「ふん!」
廃材の山に向かって、巨大なドリルが貫く。クピリダスの背から現れたそれに砕け、背からがらがらとコンクリートの山が崩れ去り、土埃だけではないものが立ち込める。今までクピリダスが守っていた中であったのに、唐突に土埃に晒されてアキラ達は噎せた。がらがらがら、と廃材が崩れ去る音の中でクピリダスを見上げる。土埃の中で目をなんとかこじ開けると、クピリダスは悠々と立っていた。その後ろに青空が広がっている。憎らしいほどの青空だ。つい先日結婚したシェリーは無事かなあ、と暢気な願いを空に託す。だが、ぐらりとクピリダスが後ろに下がったのを見て、はっとする。二歩、三歩、下がると顎を上げてぐらっと後ろに倒れるのだった。
「クピリダス!?」
どしん、巨体が倒れ込む。廃材の山から、人間には有害であろう粉塵が舞う。だがアキラは構わず駆け出した。思わず噎せるが、それでも駆け出して、クピリダスの手に辿り着くと必死に揺らす。
「おい、おいってば。おい!」
クピリダスの首がかくんと揺れた。力ない動きである。活動限界はとうに超えていた。それに加え、古いビルの廃材が数トンもの重さでのしかかってきていた。すべてはアキラ達を守るための行動である。それに感謝する前よりも心配が先立ち、アキラは手を揺らした。
「しっかりしろ、しっかりしろってば! クピリダス!」
「…」
「おーい!」
アキラの絶叫が響き渡る。解体工事中の建物で、幸いにも左右は平地だった。だが少々のコンクリートブロックは短い塀として囲われている。そこに廃材ががらがらと崩れ去り、クピリダスの巨体が道路にもはみ出る勢いで倒れている。そこに縋りつくようにアキラがむせび泣く声が響き渡るのだった。
ヴァニタスがエントランスで横たわる。ガラスにまみれた大広場のような場所で、4メートルのロボットが一面のガラスの中に倒れ込んだのだ。ぱりぱりぱり…と鳴る音が消えると、キングは通常の革靴だが急いでガラスを踏みしめてヴァニタスの元に向かう。
「ハル、今防災靴を…!」
カワダが階段を駆け上がろとするが、キングは構わずガラスを踏みしめ、まるでタイのワット・ポーの涅槃仏のようである。金色の神がまるで降臨なされたような荘厳さで、ヴァニタスに触れると冷たい機械の肌が手に触れる。
「ヴァニタス」
人間であったら揺さぶる場面であろうが、キングが試しにヴァニタスを押してみるが、ビクともしない。ガラスが彼女の表面を滑り、床に散らばっている。ガラスはヴァニタスに砕けてきらきらと細かくなっていた。その体の頑丈さは分かるが、それでもビル一面のガラスが降り注いだのだ。あまりにも大量であろう。靴の奥からガラスの破片がぱりぱりぱりと踏まれ、突き刺さる感覚がある。それでも、キングはヴァニタスから離れようとしなかった。車としてのヴァニタスについてはよく見ていたものだが、二足歩行(ペシミズム同様歩行は出来ないが)形態の彼女は初めて見る。美しい金色の身体は丸みを帯び、流線型の姿は痩せた人型のようであり、腕には異常に長い美しい爪が付いている。その爪は日光にきらめき、虹色のように。聖職者の正装を思わせるようなきらびやかな頭部に、光る目。その目が、キングの声に反応もせずにただ消灯している。
「しっかりしろ、ヴァニタス…!」
「ハル。そこは危険だ、こちらに戻ってきて」
「いやだ」
ハイデマリーがそう言いながら、カワダが息を切らして持ってきた防災靴に履き替えていると、キングは首を横に振った。ハイデマリーは目を見開く。キングは普段から無茶なことを言い出す事も、それを他人に押し付けることもしない。冷静で状況分析に長けている、そんな印象であるのに、今のキングは駄々をこねるようにヴァニタスの横から離れなかった。彼女を解析する部署にいるくせに、この二足歩行の形態も知らなかった。そしてその美しさも知らなかったのだ。そして今、どうやってヴァニタスを助け出せばいいのかも、何も分からなかった。
「ぺシちゃん…」
どしゃりと倒れるペシミズムの下にいた人々は、空洞の中なので無事だった。周辺にいた人々を避けて、ペシミズムが一度浮き合がって道路に倒れたので、家屋も無事だった。だが倒れ掛かったビルは、避難者を吐き出した後やはり戻ることは無く、四階のビルはグループホームとその庭に向かって倒れ込む。ああ!と誰かが叫んだ。だが入居者と職員は皆外に逃げ出せたので、命あっての物種だとすぐに納得する。助かれば、なんとかなる。過去に巨大地震の被害に遭った県民である。命だけが残る事への理解はある方だ。だが、倒れたペシミズムに駆け寄ったのはミユとその同級生くらいなものだった。泣きながらミユはペシミズムに縋りつく。
「ぺシちゃん! ぺシちゃん!」
手を握ったとて見えぬだろうと、道路に倒れ込む顔に近付いてチューブが涙のように走る頬に触れてみた。冷たい。機械の顔など触れたことは無かったが、冷たいのはなんだか嫌な予感がしていた。少々乱暴だが、ぺちぺちとペシミズムの頬を叩いた。
「しっかりして…! 大丈夫? ぺシちゃんってば…」
「カトウ、落ち着け」
「落ち着いてらんないよ! …落ち着けないよ……」
同級生に八つ当たりする気はなかったが、落ち着く由もなくミユは泣きながらそう言って見やる。涙が常に零れ落ちる瞳に、同級生は目を逸らした。反論の余地がないからだ。
「今は、警察を待とう。消防も、みんなで助けてもらおう」
誰に? 一体誰がこの状況を助けてくれるのだろう。ルルがイサミに泣きついても、ブレイバーンはやって来ない。イーラは脇腹に突き刺さった銅像の槍を抜くと、道路規制など知った事かとばかりに道路に倒れ込んだ。ホノカが悲鳴を上げる。
「イーラさん…!」
「…大丈夫…」
「大丈夫じゃないですよ、イーラさん…! いや…どうしよう…どうしたら」
「だいじょうぶ」
警察のホノカがここまで狼狽えているのは珍しい。市民にそのような姿を見せるべきではないと考えていたが、イーラの死が近いのかもしれないと考えると涙はあふれ出て来てしまった。必死にイーラに縋りつき、どうすれば助けられるかを何故か本人に聞いている。ふと、カワダが尋ねて来たのを思い出した。ああ彼の会社なら、でもこの震災で連絡が取れるだろうか、救急車のようにすぐに助けに来てくれる者は思い当たらない。ああその間に、イーラが、イーラが!
「泣かないで」
イーラがかえってホノカを慰めた。ダメだ、行かないで。死なないで。そう願いを込めて必死に縋りつく。だが顔を起こしてホノカを見ていたイーラも、ぐらりと倒れる。その体を小さな身で支えようとホノカが寄り添おうとしたのを、イーラは手で押しとどめた。
「だいじょうぶ…大丈夫…だから」
ついにはイーラは何も言わなくなった。ホノカがひゅっと息を呑む。あああああ!
ルルを宥めていると、イサミのスマホに着信が鳴った。サタケからである。ビデオ通話だった、画面を起動するとヒビキの泣き声が聞こえる。しゃくりあげているようだ。どうしたのだろうと思うと、サタケの苦い顔がぱっと写った。
「すまない。今どこだ」
「今は〇〇空港です」
「そうか」
「う、うぅ…」
ヒビキがしゃくりあげている。横にいるのかとイサミが訝るうちに、サタケはスマホをぐるりと回転させた。一瞬だけ映ったのは体育館のような場所だった。そうして止まった先にはブレイバーンがいた。胡坐をかき、その姿に力はない。ロボットの形態を知らずとも、普段のバンのカラーリングからなんとなく想像は付いた。
「ブレイバーン…か?」
「ああ、イサミか…」
いつもの高性能AIの音声だ。いつも聞いた、うるさいほどに聞いたブレイバーンの声である。だが元気はない。どこかか細く、疲れ切ったような声である。それが、目の前のスペルビアやセグニティスに重なった。イサミは嫌な予感がする。サタケは沈痛な面持ちであろう、静かな声で呟いた。
「アオ、頼む。ブレイバーンに言葉をやってくれ」
「何があったんですか!? 地震は、ヒビキは無事ですか」
「無事だ。今は体育館に避難している。その体育館が、地震で潰れそうになった」
「え…」
「それを、ブレイバーンが救ってくれた」
「違うさ…皆が私を信じだ。それが何よりの支えで」
ブレイバーンはそう口を挟むが、すぐに大きな息を吐いた。
「ああ…無事でよかった。イサミ、そこに、スペルビアもいるんだな?」
「ああ、いるよ。いるけど」
イサミは口を噤む。スペルビアは先ほど活動停止したように見えたのだ。ルルが泣き叫んでいるのはその証拠である。ブレイバーンも同じようになるのではないか、そんな考えが浮かぶ。ヒビキが泣いているのが、その証拠だろう。体育館の入り口から舞台のところへ、人をかき分けて身重の中でやってきたヒビキは、必死にブレイバーンに呼びかけていた。ああとかうんと答えてくれ、ヒビキの身体を気遣ってくれるものの、ほとんど元気がない。
「ヒビキは無事なのか」
「無事だよ、無事。お腹の子も無事…!」
「そうか。良かった、本当に良かった」
ブレイバーンのセンサーには、体育館の人々の頭上にALIVEと出ている。DEADである人は誰もいない。体育館を支えている時、ヒビキのお腹だけがALIVEと真っ先に切り替わった。思わず顔に出たが、それが何より嬉しかったことか! 彼女の腹に宿った命は生きられたのだ。それだけでブレイバーンは頑張った甲斐があったものだ。
「ああ…良かった。良かったなあ…」
「…? ブレイバーン…?」
「すまない、もう目が見えないんだ…聴覚センサーだけが生きている」
「え」
それからサタケがビデオ通話をしたのは、その会話のすぐ後の事だった。イサミは小さな画面に広がるブレイバーンに必死に話しかける。カレンはポーパルチープムを揺さぶった。誰彼もが揺さぶって、もうすぐだからと叫んでいる。一方米国では、竜巻が去ったのちにヒロがクーヌスから這い出ると、辺りは静寂そのものだった。誰かが生きている気配はない。だが、クーヌスは、アラカイもヒロも生きている。
「クーヌス。クーヌス、無事か?」
「……ああ」
「無事じゃなさそうだ。待ってろ、今助けを呼んでくる! 待っててくれ! ……誰か! 誰かいないか!? 友達を、俺達の友達を助けてくれ!」
ヒロがそう言って車道を飛び出した時、警察車両が見えたのは幸運だった。誘導しているうちにアラカイも目を覚ます。だがアラカイが声を掛けても、もうクーヌスは動きを完全に止めていた。
「しっかりしろ! 生きてくれ! クーヌス!」
「ブレイバーン…どっか行くなよ…」
イサミは涙声でそう呟く。スペルビアも、セグニティスも、ブレイバーンすらも活動停止してしまった。ほぼ同時期にイーラも、ポーパルチープムも、クーヌスも、クピリダスにヴァニタス、ペシミズムも。適合者の慟哭は、これからの日常がこれまでも続くと言う傲慢さゆえか。あるいは、そんな傲慢さすらない純真な未来への希望がもたらすゆえか。ルルの声が背後から聞こえる。新人がすすり泣く。ヒビキは泣いている。
「行くな…俺はまだ、俺はまだお前に…お前になんか返したことない…だから行くな…!」
「それは違うぞ、イサミ」
「…え…?」
「君達はそこに存在しているだけでいい。それは君達を、私達が見初めたからだ。一目惚れだからだ。だから、何も返さなくても、いい」
「ブレイバーン…でも、でもよぉ!」
「泣かないでくれイサミ。きっと、また、会え…」
ブレイバーンのマスクが両側からかしゃんと彼のハンサムな顔を隠した。それが合図だと何故だか分かり、イサミはひゅうっと息を呑む。
「ブレイバーーーーン!」
ヒビキが余計に泣き出した。だがその途端、彼女の腹に激しい痛みが走り、その場にうずくまってしまう。緊張感が母体に悪い作用をもたらしたのか、脂汗さえかいていた。サタケが慌てて屈んで様子を見やった。産まれるかもしれない、あるいは強いストレスで何かが。そう考えるが早いか、サタケは顔を上げると体育館内で声を張り上げる。
「どなたか、どなたか産婦人科に関わってる方はいませんか?!」
「私助産師です」
「女医です」
見たことのある顔が立ち上がった。花屋の常連のニーナ・コワルスキーである。彼女の産院はそこまで遠くない事をサタケもよく知っているが、ここからではヒビキを歩かせるのは不可能だ。ニーナが咄嗟にサタケを見やる。
「おぶれるかしら!」
是非もない状況だ。サタケが屈んでヒビキをおぶると、あまり揺らさぬようにしながら産院へと走る。新たな命がひとつ、産まれようとしている。悲しみを引きずってばかりもいられないのだ。スマホを切るのを忘れ、ポケットに突っ込んでいるからかそのうちにイサミとの通信は切れていた。おかげで集中して運ぶことが出来て、そのまま出産になる。ヒビキの激しく呻く声が壁の向こうから聞こえて、頼むとサタケは自然と手を組むのだった。
「ヒビキ…」
ブレイバーンの事を思うと涙は引かないが、切られる前にバタバタと動く人の気配と、ヒビキの苦し気な声を聞いてイサミは察したようだ。そうだ。今は悲しんでばかりもいられない。地震が終わったのなら、次は自宅が無事かどうか、交通網が無事かどうか。どうやって帰宅するのかを考えねばならない。被災者にはやることが山積みだ。ルルも泣き止み、ぐっと無理やりにでも顔を上げているようだった。
「オジサマ…」
だがその言葉はどうしても未練が残る。それでも、前を向かなければならない。普段ならそこで立ち上がるルルだが、スミスに肩を抱かれ、イサミが近付いて来たことで二人に抱き着いてまた泣き出してしまった。スペルビアはルルが適合者であるほかに、ルルの母親の忘れ形見である。それを失ったことを、どうルルの祖父母に説明しよう。きっと彼らも深く深く悲しむことだろう。だが今はルルが、素直に泣いてしまえばいいとイサミは思った。感情を抑える必要はない。他の適合者や相棒も、皆涙をこらえながら立ち上がる。そうだ、被災したのだから次を考えねば。そこには人間としての強さが秘められていて、そこにきっと、ロボット達は惹かれたのだろうと思うのだった。
あれから数日が経った。地震の被害について次第に明らかになっていくが、奇跡的に死者の数はきわめて少なく、重傷者・軽症者の数が日々報道されて、12年前の震災の再来であるが、奇跡が起きたと評され、その草葉の陰に高性能AI搭載車両の活躍があった事など知る由もない。唯一区役所は、体育館や空港で寝転がるロボットがいるとの通報を受けて事態を把握している程度だ。だがロボットの所在はよく分からないまま、民間企業の持ち物だからと区はノータッチであった。その為か、このロボット達を動かす手段が見当たらずにただ適合者たちは困り果てている。イサミ達もその一人だった。泣き崩れるルルと、今にも泣きそうなイサミを抱えるスミスに、新人は名刺を差し出す。
「あの…私こういう者です」
名刺の渡し方が板についていた。新人とあだ名は付いているが、既に就職して一年が経過している。ビジネスマーナは板についていた。スミスが受け取ると、新人は帽子を取って軽く頭を下げる。その目は泣き腫らしていた。先程までセグニティスに縋りついていたのを見ていたから、当然のことだった。
「頂戴します」
スミスも名刺を交換する。恭しく新人は名刺をケースに入れた。染みついた日常が、非常時でも出てしまうのは性だろう。社会人の顔になった新人は、まっすぐに三人の親子を見た。
「俺、そこのセグニティスの運転手なんです。…運輸会社の社員をしてます。あの、そこのロボット。スペルビア…でしたっけ」
ルルが涙がようやく涸れた顔を上げた。
「どこか収容できる場所があるなら、余計なお世話かもしれませんが」
ぐすっと新人は赤い鼻を啜った。
「うちの会社の駐車場、めっちゃ広くて。セグニティスを置いておけるんです。今から所長に頼むんですが…もし良ければ」
「スペルビアを置いてくれるんですか?」
「いずれ壊したり、…別れないといけないでしょうけど。俺、このままどっかの産廃業者に連れてかれるのは嫌なんです! あいつとせめて、別れの時間が欲しいから、だから…」
「オジサマ、運んでくれるの?」
ルルがそう言うと、新人はうんと頷いてくれた。
「まだ分からないけど、絶対オッケーって言わせてみせるから」
「ルル、そうしたい。イサミ、スミスだめ?」
「だめじゃない。でもそれって二機くらいですか? もし、もし可能なら。もう二、三体…」
「頼んでみます」
「じゃあブレイバーンも、クピリダスも」
スミスが思い付いたように言うのに、うんとイサミは頷いた。涙が少し乾いて来た。この目の前で別れた彼らを、なんとかしたいと思ったのだ。行政ではなく自分達の手で、その有難い申し出をしてくれた新人が深々と頭を下げた。だからイサミ達も頭を下げる。ルルも自主的に深々と頭を下げた。それまではこの場に残って、行政や空港側の申し出に説明をしなければならない。スペルビアはルルの祖父母所有の、いわゆる個人所有の車両であるし、セグニティスは運送会社の一トラックだ。空港側が許可をしてくれれば、彼らを暫く置いておけるだろう。まずは空港職員に話をしたいと思い、彼らはその場を散ったのだった。
「嘘つき」
警察車両のイーラは、所属の警察署に運ばれてまずは功労者としての式典を行い、そこから産廃業者に引き渡す事になっている。ホノカは式典の最中にそう呟いた。誰にも聞こえない密かな音量である。彼女がその単語を呟く相手は、イーラである。イーラはホノカを庇い、オブジェの槍に体を突き刺されて活動停止をした。大丈夫だと最後までホノカにそう言っていたのに、イーラは動かなくなってしまった。ロボットの事は良く分からないが、二足歩行で人間のように動く彼の致命傷であったのは間違いないだろう。
「…い、…ら…さん」
イーラさんの嘘つき。そう言いたかったのに、イーラという名前を呟くと込み上げてくるものがあって、言葉にならなかった。だからもう呟くのは諦める。
嘘つきは嫌い。ホノカは心の中でそうはっきりと呟く。過去に彼女は苦い記憶があるからだ。思い返せばあれは、12年前の事である。当時14歳であった彼女にとって、嘘をつくのはもっぱら彼女の母親だった。母親はロボット工学を専攻し、研究に没頭していると聞いていたがそれ以上はホノカも興味を持たなかった。必ず来ると約束した授業参観も運動会も、文化祭も何もかもが母親に無視されてしまっていた。道を違えた最後まで果たされたことは無く、傷付く己を慰めるのも面倒になるほどだった。結局はそのいった積み重ねだったのだろう、母親と父親は別れ、ホノカは父親に付いて行ってから没交渉である。それ以来、約束を違える人間は好きではない。苦手ではないのだ、好きではないのだ。だからイーラは大丈夫だと言ったのに、嘘だった。涙がにじむ。それは、今まで築き上げたイーラとの信頼関係の日々を思うからだ。
彼は嘘をつかない他に、ホノカを常に守ってくれた。何のキャリアも知恵も無く、特徴もない警察官だと自身では思っている。ほんの少し勇気を持って、立ち向かう程度のことだ。イーラは何があってもホノカを守っていた。だからホノカも、これまで相棒と何回も功績を上げた。危機を脱し、イーラはホノカを信じていたし、ホノカは全力で戦えた。その思い出が急に蘇ったのは、もうイーラに会えないからだ。
「敬礼!」
号令がかかり、全員が敬礼する。普段パトカーが並ぶ駐車場にはイーラが横たわっている。警察署の看板のすぐ真横に、鬼のような形のロボットが寝転んでいる。少々窮屈そうに足を縮めているような気がした。だが本人の意思はきっと無いのだろう。そう考えると、つい先日まで生きていたイーラを見ていると、また込み上げる物が喉をのぼり、鼻を突き、目がしらに溜まる。中からつん、つんと痛い。だから涙が溢れながら、よろ、よろとホノカは歩き出す。
「スズナギ巡査!」
窘めるような署長の声が聞こえるが、誰も止めはしなかった。イーラに近付き、その鋭くも動かない無害な手に縋りつく。触れた爪は確かに鋭い。イーラが害を持った感情で触れてきたら、人間はあまりにも脆く崩れ去るだろう。この黒と赤に彩られた彼は警戒色ばかりで、人々が自然と遠ざかるのをホノカは知っている。だがホノカを、または人間はイーラはけっして傷付けない事は知っている。分かり切っている。今は無害なこの手を、無害な手があまりにも寂しくてぼたぼたと涙が零れ落ちる。そうして振り絞るように、名前を呼んだ。
「…イーラ、さん…」
熱いものが地面を濡らす。震える肩が、抑えきれずに嗚咽に変わった。
セグニティスが所属する運輸会社の駐車場は、憎らしいほど晴れていた。見上げたら悔しいほどに晴れていた。何の気持ちも汲まない青空だ。スミスは、連絡を取ったアラカイ達にクーヌスが竜巻から彼らを守り、活動停止したことを聞いていた。彼女ならそうするだろう、とスミスは何故か思った。だがそれと同時に珍しく泣いているアラカイとヒロに、つられて泣いた。涙腺が緩んだ瞳に、この青空は10月にしては日差しがきつくて、目の奥に突き刺さって来る。人間の営みや悲しみなど、天は、そこにおわるであろう神は何も気にしないのだろうと憎らしく思う。スミスは青空を見やるのをやめて、駐車場を見渡した。
そこには、大小さまざまなロボットが運び込まれていた。特殊車両によって連れられたデスドライヴズとブレイバーンがいるのだ。といってもヴァニタスはフォース社で追悼式を行われ、同様の事をイーラは警察署で行われている。クピリダスは無事なのかとアキラに連絡を取り、シェリーを通じてカレンに連絡を取り、ポーパルチープムは縁をつないでここにいた。ペシミズムはミユを経由し、サタケは店番の為来られていないが、店員のイサミとミユの二人はこのお別れの会に出席していた。ヒビキは無事に出産し、母子ともに無事だがまだ安静だ。母子を救ったブレイバーンもスペルビアも、車体の上で動かずに横たわっている。ルルの学校が休みなのは幸いだった。体育館が使えないのである。ブレイバーンの尽力により倒壊は免れたが、避難所としての役目もあり、一刻も早い処置が望まれている。だがまだ業者のめどが立っていない。そのため、体育館に残る被災者は数を減らしていた。ロボットの尽力で被災者は生き残ったものの、建物の被害までは収められていない。そのため、この体育館以外の避難所は数が集まって少し窮屈だと言う。
だが余震は今のところ予報もなく避難警報は解除されたものの、仮設住宅などが必要になり都内には混乱が生じていた。ルルは受験生である。幸いにもルルの同級生で重傷者は出たと聞かない。だがスペルビアの死により深く傷ついたルルのこころを癒すためにも、このお別れの会は必要だとイサミは考えていた。自分にも身に覚えがあるからだ。ブレイバーンのお別れである。初対面から押しが強くてお節介で、万能で何度もルルとスミスを助けてくれた、厄介で優しい友人の別れを自分も噛み締めなければならないのだ。
「オジサマ…」
「ルル」
動かないスペルビアを見やり、ぽつりと呟くルルにスミスは愛娘の肩を抱く。スペルビアを見た。彼はもう苦しんでいないのが幸いだ。そうだ、もう苦しみも悲しみも、あの日以上の事象は彼らに降りかからないのだ。だから、大丈夫。
「お別れを言おう。せっかくの会だから」
そう言うスミスは、所有者であるルルの祖父母にも説明したことを思い出した。泣き腫らしたルルとイサミの代わりに、震災を心配してやって来た二人に、言葉を詰まらせながら説明した。二人は絶句して、そののちに黙って俯いていた。スペルビアはルルの母親の、祖父母からすれば愛娘の形見である。それが動かなくなった。ルルを守ってと聞いて、まるで震災時にルルを守って死んだ母親のようで、虚しさと誇らしさが拮抗して祖母は泣いた。苦しい話をありがとう、と祖父は力なく笑った。失われたのはなんだか、あまりにも大きくて、でもだからといってあの地震で、スペルビアを守れただろうか? 否、何も出来なかったはずだ。スーパーヒーローのような怪力は誰にももたらされず、機械の巨人達に全てが託されていた。自分が歯がゆい。人間であるからこそ、出来なかったことだ。祖父母は、この会に出席は遠慮すると言った。誰も彼も傷付いていて、その度合いも受け止め方も何もかもが違う。だから互いを尊重すべきであった。もちろんだとスミスとイサミは了承した。
「セグニティス」
一際大きいロボットの、ひときわ大きい手を撫でながら新人は言う。だが突然込み上げたのか、ぐっと顔を歪めてぼたぼたと涙をこぼした。慌てて手で顔を覆うが、嗚咽が漏れる。
「あのバカ…本当に守って死にやがって、この大馬鹿ぁ!」
アキラがクピリダスに叫ぶ。だがいつもなら反論してくる穏やかな口調も、低い声も何もかも聞こえない。涙をごしごしと拭いているとシェリーがアキラを抱き寄せて、その手を止めさせた。そのやわらかな肢体に埋もれるように、アキラはわんわん泣く。シェリーの横にはカレンが、涙をつとつととこぼしながら必死に唇を噛んだ。嗚咽が漏れるのだ。どこからも嗚咽が漏れる。ペシミズムを見上げるミユの隣には、彼女の同級生もいた。その手を愛おし気に撫でたり、最後の言葉を親し気にあるいは毒づいて、言葉を掛けるのは彼らの死が、受け入れられないからだ。新人が両手を合わせた。その手は泣くのを堪えていて、震えている。その様子を見て、他の面々も手を合わせた。続いてイサミ、スミスにルル、カレン、アキラにミユ。日本人らしい供養の仕方である。彼らのこれからに、幸多からんことを。天国というものがあるのなら、その道を開いてやって欲しいと願う合掌は、力がこもっていて祈りを天に捧げるのだ。イーラを前にしてホノカも泣きながら合掌した。それにつられ、警官たちがぽつりぽつりと合掌する。この場では敬礼よりも、それがイーラを送るのにふさわしいと考えたのが伝播したのだ。
フォース社のビルは風通しが良くなり過ぎたので、一階から二階は使えなくなってしまった。社員は関連会社に出向または出張という形になり、ヴァニタスが横たわった一階は立ち入り禁止である。だが有志による追悼会には大勢集まった。砕けたガラスは清掃会社に頼み、なんとか今は綺麗に除去されている。だからエントランスにいるのは、ヴァニタスだけであった。彼女を前にしたカワダは自然と手を合わせる。ここは日本で、彼女は日本製だと分かっているので、ハイデマリーもキングも合掌した。
「…どうか安らかに」
キングがそう呟いた時だ。ヴァニタスの目が、点灯した。
「え?」
イーラの目が点灯した。セグニティスの目、スペルビアの目、ポーパルチープム、ペシミズム、クーヌス、ブレイバーンの目が点灯する。全員が仰天した。それは奇跡のようだ。ぷぱぱぱぱ、と独特な音を立ててブレイバーンがトラックの荷台で胡坐をかく。
「ああ、よく眠ったな。ん? ここは」
「…ブレイバーン…」
イサミは呆然として見上げている。
「イサミか! ではここはフルリスト・サタケ…いや、違うな。ここは」
「ブレイバーン!」
イサミが荷台に飛びついた。普段なら乗るのに苦労する高さだが、無我夢中でどこか打ったかもしれないが、構っていられなかった。ブレイバーンの足に思い切り抱き着く。大きな足である。ほんの小さなイサミが抱き着いてきたのに、ブレイバーンはひどく大仰に驚いていた。
「な、ど、どうしたんだイサミ…君にそうしてもらえるのは嬉しい事だが、しょ、少々心の準備というものがな」
「クピリダス!」
アキラは荷台に登るのに苦戦していた。そこにクピリダスが手を差し伸べたので、そのまま勢い良く抱き着く。手を何気なく引き寄せたのを見て、なんとアキラはクピリダスの顔に飛びついたのだった。シェリーが心配そうな声を押し殺す。抱き着いたまま、アキラは喚く。
「バカ、バカバカバカ、バカ~~~!」
「心外です!……あ」
反論はしたが、アキラが泣いていることに気付いたのかバツが悪そうに黙った。そして手を添えて、落ちないように試みていた。ポーパルチープムがいつものように恐る恐る尋ねる。カレンは涙を強制的に拭って、微笑んでいた。
「カレン。腹が減ったんだが、コンビ二の廃棄弁当もらってきてもいい?」
「…いいわよ。好きにして頂戴。なんでも食べて良いわ」
「え? ほんと!?」
「その代わり、どこにも…どこにも行かないって約束、やく、…うわあああん…!」
「カレン!? 泣かないで、な、泣かないでくれカレン!」
ルルはスペルビアと見つめ合っていた。その横でスミスはスマホを急いで祖父母に繋ぐ。
「オジサマ…」
「お、お義父さん、お義母さん! スペルビア、生きて、生きてます!」
『え? なんだって? 落ち着いてくれルイスくん』
「スペルビア、今送ります。ビデオ通話で…! 生きてます!」
『え?』
「うむ。心労を掛けたようだな。仔細を伝える暇が無かった、許せ」
『生きてる…!?』
画面の向こうにも、目の前にもスペルビアは動いている。一時の奇跡ではない。確かな永遠がそこに横たわるのではなく、立っていた。歓声のような悲鳴が誰かから上がる。
「イーラさん……!」
「どうしたんだい。どうして泣いてるの? 君を泣かせたのは誰なんだい」
そう言って起き上がったイーラは周囲をぎろりと見渡した。だがすぐにホノカが全力でばしばしと拳で叩くので、ホノカを見ざるを得なくなる。
「貴方でしょ! イーラさん、しか、いない、でしょ…っ! 嘘つきだと思ったのに、大丈夫だって言うから…!」
「大丈夫だったでしょ? ちょっと休めば治るんだよこのくらい」
「わたし、わたし…うあああ……っ!」
「ホノカさん? 泣かないで」
ホノカを抱きしめるのには向かない指だが、器用にもイーラはホノカの背を撫でてそっと手で支える。そこに体温がある訳では無いが、質量にあまりにも安心した。安心したら、涙が溢れて来る!
「うわああん…!」
「なんで泣くのよ!?」
ヴァニタスが慌てたように指でキングを覆い隠すようにした。社会的地位のある人間の涙など、この社員が大勢集まる場にそぐわないと考えたのだ。キングはハンカチを取り出すのを忘れ、手で拭うとすぐに涙をひっこめた。だが漏れ出てしまったのは仕方がないのだ。あの美しい光景が、死の天使がこの世におわしますのなら、あのように煌びやかな死をヴァニタスに相応しいとして与えたのだろうか。全てを守るための自己犠牲など、ヴァニタスらしくもないのに、それなのに彼女は。そう考えると涙だって出るものだ。
「アタクシが泣かせたみたいじゃない」
「そうなんだよ、ヴァニタス。無事で、無事で良かった」
キングの涙に、ヴァニタスは悪かったわねと少し拗ねるように言った。その時にはキングの涙は乾いていて、その長い爪がするりと持ち上がってキングの背が現れると、カワダはほっと息を吐く。
「おかえりなさい、ヴァニタス」
心からの声だった。ヴァニタスは数秒考えたのち、最大級の美しさと煌びやかさを備えた笑顔で応える。
「ええ、今帰ったわ」
「悲しいのう、ペシミズムは悲しい。ミユをそこまで深く傷付けたことが…」
普段からペシミズムは悲観的なので、他人の悲しみや悲観に理解があるのかと思ったが、ミユが号泣するのにおろおろとするだけだった。急いで差し出した手にミユががっちりと掴み、赤子が目に付いた指を離さぬように全身でしがみついてくるので、困り果てた。
「すまぬ、運転手よ。ミユを離してくれんか」
「もうどこにも行かないか?」
「行かぬ。行かぬようにするから」
その言葉を聞くや否や、ミユの肩を同級生は叩いて呼び寄せた。彼女は同級生の顔を見やったのち、ゆっくりと同級生に近付いた。そのまま抱き着いたのだった。泣いている。同級生は少し躊躇ったが、ミユの頭を撫でてやる。うえーんと子供のように泣くミユを、しょうがないなと包み込むのだった。
「サタケ店長、ブレイバーン、生きてます…!」
泣き終わったイサミはすぐにサタケ二報告すると、店長はヒビキに連絡を入れてやってくれと言う。
「リオウ、いやスズキが気にしていた。頼むから伝えてやれ」
そう言われるが早いか、ヒビキにビデオ通話をした。産院にいたらしく、はいはーいと元気な声を上げて応答してくれる。ヒビキの配偶者も、子供もいるようだ。
「どうしたん、イサミ。なんかお祝いの言葉とかしてくれちゃったりする?」
「ああ、それは」
「おお、ヒビキ!」
イサミのスマートフォンを覗き込むようにブレイバーンが映る。あの日の体育館で見たままの姿に、ヒビキは心底驚いたようだ。そのうえで、イサミの言葉にもっと息を呑む。
「ヒビキ、見て分かる通り…ブレイバーンは無事だ」
「う、そ」
「嘘じゃないぞ、ああ、ヒビキ子供が生まれたんだなあ! 素晴らしい。出来れば、そのお子さんを見せてもらえると私も嬉しい!」
「嘘…よかった。よかった…!」
ヒビキが泣き出す。お産の際にもそこまで泣かなかったのに、母親となってから初めて泣いた。その泣き顔に、ブレイバーンは焦ったようだ。
「ど、どうしたんだ」
イサミが呆れたように口を挟んだ。
「お前を心配して泣いたんだよ…良かった。ヒビキ、あらためておめでとう」
「うん…うん」
「今は安静にしろよ。ブレイバーンの首根っこ掴んで、また戻すから」
「うん、ありがとうイサミ。めっちゃ嬉しいよ、出産祝いくれたらもっと嬉しい」
「お前なあ」
幼なじみの気の置けない会話である。そこにヒビキの子供が泣き出した。ブレイバーンがあやすような声を出す。
「おお、可愛いなあ。声だけで分かる、可愛い子だ」
「お前はおっさん臭いんだよ…じゃあな、ヒビキ。いったん切るぞ」
「分かった」
そう言い、全ての報告を終えてイサミは一息つく。戻って来た。日常が戻って来たのだ。地震による倒壊や顔馴染みの店や町は姿を変えてしまった。だが、失われるばかりだと思っていたのに、戻って来た物もあった。それがブレイバーン達である。喜ぶルルとイサミを受け止めるスミスのスマートフォンに、クーヌスが目を覚ましたとメールが入ったのはその翌日だった。そうか、良かったとスミスは心から安堵する。マンションから見やった空は雲が多めの空だが、白い雲だ。全てを覆い隠す冷たい黒い雲ではない。良かったと、全て良かったとスミスは呟くのだった。
「頼みがあるんだ」
そうイサミに言い出したのは、震災が収まって数週間後の事だった。その言葉の以前に、フォース社のカワダにヴァニタスは言う。
「カワダ。みんなが協力するらしいわ」
「え?! 本当ですか」
カワダは目を輝かせる。高性能AI搭載車両のネットワークがあるらしいということだが、ヴァニタスはあまり協力してくれなかったのだ。自分で探し当てなさいと言うのがヴァニタスの課題だった。その為見つけ出すのにカワダは四苦八苦していたが、どういう心変わりだろうか。
「何か条件でも?」
「あら話が早いのね。流石優秀じゃない」
「おためごかしはいいんだ。それで、条件とはどのような」
「ハカセを、私達の為に見つけてくれないかしら」
「ハカセ?」
カワダは聞き返す。今まで一度もヴァニタスと会話してきて出なかった人物の名だ。
「アタクシたちの研究所の主任をやってたの。…震災の時に亡くなっちゃったけど」
「その人の墓参りに行きたい?」
アキラがクピリダスに聞き返す。冗談じゃないと言いたげな顔である。
「お前、お前は消防車なんだぞ。公的な休みは認められてないし、出動要請があるかもしれない」
「ええ、ですからタブレットに私の意識だけを移します。それなら車部分は置いていけますので」
「お前なんでもアリだな…」
アキラはあきれ顔である。ペシミズムがミユに頼んだ時は、昼休みに同級生からテレビ電話がかかってきたからだった。思わず出ると、ペシミズムがタブレットに入れてくれと言う。
「それはいいけど、会社の許可下りてるの?」
「それはまあ、俺が言うから」
同級生が胸を叩いた。それならば信頼してよさそうである。だがミユに何故頼むのかと首を傾げた。
「ぺシちゃん、それなら他の人でも…」
「このような私的な事、ミユか運転手にしか頼めんのだ」
ペシミズムの言葉に助け舟を出すように、同級生が口を挟む。
「俺はしばらく休みが取れなくて。ほら、がれきの粉砕とかで結構…繁盛しててさ」
ああ、とミユは納得した。そうでなくとも、私的な用事を頼めるのはミユしかいないと言われ、気分が悪いものでもない。それじゃあと了承するのだった。
「カレン、そういうわけなのだ」
「分かったわ。その時はボスに頼んで休みを取る」
カレンはポーパルチープムにそう言うと、あっさりと彼女は了承してくれた。あの日以降、カレンは少々大人しくなってしまい、ポーパルチープムにしては少々物足りない。とはいえ大きな震災を目の当たりにして気がふさぎ込んでいるのかもしれないし、それ以上は求めなかった。
「しかし、墓ならあなたたちで十分探せるでしょう」
カワダの疑問を、イサミも口にした。震災から十二年が経過して、今から探したいと言うのは珍しいというか、それより前に突き止めて居そうなものである。だがブレイバーンは少々口ごもると、ゆっくりと口を開いた。
「怖かったのさ。ハカセが本当に亡くなったという事実が。目の前の視界に入れるのは」
その考えは、震災で両親を亡くしたイサミには分かる気がした。だからこれ以上は聞かずに、日程を合わせてタブレットを持った者達がフォース社に集まるということで合意を得て、当日である。
「いい日取りだな、イサミ!」
「あんなしおらしかったのに、お前元気だな…」
「もう逃げても仕方あるまい。さあ、向かおうハカセの元へ!」
「テンション高いな…」
顔ぶれは以上である。ブレイバーンにはイサミ、クピリダスにはアキラ、スペルビアはルル、クーヌスはスミス、ヴァニタスはカワダ、ペシミズムはミユ、セグニティスは新人である。フォース社には手筈を整えてくれたようで大人数のレンタカーが用意されていた。八人乗りである。
「俺、運転します」
「じゃあ俺交代で」
イサミが真っ先に名乗り出たので、新人が続いて名乗り出てくれた。ルルが無邪気に、しゅっぱーつ!と叫ぶ。ミユが笑ったので場が和やかになったことで、奇妙な縁の彼らは発つのだった。イサミは運転席で、タブレットを助手席の前に置く。ブレイバーンの顔を模したものが、目を光らせると同時に音声を出していた。
「どこまで行けばいいんだ?」
「それなら、ヴァニタスのタブレットにルートと住所を入れてあります。ナビに入力するか」
カワダが説明したが、ブレイバーンが遮った。
「はっはっは、ナビなど必要ない。我々が最適で快適な陸の旅を演出しよう!」
「はあ、まあそういうことで」
癖の強いブレイバーンを気にも留めず、カワダはすぐに引っ込んだ。イサミは苦笑いして頭を下げる。カワダとは顔見知りだが、以前話した通りにやはり随分と高性能AIに慣れているらしい。
「演出はいらないだろ」
「必要だぞイサミ。人生をドラマチックに、ロマンチックにするためには多少の下駄を履くのも必要というものだ」
「いらんから最短距離を出してくれ、さっさと向かおう」
道中は見知らぬ顔だからか、ルルが積極的にデスドライヴズに話しかけたりお互い情報交換をしていた。イサミは運転席で、助手席はスミスが座っている。だがすぐに互いが慣れたのか、目的地に着きそうになると静かになっていた。どうしたの、とカレンが訝る。
「さっきまで、あんなにお喋りだったのに」
「ほんと、どうしたのペシちゃん」
ミユも不思議そうである。だがどうやら緊張しているようだとカワダは思った。目的地が近い事は、このAI達には分かっているのだろう。だから少しずつ恐れている。目的地は、ハカセと呼ばれる研究者の墓なのだ。
「ハカセはどういった人だったんだ? ヴァニタス」
「あら、知りたいの?」
「お前達を生み出した研究者だ。さぞ優秀だったことは分かる。だからその人柄は知っておきたい」
「そうね。話したことは無かったわね、そう言えば」
「ハカセの思い出ですか。たくさんありますね、ハワイのオアフ島に星空を見に行ったりとか」
「長野の山にも登った。冷たき空気と静寂が何とも荘厳で厳しく、物悲しいものだった」
クピリダスとペシミズムから少しずつ、彼らは思い出を語る。だがそのどれもが風景を見に行ったり、観光名所に行ったりしたものだ。旅行好きなのかとアキラは思った。
「なんか、楽しそうだしお金ある人って感じだな」
「とんでもない、ハカセはかつかつでしたよ。貧乏旅行で、パンと水だけで」
「ハカセはそうだったわね。でも、絶対に街並や観光名所には連れて行ってくれたわ。ルーブル美術館は美しかったもの! 煌びやかで華やかで…」
「ワイは花火大会とか好きやったわ。寝転がって見んの最高やったで」
「それはお前の怠惰からだろ?」
新人ちゃんが呆れたように言う。
「でも、ハカセはワイらを否定せんかったで。ずっと味方でいてくれなすったんや。優しい人やった」
「我々の産みの親だからな。気高い人だった。私には人間の美醜は分からないが、それでもハカセはきっとイサミぐらい美しい人だったよ」
「…俺は人間基準だと美しくはない」
「そうなのか? 私には光り輝いて見えるんだが…」
「お前のセンサーおかしいぞ」
イサミはそう言うと、ナビが右に曲がれと言うので山道に入った。人里離れた墓地である。山の中腹に作られており、景色は良さそうだ。そこで皆降りると、手にはあらかじめ用意しておいた仏花や線香を手に、墓地に入る。ハカセという単語以外を聞いているのは、この場ではカワダだけだった。だから〇〇家の墓を探していくと、奥にオカトトキ家とあった。珍しく白い石の墓石である。そこだと指差すと長らく手向けていないだろう枯れた仏花を捨て、真新しくすると線香に火を点ける。皆で合掌したのち、タブレットを置いてくれとブレイバーン達が言うので、邪魔にならないように墓を取り囲む。見えているのかいないのかは分からないが、ブレイバーン達はそれぞれ黙りこくった。普段お喋りなのに、珍しいことである。しじまがしばらくその場に響くと、急にがさがさと葉擦れがして全員が驚いてそちらに注目する。そこにいたのは制服姿のホノカだった。警官だ、ああよかったと皆は胸を撫でおろす。
「あ、カワダさん」
カワダを見つけて、彼女はお辞儀をした。思いがけぬ場所で顔見知りに会ったものだが、そこは社会人として経験の長いカワダである。すぐに顔を作り、お辞儀し返したのだった。
「お久しぶりですスズナギさん。あとそちら、イーラさん…で合ってましたでしょうか」
「合ってる。けど、あのいけ好かないフォース社の人間か」
「こーら」
ホノカが窘める。そこにいたのは、ホノカと殆ど面識はなかった。以前にヒワダの連れ回し事件の際に通報したカレンが、あの時のお巡りさんと覚えていたくらいだがホノカは残念ながら覚えていない。
「皆さん、そこで何を? それにイーラさんも、どうしてここに連れて来たの」
「ここ、ハカセのお墓なんだ」
「ハカセ…?」
「”スズナギ”ハカセの墓だ」
はっとホノカは顔色を変えた。イサミ達も、先程カワダが呟いたスズナギという姓を覚えている者といない者がいて、イサミは顔を見合わせてもスミスはピンと来ていないようで、ルルとはピンと通じ合った。スズナギ姓が二人いるという事は、どうやらこの警官はハカセの、ブレイバーン達の産みの親の娘なのだろう。だが意外な事に、ホノカは眉を顰めてしまった。普段にこやかな彼女には珍しい事だ。
「あの人のことなんて、聞きたくありません」
そうして翻して帰ろうとするのに、驚いている最中にブレイバーンの声が響く。山にこだました。
「ちょっと待ってくれ! ちょっと待ってくれ、ちょっと待ってくれ…」
「なんでしょう。私、勤務中ですので」
「そうかもしれないが、貴方にも聞いて欲しい。スズナギハカセの娘さんなら、ハカセの最期を。そして、ハカセが何を思っていたのかを…!」
「……」
ホノカさん、と背後のイーラが珍しくしおらしげな声を出す。
「騙すような真似して悪かったよ。でも僕は嘘はついちゃいない。ホノカさんの好きな場所に行く…って言っただろ?」
「私、あの人の事好きじゃありません」
「…ホノカさん」
せっかくの母親の話であるのに、ホノカのこころは頑なになり、何の言葉も届かないようだった。事情がようやく呑み込めたばかりの適合者たちは、互いに顔を見合わせる。母親と娘、何があったのだろう。第三者であれば、もしこれをブレイバーン達が叶えたいのなら、出来る限り叶えてやりたい。だがホノカの頑なさは同じ人間だから分かる。拗れた感情に下手に手を出すと余計に拗れるのだ。だがそこでルルが、意を決して口を開いた。
「あの…!」
やばいとスミスは思う。イサミも思った。だがホノカは穏やかに対応してくれる。
「なあに。何かな?」
「いやあの、おまんじゅう食べません…?」
道中の道の駅で買った名産品である。みんなでつついた物の余りだ。帰りも食べることになるだろうと思ったが、10個入りを買ったので余っている。それを、ルルが持っていた。お供えに使うかもと個別包装のフィルムに包まれた、黒糖のまんじゅうがポケットから出て、掲げられる。
「お腹すくと、ほら、なんかしんどくなっちゃうし」
「ふふ、ありがとう。でもお腹は空いてないかな」
「えあ、あ」
ルルなりに必死に場を繋ごうとしたのだろうが、ホノカの方が一枚上手なようであしらわれてしまった。それ以上言葉が続かなくて、ルルはどうしようとスミスとイサミに目線を送る。だが二人にだってどうしていいか分からないのだ。だが、ホノカは少しだけ心を開いたのか少しだけ考えると、分かりましたと言う。
「話だけは聞きます。でも、私の気持ちは変わりませんから」
ほっとした息がその場に流れた。ホノカとイーラは、第二駐車場から来たらしい。イサミ達は第一駐車場に停めていたから、気付かなかった。それでもガラガラで人気のない墓場であるが、イーラが二足歩行の為墓場には入れず、ホノカとイーラはその場で話を聞くことになった。
「あれは十四年前。ハカセが我々を生み出して間もない頃だ。我々は世界を変えるという名目の元生まれ、育てられた。その主なプロジェクトリーダーだったのが、スズナギハカセだ」
「……」
「スズナギハカセが我々に教えたのは、感情だった。憤怒、怠惰、悲観、虚栄、高慢、強欲、淫蕩、貧食。そして勇気だ」
「アタクシ達はそれぞれの感情を元に作られてるの。アタクシは虚栄」
「ペシミズムは悲観」
「私は強欲です」
「僕は憤怒」
「私は貧食」
ああ、どうりでと適合者は納得したようだ。癖の強さは、それぞれの感情に基づく物なのだ。
「…イーラさんの怒りは、そうだったのね」
ホノカが呟く。
「我々はハカセの元で情緒を育み、このようにタブレットに移動したかのようにスマートフォンで世界中を見て回った。世界を回った時は、その時だ」
ブレイバーンの記憶の中では、満面の笑みを浮かべたハカセがいる。その面影はホノカに引き継がれていた。だがそれを聞いたホノカは、拳を握り締める。
「でも、私には一度だって旅行だなんて…!」
「おほん、おほん。そ、それでだな。我々の意識体は、車両に搭載されることになった。我々を使った実験は次の段階に進んで」
「実験? オジサマ、実験体なの?」
「うむ。試験的に作られたのが我々だったのよ。我々は試験的に、車両への移行を検討されたのだ」
「へえー」
「それで車両に移行されるフェーズが、十二年前。震災が起きた年だ」
震災という単語に、顔が暗くならぬ者はいなかった。年齢も国籍も違えど、失った物は少なからずある。十二年前に何があったのか、ホノカは聞きたい思いがあるにしてもそれをぐっと堪える。十二年前はホノカも被災した年だ。その年に母親に愛想をつかし、父親とホノカは家だけ彼女に残して出て行った。パトロンの男性と肉体関係があるのではと疑ったのも手伝って、あの時の家には誰も母親の味方はいなかった。嫌な思い出である。
「震災は研究所を直撃した。震源が近かったため非常用電源に切り替わったが、我々が入ったサーバーを抱えてハカセは逃げた。サーバーに電源さえ繋げれば我々は無事だからな。だが、研究所を出た所で建物が倒れ、ハカセは」
「下敷きになった」
ホノカが息を呑む。
「パトロンの社長は、車両を移動させているうちに火事に巻きこまれて、我々の目と鼻の先で死亡した」
今もあのしじまを思い出す。倒れ込んだハカセが潰れた手を、最後までサーバーに手を伸ばしたところをのちの衛星カメラからデータを取って彼らは確認したと言う。その時車両に搭載されていたのなら、まだ救いようがあったかもしれないが、その時彼らはただのAIであった。その悲痛さを思うと、誰も口を挟めないでいる。だがホノカは違った。
「そんなの、そんなの私とお父さんへの贖罪になりません。私とお父さんがどんな思いだったか…寵愛を受けてた貴方たちに、分かりっこない」
「ホノカさん」
宥めようとしたイーラを、ホノカは振り返ってきっと睨む。
「イーラさんが私に優しかったのは、ハカセの娘だったからでしょ。最初から優しかったんだもの。私に優しくしても、何の得もないのに…!」
「…そうだよ。僕は嘘はつかない。最初はハカセの娘だから、近付いた。ずっと探してたんだ」
「…っ…」
ホノカが唇を噛む。
「でも、そのうち違うことを思った。僕はね、ハカセに言ったことがあったんだよ。常に怒りに振り回される僕は、存在意義はあるのかって。そしたら、ハカセはあるって言うんだ」
「人間がここまで歴史を紡いできたのは、怒りがあったからなのよイーラ。現状に満足し、待遇に満足していたら、誰も革命を起こさないわ。誰も病気を治そうと躍起にならない。人間には心の中に、誰もが痛みを持っているの。その痛みは本人すら触れられないのに、誰かの言葉は簡単に傷口に届いてしまう。その時に怒りを知らなかったら、人間は今ごろどうなっているか分からない」
「貴方の憤怒の炎は必要なのよ、イーラ」
「……お母さんが、そんな事を?」
「ホノカさんもさ、僕に言ったよね。その怒りは正義だ。正義を貫くにはその炎が必要なんだ、って」
「世の中には炎を燃やせない人々がいます。これは違う、そう思いきる強さには、強い怒りが必要なんです。だからイーラさん、向いてますよ絶対。私が保証します!」
「…私そんな事言ったかしら」
「言ったよ。僕はその言葉を胸に、今も生きてる。ハカセは僕を救ったし、ホノカさんも僕を救った。だから、」
「だから、なんですか」
「ハカセの言葉も聞いてあげて欲しい」
「……っ…」
「すまない。騙し打ちのようになってしまって。だが我々も勇気が必要だったんだ。だから適合者に来て貰って…それにハカセに紹介もしたかったから」
「お母さんに、皆さんはなんて言うつもりだったんですか?」
「今幸せだと」
さあ、と優しい風が吹いた。墓地の穏やかな風は、青葉はもう無く紅葉に近いのに、ルルの鼻には少し甘い香りが運ばれてきた気がした。ホノカは黙っていたが、そうですかとだけ呟いて穏やかな顔を見せた。
「分かりました。皆さんも、ぜひお母さんに顔を見せてください。巻き込んじゃって申し訳ないですけど、でも。きっと喜んでくれるはずですから」
「…スズナギさん。その」
「いいんです。私はまだ母を許すことは出来ないけれど、ここに皆さんが、AIが集まってくれたの、きっと喜んでくれますから」
「ありがとう」
ブレイバーンが代表して礼を言うと、デスドライヴズも続けて礼を言う。その声の重なり方に、ホノカは少しだけ笑ってしまった。ほっとミユが息を吐く。
「よかったねえペシちゃん」
「うむ」
談笑していると、ホノカはいつの間にか一礼し、パトカーになったイーラと共に車道に戻ったようだ。ブレーキ音がする。最後まで彼女がハカセを許したかは分からなかったが、イサミはついブレイバーンに声を掛けた。
「大丈夫さブレイバーン。いつかきっと、分かり合える」
「…うん。私もそれを信じている」
もう一度さあっと優しい風が、ルル達の頬を撫でる。ハカセが歓迎してくれるようだとルルは密かに思っていたが、ちょっと非科学的なので口にはしないで置いた。それは、スペルビアには伝えて共有して終わりなのだ。
「何こそこそ喋ってるんだ、ルル?」
タブレットに話しかけたのを見られたが、ルルは笑顔でこう返すのだった。
「ないしょ!」
ある日の事である。退院したとヒビキが赤子を連れて配偶者と共に花屋にやって来た。サタケに赤ちゃんを見せた後、ブレイバーンに会いたいと言うのでイサミも付いて行く。おお、とブレイバーンは嬉しそうだった。
「ヒビキ、その子はもしかして」
「うん、ブレイバーンが守ってくれた子。ぎりぎり10月24日生まれでね、なーんか忘れられない日の子になっちゃった」
「それでも生き抜いたという事は縁起のいい子だろう。名前は?」
「まだ無いんだそうだ」
イサミが言う。
「そこで、お前に名付け親になって欲しいと…」
「名付け親か! それは素晴らしいな、勇気の剣と書いてバーンブレイド! こんな名はどうだ?」
「ほら言ったろ。センスがないって」
イサミはこれを予見して危惧し、付いて来たらしい。ヒビキと配偶者は苦笑いだ。
「ちょーっと長いかな…あたしはヒビキで、相方はタカシなんだけど。どうだろ、ヒントになるかな?」
「うむ、でヒロタカはどうだろう。ヒビキは音が広がる意味を指す。タカシさんの一文字を取って、合体!」
「ヒロタカ! いいねそれ、それでいこうかな。ね?」
配偶者も満足げに頷く。だがふと彼は思ったようだ。ブレイバーンとは配偶者は初対面であるし、そもそも名乗っていない。だがそれでも、ブレイバーンは名前を当て、漢字すら当てた。すごいですね、どうして分かるんですかと興奮気味に尋ねられた時、ブレイバーンはシャウトする。
「私は、ブレイバーンだからだッ!」