唾液で溺れ始めたのが、見始めた映画の二本目だった。続きが気になると押しのけてみるも、自分の手の力はあまりにも弱かった。人二人が簡単に横たわるほどのソファーを部屋に置いたのは、こういう行為をするためではない。広く安心感のある佇まいが気に行ったのだ。だからソファーを汚すのもあまり好ましくは無かった。それでも、何故か自分の手はあまりにも弱い。
 「トム」
 非難めいた声を呟いてみせて口に手のひらを押し付けて塞いだのに、指が服の下に潜りこんで皮膚を小刻みに撫でてくる。サタケが相手の手を払いのけるのには手っ取り早いのは服を脱がなければならない。そうすればプラムマンの思う壺だ。だから服はそのままで、サタケはテレビを横目で見ながらに上体を起こしてプラムマンを見やる。
 「…堪え性がないぞトム」
 「予定では後だったか?」
 「そうだな。今日は一人寂しく映画を見る予定で」
 「前倒しになっただけだろう」
 「…明日は、君を連れて観光の予定だったんだが」
 「挿入はしない」
 「それもなんか違う気がするんだが」
 ああ言えばこう言うように、サタケは憎まれ口を叩く。我儘と言ってしまえばそうだ。子供を宥めるように頬に口づけて来るのは止めなかった。もう四十にもなってこんなにも年上に甘える機会が得られることは少ない。顔が離れたので押し倒されたままの格好で、サタケはふとテレビに目をやる。悲鳴が聞こえた。演者の悲鳴だ。続いて銃声。皮肉なことに、人間の悲鳴には咄嗟に体が反応してしまう。銃声も同様だったようで、先程の雰囲気はどこへやら、研ぎ澄まされた表情でテレビの画面を注視するとそこには液晶の向こうで事件が起こっていた。自分達の世界ではない。映画の中の世界だ。安堵すると同時に、不意を突かれたからつい反応してしまったと二人は笑う。自分で押し倒したのに、プラムマンはサタケの頭の後ろに手を回してそのまま起こしてくれた。プラムマンの胸元に抱き着くようにだが、背中が自立する。片手は髪を撫でながら、もう片手が背に回って子供にするようにぽんぽんとたたく。
 「やる気がなくなったのか?」
 「そうだな。今はこれで満足しておこう」
 耳元に触れる吐息を感じる中で、テレビの向こうでは何か事件が起きているようだ。どうせならそれを見てしまおうと目線だけ起こすと、サタケは映画に没入することにした。ソファーに包まれる感覚の違いか、人肌に包まれるかの違いになった。後者は贅沢である。たまにはいいかともたれかかってみて、しっかりと支えてくれる手に甘えてみた。
 映画鑑賞を終えた頃には、遅すぎる軽食を軽くつまんで眠る事にした。夜更かしをしている背徳感と、体に悪い時間帯の食事は後悔もあるが、共犯者がいるだけで楽しくなる。
 「最近は映画を見ているのか」
 「うん、まあそうだな。君が帰った日なんかは寂しくてね。それで、映画を借りることを思い付いた」
 「愛らしい言い訳をするものだな」
 「本当に寂しくてね。年かな」
 サタケはそう言って、フライパンで焼き目を付けたサンドイッチを放り込む。バターで焼いたので香ばしい。少し甘い。そこに有り合わせの野菜とたまたま買って残っていたローストビーフを突っ込んで、軽食らしい形にはなった。
 「最初はローマの休日を借りたな」
 思い出すようにサタケは言う。彼の記憶は一か月ほどまえに遡った。寒さが次第に冬将軍の到来を告げるころ、あのレンタルショップに二度目の訪問をした時に、あの駄作を掴ませた二人はいた。
 「今日は今監督が見たい!」
 紫の髪の男が、マフラーの向こうにある口からくぐもった声を出している。白い髪の男が了承したように頷いていた。
 「了解。PERFECT BLUE、パプリカだろ、千年女優だろ」
 「ベルセルク」
 「それは今監督じゃねえ。待て、お前平沢進の曲が聞きたいだけだろ。だったらCD聞いとけ」
 「映像とセットで聞きたいところあるじゃん」
 「まあ分かるけども」
 「千年女優見た後用にさ、あれ借りて。ローマの休日」
 「何故」
 「三次元の大女優、見ときたくなるから」
 「いいけど却下で。だったらMEMORIES見ときたい」
 他愛もない会話である。その後もやいのやいの言い合っていたが、二人は結局他の映画の話に移行していってサタケのいるところからは離れて行った。名前だけを知っている映画だが、今の頭に残ったのはローマの休日という名作映画の名前だけだ。借りてみようとつい手を伸ばして、その一本だけをレンタルして帰って見た。大人になった自分に、身分違いの恋模様はどうかと思ったが楽しめたのは覚えている。名作と言われるのが分かる気がした。時を超えて愛される作品はその当時に技術的に革新的であったことか、あるいは緻密で無駄のないストーリーであるかだ。たまには生まれる前からの作品に触れるのも悪くは無かった。
 「それはまた王道を」
 「意外と目にしないで大人になってしまうものだと痛感したよ」
 そんな他愛ない会話を終えて眠りについて、翌日は一日中の観光を終えて帰宅した時だった。三本目の映画がそのままだと気付いて、サタケはとにかくDVDをプレイヤーに入れた。ちゃんと見るつもりはなく、流すつもりだった。レンタル期間を二泊三日にしたので見なければならない。それを終えてから手洗いをし、コートを脱いで片付けると食事をどうしようという話になった。観光地に出向き、夜更かしして朝食は抜いた分、豪華な昼食を済ませて来た。何か弁当でも買えばよかったと気付くが後の祭りである。時刻は18時前だ。暗い部屋の中の灯りを点けて、思案するにも少々足が疲れている。今からまたコートを着込み、どこかに動きたくはないのが本音だ。ソファーにサタケは腰を下ろした。映画が始まっている。まだ冒頭だから登場人物はなんとなく分かる。次の行動を考えなければならないのに、目は映画の中の現実に夢中になって考えることを放棄していた。途端、隣にプラムマンが座って来た。コートを脱ぎ、手を清めたのか腕をサタケの背とソファーの間に差し込んで、体を滑り込ませるように割り込んで来た。後ろから抱き締められるような形になり、服の上から肩に口付けられたのを思わず振り返った。
 「くすぐったいよ」
 ふふ、と小さく笑う声が聞こえた。サタケは一応前を見やるが、抱きしめてじゃれてくる相手に気がそぞろになって、いやむしろ、世界中で今一番注意を向けなければならない相手への気恥ずかしさか、くすぐられたかのように笑った。勘弁してほしいなあと心にもない事を呟いて、この映画に何の罪は無いけれど、この後の一生で見る機会は無いだろうと画面を見やってからプラムマンを見つめるのだった。
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初公開日: 2024年05月30日
最終更新日: 2024年05月30日
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