「お、お邪魔します……」
「……どうぞ」
恐る恐る玄関へ入る彼女のつむじを見つめて、心の中でそっとため息を吐いた。
彼女と恋人になったのは大体半年くらい前だったと思う。高校二年になってから、たまたま同じクラスになって、たまたま同じ保健委員になったのがきっかけで話すようになった。
おれよりも頭ひとつ分以上小さい身長に、どこかふわふわした雰囲気はまるで小動物のようだ。性格も見た目通りおっとりしていて穏やかだけれど、どこか浮世離れした性格は周りには少し遠巻きにされているようだった。
初めはそんな人と保健委員だなんて、と少し憂鬱だったけれど、彼女と過ごす時間は何故だか落ち着いて、いつの間にか側にいないと違和感があるくらいに馴染んでしまっていた。
そう思っていたのはおれだけではなく、彼女も同じだったらしい。とんとん拍子で距離が縮まり、あっという間に恋人へと昇格した。彼女曰く、おれが二つ入りのパンの一つを彼女にあげた時に恋に落ちたらしい。全くもって分からない感性だけれど、そんなことで彼女がおれのことを好きだと言うのだから、よしとする。
彼女と交際して半年。喧嘩もなく穏やかに過ごしていたけれど、おれにはひとつ悩みがあった。
「けんまくんのお部屋、相変わらずきれいだねえ」
「別に普通じゃない?」
「わたしのお部屋はぬいぐるみがいっぱいだから、ごちゃごちゃしてるの」
「ふうん」
カーペットに座る彼女の隣に座り込んで、そっと手に触れる。彼女の指を一本ずつ、マッサージをするように優しく握って、じんわりと頬を染める彼女の横顔を見つめながら、そっと顔を傾けると彼女へと近付いて──。
「だ、だめ!」
「んむ、」
ふに、と彼女の柔らかな手のひらがおれの唇に触れる。彼女の顔をじと、とした視線で見つめると、真っ赤な顔をした彼女がパッと顔を逸らす。
「…………なんでキスさせてくれないの」
そう、これこそがおれを数ヶ月間も悩ませている問題だった。半年も付き合っているのに、何故か頑なにキスをさせてくれない。
例えば、付き合った初日に迫っているのであれば、あまりにも性急だし拒絶されるのも納得できる。けれど、付き合って半年も経っていて、手を繋いだり、抱きしめたり、なんてスキンシップは嫌がらないのに、何故か唇だけは触れさせてくれないのだ。
「き、キスはだめなの!」
「なんで」
彼女の頬に優しく触れて、まるい曲線を指でなぞる。くすぐったそうに目を細める彼女に上がりそうになる口角を隠して、緩く首を傾げて彼女の顔を上目遣いで覗き込んだ。彼女はおれの顔を見ると「う……」なんて声を漏らしながら後ずさるけれど、逃すまいと詰め寄る。
「おれのこと、きらいなの」
「ちがう!」
「じゃあなんで」
「は、恥ずかしいから言えない!」
「恥ずかしくない」
「恥ずかしいの!」
いくら可愛い子ぶって甘えたように問いかけても、彼女が頑なに言わない理由に段々と腹が立ってきた。
おれはこんなにも彼女に触れたいのに、なぜ許してくれないのか。好きだから触れたいと思うのはおかしなことじゃないのに。むしろ彼女はおれに触れたいと思わないの?なぜ。なぜ。なぜ。
ああ、もう、
「──は、おれとキスしたくないの……!?」
理解できない思考回路に、おれの頭がキャパオーバーする。思わず出た大声に、ハッと冷静になった頃には彼女の瞳はうるりと水が浮かび上がっていた。
「だ、だって……!」
彼女が瞬きをすると、つう、と頬を透明な雫が伝う。彼女の白い肌が濡れる様子に思わず目を奪われていると、そこにじんわりと赤みがさしていく。
「あ、赤ちゃんできちゃうもん……っ」
「…………え?」
頬を両手で押さえた彼女が恥ずかしそうに体を揺らす。予想もしていなかった言葉に思わず声を漏らすと、彼女がおれを上目遣いで見上げた。
「けんまくんは知らないだろうけど……。ちゅーしたら赤ちゃんが出来ちゃうんだよ……?」
だからだめなの、と彼女の濡れた瞳がおれを貫いた。その視線にじわじわと湧き起こる劣情に思わず顔を顰めて、吐き捨てるように言う。
「キスしても赤ちゃんはできない」
「出来るの……!本で見たもん!」
「できない。人体誕生の神秘を舐めないで」
「え、え、ほんと……?」
「本当。できないよ」
繰り返しているとどうやらおれが言っていることが本当だと思ったのか、彼女の顔に疑問が浮かんだ。ソワソワとした様子でおれの腕の中へとそっと寄り添って、ぴたりとくっついたままこちらを見上げる。
「じゃ、じゃあ、けんまくんとキスしても赤ちゃんできない?」
「できない」
「え、えへ……じゃあ、キスしたい……だめ?」
「だ、だめじゃない……」
キラキラと輝く期待がこもった瞳に見つめられて、さらにずっと触れたかった彼女からキスしたいだなんて言われたら、拒否なんてできるはずもない。自分も健全な男子高校生なのだと認識して、苦虫を噛み潰したような気分になった。
彼女の体を片手で優しく抱き込んで、もう片方で顎を掬い上げる。彼女の瞳をじい、と見つめると、潤んだ瞳がゆっくりと閉じて、唇を差し出した。ぷるりと震える唇に己の唇をそっと重ねて、触れ合う皮膚からじんわりと熱が伝わっていくようだった。
「んっ、ん……っ」
「ん……」
触れては離れて、を繰り返していると、どうやら息を止めたままの彼女が苦しそうな声を上げている。最後にちゅう、と強く重ねてから顔を離すと、ぷは!と彼女が大きく息を吸った。その様子があまりにも面白くて、つい笑いが漏れる。
「初めてなんだから仕方ないね」
「う、うう……」
真っ赤に染まった頬と少し腫れた唇をそっと撫でて、彼女に問いかける。
「初めてのキスはどうだった?」
「す、すごかった……」
「具体的に」
「え、えと……。なんか、ぞわぞわして、体がじんわりする感じ?」
うぶな彼女をからかったつもりだったけれど、思わぬ反撃に瞬きを繰り返してぎゅう、と奥歯を噛み締めた。相変わらず予想が出来ない行動をするな、と感心する。だからこそ、一緒にいて楽しいのだろうけれど。
「ね、けんまくん。もういっかいしたい……」
彼女がおれの服をくい、と引っ張りながら甘く問いかける。蕩けたような瞳で誘う彼女にさっきまでの拒絶はなんだったんだ、と苛立ちながら、彼女の柔らかな唇に噛みついた。
「ん!?ん、ん、ん〜ッ」
「ふ、ん……」
さっきまでは優しく重ねるだけだったけれど、息継ぎのためか少し空いた隙間に舌を捩じ込んだ。逃げ惑う彼女の舌に絡みつきながら、口内の隅々を這う。彼女の反応が強いところを見つけ出し、執拗に刺激していると、ぴく、と彼女の体が跳ねた。
「は、ひ、……ッ」
「ふは、きもちよかった?」
唇を離すとはあはあ、と荒い息を吐きながら呆然とした顔でおれを見つめている。すっかり蕩けた彼女の口の端から垂れた唾液を指で拭って、彼女の視線が定まるのをじっと待った。
「い、今のも赤ちゃんできない……?」
「できないよ」
彼女の発言に思わず吹き出しながら否定する。抱きしめている彼女の体が火照っているのがおれにも分かって、たまらない気持ちになった。
「ねえ、けんまくん」
「ん?」
「ちゅーしても出来ないなら、赤ちゃんって何したらできるの?」
誘っているわけでもない彼女のまっさらな瞳は好奇心で揺れていた。おれ、こういう性癖なんてなかったはずなんだけど、と開かれた新たな扉を飛び越えようと彼女の小さな体を押し倒した。
「教えてあげる」
おしまい!