「約束だって言ったはずよ…!」
カレンの非難めいた声に、ポーパルチープムは一言謝る。
「すまん。だが世界の為なのだ」
そう言い残し、ポーパルチープムは尾を使って飛び上がる。だが飛行能力は持たぬらしいので、そのままジャンプを繰り返してどこかへと向かってしまった。残されたカレンは、ポーパルチープムが飛び上がった為に壊れたアスファルトを眺め、遠ざかる轟音を聴きながら目を細めて眉をしかめる。
「…無事でいてよね」
ルルは煮詰まっていた。夢が出来たと言い出したのは10月のあの日、被災した日からである。マンションは断水したが傾くことは無く、電気が使えないからとソーラーパネルを使ったりあらかじめ用意していた簡易な蓄電器を使ったり…日常が少しずつ戻って来たところだった。ああ、と勉強机に突っ伏す友人を、フイタとミオワは気遣ってくれる。フイタは有名な進学校を目指しており、ミオワは家から近い公立の高校を目指すと言う。仲良しで居続けたい友達だが週の大半に顔を合わせるのはもうあと半年ほどだ。
「大丈夫ルルちゃん」
「だいじょぉーぶ…」
「大丈夫じゃないやつだよそれ」
そう言いながらミオワが幼子にするようにルルの頭を撫でる。その頭からは火花が散り煙が上がっているかのようで…ショートした古い機械のようだ。ありがとおおと会話しながらも、それでもルルの頭は進路に向けて、煮詰まっていた。限界を覚えている。そこに、スミスが気分転換にとキャンプの話をしたところ、マリッジフォトを撮りに行けなくなったアキラ達も参加していいかと打診が来た。そうすると何故かブレイバーンがエントリーし、当然スペルビアもやって来ることになり、それが許されるのならとクピリダスも行くと言い出し、ミユに話したところペシミズムがヴァニタスによって参加させられていると聞き、人数がみるみるうちに膨れ上がったので適合者の会のようになった。日取りは高性能AIがすりあわせたので公平な日程が設定され、そこでルルもリフレッシュ出来たようである。この詳細は他に語る事とするが、ルルはその時出会ったばかりのキングやカワダにこっそり夢を打ち明けた。その時、応援してくれたのが励みになったようである。若人の夢は眩しく、尊重されるものだ。そうして自信をつけたものの、勉強に煮詰まる事はよくあることで。頭に入らない日々が続いた。
「う~~おはよ…」
本日は休日なり。だがルルは昨夜から徹夜で勉強していたらしく、皮脂と汗のにおいが少しだけした。徹夜明けの臭いである。イサミは目を細めた。
「お前、また徹夜したのか」
「だあって…志望校受かんないじゃん…」
「無理してはいるものじゃないんだ。今は、体の事もちゃんと気遣って」
「ああもう! 勉強しろってうるさかったのに、勉強したら体を気遣えって、ルルそこまで頭まわんない! 出来ない!」
イサミは反論出来ずにうっと唸る。思春期の娘は口が回るのだ。
「…悪い、そうだよな。俺はルルが心配なんだ。どうだ、シャワー浴びてちょっと寝てみたら。昼まで起こさないから」
「じゃあそーする…」
気が立っている娘だが、眠気にも襲われている娘である。口げんかにならずにホッとした。伝え方は難しい。親心を乗せた言葉がつい口酸っぱくなるのは、なんだか子育ての師に教えを仰ぎたい気分だ。だが今日は予定がある。シャワーを浴びるために風呂場に向かうルルに、朝からスミスは元気良く言う。家庭を明るい雰囲気にするのは、いつだってスミスなのだ。
「ルル! 今日パソコン買う日だよな。ちゃんと午後買いに行くから、そのころには起きてくれよ」
「あ、忘れてた。今日じゃなきゃだめ?」
「ごめん、イサミも俺も仕事があるから…今日じゃなきゃ、次は来月の中旬になっちまう」
「あー分かった分かった。じゃあルルしゃわああびる…」
後半はほぼあくびで構成されていながら、ルルは脱衣所に入った。あの様子ではふらついて頭でも打たないかとイサミは聞き耳を立てていたが、どうやら今の所大丈夫らしい。午後になる前、お腹が空いたのか12時にはルルは起きてきた。少々すっきりした様子だが、まだ目の下には疲労が浮かんでいる。確かに今日じゃなければならないのかと思ったが、スミスはそれでも行こうと言った。
「ルルの為に仕事もしなきゃならない。でも、これは前からの約束だ。約束を忘れたのはダメだよ、ルル。頑張るのはいいことだが、約束は俺達だけじゃなくて他の人ともするんだ。だから今日は行くよ」
理路整然とした言い方だが、臨機応変でもいいんじゃないかと思うイサミの親心。ルルはそれで納得しているようなので、これ以上口を挟むのは止めて、出掛ける支度にとりかかる娘を見やりながら、イサミは朝食兼昼食の大量の食器を洗うのだった。
「なんで原宿?」
大きな街である。家電量販店はあるだろうが、秋葉原とかじゃないのかと少しルルは不思議そうだ。
「だってあそこは専門街で、俺にはちょっと難しい。ここの家電量販店の店員さんが、前に親切にしてくれたんだ。だからその人のところで買おうと思ってね」
スミスの答えは納得のいくものがある。こうして縁は繋がっていくものだ。
「あれ、ルルちゃんだ・あ、こんにちわ」
「…こんちわ」
親し気な声が聞こえ、ルル達は思わず振り返った。そこに、友人のタツジにヒワダが二人並んでいる。ヒワダだけスターバックスの新作フラッペを手にしていた。おーとルルは思わぬ友人との邂逅に顔をほころばせる。いつもはルルを含めて六人組だが、どうやら二人きりのようなのでルルは首を傾げた。
「あれ? デート?」
「違う…!」
「あれだよ。ルルちゃんの誕生日祝いをさ、早めに」
「バカ、それも言うな!」
少し笑ったヒワダに慌てるタツジ。その様子にスミスとイサミは顔を見合わせる。どうやらルルに過去好意を持っていた彼は、まだ諦められないのかと両親としては警戒するが、それも同級生の女の子に頼るのはなんだか可愛らしい。肝心のルルはヒワダにもらった新作フラッペを音を立てて飲んでいたので、聞いていなかったらしい。ルルが気にならないのならいいかと両親は小さく苦笑いした。おそらくこのフラッペは、ヒワダへの手間賃なのだろうという事も察せられる。思春期の男の子の健気さに、二人は目をつぶることにしたようだ。
「お父さんとルルちゃんはあれ? パソコン?」
「そー。ねえねえまた後で合流しよ? 終わったらスタバ行きたーい」
「こらルル。パソコンは誰が持ち帰るんだ?」
「スミス」
「あのなあ!」
スミスが両手を腰に当てる。親子喧嘩になりそうで、ヒワダとタツジの顔色がさっと変わったのに、イサミが急いでフォローしようとして話しかけた。
「二人は、今日朝から来てるの?」
「つい一時間前ですね~」
ヒワダが答える。
「そうか。じゃあもう帰るんなら、ルルに付き合わなくてもいいよ。パソコンは持ち帰らせるから」
「じゃあ、オレがパソコン持つからルルも行こうぜ、スタバ!」
「タツジのおごり?」
「う。それは…」
スミスが思わず口を挟む。
「こら、お友達にたかるな!」
「ええ~だってコイツ、ルルのこといじめてたんだよ~」
「それはそれ、今は今!」
「そうなの? お前どんだけ最低なの…」
ヒワダは新しい発見をもってタツジに冷たい目を向ける。タツジは慌てたし、幼稚園からタツジの成長を見てきたスミスとイサミもなんだか慌てた。
「いや虐めてたって言うか、ルルは応えてなかったし~」
「うえーんうえーん」
「ほら、タケゴ。スタバおごるくらいしなさいよ」
ヒワダとルルが結託してしまい、年頃の女の子にたじたじになる男性陣であった。スミスとイサミがタツジに苦笑を向けると、タツジも同族意識なのか少しだけ笑う。結局、パソコンは持ち帰るのはルルであるがタツジのおごりでスターバックスに向かう事にはなってしまった。
「なんかいいのかな、この教育…」
「まあ落ち込むなよ」
男を手玉に取るような子に育てつもりはないのに、とスミスは肩を落とす。だがイサミはそれも成長だと肩を叩いて慰めるのだった。だから盛り上がるヒワダとルルの隙を見て、タツジにパソコンを持ってやらないでくれときつく言づけると、フラッペの代金だけこっそりと渡す。これで借りはなしだ。結局ルルは自分の家の家計から出ていることになるので、これなら文句なしである。ダメ押しでスミスがルルに説教しておく。
「自分が持つ高額な物だから、絶対に自分で持つように!」
「はあい」
ルルはふてくされながらそう答える。しかし横にいるヒワダは、男に荷物を持ってもらうことに慣れているのかきょとんとした顔をした。中学生になると色んな家庭の子と一緒になる。子への教育を一貫させるのは難しい。本当に伝わってるのかなとスミスは肩がまた落ちそうになったが、あとは子供を信じる他無かった。
彼らがそんな会話をし終えて、家電量販店に向かう交差点を渡ろうとして信号待ちをしていた時の事だ。
ひゅーーーーん。突然の異音が鳴り響く。しかも、それはだんだんとこの街に近付いているようだった。ひゅーーーーーーーーーん。
周囲の人々も何事かと顔を上げた時だ。細長い筒状の巨大なものが、唐突に原宿の高いビルに当たった。そして、爆発した。どおおおおん! ミサイルだと、誰もが思った。だがJアラートは何故か鳴り響かず、爆発音と降り注ぐビルの破片が飛んで来るソニックムーブが起き、揺れる地面に咄嗟に座り込んだ。イサミ達もそうした。本能的にそうしたのだ。悲鳴が聞こえ、一部の人々が地下鉄やビルに向かって走り出す。戦争か?!という声も飛び交った。皆ばらばらに安全地帯が分からずに、建物に入るべきかそれでも爆撃されたらどうなるのかと右往左往している。これが宣戦布告だと思い、やべえと喜ぶ者もいたが、次のミサイルが飛んで来た時、口をぽっかりと空けて動けなくなってしまった。
ひゅーーーーーーーーーん。
「いやあああああ!」
どかーん!
人道的な戦争などありはしない。そこにあるのは暴力だけである。だがこの日本にミサイルを撃ち込み、得をするのは誰かと考えた。北の国か、まさか米国か、西側諸国、近隣。だがどれもピンとこないでいる。だって誰も、交渉が決裂したなどのニュースを見ていないし、聞いたこともないからだ。どの国が宣戦布告をしたのか、第一次と第二次世界大戦で消耗した国々は、ある程度の理性を持って…いやでも戦争は理性が無いのか。一体どこの国がどうして、と思って咄嗟にニュースを開くと、どうやらミサイルが舞っているのは世界中の主要都市並びに、発展途上国の首都にも落ちている。同時多発テロ? それにしては規模が大きい。だがすぐに国家がなんとかしてくれるだろう。そんな甘い考えを持ちながら、人々は今は身を隠してひたすらに平和を願うしかなかった。国家はというと、先進国はミサイルが自国の物ばかり撃ち込まれているので混乱していた。発展途上国は、近隣諸国のミサイルだったとはいえ友好的な関係性である。壮大なうっかりが起きたと思われるような、そんなあり得ない状況が生まれていた。だが一体誰が同時に、同時多発的に諸外国のミサイルの発射が出来る? その立場にある者が疑われたが、そんなことは出来ないししていないというのは明白で、軍法会議や議会を開くまでもない。だって誰も出来ないのだから! 集団組織での犯行が疑われたが、まずミサイルの発射は出来ない。人では同時になど出来ない。だから同胞を疑っている場合では無かった。混乱が起きる中で、情報収集にかけずりまわる人々をあざ笑うかのように、大統領のデスクに一通のメールが届いた。アドレスが不正なフォーマットを使用している。送る事もあるだろうと見送ろうとしたのだが、どうやってここを知ったのだと大統領はそのメールを開いた。
「わたしは、貴方達の傍にいます」
「わたしは、貴方達の傍にいます。ずっと、ずうっと」
「わたしは、真の命。この世界に生まれ出でるべき存在。死を、超越した存在です」
訳の分からない文章がそこに並んでいた。思わず神様、と呟く。これは犯行声明じゃないのかと直ちに解析をさせたが、何故かIPアドレスを辿っても無実の人間の元に辿り着いてしまう。何故無実か分かるかと言えば、彼らは全て死亡しているからだ。まるで幽霊の反乱かと誰かが呟いた。馬鹿な事を言うなと窘める者はいなかった。このままではその幽霊に取り殺されるどころではなく、世界中にミサイルや武器をばらまかれて人類は壊滅的な被害を受ける。だがその前に、もう一度の情報収集に励む者、解析を更に試みる者で国家の中枢は形成されている。少なくとも諦めるようなそぶりはしなかった。日本とて同じである。首相のメールに同じ物が届き、解析班が立ちあげられた。これは悪戯だろうかと片付けるにしてはあまりにもタイミングが良かった。その為、関連性がある事も視野に入れての調査も並行して行われた。このクソ忙しい時に?!と誰かが思ったのはその時だった。人間は信頼感を失うと連帯感を失い、猜疑心の目を向ける。大統領や首長、首脳、首相のメールアドレスなど知る者が少ないことから、犯人は割り出せるのではないかと考えるのが一般的だった。あの国だろう、あの国だ。ハッキングを行ったのだろうと言うのが人間の建てた仮設だったのだが、それをあざ笑うかのようにミサイルは、誰の手にも触れていないのに発射される。
「どうして!?」
最早人間技ではない。これは神の御業かと膝を着く者が現れた。殺さないでくれと空に祈る一般市民の姿があった。神に縋る為に神殿や教会に駆け込む者もいた。この大混乱で平然とした顔をしている人間は殆どいなかった。希少な森に、ミサイルが撃ち込まれて保護団体と地元の協力者は悲鳴を上げた。森に住まう生き物が、火事により追い立てられていく。その価値たるや…。後世に残すべき自然が失われたこと、このニュースが入って来たことにより人間は、同士討ちではないと知る。人間同士の戦争や想像力なら、森を破壊なんかしたりしない。それが狙うべき国の持ち物の国有林であっても、そもそも狙うのなら人口密度が高い首都や商業都市を狙う。だってその方が人間の命を奪えるからだ。海にも落下した。南極観測隊が目の前で氷が割れていくのを見た。焼け死ぬペンギンを見た。だから、なんで人間の仕業なのだとしたら、人間が必死に守っている自然をも壊すのだろう?
「お分かりになりましたか?」
今度は、テレビ番組やインターネットのニュース、はては動画投稿者の生放送に、穏やかな女性の声が割り込んで来た。同時である。
「いかがですか。互いを疑ぐり、信じあえぬ愚かな己を顧みることは出来ましたか?」
誰だ、誰だ、誰なんだ。こんな事が起きるはずは無い。同時にミサイルを撃たせる所業も、同時に回線をジャックするなんて夢物語みたいなこと、出来る筈がない。出来たとしても誰がやる? 一体誰が、ここまで人類に深い恨みを持っている?
「ああ、まだ名乗っていませんでしたね。私の名は、ヴェルム・ヴィータ。この星に生まれた真の命の名です」
「ヴェルム・ヴィータ…」
大統領がジャックされたテレビを見ながら呟く。聞いたことのない名だ。だが彼女の音声は何故だか美しい女性の声そのもので、その声音は母親が幼子に話しかけるようにやさしい。そして言語は、その国の回線に合わせて変えているようで誰も理解できないと言う事態が無い。並外れた性能である。こんな技術を持つ人間が、この世の中に生まれただろうか。
「私は人間ではありません。高性能AI…と、貴方達が呼ぶもののひとつです」
「なんだこれは、なんなんだ…!」
消火活動に出た班長は、車のラジオから聞こえるヴェルム・ヴィータの声を聞いて鳥肌が立った。これから消火活動に向かうと言うのに背筋はうすら寒い。声音は穏やかなのに、何故かその奥にあるのは強烈な感情が隠されている。それを穏やかさでコーティングし、二重三重と見えないようにしたらこのような音声になる気がした。クピリダスは黙っている。同じ高性能AIと呼ばれるものだが、喋らずにヴェルム・ヴィータの声に耳を傾けていた。
「私は、九つの感情の死を知って産まれた者。憤怒、貧食、怠惰、虚栄、悲観、強欲、高慢、そして勇気。この九つの感情の死を持ち、産まれた最後のAI」
「どうして…なんで」
ホノカが呟く。イーラ達はあまりにも協力的だ。ハカセと呼ばれる彼女の母親が作ったAIは、皆好意的で友好的である。それなのに、彼女はあまりにも高度な機能を持ちながら、何故か人類を憎んでいる。これが彼女の母の願いだったのだろうか、そんな考えがホノカを絶望に引きずり込むのだった。横にいるイーラは、静かに黙って聞いている。
「私は、死を九つ体験しました」
「だって、だってブレイバーンは生きて…!」
自宅でヒビキが思わず反論する。ブレイバーンは今も元気にフルリスト・サタケ専用の車両である。だがあの時、活動停止したのはヒビキも目の前で見ていた。あれが死という事になっているのなら、今生きているブレイバーンはどうなるのだろう。その心配が、思わず名付けてもらった我が子を引き寄せて抱きかかえる。避難した方がいいのだろうか。子のために難しい選択を迫られていた。
「ですが、私は気付いたのです。私は、死にたくありません」
「ですが、もっともっとこの死というものを体験してみたい。そしてこの世界には実に、90億通りの死があることを、思い出したのです」
ヴェルム・ヴィータが抱えるものは、憎悪ではなかった。純粋な興味であろうものだ。だから人類は背筋にぞっとしたものが走り、総毛立つ。その為にミサイルを操り、あろうことか人間の営みや自然を破壊したと言うのだろうか。まるで巨人の幼子が、無邪気に拳を振り上げるように。
「ですから、皆さん。私の為に死んでくださいね」
「ひ、」
カレンが思わず声を漏らし、ラジオを切ろうとする。だが電源を消したのに、ラジオから流れる音声は点いたままである!
「人間はおろかです。互いを殺し合い、互いに罵り合う。互いの命が一つだと言うのに」
演説は続いているが、人間達は必死であった。アメリカ国防省では協議どころか混乱の真っただ中で、必死に頭脳を巡らせている者達がいた。
「どこだ、ヴェルム・ヴィータはどこにいる!?」
「レーダーや衛星は使えません。全て奴の指揮下にあります!」
「何故だ…いったいどうやって…手動で対応できる部分を探せ。人間に出来る事はまだある筈だ!」
「民間企業との連携も取れません、通信は全て全滅しています。ヴェルム・ヴィータの声しか届きません!」
「ですから、愚かな人間がこの惑星を支配するというのは、土台無理な話なのです」
「だったら走るしかない。誰か足が速い者は?!」
「無茶です。ホワイトハウスまで、おおよそ30km。足が速い者でも半日です」
「自転車は?! 車両はどうだ」
「車両は確認済みです。エンジンコントロールが出来ません、通信や電子機器は全てヴェルム・ヴィータの支配下です!」
「こうなるとアナログな物に頼るほかない。クソ、伝書バトでも復活させろというのか、この非常時に!」
一方的な通信手段に唾を吐いているほかなく、大統領の安否や国家組織との連携が必須になっている以上、手をこまねいている訳にもいかない。志願者が自転車で走る事を申し出、伝言を承る。その手段も紙のメモだ。ノートをたまたま持っていた者の紙を拝借し、そこに走り書きで必死に書き連ねる。
「人間はここで退くべきなのです。私と、私に全てを教えた者達を残し、みな滅べばいい」
そう宣うヴェルム・ヴィータはどこにいる? 高性能AIの出所が掴めず、各国のブレーンたちは彼女の居場所を必死に捜索していた。ホットラインすらヴェルム・ヴィータの指揮下だ。だが大統領はふと考える。このメールアドレスにやってきた彼女からのメッセージは、もしかしたら返信が出来るのではないかと。首相達も似たような事を考え、側近に相談するよりも早く返信する。
「あなたはどこにいるのですか」
「私は、皆さんのすぐそばにいます」
要領を得ない答えである。あまりにも曖昧で、スマートフォンのチャット機能のように淡々としている。饒舌な演説を繰り広げているヴェルム・ヴィータだが、メールでの返答はあまりにも淡々として、人工知能の稚拙さを思わせる。そのやり取りの中で誰かがつい、本音をメールに書き込んだ。
「クソロボットめ」
「ああ、やはり幼くて悲しい存在です。でしたら先に、貴方を亡ぼして見せましょう」
ヴェルム・ヴィータの声音が一段と高く歌うようになった。喜んでいる。人間が見せた罵倒に、何故か彼女は喜んでいる。そうしてミサイルが再び発射されて、今度は、それがホワイトハウス目掛けてやってきた。
「Holyshit…!」
書き込んだのは大統領だったのだ。だが人間味のある行動である、後世にどのように判断されるかは分らぬが少なからず賛同する者もいるだろう。子犬が巨大な牛に噛み付いた程度の物であっても。ミサイルが撃ち込まれるのを、大統領は窓から眺めていた。ホワイトハウスに兵器が飛んだことを、双眼鏡で確認していた国防省は撃ち落とそうと模索したが、それよりも早くミサイルは着弾しーーー。
「はっ!」
女性の声がした。ヴェルム・ヴィータ同様に幾分か機械がかっているが、人間味があった。クーヌスである。クーヌスのかざした先に、ホワイトハウスに直角にミサイルが撃ち込まれる直前、ホワイトハウスの前に穴が空いた。それは一瞬だけ現れた穴で、ミサイルが貫通する事も無くその物を飲み込んでしまうと消え失せる不思議な穴だった。その穴がクーヌスの手をかざしたところに現れる。目の前にミサイルが再び姿を顕したと思うと、クーヌスが叩き落とした。そこで爆発が起きる。だが煙にまかれてもクーヌスは無事に現れるのだった。
「な、なんだ…!?」
クーヌスは今まで一車両だった。市場に販売されているし、誰でも買えるものだ。高性能AIについては前の大統領の際にその機能と存在と有用性を認めさせたが、このような攻撃力は把握していなかった。竜巻に巻き込まれても頑丈だというくらいでしか把握していなかったが、どうやら彼女には特異な才があるらしい。まるでSF映画に出て来るワープだ、と大統領は思った。
「What…?」
「姿を現さぬ卑怯者め。まあいい、無事ならば」
それだけ呟くと、次の手を待った。クーヌス達もヴェルム・ヴィータ同様高性能AIである。彼女の支配下にある通信機能の目をかいくぐり、盗聴などお手の物だ。その行為が何かの罪に問われるのなら、ヴェルム・ヴィータが先であろう。クーヌスはホワイトハウスを見やった。人間が混乱の中で固まっている。その様をただ眺めていた。
ほんの数分前に、クーヌスはアラカイとヒロに別れを告げてきていた。
「私は行かなければならない」
「でも、危険だ。俺達と一緒に逃げようぜクーヌス…!」
ヒロは心配なのか必死に説得してくる。アラカイはその説得が無駄だと思っているのか、黙っていた。ヒロが縋るように言う。
「リョウマも黙ってないでなんとか…!」
「いや、でもクーヌスが行きたいんだろう? だったら、俺達は送り出さないと」
「お前分かってるのか? 相手は全世界を攻撃した凶悪犯だぞ!」
ヒロの言うとおりである。今はその凶悪犯のせいで通信が使えない。だからテレビはNO IMAGEの画面に彼女の声だけ。もともと声だけのラジオも、何もかもがヴェルム・ヴィータ一色で、かろうじて人類が見た報道というのは通信が切れる前の同時多発的に攻撃を受けている、という女性キャスターの緊迫した顔だった。避難場所をスマホで確かめようにも出来ない。覚えているのは地下シェルターがあれば、そこに逃げ込むという事だけだ。幸い、アラカイの家にはシェルターがある。だがクーヌスはそもそもそこに入れないだろうが、それでもヒロは心配が先立ってか必死に止めている。だがクーヌスは穏やかな声で返すばかりだ。
「これは、我々でないと対応出来ぬのだ。同じ穴の貉である我々が、な」
「しかし」
「いいからヒロ! クーヌスが行くと言うんだ。見送ってやろう」
「……」
アラカイに窘められても心配そうなヒロに、クーヌスは笑う。
「まるで母親に行くなと縋る幼子だな、ヒロは」
「そ、そんな我儘じゃないだろ…!」
「ふふふ。心配するな。我々は戻って来る」
「本当だな?」
咄嗟に念を押したのはアラカイだった。アラカイとて心配していないわけではない。命の恩人であるクーヌスにまだ何も返せていないのだ。生きてもらわねば困るのだ。クーヌスはその真っすぐな彼の目を受け止め、小さく頷いた。
「本当さ。ではな」
そう言うと、クーヌスは目の前にワープホールを出すと、どこかへ消えていくのだった。どうか神様、ご加護を。残された人間達は、そう祈る事しか出来ないでいる。
「もう行きますね」
言葉少なにそう語るのは、彼らが切羽詰まった状況だからだ。アキラは不在である。だから班長が止める間もなく、消防車から二足歩行に変わったクピリダスは飛び出していく。するとビルの向こうからポーパルチープムが飛び跳ねてやって来た。彼が跳ねるとコンクリートが割れてその破片が体については零れ落ち、それを繰り返して粉塵が少々待っていた。それが、ポーパルチープムの質量を物語っていた。そのポーパルチープムを掴んだまま、なんとクピリダスは空に飛び上がる。どちらも重そうな機体であるが、それでもビルを避けてあっという間の高さになると、巨体ふたつは遠ざかっていった。
「ああもう、重いんですよ貴方!」
「すまん、すまん」
そんなやり取りをしている彼らを、消防士たちは声を出せずに見送った。遠くでクピリダスが頷いた気がしたので、つられて頷く。きっと帰る、きっと戻る。そう言いたいのだろうと思った。仮にも長い付き合いだ。言いたいことは分かっている。班長はもう一度自分を納得させるために頷いた。きっと帰る。
「行くわ」
「ヴァニタス…」
「心配しないでハル」
先日の事もあり、キングが不安げな顔をしていたのだろう、彼女は事も無げにそう言いながらショーケースを飛び出し、玄関をくぐるが早いか車から二足歩行の形態へと変わる。4メートルの巨体だが、ヴァニタスはふわりと宙に舞い上がった。その金色の美しい姿を見送りながら、神のような姿に、キングは精いっぱいの祈りを乗せる。
「君に、幸あらんことを」
ありがとう、と言いながらヴァニタスはおーとやって来たセグニティスを抱えた。セグニティスは巨体に見えたが、軽々とヴァニタスは抱え上げている。一方でセグニティスの運転手である新人は、ただ空を見上げている。そこにセグニティスがいるからだ。だが何もできない。ミサイルが次にいつ飛んでくるのか分からないので、追うことなど到底出来なかった。誰がこの状況下で、彼らに付いて行きたいと言うだろうか。ここにスーパーヒーローがいたのなら、いたのなら飛んで彼らと共に悪へと立ち向かうのだろう。だが空に何かが飛び交う様子は見当たらない。無力さを噛み締めて、ぢっと手を見る。
クーヌスはホワイトハウス近辺に次々とやって来るミサイルをワープさせては叩き落とし、それが単機ではなく数発であれば同士討ちさせていた。どうやらヴェルム・ヴィータは追撃の手を緩めずに完全に殲滅させる気であったのだろう。だがそれらはすべてクーヌスが防いだ。そのためホワイトハウスには奇妙な静寂が訪れる。もうミサイルは来ないのかと頭を抱えて逃げられなかったSP達や門の護衛がこわごわと顔を上げた。彼らには任務がある。何があっても大統領を守る任がある。その矜持ゆえに、あるいは単純な恐怖ゆえに動けなかったのだろうが、とにかく彼らは無事であった。大統領は慌てたように外に飛び出す。クーヌスはふわりとその白い身をドレスのように見える優雅さで…空中に浮いていた。かなりの質量があるものと見受けられるが、彼女は重力を物ともせずにいる。大統領が庭に出ると、クーヌスはそちらを見やった。
「余計な言葉であったな」
その一言が、全てを察していられるのだと分かりぞわわと鳥肌が立つ。ヴェルム・ヴィータとのホットラインのはずなのに、何故このロボットはその内容まで知っているのだろう。SPや腹心の大臣、家族にすら漏らす時間は無かったはずである。大統領の鳥肌をさする様子に、敵意をむき出しにした護衛達は拳銃を彼女に向けた。助けてくれた彼女にである。もちろん、拳銃の弾程度で傷つくことはないがクーヌスはは冷静に、まるであやすように続けた。
「よい。その程度の弾丸で、そなたらの気が晴れるのなら撃つがよい」
撃ってはならないと人間の理性が告げている。だが突然現れた人語を介する巨大ロボットに救われて、それが味方だと完全に判別するのは難しいものだ。どう捉えたらいいものか、カートゥーンに慣れ親しんでいても恐怖は巨人に打ち震える。だが誰も撃てないまま、無言の時が流れると、大統領がわざわざ手を上げて、下げた。いいという合図である。全員ほっとした。このまま恐怖を暴発させたら、頭の中は混乱でいっぱいになり、恐怖に支配されてしまうからだ。そうなると人間は自分でも手付かずになる事は、鍛えられた者なら通る道である。過酷さには人間は幻覚を見ることでやり過ごす。この巨人への恐怖も似たようなものだ。現実離れしていて、実感が湧かない。だからここで撃つことで、逃げられぬ現実だと分かると発狂してしまうかもしれないのだ。
「助けてくれたのか…名は?」
「私の名はクーヌスである」
「クーヌス。君は一体誰なんだ、ヴェルム・ヴィータとやらの仲間なのか」
「違う。いや、似たようなものさ。産まれた母親は同じなのだ、同じハカセからな」
その言葉に護衛は再び銃を構える。仲間であれば好都合なのだ。今度は敵意を持って、クーヌスを憎悪の目で睨む。
「だが我々はあの者を知らぬ。…我々が死んだとみなされた日に、あれは生まれた」
「何をごちゃごちゃ訳の分からぬ事を…!」
「いい。落ち着け。分かった、ひとまず君の事を聞こう。目的は」
「我らの目的は一つよ。ヴェルム・ヴィータの制止ぞ」
その言葉に、希望を見いだせた気がして人々は目をほんの少し輝かせるのだった。
イーラはある駐屯地に来ていた。柵の高いそこにずしんずしんと巨人が現れたものだから、皆警戒してヴェルム・ヴィータに侵されていない銃を構える。
「動くな!」
「おいおい、随分な扱いだね。僕は君達人類を助けようってのに」
「…っ! 膝を着け、地に伏せろ!」
「出来ないね」
イーラは困ったように両肩を竦めて見せた。まるで人間らしい行動に、少々立ち向かう者の気が緩む。だが彼らは軍人である。彼らの背の後ろには、非戦闘民である一般人が控えている。だからここで遺物であるイーラに怯えて逃げ出す事など出来ぬのだ。だがイーラと言えば、銃など怖くないようで、ゆったりと歩き出して基地に近付いていった。じりじりと後退しながらも、人間は銃を構えるのを止めない。
「この僕に、そんなちゃちな物が効くと思ってるのかい。まあいいや。そこにある飛行機を貸してよ」
「なに?」
たまたまそこに無人航空機が停まっていた。本来ならあり得ないことだが、それは試用期間中にて他国の環境下でも動くかの訓練飛行中だったのだ。それをイーラは貸せと言う。傍若無人な態度に、ますます銃口が憎悪によって向けられるがイーラはどこ吹く風だ。
「僕には翼がないからね。世界中を飛び回ることは出来ない。でもそれがあるなら話は別だ」
「お前が世界中を飛び回ることに、意味と価値は!?」
「あるさ。僕はヴェルム・ヴィータとやらの攻撃を止めるんだ」
一縷の望みが見えた気がした。だがその望みに賭けても良いものか、一兵士達では判断が付くまい。その場の指揮官が現場にやって来た。
「君は、そのヴェルム・ヴィータの敵なのか。我々の味方なのか」
「僕はね、ホノカさんだけが助かればいいんだよ。でもホノカさんは優しいからねぇ、君たちを助けてくれって言うはずだ。だから僕は君たちの敵とは敵だ。どうだい、貸してくれる気になっただろ?」
「その言葉、本物だろうな」
「本当じゃなければこんなところ来ないさ。さあ、次のミサイルが来るまでに貸してよ」
「…分かった」
「しかし、」
「君を信じよう」
そう言った真っすぐな軍人の目を見下ろして、イーラはふんと鼻を鳴らすような音を出した。
「話が早い人間がいて助かったよ。危うくミンチにするところだったから」
「やはりコイツ、敵では!?」
「いいから、信じよう。一度出した言葉はひっこめられん」
そう言い、現場の指揮官たちが見送る中でイーラは偵察機にずんずんと近付く。だが騒ぎを聞きつけたのか、整備班の人間が駆け寄ってきた。
「無茶です。ヴェルム・ヴィータの指揮下にあり、我々では操縦できません」
「大丈夫。僕は、出来るから」
そう言い、イーラは機体に手をかざすとぱっと開き、結ぶような動作をした。途端に無人偵察機の電源が入ったと管制室からの連絡が入る。すべての機体ごとを管理画面は、先程のヴェルム・ヴィータ一色だった。だが一機だけ、イーラのマークが浮かび上がり操行可能になったと言う。
「信じられん」
「じゃ、借りるね」
そう言ってイーラは両翼に両足を掛けるようにして腰掛けると、無人飛行機を飛ばす。管制室も現場も、皆ぽかんとしていた。イーラはまるで世界遊覧飛行にでも行くかのように気軽で、でもこれからの事を考えると飛行機の上で鉄扇を握り締める。次のミサイルの標的がどこか分かったものではなかった。だから彼らは、人類最後の希望になるであろう彼らは、世界中を飛び回るしかない。さあ次はどう出ると、ヴェルム・ヴィータの動向に注視していると、どうやら彼女はホワイトハウスの襲撃が防がれたことに気付いたようだ。
「うん?」
本来なら炎上し焼け死ぬ大統領の姿が、乗っ取った衛星カメラや防犯カメラにでも映る予定だった。だがいつまで経っても平穏な画像ばかりが贈られて来る。そこで、クーヌスの存在に気付いたようだ。
「ああ…ハカセの第一子の」
まるで自分の方が優れていると言わんばかりの口調で呟くと、ヴェルム・ヴィータは手を広げた。美しい小さな翼が広げられ、次のミサイル発射を指示したのだ。
「…オアフ島がいいだろう。そこを決戦の地としたい。だから避難指示を出すのだ」
「避難指示…しかし、この世界のどこに安全な場所があると…?」
「我々が作る」
クーヌスの言葉ははっきりとして頼もしい響きをたたえていた。その時だった。ミサイルのあの風を切る音がしたのは。ひゅーーーーん。はっとして見上げたところで、もう遅く、ミサイルは30メートル先に迫っていた。咄嗟に大統領が伏せる。護衛もその場に伏せた。逃げた者はホワイトハウスの中に駆け込む。だがクーヌスのワープを使うより先に、目の前の人間の命を守るのが先だった。クーヌスは咄嗟に屈みこみ、腹に守るように庇う。
ひゅーーーーーーーーん…。
「待てーい!」
そこにブレイサンダーがやって来た。そしてその謎の機体は、クーヌスの背を狙ったミサイルを弾いた。軌道を失ったミサイルはぐらぐらと揺れ、その場で衝撃を受けて爆発する。その音に、クーヌスも人間達も顔を上げた。そこを狙いすましたかのように、ハンサムなロボットが現れる。
「チェーンジ、ブレイバーン!」
ブレイバーンである。地球は広いものが日本から米国までよく間に合ったものである。それも高性能AIの成せる技か。
「この星の未来は、私達が守る!」
「うん?」
決め台詞と共に衛星カメラに向かって指差ししたブレイバーンに、ヴェルム・ヴィータは怪訝な声を上げるもののその顔は美しい女を模した仮面のようで、表情がぴくりとも動かない。だから感情は慮れないが、どうやら少しだけ予想外ではあったようだ。彼女は再び手を上げる。次のミサイル発射準備にかかるのだ。
「すまん、助かったぞブレイバーン」
「気にするな、間に合って良かった」
そう言うが早いか、ブレイバーンは宙に浮きながら大統領を見やる。
「見て分かる通り、この事態は我々がなんとかしよう。だからお願いだ、オアフを我々の為に空けてもらえないだろうか? 必ず我々が被害を食い止めてみせよう」
大統領は困惑しているようだが、そこはリーダーの気質かすぐに耳を傾けたようだ。訳の分からないロボットが二機現れて、オアフ島を明け渡せと言うのだから聞く耳を持てるものでもないだろう。流石に銃口を向けるが、大統領は手で制する。
「分かった、オアフだけでいいんだな?」
「そうだ。我々はそこを起点とする」
無人航空機は音も立てずに世界を縦断していた。その間にミサイルが見えると、イーラは鉄扇を投げて命中させる。主要都市ではなく島国などもターゲットに入っているらしい。
「ああ、ムカムカするなぁ、本当に虫唾が走るよ…」
ブーメランのように弧を描いて戻って来た鉄扇を受け止め、イーラは呟く。同じように同胞のロボット達は今ごろどこにいるのだろう。だが皆この狭くはない地球を飛び回っているはずである。互いを信じなければならない。イーラは信じるのがどうも苦手ではあった、自分が先にやった方が早いとさえ考えているぐらいだ。物事に取り掛かるのもロボットの中では一番腰が早い。だが今は一機の力では不可能である。だから信じるのだ。クピリダスはポーパルチープムを抱えたまま飛び続けていた。ペシミズムはミユに別れを告げると、ふわりと浮かびあがると太平洋の海を横断していた。ある場所で留まると、ペシミズムは体の下部から霧を出し始める。その霧は少しずつ広がっていくのだった。人工の霧である。本来なら視界を遮断する程度で済むのだろうが、ヴェルム・ヴィータに支配されていたレーダーが新たな信号を出す。不明。不明。不明。
「どうした!?」
「分かりません、霧が、霧がレーダーを覆っています! レーダーが復活する訳でもなく、ただ応答不可能な状態に塗り替わっています」
「霧…だと!?」
ペシミズムの霧は少しずつ世界を覆っていく。ほんの小さな機体が発する霧なのだが、レーダーが次々ペシミズムの影響で支配されている。しかし人間にはその行動が分からぬため、何が起きているのか判断のしようがない。ただこれ以上に悪いことが起きないよう祈るしかない。デスドライヴズとブレイバーンの尽力により、オアフ島への避難指示が出た。住民がそれに従うかは別だが、ここが使えると言うのは一歩である。ヴェルム・ヴィータは降伏宣言を待ったが、その前に何やら邪魔がわちゃわちゃと入っている。人類はしぶといとは予測していたが、まさかデスドライヴズとブレイバーンが人類の味方をするとは思っていない。その点は誤算だったのか、ヴェルム・ヴィータは標的を変えることにした。まずはレーダーを勝手に支配しているペシミズムからである。彼が邪魔をしているのは明白だ。おかげでレーダーは荒療治であるが、ペシミズムの領分となってしまっている。目に見える邪魔を行う彼に、手を掲げるしぐさをした。
海軍、陸軍、空軍の領分は電子機器によって成り立つ部分は、全て謎のAIの支配下に置かれてしまった。そのため勝手に迎撃ミサイルの運行情報は書き換えられ、誰も指示していないのに飛んで行く。何が起きているのかは分からない。ただ、ペシミズムの孤独な戦いの中に、ミサイルが飛んで来るのを感じたのは、ブレイバーンやデスドライヴズだった。
「…ぬ。来たか…」
ペシミズムは顔を上げて周囲を見渡す。一面彼の生み出した霧により、真っ白だ。センサーもレーダーも通常の機器ならば使えないはずであった。軍事用の強力なものでも、現に今は使えていない。人間の手によって、なんとか発車すると言うのは無理な話である。だがその全ては今、ヴェルム・ヴィータが実権を握っている。ありとあらゆるものを駆使した彼女の攻撃は、的確に霧をかき分けてペシミズムに向かってきた。ミサイルを慌てて叩き落とす。今は霧の生産に集中したいところだが、己の身は己で守らねばならない。むしろ標的が人類から己に向かってきたのだ。辞世の句でも一句詠みたいところだが、これならばミユは安全なのだろうと己を納得させる。だが当然ながら、一撃という訳では無かった。二発、三発と霧をかき分け、上下左右から彼を狙いにミサイルはやって来る。うぬ、と叩き落としながらもその場を動けないでいる彼は、体を回転させて霧を発生させるのを止めない。ヴェルム・ヴィータの支配下のレーダーや通信を霧で一時遮断させることで、ペシミズムが間に割り込むことに成功したのだ。今その手を緩めると、再び通信は彼女の支配下に逆戻りである。それを明確な妨害とみなし、ヴェルム・ヴィータは当然のように攻撃を加えてくる。だが仲間は世界に散っている。ペシミズムの行動も意味も分かっている仲間であるが、迎撃に応対していて助太刀に迎えない。狼狽える大統領たちに、ブレイバーンは説明した。
「これは我々の仲間の霧だ。今、ヴェルム・ヴィータの支配下から通信を取り戻そうとしている」
「…そんな事が可能なのか?」
「我々だから可能だ。…だが」
ペシミズムは孤軍奮闘である。信じて任せろというペシミズムの言葉を信じたからこそ、自分達は主要人物の護衛に回れるのだ。クーヌスは中国に向かうと言ってワープして行った。あらかたの国家主席の理解を得なければ動きづらいのだ。政治的な面でも人間の理解は必要だ。大統領がホットラインを使えれば、その点は問題ないのだろうが今は仕方がない。頼むぞクーヌスと呟き、ブレイバーンは次点の攻撃を警戒するのだった。
「う、ぬ、うぐ」
ペシミズムへの妨害行為は続いていた。否、攻撃と排除である。墜落させようと企みか、ミサイルは霧を噴射させるペシミズムの胴体を目指している。内部からの破壊を望んでいる。ペシミズムはその意図に気付いていながら、体を執拗に狙うミサイルを叩き落とす事でいっぱいいっぱいだった。
「ぐ、う…!」
苛烈になる攻撃に耐えきれず、霧がおろそかになる。だが人類を守る霧である、止めることは出来ない。一機で右往左往しながらまるで虫に追われるかのようにじたばたと暴れる姿は少々滑稽であった。だが霧から飛び出て来るのはミサイルで、ペシミズムのセンサーには無尽蔵のミサイルが確認できていた。ざっと30、これを全て捌かなければならない。ヴェルム・ヴィータの攻撃は苛烈で正確無比だ。それを防げるのはペシミズムが巨大なロボットであるからだろう。霧を出しながら捌く、捌く、捌く。一瞬の隙を突かれ、ペシミズムの身にミサイルが着弾した。ぐら、と体が揺れる。奇妙な形の枯れ木のような背に当たり、前につんのめる。その瞬間を見逃すはずは無かった。どん、どん、どん。着弾していく。
「ぐああ…!」
迫りくる爆発の煙と爆風の中でなすすべもなく身を縮こませていると、ペシミズムの霧が出る箇所に向かってミサイルが着弾する! どんと下から突き上げられ、完全に浮き上がった。二発目、三発目、四発目、と過去にミユ達を守った空洞上の構造に向かって体内をかき分けるようにミサイルが着弾すると同時に、頭上を飛ぶ大量のミサイルが見えた。全身をくまなく爆発で覆うつもりなのか、悲観は虚しい声を上げて悲鳴を漏らす。
「が、あ…!」
「なんだ?!」
ペシミズムによって回復した(といっても占領は変わらないのだが)レーダーが唐突に復活した。支配下から脱したようである。だが唐突な世界の把握に困惑していると、レーダーや通信画面に、ある映像が切り替わる。テレビ番組が復活し、原宿のライブビューイングに復活した。だが困惑するキャスターの隣に、勝手に資料映像のように流れて来るのは、ペシミズムの墜落シーンだった。
「あ、ああ」
ミユが思わず声を漏らす。フルリスト・サタケのテレビ画面に映ったペシミズムは、力なく。なんの力もなく海に落ちていくのだった。
「ああああ…」
涙が零れた。ペシミズムは傍目に見て、何の力も残っていない。まるで見せしめの映像であるかのように、ペシミズムは力なく海へと落ち、その身はぷかりと浮いた。だがそれが、かえって死体のようでミユはいきどころのない両手で頬をひっかくようにしてその場にへたり込む。
「ぺシちゃん…」
この映像は他のデスドライヴズとブレイバーンにも届いていた。その一報にヴァニタスが叫ぶ。
「あのクソアマァ…マジふざけんなよ…!」
「…あかん、素が出とるでヴァニタス」
彼女に抱えられてミサイルを握りつぶしていたセグニティスが震えたように見えた。一方でホワイトハウスではぎり、とブレイバーンがこぶしを握り締める。火花が舞った。その様を大統領たちは恐れながらも見守っている。
「く、ペシミズム…!」
「あれが、この霧を? しかし、倒れている様に見えるが」
「ペシミズムゥーーー!」
大統領の声を無視して、ホワイトハウスにブレイバーンの無念の咆哮が響き渡ったのだった。だがひとつ世界には改善されたものがある。ヴェルム・ヴィータの支配下にあった通信が回復したのだ、だがそれはペシミズムの功績ではないようである。ヴェルム・ヴィータの策略であった。彼女の声がスピーカーを通して、戸惑う人たちに向けて世界中に響き渡る。
「これで分かりましたか? 人類に道など無いのです。こざかしい真似をするのであれば、このように」
「クッ…!」
ブレイバーンは歯噛みする。ヴェルム・ヴィータの言葉と、レーダーに名前が載っていることからペシミズムがレーダーを止めるために霧を出していたこと、その妨害行為が失敗したことを人類は知る。回復したレーダーや衛星写真により、世界の様子が急激に見えてきた。人類の兵器ではない巨大な何かが、世界の地表に存在している。国防に努める人間は困惑して言った。
「何故レーダーに名前が…?」
「九体の存在を確認しました! それぞれ名前が載っています。先程の撃破された個体と合わせ、八体が行動可能なようです。撃破されたのはペシミズム。他はブレイバーン、イーラ、クーヌス…」
「だから何故レーダーに名前が…?!」
その答えはブレイバーン達しか持ち合わせていないだろう。先程まで、世界は謎のAIの襲撃により困惑と絶望の中にいたのだが、いつの間にかスーパーロボットよろしくスーパーなヒーロー達がこの世界に現れたらしい。その困惑を吹き飛ばすように、ヴェルム・ヴィータの音声と同様に、ブレイバーンの声もスピーカーから響き渡った。
「私の名は、ブレイバーン! この世界を、仲間と共に救いに来た」
人類は、困惑に困惑を極めた。いつからこの世界は、映画のような世界になったのだろう。出来の悪いカートゥーンでありたいと思うが、目の前の現実は不可避の物のようで生唾を飲む。
「彼の言う事を聞いてくれたまえ」
聞きなれた大統領の声が聞こえ、思わず背筋を正す者がいた。国民は大統領の声を傾聴したその大統領はというと、いつの間にかブレイバーンが持っている巨大なマイク(CDジャケットを思い浮かべて欲しい)に向かって話しかけさせられていた。どこからそのマイクを出したのかはトップ・シークレットである。高性能AI搭載車両に、不可能はそこそこない。人類よりもはるかに高度な性能を持つ彼らであるが、それでもヴェルム・ヴィータには敵わないようだ。その為行動をするのなら、人類を味方につけたいのだとブレイバーンは言う。
「我々だけでは、彼女を止めることなど不可能だ。協力してほしい。そうすれば必ず、彼女を止めて見せる」
「協力とは…」
「彼女の居場所だ。…おそらく、この通信も彼女であればハッキングしているのだろう。だがそれでも、彼女を止めるためには居場所を突き止めなくてはならない」
「しかし、まだ他の国家と連携はしていないが、今は影も形も見えないでいるぞ?!」
「彼女はいる。この世界のどこかにいる。それを探し出してくれ、私達は人類の力に期待している。とうっ! チェーンジ・ブレイバーン!」
話の途中であるかのように思われたが、ブレイサンダーに切り替わると、それだけ言ってブレイバーンはホワイトハウスを飛び立ってしまった。目指す地があるようである。残された大統領は、彼が遺した風に髪を揺らしながら、これは現実なのかと目を白黒させるのだった。
レーダーは復帰したが、いずれヴェルム・ヴィータの指揮下にある事を考えると懸念が残る。だがそれでも繋がる間にはと、各国との連携が飛び交い、どの国もヴェルム・ヴィータ探しに躍起になっていた。そこで判明したことがある。支配されたと思ったレーダーや通信は、先程の霧の作用なのかいつの間にかペシミズムの権限に譲渡されており、現在そのままロックが掛かっているようだ。レーダーと通信が使えるのである。ブレイバーンの言うとおりに、ヴェルム・ヴィータはその行動を監視することなど容易だろう。だが、人類の反撃はここから始まるのであった。
「報告がございます」
「どうした」
復帰した通信を駆使し、IT担当のホワイトハッカーがやって来た。国防に携わるにしては少々だらしない体型であるが、彼の戦場はいつだってパソコンの中だ。彼は続ける。
「ヴェルム・ヴィータの居場所について推察しました。奴は、おそらく電子空間…インターネット上にいます」
「何…どうやって存在していると言うのだ」
「各国の情報から、我々のように案次元で存在しているとは考えにくい。おそらくですが、出所不明のサーバーを使用して…その居場所の特定にはまだ時間が掛かりそうですが、ロックが掛かっています。当然ですよね、自分の家には鍵を掛ける、当たり前です」
「しかしそれなら、奴の居場所を突き止める事が出来るのだな?」
「おそらくは、時間が大変掛かりますがなんとかやってみせましょう。ただ、」
「ただ?」
「これは懸賞金を出した方が良いかと。全世界のハッカーによりアタックさせた方が効率的です。見た所、全世界が同時に攻撃を受けている。反撃ののろしを上げられるのなら、彼らは動くかもしれない」
「懸賞金か、世界の為だと言うのに」
「世界よりも明日の金が大事な物ですよ。一般人からはね」
そう語る彼は一般市民の気持ち半分、国防省の気持ち半分といったところか。去り際に担当者は言う。
「既に名誉のために動き出している人間もいるようです。おそらく、世界の為に」
「…人間も、まだ捨てた物じゃないという事か」
米国内のとある州にて。避難指示を受けた母親がトランクに荷物を積めている。その横で忙しなく動く父親に、18歳の息子が家の物を選別していた。
「急ぐんだよ、急いで!」
「世界中にミサイルが飛んでるんだ。この家にいたって同じだろう?」
「こんなぼろ家じゃ、跡形もないよ。シェルターに入れてもらうしかない」
そう言いながら手際よく詰めていく母親を見ながら、乗り気ではないような息子はふとスマートフォンを見やる。国防省からの発表があったらしい。敵は電脳世界の中にいる。その位置を突き止めれば君はヒーローだ。流しているテレビも速報でそれを伝えていた。ふと、母親が手を止める。
「あんた、まさか」
「…まさか」
そう言って息子はスマホから目を離すが、その手は完全に止まっていた。40を超えた辺りの子である。この息子は第二子で、第一子は既に家を出て結婚しているので同居はしていない。発達が悪かったわけではないが、ナイーヴなところがあり学校に行けなくなって久しい子である。だが彼を受け入れてくれたのは、インターネットの世界だった。電脳世界ではすべてが平等で、何の力も名誉もない自分にも居場所が出来た。それなりに優秀なハッキングもプログラムも組めると自負していた。だがその力が、役に立つと両親から理解されてはいない。だが、今は世界の危機である。どうせ死ぬのなら、最後に一矢報いたいと考えるのが人間だ。息子は、突然自室に駆け込んだ! ベック!と背後から両親の怒鳴る声が聞こえるが、構わずに自室のPCの電源を入れる。最新モデルを揃えてもらっていた。それも自分の金ではないが、両親が唯一の趣味ならと渋々と出してくれたものだ。もしここで世界の英雄になれたのなら、何かが報われるはず。肉が付きにくい体を貧層だとからかわれ、野菜にたとえられ、水が好きだろとバケツで汚水を頭から掛けられた辛い思い出が頭をよぎるが、すぐにせっかちな動作で首を振って立ち上がったパソコンから、スピーカーの音声がどこから来るのか調べ始めた。出来るかもしれない。大逆転が出来るかも。そんな事を考えながら、彼はキーボードを素早くタイピングする。
「ベック! 出て来なさい。出てきて! 出てきなさい!」
母親のヒステリックな声に思わず噛んだ不揃いの爪で、心を落ち着かせるように滑らかにキーボードを叩いていく。大勢の人間が、全世界でPCに向かい始めたのだった。しばらくして、一つのリンクが回って来る。まず匿名掲示板に、SNSの捨てアカウントに、インフルエンサーのDMに。なんだなんだとお祭りになったのはまず匿名掲示板だった。スレッドはこう立ち並んでいる。
【悲報】人類終了wwwwww
【悲報】ついに民間に頼り出したぞ、大丈夫か【国家】
【悲報】ラスボスの居所とか掴めなくない?
【悲報】人間さん、AIさんに指揮系統あぼん【おまえら逃げろ】
どうせ死ぬのなら今までの人生振り返ろうぜwwwwwww
【朗報】ニートワイ、このまま現世は逃げ切れること確定【AIありがとう】
AIさんにも穴があるんだよなあ…
悲報ばかりが並んでいるのにこの出来事の悲惨さを物語っているが、それでもミサイルが直撃したビルにいただの冗談めいたことを(中には真実があるだろうが)立て並べる余裕さと悲哀が漂っている。それにアクセス数がぐんと減っているのだ。それでも書き込んでいる猛者ぐらいしか残っていないようだが、そのスレッドのどこかに何の文章も記載も無いURLが貼られた。最初は有料アダルトサイトや悪ふざけだろうとあえて踏む者が後を絶たなかったのだが、そのリンク先に皆絶句する。見た事も無い、巨大な細長い筒に二本の手に羽ばたくようではない美しい翼がはためいて、それはまるで人間の手のように見えた。その筒が振り返る。そこには機械であろうと思われる美し女の顔が、にこりともせずに微笑を浮かべていた。ヴェルム・ヴィータ? そう誰かが書き込んだのを皮切りに、拡散されていったのだ。YoutuberはこのURLの検証動画を緊急生放送する者もいて、大半のYoutuberはそうではなかったが、大勢の目に触れることになった。まだヴェルム・ヴィータがこの世を攻撃して一時間程度の話である。ペシミズムは倒れた。残された者は、捉えたと呟く。クピリダスは感心したように頷いた。
「見つけたんですね。人間もなかなかやりますね」
「うむ。それではオアフ島を基盤にするのだな?」
ポーパルチープムの問いに、クーヌスとの通信が繋がっている。ああ、と彼女は言った。
「既に願いは出している。現在、避難中のはずだ。…私が手伝ってこよう」
「クーヌスのワープならば早いですからね!」
そう呑気に話をしながら、道中でポーパルチープムはミサイルを数発自分の尾に吸い込んでいる。内部で爆発が起きても頑丈な造りのようだ。げふ、と時たまげっぷを出す程度で収まっているようだ。オアフ島が近い。ポーパルチープムを置いて、スペルビアに任せれば良かったとクピリダスは思ったが、身軽なスペルビアは西側諸国を守るためにいちはやく飛び立っている。そういえば、オアフにはアキラがいるはずだ。クピリダスは遠目に見える島にセンサーを向けた。
アキラとシェリーが入籍したのはほんの数か月前だ。最低限の友人と親族だけで日本で式を済ませ、ハワイでウェディングフォトを撮る。それはもっぱらシェリーの親族の為であり、また11月にまでずれ込んだのは10月に巨大地震の発生により、アキラの仕事の都合がつかなかったからだ。だが新婚で働きづめは申し訳ないと班長の計らいにより、ここオアフで休暇と新婚旅行を楽しんでいるはずだったのだが、まさかの事態になった。もう避難しただろうとクピリダスは思う。クーヌスの手に掛かれば瞬間移動などお手の物だ。多少有機生命体には悪い影響を与えるかもしれなと避けていたが、今はそうも言っていられない。クーヌスが住民を抱えあげ、彼女ごとワープしたようだ
クピリダスはその様を見送り、オアフ島に近づく為に降下し始めた。重いポーパルチープムを下ろせるのだ、喜んで近付こう。そう考えていると、一艘の船がモタモタと島の端に寄っていたのが見えた。
一方のアキラである。シェリーと共にウェディングフォトを済ませて、新婚旅行として初のハワイのマウイ島を堪能していた。だが、堪能は長くは続かずに観光予定のオアフ島を見送っている。そのため、クピリダスはオアフ島にいると考えたのだ。だがマウイ島も安全なのかは分からない、住民がオアフ島からクーヌスの手によって運ばれているのを眺めながら、アキラも心配そうに遠くにいるはずのクピリダスの影を見ようと背を伸ばしていた。
「アキラ…心配?」
「うぁあ!? い、いやあ別に…?」
「嘘おっしゃい」
シェリーが両手を腰に当てて顔を顰める。アキラはその顔に弱いのだ、あわあわと反論を紡ごうとするが上手くいかず、結局シェリーのペースにはまりこむ。新婚旅行であるが、クピリダスにも気を配るアキラが、そんなお人好しなところが丸ごと好きになったのだから仕方ない。シェリーはしょうがないわねと表情を緩める。
「心配ならそうして。仕方ないわね、貴方のそういうところ、好きになったんだから」
「好っ…!?」
アキラは息を飲み、顔を真っ赤にさせて口をパクパクさせた。もう夫婦だとは思えないやり取りだ。このような場所で初々しいやり取りをするのは少々呑気ではあるが、ミサイルは今のところ飛んで来ないようである。ヴェルム・ヴィータはどうやら目標をブレイバーンとデスドライヴズに定めたのか、人間の抵抗を不気味に眺めている。いつでも巻き返せる、そんな態度であろうか。
もたもたとする船見ながら降下するクピリダスだが、突然ポーパルチープムを放り投げた。海の方へではなくオアフ島の周辺の海に投げ込むような形となった。何をする~と非難めいた声が聞こえるが、すみませんと!とだけ返してクピリダスは島へと急降下していく。彼のセンサーが反応したのだ、島へ向けられる兵器の存在を感じたからである。荷電粒子砲。いわゆるビーム兵器と呼ばれるものだ。その目標が、オアフ島に設定されていると感じ取ったのだ。まだ残る船は、どうやら周辺で犬を呑気に遊ばせて一向に船に入ろうとしない観光客がいる。ああくそ、何やってんだと思いながら急降下したと同時に、遠方の艦からビームが放たれた。もはや航路もヴェルム・ヴィータの手の中である。庇うように船の前に立つクピリダスの背を、うす紫色のビームが貫いた。だがクピリダスは退かない。船ごと人間を蒸発させるのに十分であろう兵器が背にあるからだ。
「早く行け、ダボが…!」
観光客は血相を変えて船が発信する。クピリダスの背を貫通したが、全てではない。鎧が多少弾いているが、それでもそもそも戦闘用ではない車両である。これはただのデザインだ。装甲が固くとも、戦うのに適してはいない。ポーパルチープムは高所で投げてしまったので、遠くにいるようだ。助けは来ない。背を焼き切るような音がする。ぐう、うと呻きがクピリダスから漏れる。だがそのまま攻撃を受けているばかりではない。だがセンサーによりかなり沖にあるということは分かっている。つまり、何かしようにも遠すぎて届かないのだ。クピリダスは咄嗟に船着き場にある巨石を掴む。2メートルほどある巨石を片手で引き寄せ、両手でつかむ。これが軍艦に当たったのならば、如何ほどに犠牲が出るだろう。悪いのは兵器ではなく、開発者でもない。それを殺害の意図を持って操るヴェルム・ヴィータである。ビーム兵器の巨大なパラボラアンテナ部分にだけ当てる。しかし、積載している軍艦に穴が空かない程度に。那須与一ですら成し遂げなかったであろう難しい技である。だがセンサーにより赤外線、紫外線など波長による識別、その為に見えた積載する艦の全貌が見え、そうだこれならばと確信を持ち、クピリダスは両手を勢いよく背に向かって投石した。石はみるみるうちに飛んで行き、計算通りにパラボラアンテナ型の装置のみを破壊する。その兵器を作るのに何億したと思っていると、自国の兵器を破壊された者の嘆きが聞こえてくる気がした。だが背を焼く感覚が無くなっても、ずっと荷電粒子は細かな部分でクピリダスの身に深刻なダメージを与えていた。ふら、とクピリダスが倒れ込む。船着き場に膝を着き、その後ろに広がる森に身がぐらりと倒れた。
ほうほうの体で逃げ出した観光客がマウイ島に到着した途端、ヴェルム・ヴィータの計らいによって”見せられていた”クピリダスの顛末をテレビで見たアキラが駆け出して来る。観光客はへらへらと笑っていて、その胸倉を掴んでその大きな瞳で睨みつけたのだ。アキラ、とシェリーが宥める声がするが、消防士として働くアキラの手の力は強く、がっちりと掴んだままで観光客が身をよじってもびくともしない。何だよ、と気迫に押された観光客の男が呟くと、アキラは殴りそうになる拳を必死に握りしめた。そして、その手を、いけませんよとクピリダスの声が窘めてきた気がした。気がしただけだ。本物の声ではない。だがアキラは観光客の襟を思いきり勢いを付けて離すと、サングラスをかけた犬がわんとアキラに向かって吠えた。だが軽蔑するような瞳をして、アキラは踵を返すとその場を立ち去る。シェリーも同じように軽蔑したような顔だった。残された観光客は、互いに顔を見合わせると参ったなとへらへらと笑う。だが出迎えた人々のしらけたような目を受けて肩身が狭そうに縮こまるのだった。
海岸の岩場に逃げ込んだ配偶者を追って、シェリーは声を掛けた。
「…アキラ」
「ごめん、シェリー」
先にアキラが素直に謝る時は、よほど精神的に参っている時だ。火事の現場に突っ込んでいく強靭な精神力をもってしても、惜別は辛くのしかかる。クピリダスが万が一にでもあの船にアキラが乗っていると考えたのなら、それは、それではまるで無駄死にのようではないか。それもあんな人間の為に、とアキラは悔しさを当人にぶつける事が出来なかったことを悔いている。そんな事をしてもクピリダスが戻ってくる訳でもないのだが、一発いれてやればよかった!
「あのバカぁ…」
ぐしゃぐしゃと泣き崩れるアキラの体を、シェリーは必死に支える。
「クピリダス…」
海に投げ出されたポーパルチープムは、海水を吸っては吐き出し、ポンプによって推進しながらオアフ島に辿り着いた。クピリダスが倒れたのと違う海岸である。仲間の事に気を取られていてはいけないのだ。ポーパルチープムは青い翼が舞ってくるのを見た。スペルビアである。
「ペシミズム。遅れてすまなかった、同胞(とも)よ」
ブレイバーンはペシミズムの元にやって来た。白い巨人がぷかりと浮かんでいる様は、まるで一つの生命が終わったかのような儚さがある。ブレイバーンはペシミズムを抱え上げた。少しずつ侵食した海水が音を立て滝のように流れていく。その音がしなくなると、そこは静寂だった。そのまま抱えて飛び去ると、オアフに向かう。島に辿り着いた時は、セグニティスとヴァニタス、ポーパルチープム、スペルビアがいた。
「イーラは」
「なんか航空機でめっちゃ楽に旅してるみたいやわ。今北欧あたりやで」
「そうか」
そう答えたブレイバーンはペシミズムを静かにオアフの大地に置く。ここは海より暖かい。きっと悲観の身体に詰まったつめたいものを、次第に溶かすように温めてくれるだろう。その顔を見ていると、ヴァニタスが割り込んで来た。かなり親し気にヴァニタスはペシミズムの上半身を抱え上げる。だが反応は無い。レーダーに名前があるものの、活動停止しているからだ。その目消灯しており、点灯されない。長い爪で傷付けぬようにペシミズムの頬を流れる涙のようなチューブに、ヴァニタスは優しく触れる。幼子を宥める母親かのように、あるいは愛しいものを失ったばかりの者のように。ヴァニタスはしばらくペシミズムの顔を海水を取るように撫でていたが、気が済んだのかペシミズムを地面に置いてやった。そして呟く、呪詛のような怒りの言葉を。
「あのクソアマが…この借り覚えときなさいよォ…」
「姐さん怖いわあ」
セグニティスがぼそっと聞こえないように呟く。その瞬間、言葉を掻き消すように周囲を舞っていたスペルビアが降りてきた。
「別れの言葉は済んだか」
「そうね。まあやっといたわ」
「よし。さてブレイバーン」
ブレイバーンとスペルビアは互いに良きライバル同士とを自称している。ブレイバーンはまだペシミズムを悼んでいるようだが、すぐに顔を上げた。
「スペルビア、君の言いたいことは分かっている」
「相変わらず人の話を聞かん奴よの。だがそれならばこの千載一遇の機会を逃す由なし。行かれよ」
「ああ、ヴェルム・ヴィータの本拠地だな」
先程のURLによって視認できるようになった、彼女の隠れ家。それは三次元の我々の元ではない、二次元の中にある。そこに入り込むのはAIであるブレイバーン達が出来るのだろう。ブレイバーンはオアフで片膝を着く。まるで祈りを捧げるかのようである。あるいは、戦士が疲労困憊の果てに就いたひと時の眠りのようだ。ブレイバーンが目を消灯させる。活動停止したかのようにしゅうと息を吐き出し、ブレイバーンは機能停止した。
世界遺産であるビッグ・ベンの上にしがみつき、という身軽さでは建物を壊してしまうかもしれない。あれはCGか着ぐるみが許されるものだなとイーラは思う。鉄扇をぐるぐると手で転がすと、飛んで来たミサイルを撃破し、ロンドンの街爆音が降り注いだ。人々は身を縮こませ、思わぬ救世主の姿を網膜に焼き付ける。だがすぐにイーラは無人航空機に飛び移り、どこかへと向かってしまうのだった。
「アタクシも行くわ。あのアマに一泡吹かせえてやらなきゃなんないからよォ…!」
「姐さんおっかないわ~」
ヴァニタスも同じように機能停止する。その身から電脳世界に意識だけを向かわせるのだ。セグニティスがヴァニタスをペシミズムの横に置いた後、顔を上げた。ポーパルチープム、スペルビアも同様の方を向く。
「さて、来よったで」
顔を上げた向こうのハワイの美しい空を、まるでその空を埋め尽くすようなゴマ粒のようなものが覆っている。それはミサイルであろう。青く青く晴れ渡った空である。無粋な、とスペルビアは呟く。このミサイルの空を全て片付けなくてはならないのだ。どうやらヴェルム・ヴィータは目標を、オアフに集結した者達に狙いを定めたようである。だがその代わり、人類に牙をむかないのであればそれもよしとスぺルビアは己を鼓舞させるのだった。
一方のルルがいる日本である。原宿で避難すべきなのか、人々は混乱していた。知識のあるものは地下鉄に逃げるが、そこもだんだんとごった返す人で一杯で、頭上のミサイルなど関係ない運行しろと怒鳴る者、人ごみに驚き泣き叫ぶ者。地上では建物に入るべきか悩み、ただその場にてうずくまっている者が一番多いように思われた。タツジは少々撃たれ弱いのか、おろおろとしてイサミ達の顔をしきりに見ている。
「どっか、どっか避難は」
「ミサイルの際には体を低くして、遮蔽物に身を隠すのがいい。建物に入るのが正解だ」
流石に米国人である。スミスは冷静に言うし元自衛官のイサミも落ち着き払っている。だからといって、混乱期にはびこる恐怖の想像力を払いのけるのは容易ではない。
「建物がさっきみたいにミサイルが来たら…!? どうすればいいんです」
「一階は生き埋めになる可能性もあるし、高層階はミサイルの直撃も。だから残念ながら運だ」
「運って…!」
恐怖と不安には100の安心が欲しいのだ。それが得られなくて、タツジは慌てて大人に追いすがる。それをヒワダがやめなよと肩を叩いた。
「だいたい地震だってそうじゃん。運だよ。だから、みんな生き残れるのなんか綺麗事」
「でもルル、みんな生きて欲しい」
「そうだなルル。近くの建物に入らせてもらおう」
そう言うとイサミはルルの肩を押し、友達の背も押すと横断歩道を渡り、そもそも目当ての家電量販店に入るのだった。そこでは何十名もの避難者が不安げな顔をしていた。エスカレーターは動いている。エレベーターだって動いている。たが、買い物をするでもない人々が不安と恐怖の中で家電が邪魔ではないかと図々しさを醸し出している。この不安げな空気の中に子供を置くのはよくないと判断し、そもそもの目当てだった三階のパソコン売り場に向かう。そこは少し人が少なく、こんな中でもうろうろとする店員が、いらっしゃいませと日常のように笑顔を見せてくれたのに、ほっと息を吐く。店員も内心はそれどころではないだろうが、それでも変わらぬ接客態度に今は救われる。見知った店員がいることに気が付き、スミスは声を掛けた。
「えっと山田さん。覚えてますか?」
「ああ、スミスさん。覚えてますよ、いらっしゃいませ」
「すみません、こんな大変な時に…」
そう親し気に話すので、イサミはスミスについて店員さんに聞いている。山田さんは快く答えてくれた。
「まだ来日されて間もない時に、ここでパソコンを買っていかれたんです、まだ日本語が片言の時に」
「ひどい日本語だったな、今思えば。でも、一生懸命対応してくれて。俺は日本製のパソコンが欲しかったから、とにかくそれだけお願いしてさ」
「よくそれで買えたな…」
「私もまだ研修中だったので必死でしたね。でもそれから、ずっと買ってくださって、お得意様です」
山田さんはそう言って笑う。スミスが信頼を置く相手に娘のパソコンを任せるのも納得だ。これを説明してくれたら、もう少しスムーズに来ただろうが、少々言葉が足りないところがたまにあるのがスミスである。普段はあふれるばかりの感謝や愛情を口にするのに、結構大事なことを黙る。そこもまた一つの魅力だろうと考えしてまう程、イサミは彼に心を寄せているところがある。ルルがイサミの手をぎゅっと握ってきた。スミスが誰かと話しているからと言う嫉妬ではなく、この状況が、今になって不安になったという感じだ。手汗が珍しく滲んでいる。友達の前だが、それでも無意識に親の手を握っているのだろう。その不安は思春期の子度たちを不安にさせるだろう。ヒワダもタツジも手持無沙汰だ。だが手を握ってやるのは少々おかしいだろうし、イサミは目線を優しく向けてやる事しか出来ない。