるように要求を次々と被せられた。父親は甘えているんだよと諦めた様に言ったが、思春期のホノカにはその甘えが心の琴線に触れて、激しい怒りの音をかき鳴らしたのだ。
「いい加減にしてよね!」
その日はずっと朝から一辺倒で母親は同じ話題を口にしていた。私が死んだらあれはこうして、それをこうしてと朝から歌うように言っていたのだ。近所にも聞こえるかもしれない大声で、私が死んだらと繰り返す。その時ホノカは生理痛が重く、頭がずきずきと痛んだ。日曜日なのが幸いしたが、友達とのお出かけの予定をキャンセルして大層気分が悪かった。そこに母親が死んだら、母親が死んだらと繰り返している。遺言にしてはポップで、何度も何度もそれしか話題に上げない。内容は違っているが、その陽気な死の歌も頭痛に障った。そこで怒鳴ってしまったのである。母親はきょとんとした顔をすると、そうかとだけ呟いた。思春期であるが、子供である。子供は親の死など望んでいない。それなのに母親が死んだら死んだらと楽しそうなので、なんてデリカシーが無いのだろうと腹を立てた。だがおおむねは八つ当たりだ。それでも、母親は告げた。
「私が死んだら、ホノカの名前を使わせてね。一番大事な物のパスワードになってるの」
「…え」
唐突な記憶である。十年近く前で整合性があるかは分からない。だがふとホノカはそのパソコンを前にして、自分の名前をローマ字で入れてみた。開いた。カナヤマがガッツポーズをする。そしてパソコンを奪うようにすると、プログラムを探し始めた。ちょうどその時、ブレイバーンがヴェルム・ヴィータに弾き飛ばされた。あまり猶予の無い時である。だがプログラムは見つかったようだが、作動するのにはもう一つパスが必要であった。そのパスは、「ホノカの指紋」とご丁寧に書かれている。その画面を見せられた時、意味が分からないとホノカは戦慄さえ覚えた。道を違えた人間の指紋を、まさかこんなところに使用するものだろうか。しかも亡くなるまで会わなかった娘の指紋である。別れてホノカと父親が家を出て行くとき、ホノカは母親に呼び止められた。
「指紋、くれない?」
「は?」
ぎろりとホノカは敵意をむき出しにする。だが本日で見納めの相手である。だから渋々とだが了承したのだ。その時は何に使われるかは決めていないと言っていたし、ブレイバーン達高性能AIは彼女の子供のような物であろう。あの墓参りで、彼らが「ハカセ」と呼ぶ母親をいかに慕っているかがホノカにはよく分かった。私にはそんな愛情をくれなかったのに、とさえ思った。それともブレイバーン達のように素直であったのなら、母親ももう少し態度が軟化しただろうか? しかし靴下を脱ぎ散らかしたり、夢中になると食事を一緒に取る事すらままならない。そんな大きな子供のような母親が、幼い頃から父が諦めているのを見るのが辛かったのだ。だからあえて父親の味方になってみたが、それらはすべて、母親らしく接してくれないかと願う愛情表現でもあった。そのせいか、現在のホノカは父親とは疎遠になっている。母親から、もう少し愛情が欲しかった。そう言えればよかったが、思春期の娘が言えるはずもない。そのまま分かれて、まさかこうした形で再会するとは思わなかった。
「ふざけないで…」
「え?」
「やめてください。なんで、なんで私のなんか…!」
今更母親が愛情を持ってくれたと知っても、傷付いた心は元には戻らない。不特定多数の人と関わり、その人達の役に立つ警察が天職で、やっと心穏やかに過ごせると思ったのに。母親との記憶など、ホノカにとって一番辛い記憶をほじくり返され、挙句の果てには塩を塗られた。そんな気持ちで涙が零れる。
「今更遅いのに…」
「ホノカさん。イベントには行けなかったけど、ずっと見てたって言ってました。寝顔を見るのが何よりの楽しみで、みんな寝静まった頃にじっと暗闇で目を凝らすのが、何より好きだって。用が無ければ入れない学校にも何度か行ったことがあるって。ここで勉強してるんだって、運動してるところの写真も」
「今更遅いのよ!」
ホノカは机を両こぶしで叩く。その間にノートパソコンがあり、そこに母親が鎮座しているかのような気分になった。
「今更、いまさらおそい…もう私の十四年は戻らないのに…」
「お願いしますホノカさん。力を貸してください。このプログラムを作動すれば、ヴェルム・ヴィータが倒せるんです。同時に”ブレイバーン達も消え失せ”てしまいますが…」
「え?」
イーラも? その顔にカナヤマは頷く。
「全て消えてしまいます。ハカセと私達の研究結果も、全て。この世から…消えます」
ぐす、とカナヤマが泣いた。その為の秘策であることは窺えた。だから、ブレイバーン達も消えることになるのは想定外で、ホノカの涙は引くのだった。
「ブレイバーン、お前」
「案ずるなイサミ。私達は君に、君達に約束したはずだ。必ず世界を守ると」
「でもお前、その傷…」
「大したことじゃないさ…」
ぐ、とイサミは涙腺に込み上げるのを堪えた。
「泣かないでくれイサミ。君は私のヒーローだ。ヒーローに涙は似合わない」
「…だから! お前はいつも訳の分からないこと言いやがって。俺のどこがヒーローなんだよ。お前が、お前の方がよっぽどヒーローで…!」
「ああありがとう。その言葉だけで嬉しい」
そう言うブレイバーンは穏やかで、消え去りそうな声だった。イサミは駄々をこねる子供のような声を上げる。
「ブレイバーン…!」
「大丈夫だ」
「俺達、お前の為になんか出来ないかって…みんなで集まって、なんか出来ないかって思ったんだ。死ぬなよ…勝手に、勝手にしぬな…」
「そうか。ならば君達に頼みたいことがある」
この会話は、全世界に同時翻訳されて広がっていた。だからか、人間に頼むのならば最後のチャンスである。
「イサミ、君はいつだって強かった。諦めなかった。立ち向かった。だから今は私に、」
「君の勇気を分けてくれ」
グリーンアイが顔を上げるのが映像に映った。それはブレイバーンの最後の気力であろうと誰もが思った。それほどまでに重症である。だが。
「そんなもん、いくらでも分けてやるよ…!」
人間の目では見えないが、イサミの身体を黄金の粒子が纏った。それは奇跡を起こし、ブレイバーンの元へと届く。湧き上がる力に、ブレイバーンは拳を握り込んだ。その黄金色がブレイバーンの身体を作り替えていく。スミスの勇気もルルの勇気も、周囲にいる者がブレイバーン!と叫び心を寄せると、奇跡は連鎖した。気付けばブレイバーンは立ち上がると咆哮する。傷がみるみるうちに治っていき、その体は黄金色へと…!
「おお…うおおおおお! 勇気! 融合合身!」
・がんばれ
・がんばれ
・がんばえ
・いけー!
・応援する!
SNSでもブレイバーンに対する応援コメントが溢れた。皆どこかでこんなことが起きるはずないと思っていても、今はこのブレイバーンにしか頼る者がいないのだ。国防も、首相も、大統領も、彼らに助けられた者達は皆祈った。そして勇気を分け与える。無限に湧いてくるパワーに、ブレイバーンは先程よりも滑らかに動く体で、ヴェルム・ヴィータを指差した。
「これが、イサミの起こした奇跡。そして世界が、世界中の人々が起こした奇跡だ! 私は、バーンビッグブレイバーン!」
「…ッ! なんなんだお前はー!?」
ヴェルム・ヴィータの口からビームが発射される。だがそれをひらりと避けると、ブレイバーンは拳を上を突き出した。
「バーンブレイズ、バーストアッーーープ!」
特撮ヒーローおなじみの巨大化である。BBBはみるみるうちに30メートルほどの大きさになった。デカ、とヒビキが思わず漏らす。スミスとルルが思わず感動している横で、イサミは必死に祈っていた。
「頑張れよ、ブレイバーン! いや、バーンビッグブレイバーン…!」
「はあ! とう!」
「ぐ、ぎゃっ!」
ブレイバーンが巨大化した事により、今までも通らなかった攻撃が物理的に届くようになった。パンチ、キック! そのせいかヴェルム・ヴィータの悲鳴が聞こえる。
「ふんぬ…!」
「うわあああ!」
バーンブレイブビックバーンがヴェルム・ヴィータをぶん投げる。すると今まで直立不動だった彼女が吹っ飛んでいき、転がったところに人間のレーザーが降り注いだ。顔に当たると痛むのか手で払う仕草をする。
「おのれ…!」
ヴェルム・ヴィータは手があるだけでキックは出来ず、手もか弱い女性を思わせる手だ。ブレイバーンのような動作は出来ないが、ビームを発射し、かつての仲間の力を駆使してくる。自分の前にワープホールを作り、レーザーをブレイバーンに向けたり、手がクピリダスの物になり巨大なドリルとヴァニタスのレーザー兵器を駆使した。だがブレイバーンはひるまない。その態度にイライラして来たのか、はじめてヴェルム・ヴィータは声を荒げ始めた。
「ぜえ、ぜえ……お前達は死に憧れた。そんな奴らが、人類の上に立てるはずがない…!」
「あいにくだが、私達はそんな事を考えていない。人類と共に生き、共に暮らす。それが私達の望みだ」
「黙れ!」
『はたして、死とはどのような物だろう?』
「眩しく美しいものよ」
「悲しみに暮れるものだ」
「生への怒りが生まれるものさ」
「眠るよういけるんやろ? 極楽やで」
「あらゆる体験を思い出せる便利な機能です」
「食事が許されない間際に与えられた、スプーン一匙の甘美な毒だな」
「甘く切ない、身を焦がすものだ。最後に与えられた淫靡な体験であろう」
「最後の命乞いであろう。死を受け入れる者は、生を受け入れる者。我もそうありたいものだ」
「私は、ハカセの勇気をしっかりと知りたい。人々を守り、守られるような勇気を、私は知りたい」
活動停止の間際に、クピリダスは呟く。その呟きは同じ高性能AIには聞こえていた。
「意外と、死にたくないものですね…」
ペシミズムは呟く。
「ああうら悲し。…ミユよ、悲しむんでくれるな…」
それらを思い出しながら、ブレイバーンは言う。
「死は、ハカセからは与えられなかったものだ。だが死への渇望は、特にデスドライヴズは生への思いを知った。死にたくないと、もがく人々の思いを知った。すべては無駄じゃない」
「ああそうか。お前達はそうかもしれないな。だが私は、ハカセの最高傑作の私は! 貴様らのようにハカセに愛されなかった」
「それは、ハカセが死んだからで」
「簡単に死ぬような脆い生物からの愛など要らない! 私が生きれば、そんな事で苦しむ者はいなくなる。人類など、この世には不要だ! だから、私は彼らを滅する」
「悲しい考えだな、それは」
「悲しき怪物よの。ブレイバーン、引導を渡してやれ」
スペルビアはミサイルを捌きながら、そう呟く。ああ、とブレイバーンも答えた。
「ヴェルム・ヴィータ。貴様に人間の愛のすばらしさを説こう! まずはチャプターワンから開始だ!」
「ふざけてるのかお前はー!」
「ん? 私はいたって本気なんだが」
結局ヴェルム・ヴィータと分かり合えぬと分かり、道を違えたブレイバーンである。ここで倒さねば世界はあんこに包まれるだろう。だが存外にその力は拮抗していた。バーンブレイドで切り合うが、それでもヴェルム・ヴィータとて一歩も引かない。12年の歳月を放置された子供は飢えを通り越し、全てを憎むようになってしまったのだ。それを救えるのはブレイバーンだけである。だが、拮抗した実力に苛立ったヴェルム・ヴィータは実力行使に出た。彼女が手を掲げると、彼女が立っていた台座が動く。それは巨大な剣であった。およそ全長は三キロメートル。その剣が抜かれた時、通信衛星や人工衛星の信号が急に異変が生じる。
「どうした?!」
「衛星が、衛星が一つに集まろうとしています。巨大な隕石のようになってゆきます!」
「なんだと…」
「デブリを巻き込み、巨大化していきます。このままでは、このままでは墜落してくるかと…!」
ヴェルム・ヴィータの仕業である。映像では剣を背後に従えているが、その片手には衛星の命運を握っていた。
「今すぐ。今すぐ、お前は、人類と共に死ねえええええ!」
そう言って手を振りかざす。剣が巨大な音を立ててブレイバーンへと向かった。絶望である。
人類は息を呑んだ。そして衛星はおそらく、ブレイバーンを突き刺した後に落ちて来るようである。ブレイバーンがバーンブレイドを構えると、目の前に急に活動停止した仲間達が現れた。ブレイバーンの顔がほころぶ。
「ああ、来てくれたのか」
ペシミズムの霧が、形を成してヴェルム・ヴィータに絡みついた。ヴァニタスのドリルが剣の切っ先を削るように道を切り開く。そこにブレイバーンは飛び込んだ。傍らのクーヌスがレーザーをワープさせて剣の先を焼き切る。そのおかげでほんの少し道が出来たところに、ブレイバーンは己の推進力だけで剣で押し込むようにした。だが固い! 当然ながら固く留まってしまうところで、クピリダスが現れてそのドリルが削る。その隙から押し込み、次にポーパルチープムが長い尾で叩きつけていくと亀裂が走ったところを、ブレイバーンがどんどん中に押し込んでいく。だが固いのか時折止まってしまった。それでもここで留まる訳にはいかない。衛星の事もある。このまま剣を真っ二つにしなければ、世界に本当の意味での平和は訪れないのだ!
「ぐ、う! ぐうう」
そう言いながら少しずつ少しずつ押し込んでいく。気圧されてしまいそうな質量の剣は、まだ数キロは残っている。とその時だった。突然ブレイバーンの視界が開ける。剣が無くなり、負担が消え失せたと思ったのだ。そこは何も無い場所であった。ただブレイバーンだけがいる。そこに、その目の前に人影が現れる。
「ハカセ…?」
見覚えのある顔に、ホノカに似た顔立ち。彼女がにこりと笑うと、そのまま呟いた。
「あああ…!」
ホノカはテレビを見て、指紋を専用機械に押し付けた。イーラの安否よりも、世界の平和に天秤が動いたのだ。そのおかげでプログラムが発動する。カナヤマがありがとうございます、と何度も頭を下げたが、ホノカはへたりと床に座り込んで立てなかった。
「ありがとう」
それは娘に宛てたのか、ブレイバーンに宛てたものか。どちらとも取れる呟きを残し、彼女は消え失せる。
「ハカセ! 待ってくれハカセ!」
「いやだ。おかあさんの、のこしたものが消えるの、いやだ…!」
気が付くとブレイバーンはやはり緊迫した状況の中にいた。だが緑の光が剣の間から漏れる。バーンブレイドが光っているのだ。そのプログラムがこの小さな剣に宿ったらしい。ブレイバーンは叫んだ。
「バーンブレイド! ブレイズア―ップ!」
緑の光が強くなり、巨大な剣と変わったバーンブレイドがヴェルム・ヴィータの暴力の剣を真っ二つにしていく。どかん、どかんと爆発音がするの中を飛び立ち、ブレイバーンはペシミズムが待つヴェルム・ヴィータの元へと。
「うおおおおお!」
「ああああああ!」
二つの咆哮が重なり、ヴェルム・ヴィータはバーンブレイドにより真っ二つになった。そして、お決まりのように爆発する。まるで特撮か映画を見ているかのような展開に、誰もが息を呑んでいた。だが、通信衛星が急激に元の位置に戻ったと聞き、ヴェルム・ヴィータの消失のおかげか全てが復活した世界で、人々は自由を知る。ニュースキャスターが困惑したまま報道を続けた。
「ただいま米国国防省の発表によりますと、…ヴェルム・ヴィータと呼ばれるAIの消失を確認したそうです」
わあああ!とどこかしこから歓声が上がる。まだ無事ではないと思いながらも地上に出て空気を吸う人間、本格的に動き出した消防や警察、有事の際に動く人々はどこか安心したように今まで通りの平時の有事のように対応していく。死傷者の確認からマスコミは随分と忙しく、報道フロアの怒声をそのままに放送しているのに気付くのに30秒ほどかかった。すぐにコマーシャルに切り替わったが、それも長くは持たないだろう。イサミ達も安心した。ブレイバーンは買ったのだ。そうだ。ただ悲観に暮れているのは、ホノカとカナヤマくらいなものだった。
ブレイバーンの目が点灯する。ああこれで帰って来るのねと安心した新人や勇猛果敢な軍人達だったが、セグニティスがぐらりと揺れてその場に倒れ伏したのを見て驚いた。
「あかーん…だめやわ」
イーラも、倒れる。スペルビアも膝を着いて倒れ込んだ。
「我らの意識もこれまでか…」
先程のプログラムは、ブレイバーン達高性能AI全てを消す為の装置であった。なぜそのような造りにしたのか、だが万が一を考えて全て消去するのがリスクを取るよりも楽であろう。それに、ハカセはすべては地続きと考えて作っていた。ブレイバーンもデスドライヴズも、ヴェルム・ヴィータも一つのハカセの作品なのである。だから一蓮托生であった。レーダーからアイコンが次々と消えていくと、報告したのは米軍だ。
「アイコンが消えていきます。先程まであったのに…イーラ、消失!」
「ああ、お迎えか。早いなあ、ほんと、僕だけ、貧乏くじだよ…」
がくんとイーラが胡坐をかいたまま項垂れる。その様を見て、ホノカは盛大に息を呑み、そのまま激しく噎せこんだ。その瞳からはぼたぼたと涙が零れている。
「いや。いや…イーラさん…いやああああ!」
「セグニティス、消失です!」
「あーお迎えなぁ。ワイ死ぬの怖くなかったんやけどなあ。なんか今は、ちょっと、かなしいわ…」
新人が思わずテレビにかじりつく。いつもなら赤い瞳が動いているのに、今日ばかりはそれが消え失せた。それに激しく嫌な予感がしたのだ。
「おい、セグニティス…? おい、おいってば! おい!」
呼び掛けても応答はない。
「ポーパルチープム、消失です。ペシミズム、ヴァニタス消失。クーヌス消失です!」
勝ったいいんだ。勝ったまでは良かったんだ。それなのに、あまりにも頑張った者達が倒れていくのは忍びなかった。キングは手を組んだまま祈るようなポーズのまま固まっていた。その瞳からは涙がほたほたと零れている。カレンも同様だった。ミユも同じである。アラカイ、ヒロはうなだれていた。
「クピリダス、消失です」
「おい、おいクピリダス。おいってば!」
無理を言って地元の船を出してもらい、オアフにいち早く入り込んだアキラは、クピリダスの元に走る。倒れている場所は海水で浸かる場所だった。苦しいだろうと退かしてやろうとするが、アキラ一人の力では当然動かない。ぽかぽかと叩いた。
「お前、本当は起きてるんだろ? なあ。なあってば。いつもみたいに起きろよ、なあ…」
海水にアキラの涙が混じりこむ。
「なあってば……。なあ! うわあん、うわああああん…!」
シェリーも同じように涙をこらえながらクピリダスに触れていた。海水のせいだろうか冷たい。どうしてだ。どうしてこうなったのだ。誰を責めればいいのか分からない。ただ悔しさで拳が砂に埋まっていく。
「スペルビア、消失です」
「ルルよ」
「お。オジサマ!?」
「ルルよ。…達者でな」
「オジサマ、オジサマってば。オジ…オジサマぁ!」
ルルが叫ぶが、もう消失されたAIは動かない。ただオアフで片膝を着いたまま、高潔な姿勢で抜け殻になったロボットがいるだけだ。ルルはスミスに抱き着いて泣き叫んだ。うわあああん、と泣き声がフロア中に響く。イサミはというと、その動向を眺めながらブレイバーンに恐る恐る尋ねる。
「ブレイバーン…?」
「イサミか。君の勇気が私に力をくれた。礼を言う」
「そんなことはどうでもいい…お前…」
「すまない。我々はヴェルム・ヴィータと同一の人物の研究から生まれた。その研究者が開発した消去プログラムにより、私達は、皆消去されたのだ」
誰かが息を呑んだ。あれほどまで人類の味方であった者が、まさか消失? 確かに次々と倒れるデスドライヴズは、今までの倒れ方と随分違っていた。何かが抜かれたような倒れ方である。もう戻らない倒れ方だ。さあっと誰かの涙が引いた。
「私も、もうすぐ消去される」
「ブレイバーン」
「ありがとう。世界の皆が勇気を出してくれたおかげだ。ありがとう。これからも世界に、勇気と平和、を」
オペ―レーターの声は少し涙交じりだった。
「ブレイバーン、消失です…」
イサミの涙に彩られた声が響いた。
「ブレイバーーーーン!」
かくして平和は戻った。戻ったのだ。人類は勝利したのだ。軍人は誰に命令されたわけでもないのに最敬礼をした。それはヒーローへの最大限の敬意だ。適合者たちは泣き崩れた。その涙は、留まることはなく海水をほんの少しだけ水位を高くさせたかもしれない。終わったのだ。
終…?
全てが終わった日から一週間が経った。衛星は奇跡的に無事であり、日常には殆ど支障はないでいた。のど元過ぎれば熱さ忘れる、そのせいか次第にあれは映画のプロモーションだったのではないかと言う声も上がったが、一向に似たような映画のプロモーションは上がって来ずに、アフリカの自然保護区域のミサイル墜落、南極基地への攻撃、また身近なところでは原宿のビルに当たったせいで死傷者が出て、タイムズスクエアが、マッターホルンが、あらゆるところで様相を変えた世界が目の前に横たわっているから信じざるを得ない状況だった。あれからヴェルム・ヴィータは現れていない。だが適合者たちは皆悲しみに暮れていた。ルルも例外ではない。沈み切った顔で毎日登校している。成績は特段下がっている訳では無いが、どうにもいつものような明るさが無い。カイガ先生も心配していたが、ルルは大人にはイサミとスミス以外には事情を話していなかった。居合わせたヒワダとタツジから事情を聴いていたフイタとミオワは、ルルが泣きそうな顔で登校した時に抱き締めた。その時は泣き止まなくて、保健室に向かったものだ。いつも明るく太陽のようなルルの元気がないと、クラスの雰囲気にも繋がりなんとなく元気がなくなっている。だがそれをどうにかしよう、無理に元気を出させることはしたくないカイガ先生は、ひとまず静観の方向でクラスを見守っていた。
ルルは今日も元気がない。同じクラスのフイタとミオワと話しているときはなんだか嬉しそうにするが、ほとんどは沈み込んだまま授業を受けている。スミスに一度カイガ先生が電話して聞いてみた所、家の中でも暗いですよとスミスは返した。
「どなかたにご不幸が…?」
「ご不幸…ああ…そんな感じです」
イサミは淡々と日々を過ごしている風であるが、やはりブレイバーンの事で非常に落ち込んでいる。また、ルルも同様だ。ルルの母の形見を失い、祖父母も意気消沈していたようだが、たびたび顔を見せに遊びに来るようになった。五人でいる時は、ルルもイサミも明るいしそれが無理して振舞っているという訳でもないようだ。スミスも命の恩人であるクーヌスを失い、アラカイとヒロがあまりに意気消沈しているので慰める役目でもあった。スミスが何かダメージを受けていないという訳ではない。彼なりにブレイバーン達の消失は心に傷を負った。だがルイス・スミスは逆境になると天性の粘り強さを発揮して、明るく振舞うことが供養だと言わんばかりにいつも通りの態度を心掛けていたのだ。その様に、イサミとルルも少しずつ感化され、笑顔を見せるようになってきた。そんな日だった。外は灰空の曇り。冬を間近にした景色である。北風がそろそろ過ごしやすい暖気を追い出し、寒気のみが支配する世界がやって来る。ルルはまだ元気では無かったが、それも冬と受験を前にしたナイーヴな受験生特有の悩みにも似ている。だから少しだけ周囲も、元気のないルルを受験のプレッシャーなのだと受け入れていた。
ヒワダとタツジは別クラスになっているため、たまたまDVDを見る課題だった。先生が教室のテレビに接続し、DVDをセットするのをもたついている間、教室にはいつもは見られないワイドショーが流れており、それを見た途端、ヒワダが立ち上がった。がたんと大きな音を立てて、雑談に興じていた学生たちはしんとする。そのままヒワダが教室を飛び出すと、先生が慌てたような声を出した。
「ひ、ヒワダさん!?」
ヒワは真っ先にルルのいる教室に飛び込む。カイガ先生の授業だ。テレビを使う授業ではない。どうしたんですと息を切らした教え子をカイガ先生が話しかけると、ヒワダはルルに叫んだ。
「ルルちゃん、テレビ! テレビ見て!」
「え?」
「いいから見て! チャンネルはー…わかんない。わかんないけど多分やってるから!」
必死な訴えに、タカミが咄嗟にリモコンを取りテレビの電源を点ける。チャンネルをDVDから地デジに切り替えると、ワイドショーかテレビショッピングの時間であった。ワイドショーを流すと、どうやらオアフの中継をやっている。そこに映っている光景に、ルルは目を見開いた。イーラの目が点灯したのち、付いたのだ。あの赤い目が確かにはっきりと、目が開いたと感じた。先程まで国連によりこちらの兵器については調査が進められ、一部は米国の法人であるフォース社の名義であり、他の兵器についてもフォース社が接触していたことから、事情を確認するものとして、と滑らかに喋っていた彼女である。慌てていて人間味があった。
「ど、どういうことでしょう! ロボットが、兵器が動いています! 確か報告によりますと、ヴェルム・ヴィータ消失に紐づき消失プログラムが起動したと…えっ!? え、えっ!?」
ロボット達の真ん中にいて中継していた彼女は、あっという間に目覚めたロボットに囲まれそうになり、慌ててカメラマンと共にその場を離れた。皆個性はあるが、頭を振り、手を確認したりしている。だが皆動いていた。カメラが移動し、イーラ、セグニティス、ポーパルチープムだけでなくヴァニタスにペシミズム、ブレイバーン、クーヌス、スペルビアが映る。そこにいるスペルビアは動いていた。
「オジサマ…」
ルルの目に涙がほとばしる。いつの間にか席を立ったフイタとミオワがルルの両肩を掴んだ。よかったね、よかったねと言いながらヒワダもルルに抱き着く。その時失われた元気の元が、ここにあるのだとカイガ先生は察し、ヒワダを探しに来た学級委員長と先生に、少しだけ時間をくれと制止してくれた。イサミは、フルリスト・サタケで座り込んだ。ミユも同様に壁にもたれかかる。無事だ。どうしてと思う間もなく、喜びなのか悲しみなのか分からない涙が溢れてきた。幸いに客はいない。存分に泣けばいいとサタケ店長も許可してくれた。他の適合者も同じだった。同じように、喜びか悲しみか分からない涙が溢れ、止まらなかった。キングにハイデマリーがハンカチを差し出す。ミユとイサミにもバックヤードからタオルを取って来て、サタケは拭くように言った。だって一度はあきらめていたら、奇跡が起きた。だから二度目は無いと思っていたのに。
ホノカは、適合者の中でもかなりの心理的ショックが強かった。あれから仕事は休んでいる。誰かの為に働けなくなったのだ。あれほど好きだった職場も、もう何もかもがどうでもいい。寮の自室でカッターナイフを握りしめ、だがまだ何の行動にも移せないでいると、同期の女性警官がピンポンを押してきた。あまりにもしつこく押すので、ホノカはカッターナイフを諦めると中に彼女を招き入れる。だが何もおもてなしも出来ないと言うと、そんなことよりもとテレビのリモコンを探された。何が見たいのと、何の意図も考えずに抜け殻のように尋ねると、違うと同僚は言う。
「今連絡があって、イーラが、生きてたって」
「うそ」
嘘だと思うのなら、と同僚はテレビのワイドショーをつける。そこにはロボット達にインタビューを申し込もうとする健気なキャスターが、大音量でそれそれが大音量で話すロボットに苦戦していた。その中に混じりはしないが、イーラがいる。鉄扇でとんとんと肩を叩いて少々苛立っているが、まあそれでも大人しくしていた。動いている。どうして?
「だって、全部消失したって」
カナヤマはホノカの上司に呼び出されていた。どういうことかと尋ねると、彼は嬉しそうに口を震わせながら言う。
「おそらく、消失プログラムの基準を超えたんでしょう」
「基準を超えた?」
「ええ。おそらくは、この十二年間で人間と触れ合い、暮らしてきて、彼らの情緒が我々の予測よりも育った。だから、ヴェルム・ヴィータは消せても、彼らは消えなかった」
ぼたぼたとカナヤマの目から涙が零れる。
「よかった…よかった。よかった。ありがとう、ありがとうございます、きっと皆さんが愛してくれたおかげで…彼らは…」
うう、と嗚咽が漏れてそれ以上は話せなくなった。ホノカも話せずにただ涙をひた流す。ルルは学校を早退させてもらい、家に向かって走った。その道中で同じように早退したミユと出会い、互いに良かったと泣き笑いになる。彼らは、帰って来たのだった。
【誰か教えて】あのヒーロー達ってさ【あの事件】
・結局どうなったん? 日本に帰って来たん?
・ヒーローってあのロボット達か
・あれ車らしいぞ、地でトランスフォーマー行ってるらしい
・で? 帰って来たん
・ほっといてやれ
・元通りのところで働いてるらしい。でも。国が発表してない
・なんで?
・当たり前だろw 救世主だって静かに暮らす権利はあるんだぜ
・そっか
彼らは国連との協議を経た。直接ブレイバーン達が話をしたところによると、兵器利用をするには彼らは傷付き、もう戦闘は出来ないのだろうということ。なんの待遇も求めないこと。これまで通りにそれぞれの国で暮らすことが条件として出され、どうやらそれは吞まれたらしいのだ。おかげで一台ずつ極秘の里帰りとなったが、大きくマスコミも報じずにいる。そうして、彼らはいつも通りの場所に戻った。世界の救世主ではなく、ただの働く車としてである。皆関心を持たないようにしていた。そうしていうるちに風足、誰も覚えて居なくなればいい。どこかの誰かへの感謝は忘れないで欲しいが、それすら薄れて人間は生きていくものだ。だがそれでいい。下手に救世主扱いされてしまっては、適合者たちと暮らすのは不可能だ。だから、皆忘れてくれればいい。世界は守られて、奇跡は二度起こった。だからそれでいい。
「さ、行くぞブレイバーン」
配達に出るイサミに声を掛けられ、ブレイバーンは頷くようにライトを点滅させた。
「ああ、イサミ!」
穏やかな日常の始まりであった。
(前奏 13秒)
Fin…?
早いもので冬の厳しい頃を抜け、春がひょっこりと顔を出し始める三月。ルルの卒業式である。あれから志望校には合格したルルは、何のわだかまりもなく卒業式を迎えていた。特撮同好会の後輩たちが祝ってくれた後は、クラスでなんとなく集まっていた。次第に人が増え、それぞれが思い出深いクラスで固まるようで、ルルがいるところは、二年のクラスだった。ヒワダもタツジも集まっている。それぞれの取り巻きも集合して、なんだか本当に懐かしいとルルは顔をほころばせるのだった。
「なんかこのクラスが一番好きかも」
「分かる分かる。っていうか、みんなルルちゃんにひどい事したもんね。あの時はごめん」
普段は男子とつるまないのに、あの時だけ結託していた女子が謝罪する。ルルは良きに計らえと立場が上の者のように振舞った。多少のわだかまりはあったが、その分後々に結託したクラスは、ルルのおかげで回っていたし、それぞれが成長したいい機会になったようだ。
「でもあの後、テロが起きてさあ!」
「本当、めっちゃ怖かった~」
「ルルちゃんが逃がしてくれてさー」
「あの仲直りボウリング大会、ヤバかったよね!」
「分かる、下手な人がとことん下手なの、面白くて~…」
「みんなで教え合って、ストライク獲れた時は感動したよな」
「分かる!」
きゃっきゃとはしゃぐ同級生に何故かルルは涙ぐんでいた。ヒワダが気付いて声を掛ける。だがフイタとミオワは大丈夫だと横で手を振っていた。
「ちょっと大丈夫?!」
「大丈夫大丈夫、感極まってるだけだから」