眠気を飲み込んだ。眠気を奪った者を見送るためだ。疲労もある。疲労も与えてくれた相手である。群に所属し、鍛えられた体はそれなりの事で音を上げることは無いと自負しているが、それでも対人的な疲労はその身をむしばむのだ。見送りに名残惜しさを残さないのが相手の流儀であるようで、頬に親愛のキスを交わして彼は一度も振り向かずに搭乗口に向かってしまう。キャリーケースのごろごろという音が遠ざかるのを聞きながら、サタケはその背中をじっと見つめる。彼ほどにすっぱりと諦められないのが実情だからだ。ぴしりと伸びた背中はあまりにも頼もしく、どこまで遠くに行って人の海の中に紛れても灯台のように分かる。来日してからのスケジュールはかなり詰め込んだが、今回の旅も良い旅であったと記憶には残るだろう。いずれ時間が空いたら、いずれ退役したらと相手の時間の拘束を夢見ることもあるが、今はそれぞれの立場を尊重することで人生に彩を添えるにとどめている。去り行く背中に愛の言葉でも投げつけようかと考えて、でもきっと微笑んで返してくれるのだと思ったら実行には至らなかった。ああ、これで帰ろう。そう満足して空港を去ろうとした時だ。
 「あれ、隊長?」
 聞き馴染みのある声に、サタケは余韻を忘れて周囲を見渡す。すぐに声の主は見つかった。
 「リオウか」
 「奇遇ですね。そういえば、隊長明日からでしたもんね」
 「お前は今日から休暇だったな」
 「なーんか嬉しいです」
 えへへとヒビキは笑う。サタケが受け持つ部隊の一人である。彼女はいつも通り快活に、格好は今来たばかりという感じだ。巨大な荷物が見当たらないことから、旅行にしても手軽な物だろうか。
 「どこか行くのか」
 「いいえ、出迎えです」
 「そうか。俺は見送ったところだよ」
 「へえ、サタケ隊長もそうなんだ。あたしも12日後には見送りです」
 ヒビキは空港限定で売っているであろうジュースを飲んでいる。出迎えをするというのに気楽である。気の置けない相手なのだろうとサタケは思った。
 「アウリィ中尉は元気か」
 「え? なんであたしに聞くんですか」
 「今から会うんだろ?」
 ヒビキがへっと驚いた顔をしたのち、すぐにはあとため息を吐いた。
 「そんなに…分かりやすかったですかね?」
 「可愛い部下の事だからな。なんとなく想像は付く」
 「じゃあ言いますけど。プラムマン上級曹長はお元気でした?」
 「…なんで俺に聞く?」
 「だって、お会いになったって顔してるから」
 はあとサタケもため息を吐く。尋常ではない戦場に放り込まれ、国境を越えて絆を深め合うのはあまりにも自然なことだった。そのため、あまりにも遠い距離の向こうに恋人を置くことも起きた。その一時の過ちのつもりだったが、少々入れ込んでいる。貴重な休みを消費してまで会っていることがその証拠だ。それはヒビキも、サタケも同様である。
 「夏は米国に行く」
 「えーいいなー。TSの視察とかしてきてくださいよ」
 「完全に私用だからな。見せてもらえるはずないだろう」
 「どこ行くんですか?」
 「さあ。向こうに任せてしまうから」
 「私も行きたいなー」
 「頼んでみたらいいだろう。それとも、そういうことは言い出せないか?」
 からかうようなサタケの声に、ヒビキはそんな事ないですとむくれて言う。
 「そういやイサミも、休み取ってましたよね」
 「この調子じゃ、どこかでスミス中尉に会うかもしれないな」
 「あいつそういうこと言わないから。ルルちゃんには会いたいんだけどなぁ」
 「ルルはATFで見守っていた子だからな。世界中を飛び回らないといけないかもしれない」
 「世界中、か。ブレイバーンでも大変そうですね」
 「世界は広いからな」
 それだけ言うと、サタケは空港の出口に向かおうと体を翻す。
 「え、まだ話しましょうよ」
 「俺は邪魔になるだろう。それに、余韻もあるんでな」
 「ほー。お熱いことで」
 「お前も抜け殻にならない程度に楽しめよ。リオウ」
 「大丈夫です。わたし若いんで」
 ヒビキがにかっと笑うのを見て、サタケは空港を後にする。この腕に残る僅かな余韻を抱いて、きっと単調な日々を耐えられるはずだ。ヒビキが搭乗口を睨み続けて、あとどれだけ待つのだろう。こころのかけらを託す相手を待って、つま先で床を蹴ってみたりして。きっと待ちきれずに手を大きく振る事だろう。様々な人生の局面を飲み込んで、空港は雄大にそこに佇んでいる。
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