「若者の時間を奪う気はない」
「そうか」
それだけ言うだけで、サタケは何も気にしない素振りでこちらの手を取った。ごつごつとした武器が馴染む手である。パイロットのようにレバーが馴染む手ではない。看取り、手当て、あるいは誰かに振り下ろす事もある手である。その親指の付け根からちょうどやわらかいふくらみに、かぷりと歯を立てて、こちらの様子を窺うのはベビーフェイスの原因でもある丸くて大きな瞳だ。今はふくらみに歯を立て、唇で吸い上げ、舌で撫でまわして、まるで口が攻撃部隊で目は偵察部隊さながらだ。プラムマンの動きが気になって仕方がないのだろう。だが口は理性を忘れたかのように手にむしゃぶりついて、プラムマンの反応次第では責め方を変えるつもりなのだ。
「嫌なら抵抗してくれよ」
手のひらの真ん中にある窪みは、唇を尖らせなければなかなか辿り着かない。だがサタケの口が音を立てたのを聞いて、プラムマンは振りほどけなくなった。そのまま唇が上昇、指の付け根の皺に噛み付き、さらに上の関節の皺。逃げようと仰け反る指を追い掛けて口に含んで、若い白い歯がころころと指を意のままに動かしている。このまま若造に思いのままにさせていいのか、プラムマンは考える。国に命と誇りを預けた人生だった。土埃と汗が肌に滲んで、緊張感に神経を支配され続けた若い頃に、人を愛するのを諦めたこともある。ぬくもりが欲しいのならば、己の体温が移った毛布でも被っていればいい。誰かに追い求め、癒しを求めるのは傲慢だと思った。だからサタケが、若くして指揮官に引っ張り出された自衛官が哀れだと思った相手が自分を求めるのは、ただの戦場の夢幻に対抗するための慰みだと思った。夢幻は、自分がかつて愛した者の姿を見せて来る。本来手に入れる筈だった未来を見せて来る。その幻に心を奪われた者は、死ぬことが多かったから。自由になっている利き手で、サタケの頭を撫でる。少し汗をかいているのか湿っている気がした。眠っているのかも怪しい事が多い。何しろ多国籍軍においては、権力闘争も国同士の軋轢も鑑みなければならないので、無駄に心を砕く必要がある。サタケを子供のように撫でながら、プラムマンは数分前に彼に言った。
「気の迷いでしょう」
「そんなことは無い。ずっと、目を付けてたのに」
それはプラムマンには寝耳に水だった。サタケにはさぞ、千載一遇の好機であろう。合同演習で顔を合わせた時に、会話をしたし酒を飲んだこともある。だが深い仲かと言われればそれまでだ。それでも、このベビーフェイスの自衛官は自分を忘れなかったのは、少々の下心あってのことらしい。サタケは自嘲したように続けた。
「数奇な運命、なんて言葉は好きじゃないんだけどな」
でも運命だと言わせて欲しい。仲間が死に絶えた矢先、生き残った者だけで心を支えるのには団結が必要だ。その絆を深める中で、ほんの少しの勇気で紡いだ恋情の紐を紛れ込ませても目立ちはしないだろう。
「だから君を手放すつもりもないし、離れようとも思わない。どうか応えてくれないか、トーマス」
「貴方は昔からそうだ。若く、能力があり、育ちが良い。まるで貴方が中心に世界が回っているかのような言いぶりをする」
断られるという想定はしていないのだろうかと、プラムマンは思う。サタケは痛い所を突かれたのか言葉に詰まったようだ。
「ほら、貴方は少々考えが甘い所がある。戦地では恐ろしいほどに緻密な作戦を…いや、あの時は行き当たりばったりだったか?」
「昔の話だからやめてくれ。あの時より成長してる」
「どうでしょうかね」
ため息交じりにそう告げると、サタケは反論が難しいのかぐっと口をつぐむ。どこか子供らしい仕草なので、上官に可愛がられるのだろうと思った。だからサタケに絆されて来たのだろう、彼の周りにいる者達は。だがプラムマンがそれを受け入れるかは別の話だ。
「子供みたいにしないでくれ」
「失礼。貴方の頭は撫でやすいのでね」
「確かに、母親は扁平にならないように気を遣ったと言っていたが…」
冗談のつもりであったが、サタケの頭が撫でやすいのは事実だった。余計に目の前の男が赤子かなにかのように思えて、プラムマンは笑う。サタケは指に思い切り歯を立てようとして、やめた。その代わり、舌が異物を舐めまわす。そのなまあたたかさが、やはり成人した者なのだとなまぐさい物を感じた。赤子にはない強烈なエネルギーだ。それを異性に向けるようにとプラムマンは言ったつもりだが、サタケはプラムマンがいいと言う。
「嫌いなら抵抗してくれと言ったじゃないか。それなのに、さっきから手を自由にさせてくれたりして…」
サタケは少しだけ顔をむくれさせる。指はとっくに自由で、サタケが軽く手首を掴んでいるだけだ。プラムマンが引っ込めようとしたら出来る。もし自分があと十年若ければ、規律を用いてこんなまやかしのような恋情は許されないと突っぱねたものだが、そろそろ天使の寵愛も切れて代わりに死神との方が縁が深い年齢だ。生憎だが、一途さは嫌いではない。プラムマンがすっと顔を近付かせたので、サタケは驚いて反射的に後ろに引いた。だがそれを追うようにして、プラムマンの唇が鼻梁のあたりにかぷっと噛み付く。跡も残らない、軟骨をほんの少し凹ませるような程の力だ。プラムマンが顔を引くと、サタケは赤面と困惑を交互に入れ替えて忙しい表情をしていた。ふふ、とプラムマンは笑う。
「満足させてくれねば、困るのでね。貴方に、その技量がありますかな?」
「…あるよ」
あると答える以外にサタケに許された言葉は無い。顔立ちが好みで、欧米諸国特有の体臭が動くと香るから、その五感に圧倒されていてはいけない。臆している場合ではないのだ。彼の手に湿り気があるのは自分のせいだ。そこまでの行為が許されたのなら、きっと年上の男は体を開いてくれるだろう。鼻梁がじんじんとしてきて、誘いとしては十分だ。
「…俺の時間を、奪うつもりはないと言ったのに」
「奪わせるのならいいかと思ったんだ」
「悪魔みたいなことを言うんだな」
だったら君にこの時間を捧ぐよ、とサタケはもう一度プラムマンの手を取って第一関節に口づけをした。