「!! 上級天使……貴様は……貴様はまさか!!」
 静寂の中、3号は椅子を蹴倒して立ち上がった。
 静寂が破られたことで、それまで口を噤んでいた古参の天使たちも口々にわめき立て始めた。
「な……我らが守るべき神を捨て、自分が神に成り代わろうなどと!!」
「背信だ! 警備天使を呼べ!」
「上級天使! 貴様はこのマルクトにあってはならぬ者だ! 追放しろ!」
 口々に叫び始める天使たちを押しのけるようにして歩み出た3号が上級天使の真正面に立ちふさがった。対して上級天使は眉一つ動かさない。
 3号は引きつった笑みを浮かべながら勝利を確信していた。なんのつもりか上級天使は、手の内を自ら明かしたのだ。これを材料にすれば偽装天使たちの上級天使に対する不信感を煽り、その地位を追いやることができる。
「上級天使……貴様を拘束する。いかに教団の長とはいえ、神に成り代わろうなどと天に唾するに等しい所業だ。警備天使!」
 3号の声に応じて、十数人もの武装した警備天使が会議室になだれ込んでくる。上級天使と天導天使は、たちまちのうちに警備天使に取り囲まれる。
 その場に安堵の空気が漂い始めたそのとき、上級天使の大喝が迸った。
「警備天使! 我が教団の革新を妨げる異分子どもを幽閉棺へ叩き込め!!」
 古参の天使たちの誰もが一瞬己の耳を疑った次の瞬間、彼らは今度は己が眼を疑うことになる。
 警備天使達は背信者たる上級天使ではなく、その場に集まっていた古参の天使たちを拘束し始めたのだ。
 3号も顔面を床に叩きつけられ、額から血を流しながら必死に頭を巡らし上級天使の顔を下から睨めつける。
「貴様……既に教団員たちを掌握していたのか……!」
「当然だ。でなければ私がわざわざこんなところに出向いてまで自分の計画を話すと思うか?」
「く……! 君の父上が聞いたらさぞかし落胆するだろうな……!」
 瞬間、上級天使の爪先が無防備な3号の鳩尾に突き刺さった。
「ぐがッ……!」
 皮肉めいた笑みを貼り付けたまま、上級天使は3号の髪を掴みその顔を無理やり引き上げた。
「その父のおかげだ」
「な……に?」
「父のおかげなのだよ。私が神に成り代われるのはな」
 3号がその言葉の真意を問いただす暇もなく、警備天使らは上級天使と天導天使以外のその場にいた全員を拘束し、会議室から出ていった。
 騒乱のあとの静寂は、より重さを増していた。
 その静寂の中に残ったのは、乱雑に散らばった椅子と机、そして上級天使と天導天使だけ。
 先に沈黙を破ったのは天導天使だった。寒風の吹き荒ぶ中に放り出されたように両手で自分の体を抱きしめながら、それでも懸命に言葉を絞り出す。
 「――上級天使、あなたは……あなたは一体何をしようとしているのです!? この教団を掌握して、一体何をするつもりなのです!?」
「何をするつもりか……だと?」
 上級天使の口元に、嘲笑。
 しかしそれは一瞬後にそれは冷気さえ感じる無表情に覆われて、消えた。
「復讐だ」
「……!!」
 表情はない。しかし天導天使は彼の赤い瞳のその奥に、以前「聖域(サンクチュアリ)」で見たのと同じ、深い憎しみの色を見た。
 憎んでいる。このひとは何かを、激しく憎んでいる。
 天導天使は、何も言えない。ただ無言で上級天使の瞳を凝視することしかできない。
 わからない。なにもわからない。
 上級天使は何をこれほどまでに憎んでいるのか。
 どんな理由があれば、これほどの憎しみを抱えることになるのか。
 上級天使が言う復讐とはいったい何のことなのか。
 ――私は、このひとのことを何も知らない。分からない! 理解できない!
 天導天使という上級天使にもっとも近い位階にありながら、ほかのどの偽装天使よりも近い立場にありながら、自分は上級天使のことを、何も知らない。
 欠落だった。
 今までまったく気付いていなかった、あるいは目を逸らし続けてきたあまりにも大きな欠落がそこにあった。
「あなたはいったい、なにをしようとしているのです……? 何をそこまで憎んでいるのです……? あなたのやろうとしていることが何かはわかりません、でも! とてつもなく恐ろしいことだということはわかります……! それに……」
 ぐ、と次の言葉が喉につかえた。上級天使は何も言わない。静かに天導天使の次の言葉を待っている。
「なぜ、私を古参の天使たちと一緒に幽閉しないのです……? あなたのやってきたことを、私はすべて知っているというのに……」
 そこまで口にしてしまうと、もう抑えられなかった。押さえつけていた感情が堰を切ったように溢れ出すのを、天導天使は止められなかった。
「……あなた、あなたは今まで一度も自分の意志を明かしたことがなかった! 分からないの! あなたが何を考えているのか! この教団を支配して、神を殺して、その座を奪って、その先にあなたは一体何を望んでいるの! 答えて! 答えて下さい上級天使!!」
 一気にまくし立て、荒い息をつく天導天使を一瞥し、上級天使一言だけ言った。
「天導。お前は私を裏切れない」
 その言葉にどんな意味が伴っているのか、天導天使は一瞬測りかねた。否――その言葉の向こうに、雲の切れ間から一瞬だけ陽光が差すように、上級天使の本心……「上級天使」という位階の向こうにある、ただの青年の心が見えた気がした。
 けれど、それはあまりにも短い一瞬とあまりにも遠い隔たりの向こうに永遠に閉ざされて、消えた。そんなものは最初からなかったかのように。
「そして私の目的は復讐だ。復讐だよ、天導。この教団を掌握することはその手段にしか過ぎない」
「あなたは……マルクト教団に……?」
 震える声で天導天使が尋ねると、上級天使は芝居がかった仕草で頭を振った。
「いいや違う。私の復讐の対象は……この世界だ。そしてその世界を正しい世界に維持できない、機能不全の神だ」
「……!?」
 天導天使は絶句した。世界に、神に復讐? 一介の人間が世界に、ましてや神に復讐するなど!?
 瞬間、天導天使の脳裏に「聖域(サンクチュアリ)」で見た光景が蘇った。
 生身のままで創造維持神に対峙する上級天使。そのときに、何が起こったか。
「まさか……!?」
 天導天使の驚愕の表情を愉快げに見やり、上級天使は続けた。
「そう、ただの人間が世界や神に干渉することなど出来るはずがない。それは実在する神を擁する我々マルクト教団がもっともよく知っていることだ。だがな天導、人間は常に不可能を可能にしてきた。それまで脅えるばかりだった闇を、炎を得た事で支配した。それまで崇めるばかりだった太陽を、ガラス球の中に閉じこめた。牙も爪も持たない人間をここまで反映させてきたのは何だと思う?」
 上級天使の紅い瞳は、狂的にぎらついている。天導天使は我知らず、数歩後ずさっていた。それを追うように、上級天使は数歩踏み込む。
「科学だ。お前の信奉する、科学の力だよ。よく見るがいい。これ(・・)がその証だ」
 上級天使の片手が襟元に掛けられ、次いで一気に法衣を引き裂いた。
 布の破れる甲高い音とともにあらわになったのは、本来なら決してそこにはないはずのもの。
 人間には決してあるはずのない、しかし天導天使にとっては見慣れた器官。
「……!!」
 引き裂かれた法衣から覗くのは、ぼんやりと赤く明滅する赤黒い球体。
「か、感覚球……! どうしてそんなものが……どうしてっ!」
 上級天使は喉で嗤(わら)った。
「お前には見慣れたものだろう?――ああ、人間の体に移植されたのを見るのは初めてか」
 驚愕と恐怖で膝に力が入らなくなった天導天使は、そのまま壁に背を預け、ズルズルと床にへたり込んだ。
 そんな天導天使には目もくれず、上級天使は続ける。
 その赤い瞳はわずかに虹彩が滲み、視線が宙に浮き始めている。その視線は、天導天使ではなく、
そこにはいない、いなくなってしまった誰かを見ている。恐怖に霞む思考で、天導天使はそう思った。
「世界、この世界が、私のもっとも大切な……もっとも愛していた者を、姉を歪ませた。父はその姉を幽閉した。誰にも見られないようにな。それでも父は耐えられなくなり――姉を殺した。猟銃で撃ち殺した」
 今度は、上級天使が数歩後ずさった。幽霊のような足取りだった。そのままふらふらと後ずさり、後ろにあった机に腰を下ろす。
「父は姉を歪ませたこの世界を、神に代わって修正しなければならないという妄想にとりつかれていた。父は優れた生化学研究者で、マルクトともつながりを持っていた。父は資金を、マルクト教団は設備と人員を提供し、ある実験を行った。人体への、感覚球の移植だ」
「そんな……そんなことを……! それではあなたは……」
「私が志願した(・・・・・・)」
 天導天使は今度こそ言葉を失った。その喉からこぼれるのは、言葉の形を為さない喘鳴のみ。
「勘違いするなよ天導。私は父には感謝している。心からな。父のお陰で私は……私は神に介入し、支配する力を手に入れた」
 がくん、と上級天使の顔が下を向いた。垂れ下がった前髪に隠れ、その表情は見えない。その肩が、小刻みに震えている。
 ――哄笑だった。
「くく、く。移植が成功したとわかったその日の晩に父は死んだ。自殺だ。護身用の拳銃で頭を撃ち抜いた。私の眼の前で。飛び散った脳漿が場違いに美しかったのを、よく覚えているよ」
 上級天使の狂気に満ちた、それは――告解だ。
「上級天使、様……! あなたは……!!」
「狂っている、とでも言いたいのか? それとも、間違っているとでも?」
 顔を上げた上級天使の紅い双眸が、真正面から天導天使を射すくめた。その視線は、正気か。狂気か。
 わからない。
 天導天使はもはや何も言えない。
 目の前にいる男が、人間にすら見えなくなり始めている。
 自分のまったく知らない、昏い感情をその裡(うち)に秘めたこの男は、自分とは別の生き物だ。
 そんな感覚さえ抱くほどに、上級天使の言動は常軌を逸していた。
――歪んで、いるのだ。
 そう。
 この男は歪んでいるのだ。
 いや、自ら歪んだのだ。世界に復讐する為に。
「――天導天使」
 ぴたり、と上級天使のひきつるような哄笑が止まった。
「創造維持神から抽出した苦痛シグナルを培養しろ。シグナルを培養することで苦痛を倍加させ……」
 その先の言葉がなんであるかはわからない。しかし、それを言わせてしまったらもう引き返せないという直感があった。崖から足を踏み外した者は崖下に落ちるしかないように、決して引き消せない分岐点が今なのだとわかった。
 だが、できなかった。止められなかった。
 天使はすでに、堕ちている途中だったから。もうずっと前から。
「培養管ごと神に撃ち込む。神を殺すのだ」
 上級天使が目を閉じ、開ける。
 虹彩の滲みも、浮いた視線もない。赤い瞳はしっかりと、天導天使の視線を受け止めている。
 そこにあったのは、天導天使がよく知っている紅い双眸だった――本当に?
 上級天使は立ち上がり、かすかな羽音を残して去っていった。
 ひとり残された天導天使の足元に、白い羽がなごり雪のように残っている。
 天導天使は身をかがめその羽根を――拾わなかった。
 「天使弾」のサンプルが完成したのは、その数カ月後だった。
 そして――起こるべきことが起こるべくして起こり、すべてが終わった。
・エピローグパート
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夏コミ原稿を書いていきます。
初公開日: 2024年08月01日
最終更新日: 2024年08月01日
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