冬の風を切って走るのにバイクは凍えそうになる。その為に通気性の高くないレザージャケットが役立つ訳なのだが。赤は暗闇の中で溶ける色だ。暗がりから突然現れる赤いバイクは目を引くのか、店舗の駐車場に辿り着くとその鮮やかさに目を奪われる他者を見るのがひそかな楽しみではある。冬の冷気を体の前面に受けたせいで心臓まで冷え込む気がした。そのくせヘルメットの中には吐息と熱がこもっていて汗さえ滲む。愛車を停めると、バイカーは青が目を引く店舗の自動ドアをくぐった。ここは都内にあるレンタルビデオショップだ。吐息が凍りそうなほどの寒さの中で、ドアの向こうはあたたかな空気で満ちていた。時刻は夜の19時過ぎ。夕食を終えて人々は居宅に留まっている時間帯である。わざわざ寒い夜に店舗にやって来る者は少ないせいか、店舗に人気は無いようだ。数名の人影が、天井まである棚を見上げたり覗いたりしている。皆新たな来店者には気にも留めない。アルバイトだろう若い店員のいらっしゃいませもどこか間延びしていて、こんな時間にやって来る暇人を心ゆるく出迎えてくれた。サタケはビデオコーナーとは古い言い方だろう、今はDVDコーナーか。サタケが幼き頃に親に連れられてやって来たのは、小学校の低学年ぐらいだっただろうか。図書館や水族館、美術館。あらゆる公共機関には連れて行ってもらった覚えがある。特別そのどれかに傾倒することは無かったが、有難いことに世にあふれる教養を身に着けることは出来た。非凡な才能は自分には無かったが、この世の娯楽を楽しめることも出来た。ずらりと並ぶ列に圧倒されながら映画のタイトルを見やる。両親に連れられた回数は少なかったが、子供にはありとあらゆる娯楽が目の前を圧倒してきて目を輝かせた思い出が蘇る。幼少期のわくわくした気持ちは大人になっても失われずに、反芻されるものらしい。今でも縁もゆかりもない地域のレンタルショップでも小さく胸が高鳴るのだ。
 アクション物にしようか。娯楽を常に追い掛けている訳では無いので、流行には疎い。だから超大作というロゴをなんとなく見つけると手に取って、あらすじやパッケージで面白いかをなんとなく思い描いてみる。そこで興味がそそられれば手に取るし、違うなと思えば戻すだけだ。人気が少ないから、ア行から順にゆっくり棚を鑑賞する余裕がある。二本ほど見繕って、あと一本くらい見つけたいなと思いながら棚にばかり集中していると、自分がこれから向かう棚の前に長身の男が立っているのが分かり、サタケははたと足を止める。別に通行の妨げをしているのではない。彼も棚に熱中している。目出し帽を深く被っているが、その髪の色は電灯の下で紫色をしていた。服装も安物ではないが、どこか反骨精神の表れが見て取れる。彼はタ行のところの一本のDVDを長い指でちょいと引き寄せて、それだけでパッケージを確認しているようだ。映画通なのかもしれない。自分は詳しくないのであらすじまで見ないと分からないが、記憶と現実を照らし合わせているかのような作業なので、もしかしてそのDVDは面白い映画なのだろうかと興味をそそられた。
 「おい」
 近い所から声が聞こえた。自分にではない。長身の男にである。白い髪で目出し帽を同じく被っている男の方に、紫髪の男はサタケに背を向けた。指で引っ掛けられただけのDVDは棚に戻っていた。サタケもその棚の前に並び、上から目で探す。すると横から二人の会話が聞こえて来た。
 「なに」
 「どっちにするか悩んでんだよ。安定のシャークネードか、最新の温泉シャークか」
 「世界一どうでもいい二択」
 二人はそのまま会話しながら遠ざかっていった。レジに向かったのだろう。残ったサタケはふと、先程彼が指で掴みかけていたDVDを手に取った。あらすじは、まあ面白そうである。キャストもなんだか名前を知っている俳優が出ている。それじゃあ三本目はこれにしようと決めて、サタケもレジに向かった。
 自分の身に何かあってから引き払うのに、若い頃は安アパートの方が何かと都合がいいかと思っていたが、年齢を重ねるとそれなりに生活の質にはこだわりたくなる。結局マンションに賃貸で住むことを選択し、ビデオショップから愛車で戻って来ると寒さが身に染みこn。もう時計は20時を回るだろう。駐輪場からエントランスへ。そのまま自室に戻ろうとした時、エントランスに見知った顔があるのに気付いて早足になった。
 「トーマス…?」
 「リュウジ。出掛けていたのか、ちょうどよかった」
 「到着は明日って」
 「驚かせたくてな」
 そう言ってにやりと笑う年上の男に、サタケは顔もこわばる寒さを忘れて笑ってしまった。嘘をついて長距離を渡航し、サプライズしようって?   プラムマンを見ながら、よくそんな体力があるものだと感心する。
 「冷えたんじゃないか」
 「そこまで老いぼれてはいないさ」
 寒がっている様子は微塵も無いが、なんだか彼が強がっている気がしてサタケはもう一度笑う。自分の荷物に、プラムマンは当然疑問を投げかけて来た。
 「それは?」
 「ああ、レンタルビデオショップの。映画でも観ようかと思って」
 「そうか。じゃあちょうど良かったな」
 「でもポップコーンもコーラも無いんだ。あるのはウイスキーだけ」
 「最高じゃないか」
 冬の夜の寂しさのお供に夜更かしをする気だったが、隣に人がいるのなら話は別だ。今からでも買いに行こうとするサタケを押しとどめて、プラムマンは軽く腰に手を添えると、エスコートしてエレベーターの前にサタケを連れて行く。決してその手に力は入っていないが、サタケはその手に抗えないことを彼は知っている。ちん、とエレベーターが鳴って扉が開くと、プラムマンは恭しく手を前の空間に差し出した。
 「どうぞ」
 「俺の家なのに」
 もう一度サタケは笑う。今日片付けをしてよかったと口走るが、聞かないふりをしてくれているようだ。
 それじゃあ映画を見ようという事になり、サタケは三本目に選んだあの男が指で引っ掛けたDVDを再生した。結果は大失敗だった。始まって10分で集中力が切れ、集中すればするほどかえって困惑する羽目になり、映画が終わるまでの二時間を返して欲しい気分だった。まだ22時だ。いやもう22時? このために? この映画の為に? はあとため息を吐いたサタケに、プラムマンは突然笑い出す。快活に豪快な笑い声が部屋に響いた。
 「つまらなかったな!」
 「…こんなはずじゃ」
 「あまりリュウジの趣味に合わない物じゃないか。どうやって見つけた?」
 「ああ、それは。…店で俺の前に選んでる人がいて。面白そうだとなんだか思ってしまって」
 「怒っちゃいないさ。むしろ面白い出会いだったよ」
 慰められているようでもなく、前向きに捉えられているプラムマンの言葉に救われる反面、勝手に顔も知らない男に騙された気分になる。
 「映画通っぽかったんだけどな…」
 「まあ世の中には様々な人間がいる。駄作を愛する人間もいるさ」
 「そうか! …こんな寒い時期に、ネットで見ないでわざわざ店に足を運んでるんだ。その可能性があったな…」
 「まんまと騙されたな」
 「いや、あと二本。あと二本は大丈夫だから」
 サタケは次の映画のDVDを取り出す。今度こそという思いで、今の映画を忘れて新しいDVDをセットした。間接照明とテレビの青い光が映し出すサタケの横顔を見つめながら、映画は見る相手が重要なのだとプラムマンは思う。これも一つの思い出になるだろう。交流とも言えないが、一本のDVDを挟んだ向こうに知らない誰かが透けて見えて、その不思議な出会いに何故だか感謝の気持ちが湧いてくるのだった。
 
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