「これどこで借りて来たんだ」
クリムゾンが訝し気にさるDVDを指でつまんだ。ネームバリューが無いが名作映画を探そうという趣旨のもと、不定期にギガと映画を見る会を繰り広げているのだが、それにしたってこのDVDは知らない。クリムゾンはある程度マニアの端くれであると自覚しているが、知識がまだまだということか。DVDにはこう記してあった、「約束の地の臆病者」。知らないタイトルだ。
「さあ。適当にかご入れたから混ざったんじゃね」
借りて来ただろうギガは暢気である。名作を探す旅路なのに、連れ合いに駄作はごめんだ。監督も知らないから判断のしようもない。だからとりあえず、この「約束の地の臆病者」から見ることにしたのだった。初めて見る作品が多いのだから、何を片手にすればいいのか分からない。クリムゾンはとりあえずビールを用意し、あたりめと焼き鳥のパックを温めてテーブルに置いた。冬場になるとこたつ布団を敷くテーブルである。一人掛けのソファーもあるのだが、ひとまず横着した。映画が始まる。まず出て来たのは壮年の東洋人の男性と、中年の彫りの深い外国人と思われる男性が親し気に、手を握り合いながら道を歩いている。その光景に少々見覚えがあったで、ちりちりと頭の中でどこかと記憶を探る。クリムゾンが探す前に、ギガが先に言い当てた。
「銀座じゃん?」
「本当だ」
銀座の道を、まるでミュージカルのように二人は手を取り合いながらたまに踊る。殆ど素通りしている通行人が、一人だけ迷惑そうに避けたのでエキストラを雇ったというよりゲリラ的に撮影したのだろうか。そこがホームビデオのようで低予算の映画なのかなとクリムゾンは思った。カメラワークは悪くないが、まるで迷惑なカップルを盗撮しているかのような視点でもある。二人は嬉しそうに見つめ合いながら、銀座の街を小走りになった。この場面が二人の幸せを表現しているのは、映画マニアでなくとも分かる。クリムゾンはビールを飲んだ。同性愛の映画もそんなに珍しいものではない。少々周囲が見えていないのも、まあ惚気としてはありがちだ。だが次の瞬間、青信号を渡っているだけなのに白人男性目掛けて大型トラックが通り抜ける。人間の肉体は残像となっていたが、吹っ飛ばされたのだろう。交通事故だ。しかもかなり不運な部類の。何もしていない善良な市民が巻き込まれる、フィクションであっても胸糞の悪い事故である。目を見開く男性の顔のカット。その後場面転換。次の瞬間、マンションが映り、その部屋の窓にズームイン。部屋の中に切り替わる。ペットカメラであるかのような少々荒い画面である。その中で、男性は白い骨壺を抱えていた。部屋は閑散として、家具が無い。まるで相方の死に悲観して、ついでに身辺整理をしたのだろうかと思う程に、何もない。ただ骨壺を抱え、呆然としている。人生であまりお目にかかるものではないが、白い生地の中にも光沢のある柄が無数に覆っている。白は何色もある。その感覚が分かる気がした。
「綺麗過ぎじゃね」
「身辺整理にしてもな。何がある?」
「多分ベッドも無さそうだわ。さっきのカットで奥もちらっと映った」
「借りたスタジオそのままとか?」
「んー、にしては。ちょっと綺麗過ぎる」
スタジオなら小道具があるだろうが、それすらない。借りて来たばかりの賃貸という方がしっくりと来る。男性は骨壺を抱えていたが、何かを思いつめた様に立ち上がり、どこかから出した大きめのバッグに入れた。ランドリーバッグであろうか、布製で実用的だ。布団でも入るサイズなのだろう、骨壺にはそのバッグは持て余すほどだが、余った布をくるりと包んで、大事に抱え上げる。
「恋人なのかな」
「まあそうじゃね」
ギガが呟いた言葉に、クリムゾンはそうだろうと思ったので答える。この落胆ぶりは友達ではないだろう。冒頭の手を取り合っている様からも明らかだ。身支度を整えているが、男は深い帽子をかぶり目元が映らないようにした。そして不思議なのが、無地の服を着た上に上着をかぶり、その上からさらにジャンパーを着こむ。寒いのかと思ったが、にしても着ぶくれするほどだ。何かの目をごまかすような行動である。クリムゾンは面白くなってきたと前のめりになった。
「なんだ? なんかおかしいな」
「バレそうになったら服脱いで捨てる」
「やっぱりそうだよな。なんでだ? 監視カメラでも意識してるのか」
「…この骨壺さぁ。許可取ってんのかね」
ギガが不思議そうな事を言い出す。
「どういう意味だよ。日本で死んだんなら火葬はするだろ」
そんな会話をしていると、画面の中で床の上の携帯が鳴る。男性はそれを一瞥し、スマホを拾い上げるとポケットに突っ込んで部屋を出てしまう。ペットカメラは数台あるようで、たびたびカットが切り替わって映画としては自然だった。骨壺を大事に大事に抱え上げている男性は、マンションの防犯カメラであろう天井に近い画角に写る。
「外国人だったから、まあ日本在住なら日本で火葬すりゃいい。だけどよ、国籍が日本以外なら領事館の許可が必要じゃん。それに遺族的にヤバいだろ。勝手に火葬したら」
「可能性はあるが、まあまだ分からんな」
男性はマンションを出た。防犯カメラが無い場所は、ドローンだろうか、上空から覗き込むような画角である。たったったと男性は軽快な足取りで駅に向かう。途中、何度も携帯が鳴っているが、ついには男性は電源を切ってしまった。どこへ向かうのだろう。今のところ男性の自白も無ければ、独白もない。駅に向かうと、そこにかなり若い男がいた。待ち受けるかのようにいる。
『どこ行くんですか』
「新しい登場人物キタコレ」
「こっちも帽子被っててよく分からんな」
クリムゾンの見る画面には、黒いキャップを被り黒いパーカーの恵体である。そこでカメラが若い男の正面を向いているので、登場人物の目線なのだろう。そこでぐんと引いて、カメラは二人を映す。手を取り合っていた時の印象のせいか、骨壺を抱える男性はそこまで大きく見えなかったが、並ぶと若い男に負けないほど体付きがいい。骨壺をちょこんと抱えているのは、まるで歩かないペットの散歩に行くかのようなラフさで。
『お前には関係ない』
『領事館から連絡がこっちに入ったんです。みんな探してます。遺族の方が、骨を返して欲しいと』
『……』
どや顔をしてギガがこちらを見るのに、うぜーとだけ返してクリムゾンはビールを口に含む。恋人が唐突に死んでしまっての暴走。まあまあよくある映画のテーマだが、この主人公はどうするのだろうか。駆け出した。若い男が逃がすまいと追って手を伸ばしたのを、主人公は掴んで捻り上げた。バランスを崩す若い男は地面にもんどりうって、それを助け起こしもせずに駅へ。人目があって通行人が驚いた顔をしているものの、主人公は骨壺を小脇に抱えて電車に飛び乗ってしまった。若い男がしくじったとばかりに顔をゆがめて、せめて飛び乗った電車を見つめている。行き先を判断するつもりなのだろう。どこかへ電話を掛ける。きっと若い男には仲間がいて、彼らと連携して主人公を捕まえる気なのだろう。おそらく、骨を遺族に返すために。対立構図は分かったものの、視聴者が見ている主人公が突き動かされている行動理念は先ほどの銀座の街ブラと、突然の交通事故だけだ。興味を持たなければ、ただの我儘で突飛な主人公である。今後の展開がうまくいかなければ、この映画は外れかもしれない。
その後、死んだはずの恋人が現れて(おそらく主人公の幻想であろう)、新幹線に飛び乗るところで、先程の若い男と複数人の仲間が駅構内で追いかけっこになった。かいくぐり、通行人を盾にしながら、主人公は恋人と手を取り合って、本来乗る筈ではない発車直前の博多方面の列車に飛び乗る。荒い息を吐きながら、がらがらの自由席に辿り着いて主人公は空いた席にどっかりと座ると、横にいる恋人と激しいキスをした。まるで恋人の逃避行に変わっている展開にギガは少し貧乏ゆすりをし出した。飽きているようである。クリムゾンも一応目で追いながら頬杖をついた。すると、展開が変わった。新幹線で寄り添いながら二人は思い出話を始めたのだ。二人がどこで出会ったのか、どこをデートしたのか。将来を約束し合えない仲であることと(詳細はクリムゾンは忘れてしまった。ありふれてる)、その中で恋人とウユニ塩湖に行ったことを鮮明に主人公は思い出し始める。ギガは貧乏ゆすりを止めた。どちらかが死んだらここに骨を撒いてくれ、その時に美しい塩湖が牧師であり証人であり、結婚しようと冗談めいたような口調で、おそらく旅先だから高揚して言ったのだろうセリフを、恋人の手を握りながら思い出していると主人公は呟く。恋人が存命の時は、死んだあとなんて冥婚じゃあるまいし馬鹿げていると笑っていたのに、今は何故だかその言葉だけが生きる支えになっている。飛行機に乗りたいと主人公は考えていて、チケットを取って旅立とうとする。当然若い男が、おそらく仕事の部下らしいが、待ち構えていた。どこで漏れたのだろう。執念で追ってきているようだった。だが主人公は一足先に飛行機でボリビアに向かっていた。部下も同じように飛び立つ。そこで最終的にウユニ塩湖に辿り着いた時には、星が見える夜だった。主人公の傍らに恋人はいない。飛行機に乗った時から骨壺に変わっている。そこで主人公が撒き散らすのだろうと思って、部下が慌てて近付いた時、主人公は突然骨壺を抱えたままその場にへたり込んだ。カメラが部下の男の目線で近付く。主人子は泣いている。泣きながら嗚咽の中で、ここで撒いたら、本当に恋人は死んでしまうのだということに気付いたと言うのだ。
『本当に、ほんとうに死んでしまう。今まで俺の手を取ってくれたのに、死んでしまう』
『落ち着いてください、もう亡くなってるんです。勝手に火葬して、挙句の果てにこんなとこに撒くなんて大問題なんです』
『うるさい。お前には分からない。ずっと、…ずっと俺の横にいたんだ。逃げてる最中だって。』
主人公はおじけづいたのではなく、ここで撒いたら死んだことを認めるということに、向き合えなかった。タイトルが書かれたパッケージを見やる。約束の地の臆病者。なるほどここまで見てようやく題名の意味が分かるのだ。映画はそのうち、ドローンで美しいウユニ塩湖の情景をただ映しただけで、主人公達の所に戻っては来なかった。ここで終了なのかと思うが、まだ映像は続いている。クリムゾンの膝に、無理矢理ギガの頭が乗って来たのが分かった。もう見る気はないのだろう。テーブルの下に潜った頭では、もうテーブルの裏しか見えないからだ。
「重い」
そう言いながらクリムゾンは体を後ろにずらした。ギガの顔がよく見えるようにするためだ。何、と言うギガの口が少しだけ開いたので、クリムゾンはその口に己の舌を差し込む。丁寧に唾液をかき混ぜるように絡み合わせて、ついばむようなキスを繰り返した。唇をついばまれるのを拒んだギガが顔を少し背けるので、何回か頬をついばんだけれど構わずに続ける。そのうちギガの顔を固定して、もう一度水音を立てるように口付けた。二人はけっして、見た映画の熱に当てられたわけでもない。何となくそういう事をする相手だからだ。映画の中のように、逃避行などしてやる義理は無い相手である。約束もするつもりはない二人である。長めのキスに満足してクリムゾンは顔を上げ、ギガの頭を撫でてやった。
「お前の骨はオレは持ってやらないからな」
「要らんわ。そもそも俺の骨が無事な保証は無いわけだし」
クリムゾンが首を傾げると、ギガは続ける。
「俺の墓暴いて、骨ぶちまけるぐらいはされんじゃね?」
「自分の事なのに他人事だな」
「生きてる間にやらねー臆病もんに怯えるほど、俺様は暇じゃねーの。死んだあとはどうぞご自由に?って感じ」
そこら辺は部下がうまくやるだろうとギガは言う。クリムゾンはギガの墓が荒らされる場面を想像した。骨壺は叩き割られ、中身の骨を余すことなく地面にぶちまけて、骨を踏んで砕いて、綺麗な部分は残らないまでに土足で踏み荒らされる。それだけの恨みを買っていると分かっていながら、何も怯えも自省もしないのがギガらしい。
「だったら、先にちょっともらってやるよ」
「何すんの」
「都都逸に、粉々にして酒に混ぜて飲むってのがある。オリジナルカクテルくらいは作ってやるかな」
「は、ご自由に?」
ダイヤモンドにする、記録としてパウダーを肌身離さず持つ、墓に埋葬する、人間の悼む方法は千差万別である。だから何をしようとクリムゾンの自由なのだろう。ギガは関与しない。ウユニ塩湖に撒くのはいいアイディアだ。美しい場所には美しい思い出が相応しい。だが労力がかかるので、そこも愛情の深さによるものかなと思う。第一、他の観光客が良い顔をしないだろうから、一種の盲目にならなければ。人は死んだ後も手間がかかるものだ。だったら生きている間に堪能しきった方がいいなと、クリムゾンは再びギガの頭を固定して顔を近付けるのだった。