毎週木曜はすっかり滑り込みで最終日の上映を見る日となっています。こないだのゲームパビリオンが終わってからなんかもうすべてが終わった気になってて油断してたらもう木曜日ですよ。
 というわけで今日見てきたのはこの作品!
 みんな大好き「大将(タラパティ)」ことヴィジャイ氏主演の本作は、今まで見てきたインド映画とはまた一味違うビジネスもの。大企業の社長・ラージェンドランには3人の兄弟がいましたが、その三男であるヴィジャイは若い頃に父に反発して出ていったきり実家に帰ってきていません。そんな中、ラージェンドランは末期がんを患ったことで自分の死期を悟り、会社の後継者のことを考えざるを得ない状況に。同じ家族でありながらも、ヴィジャイとラージェンドランや二人の兄とのあいだにはすでに埋めようのない深い溝ができており……。
 これまで見てきたインド映画は、どれも多かれ少なかれ、あるいは望むと望まないとに関わらずインド社会の抱えるさまざまな問題を取り上げたソーシャルな視点での話でした。しかし本作は、そうした作品に比べると意外なほどパーソナルな視点の物語だったと感じました。
 本作は大企業の跡継ぎ問題、ライバル会社からの妨害などといったいわゆるビジネスバトルとしての側面も持ちますが、では本作の主人公であるヴィジャイの目的は兄弟やライバルに打ち勝って企業のトップに上り詰めることかというとそうではない。確かにヴィジャイは作中で権謀術数、ときには実力行使を持って障害を排除していきますが、その目的はあくまで「バラバラになった家族をつなぎわせること」なんですよね。企業のトップに就くことはそのための手段というか中間目的に過ぎない。
 今まで見てきたいろんなインド映画では、場所や時間をさまざまに転じて壮大な規模で物語を展開する、いわば「サーガ」が多かったように思います。対して本作では、主なロケーションのほとんどが実家や社長室といった非常にパーソナルな場所なんですね。これまでのインド映画では「社会のはらむ問題」にスポットが当てられていたのに対し、本作は「最小の社会単位である『家族』のはらむ問題」に対してスポットが当てられているという大きな違いがあると感じました。
 前述の通り、主人公・ヴィジャイの目的はバラバラになった家族をつなぎ合わせることです。ビジネスという側面での危機もあり、会社の経営を巡って対立する敵もいるんですが、やはり真に解決するべき問題は家族が抱えている。むしろ、ビジネス的な危機は彼らが自分たちが抱えている真の問題に気づくためのきっかけにしか過ぎないとも言えるでしょう。
 しかし本作のビジネスバトル部分は刺身のツマに過ぎないかと言うとそうでもない。後継者争いというお約束の危機、目ざとくこちらの弱点を突いてくるライバル企業、二転三転する状況、社長の椅子争い……そうしたビジネスバトルものとしての面白さやハラハラドキドキもしっかり楽しめます。特に中盤の大ピンチからラストの大逆転はお約束ながら文字通り胸のすくようなスカッと感がありました。
 また、本作ではそうしたビジネスバトルの中にも「マスター 先生が来る!」のパロディをやったりしてシリアスになりすぎないようになってました。というか本作におけるヴィジャイ氏の煽りスキルがあまりにもレベルが高い&芸達者過ぎる。特にレスバは完全無敵と言っていいでしょう。
 しかし、そこまで面白いビジネスバトルをやっておきながら、作中でヴィジャイ自身が言っているように彼にとってはそれは手段であって真の目的ではない。
 本作はいわば、「家族」という閉じた状態にあった集団からかつて脱出した自由さを持つ存在であるヴィジャイが、閉じた状態の中で壊滅しようとしている家族を外部から介入することで救済する話だったのかな、と思います。
 こうしたテーマでは悩み苦しむのが主人公であることが多いものですが、ヴィジャイは徹底してさまざまな軛からの制約を受けない自由なキャラクターとして描かれているのが印象的。その分、彼以外の家族はさまざまな側面で悩み苦しんでおり、彼によってそれらの業苦から開放されるんですね。
 こういう主人公はしばしばあまりにも正しすぎ理想的すぎて逆にイヤミっぽく見えてしまうというか不快感を覚えてしまうこともあるんですが、本作におけるヴィジャイ氏は三人兄弟の末っ子という設定もあってか、頭は切れるしケンカも強いけどなんというか全体的に「悪ガキ感」があるんですよね。実家のお茶くみの人とのやり取りなんか特に好き。
 そして本作でよかったなと思ったのが、ビジネスのことはビジネスで、家族の問題は家族で解決していること。これ、凡百の作品なら「ビジネスで成功したから家族の問題も解決した」って流れにしてしまうと思うんですが、そうなると「家族の問題を社会的な成功で解決する」という図式になってしまって真の解決には至らないんですよね。では本作における「真の解決」とはなにか?と考えているとラストシーンでまさにその問いに対する100点満点の答えがお出しされるのでわれわれ観客は涙するほかなくなるという……。バラバラだった3人兄弟が本来ならこうなっていたであろう姿でじゃれ合う姿がもう……。
 あと思ったんですけど、本作って、明らかにヴィジャイが「こっち側」に向けて視線を向けているシーンがありますよね。あれってただ単にファンサービスとかではなく、映画の登場キャラクターとしてのヴィジャイではなくヴィジャイ氏といういち個人から観客に対してのメッセージなんじゃないかと思います。というか本作、主人公と俳優の名前が同じ「ヴィジャイ」なのは意図的何じゃないでしょうか。架空のキャラクターではないヴィジャイ氏自身が映画という創作作品を通してこちら側に訴えかけているので、作中のキャラクターとしてのヴィジャイとそれを演じるヴィジャイ氏は完全にイコールであるというべきか。氏が政界進出を決意したことも合わせて考えると、強くそう思います。
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