前提条件というものがある。それをこれから語ろう。まず時は今、宇宙からの侵略者であるデスドライヴズとの決戦において、必要不可欠な存在であり重要な任であったブレイバーン、正式には勇気爆発バーンブレイバーンが綺羅星のように空から出現して人類の未来を守ったのちの出来事である。人類はようやく青空の下を正々堂々と歩けるようになった。杞憂は、天が降って来る事を心配した男をともすれば揶揄するような言葉であるが、その杞憂が現実になって、人々は天気や気象以上に何かの到来を恐れた。この習慣はきっと、数年先も数十年先にも続くだろう。あの敵襲の最中、混乱の中で生き残った人々は、我々が見たものがなんだったのかという大きな疑問を持っていて、信頼できる国家からの発表がしれっとしたうすら寒いものであったせいで憶測や都市伝説が飛び交った。各地のSNSから噴出した声では、あれは東アジアからの兵器だ。ロシアだ。アフリカだ。アメリカだろう、中国だ。インド! ヨーロッパに決まってる! 永世中立国が怪しい! いや待てよく考えろ。あんな精巧な物を作り出す胆力がある国なんてそうそうありはしない。つまりは南極の氷が解けたことで、かつて古代に地球を支配していた地球外生命体が復活したのだ。いあ!いあ!……などとやりたい放題の言いたい放題であった。人類の過熱する声を全てを抑え込むのは土台無理な話だ。報道規制が敷かれているにしても、人類はある事象のその先にあるなぜ?を解消しなければ納得しない。高い知能を持っているというより、強い好奇心を持っているのが人間である。そんな声が飛び交う中で、動画サイトに上げられたゾルダートテラーが映った貴重な映像を見るたび、あれはなんだ! 何を隠しているのだ!?と混乱に陥る。死の直前までスマホを離さない世界人類総ジャーナリストの時代である、ブレイバーンの秘匿はあまりにも無謀であった。その影響下なのか、半年という短い期間で就いた仕事を辞めると言い出す男がいた。
「まさか半年で退任するなんて」
サタケが驚いて繰り返した。先程zoomでプラムマンが言ったことを繰り返しただけだが、その反芻は自分が飲み込むためだ。画面の向こうのプラムマンは落ち着いていて、静かに頷くだけである。彼が口にしたのはもう決定事項であり、相談ではない事後の報告である。だが人事と上官以外は君に初めて伝えると言われた。サタケのこころに舌があるのなら、その言葉は甘美に感じられただろう。世界で初めてプライベートな人間に話すこと。その甘美さに酔いしれてもいいが、それよりもサタケの胸にはある疑念が浮かんできて、矢継ぎ早に質問する。
「どうしてだい。君は望んでいたことだろう」
「私から申し出たんだ。もうあの国には必要ないと思ってな」
「…ブレイバーンのことで?」
まるで謝罪する直前のようなサタケの顔を見て、画面を眺めながらプラムマンは首を振った。
「ブレイバーンは日本国にも、米国にも属さない存在だ。誰のせいでもない。君のせいでもないし、国のせいでも」
「でも、パイロットは日本の自衛隊だ」
「それを言うなら、ブレイバーンの正体は私と同じ国に属している。…彼は国では縛れない。ブレイバーンは、ブレイバーンでしかない」
ブレイバーンを兵器と見た時、日米どちらかがその所在を取り合ったのなら、果たしてどちらに軍配が上がっただろう。それは新たな火種となるものだ。兵器として見るのなら、研究対象として見るのなら、ブレイバーンを未知のものとして見れば人類は飛躍的に進歩をする。それを良しとしなかったのがハル・キングであったし、その説得に諸国の大統領や首相も納得しているはずだ。だからその存在は秘匿とされている。しかし事実を知る者は胸に秘めて活動しなければならないので、その心理的な負担が?
「ブレイバーンの影響で辞めるのか? 本当に? 考え直せないのか」
「リュウジ。私から申し出たと言っただろう。私は疲れたんだよ」
そう微笑むプラムマンは、別に疲弊した様子に見えなかった。サタケの目にはむしろ溌溂として、いつもと変わらない。もちろん退職の前に浮かれるという心理はあるかもしれないが、瘦せこけもせずあの戦地で見つめていた背筋の伸びた兵士の手本となるべくした男の姿のままだ。
「引き止められただろう?」
「多少は。まあ、時代は変わるものさ。大きな戦争があった時、役目を終えた老人は席を空けなければならない」
「まだあと10年は君に残ってるはずだ」
「いいんだ。もう決めた事でね」
プラムマンは言葉少なく、腹が決まっていることだろうからこれ以上サタケの説得に見せかけた質問は全て無駄に思えた。だからサタケもつかえていた質問を飲み込む。質問は話の流れを生み出し、意図を持ち意味を持てば回答者の本心を引き出すことだって出来るが、そもそも質問自体に意味がない事だってあるのだ。プラムマンの意思はもう強固な壁である。そこにトマトのように質問を投げつけて何になるのか。プラムマンは穏やかに続けた。
「あと一か月もすれば自由の身だ。日本に行くよ。貴方の傍にいられる」
「ああ、それは…嬉しいんだけど」
「どうしたんだリュウジ。何か問題でも?」
「それを話したくて、今日場を設けてもらったんだ」
そこまで言って額を手で押さえたサタケに、プラムマンは目を細める。遠方の恋人である。距離によって生まれるのは齟齬と心が離れることだ。まさかサタケ・リュウジに限ってとエゴイストな意見がプラムマンの頭をよぎるが、仕方がない。人間は一律でいられない生き物だ。静かにプラムマンがほほえむと、穏やかな口調で問い始める。
「別れるのなら、何か贈らせて欲しいんだが…年寄りのあがきでね」
「違う、違うよトム。そうじゃなくて、その。ちょっと問題が発生してるんだ」
「問題?」
「子供を、拾った」
サタケの告白に、随分と大きなものだなと間の抜けた声で呟いてしまった。
ストリートチルドレンの問題は、世界各国で今出始めている問題である。デスドライヴズ達の武器である巨大なレーザーは、人間をいとも簡単に蒸発させ、痕跡を消してしまった。身元不明の子供達が溢れ、大人たちはその保護に努めるどころか身の安全を確保するのが精一杯で、行政や福祉がようやく機能した先進国では身元不明住所不定の子供達が居場所を求め、街の陰で暮らしていた。運び屋とかつて呼ばれていた子供たちが主に都市部に住んでいるほか、田舎には疎開したものの、都心部の親を失い、親戚にたらい回しにされた挙句再び都会に逃げて来た子供がいる。拾うのならば、そうした子供達だろう。プラムマンの耳にだってストリートチルドレンの話を聞かない日は無い。だが、サタケが拾うと言うのは驚きだった。冷血な男だとは思っていないが、拾うとも思っていない。
「行政は頼れないのか。国は」
「今、児童養護施設はどこもフル稼働で200%。職員の数が足りないから、ミニギャングと呼ばれる子達に手を焼いている」
ミニギャングとは施設に運良く入ったものの、食事や住居環境が良くないため不満を覚えて非行に走る子供達のことだ。哀れに思ったのかお互い様なのか、その活動を支援する反社会的勢力がいて、ドラッグや拳銃などの温床を生んでいる。反社会勢力は、子供に目もくれない混沌とした町角にふらりと現れては金と違法薬物を蔓延させて体のいい構成員として使えるし、子供たちはその金で生きる旨味を覚えて進んで活動するのだとか。治安維持の為には癌のような存在だ。そんな状況が報道されても、毎日朝を迎えると、施設の前に置き去りにされた子供を職員が見つけるらしい。窓口に行ってみたが、一年は待ってくれと言われてしまった。
「福祉も難しい。目が見えない子でね…今はシッターに来てもらって、なんとか」
「どのような経緯で?」
「いつも歩かない場所を歩いた。そこは被害が大きい土地で、…君も上陸しただろう。あの辺りは今も混沌としていると聞いていて。ビルの間に、その子がいた」
「目も見えない子が?」
「いや、実はもう一人子供がいたんだ。片手が四本指で、うずくまってた。心配になって声を掛けたら、この子を頼むと」
「しかし、先程から子供の声が聞こえないな」
「病院で見てもらったら極度の栄養失調らしい。でも静かな子さ」
「一度も泣かないのか」
「抱きかかえるとぐずるくらいかな」
本当に子どもがいるのか、プラムマンには疑わしかった。zoomの限られた背景にはサタケの部屋が映っている。だが子供らしく、泣いて親を呼ぶ声も楽しそうなはしゃぎ声も聞こえない。サタケと通話しているだけでは、そこにいるのは子供というよりも、まるで人形のような姿が浮かぶ。
「どうしたものか、本当に考え込んでいてね…金額の問題より、子供の親を見つけてやらなければならないし。何も手がかりがない」
サタケの頭では、どこかで子供を探している親の姿が浮かぶ。だが大量の失業者を排出すると共に、壊れたビルを整備するための需要で建設業界は嬉しい悲鳴を上げている。人手が足りないくらいであるらしい。そのせいか失業者がなだれ込み、これまた混沌を産んでいるような状況で、親に果たして子供を養う余裕があるのかは疑問だ。今の日本では子供は手と金のかかる御荷物なのだ。施設に置き去りにする親も、そういう親が多いと聞く。大規模な戦争が破壊した日常はあまりにも大きい。だからせめて、栄養失調を解消した辺りで子供の親を探してやりたいが、サタケにも職務がある。
「上官に説明はしているが、並行して親探しをしたいのに、…時間が無いんだ」
「リュウジ。私が行こうか」
「えっ」
愚痴をつらつらと並べていただけなのに、思わぬ提案にサタケは面食らった。まさか、優しいなと軽く流そうとすると、プラムマンは真剣な顔をしている事に気付く。
「日本語は危ういが、今は便利な物もある。何より、あと…そうだな。二週間。二週間待ってもらえれば、私は自由だ」
「いや、君にだって大事な物はあるだろう。そんな貴重な時間を費やすなんて」
「流動性のある人材は、この場に私だけということさ。よく考えてくれ。育児は覚束ないが、人手は必要だろう?」
それは喉から手が出るほど欲しい。サタケにも親戚筋や両親はいるが、高齢であり何の縁もない他人の子を養育するのに巻き込むのは忍びない。だからこそ恋人に漏らした愚痴だったが、あっさりと解決しそうなのでかえって戸惑っている。
「ベビーシッターの経験はない老いぼれだが、雇ってくれないか? リュウジ」
「渡航の費用は負担するよ」
「ダメだ。貴方は雇うんだから、大人しく私の到来を待つように」
プラムマンは少々厳格な風にそう言った。せめてもの提案を却下され、サタケはでも、と次の言葉を継ごうとした。棚から牡丹餅という言葉がよぎる。遠方にてこれからも暮らすであろう恋人が、今からこっちに来るという。自分に会ってくれと我儘を提案するつもりもなかったし、彼に自由を満喫してほしかったのに、あっさりと同居が決まってしまった。バラ色の生活とは程遠いが、それも子供の養育と親を見つけるまでである。それでもプラムマンが足取り軽く自分の所にやってきてくれるというのが、急に嬉しくなって、サタケは分かりましたと素直にこぼした。
「よろしい。それでは自由になり次第、飛んでいくよ。君の元へ」
「トーマス、待ってくれ。その、君にそんな負担を強いるつもりはなかったのに、つい言ったんだ。同情を引くとか考えてなかった。それだけは信じて欲しい」
「つまり? 簡潔に」
「非常に、嬉しいです」
サタケの言葉にプラムマンは満足げに頷いた。そうしてzoomが切られた後、アラームが鳴るので急いでサタケはキッチンに向かう。子供の世話の為だ。世話は赤子よりは少し楽ではある程度だ。小児科医の見立てでは、赤子だと思ったその体は成長を止めて命を長らえているだけだという。そういった子供を何人も見てきました、暗澹たる言葉を小児科医はどこか諦めたような微笑で口にした。そのため治療は先進国とは思えない程のものだ。高度な技術は必要としないが、とにかく高カロリーの小児用食を食べさせる。まだ歯が目立つ年ではないから、ペースト状をあたためて与えて、ミルクは適度に。だがそれ以外に命を燃やすかのように泣くことは無く、シッターは病理保育を主として活動していた看護師だったらしく、楽な方ですよと淡々と答えた。この混沌とした世界で、医療従事者の数も減ってきているのだという。皆疲れ切っているからだ。その中でサタケが懐は少々だけ痛むが腕のいいシッターを見つけられたのは幸運な事だった。彼女は与えられる給金以外に興味を持たず、淡々と子供を生かしてくれている。日誌も正確に描かれているし、最初に頼んだ時に部屋に見守り用のカメラが無いとサタケが言った時、買い揃えてから仕事を始めますと言ったのには驚いた。彼女は雇い主のサタケの信頼を勝ち得るつもりはなく、客観的な物がなければ雇われるべきではないという。盲目の子供は、そんなことはつゆ知らず、何人もの大人の力を借りて生きながらえている。
そのことをあの四本指の子供に伝えるには、サタケに時間が足りなかった。あの子は生きているだろうか。あの子もいずれ行政や福祉に繋げなければならないだろう。知り合いに確か官僚がいたはずだから、つてを頼ってなんとか。まずはこの世界に生れ落ちて、生きている子供に食事を与えなければならない。プラムマンが来たら、あの四本指の子のところに行こうと思いながら、電子レンジであたためたペーストを持って部屋に行った。子供は静かである。声を出す事を習っていないかのようである。最初は不気味に思ったが、同室にいてもよく眠れるので次第に手のかからない子だと思うようになった。話しかけても、何の返答も無い。育児に明確な答えはないと言うが、これでは少々不安だ。その不安をプラムマンは分かち合ってくれるのかもしれない。明るい未来に思いを馳せて笑ったのは久しぶりだった。きっとこの疲弊した世界の中で、一縷の希望とはこういうことを言うのだろう。