フルリスト・サタケにおいて花の配送は重要な業務の一つである。店舗の裏手の駐車場に泊めてあるブレイバーンに近付く人影に、高性能AI車両は目の代わりにライトを輝かせた。
「イサミか?」
だがそこにいたのはイサミではなく、店長のサタケだった。
「店長か、失礼」
「いやいいんだ。イサミは本日休みだが、配達の手が回らないんだ。乗せてもらえないだろうか」
「何? イサミが休み?」
「君なら把握していると思ったんだが、ルルが流行性感冒にかかったとかで大事を取るらしい」
「なるほど。季節外れだが流行していると聞くな」
「ヒビキが今外に出ているが、急遽配達が必要になった。乗せて欲しい」
サタケは念押しする。だがブレイバーンはどうやらその話題についてははぐらかそうと、流行性感冒のニュースについて話題を広げようと試みていた。それをサタケは遮る。
「聞いてくれブレイバーン。私を乗せてくれ」
「…サタケ店長。私は、私はイサミしか乗せたくないんだ。イサミが本日出勤であると知っていたからこそ前日からスタンバイし、オイルを温め、湿度温度共に快適な空間を作っておいた。それも全てイサミの為だ」
「ああ、それは残念だと思う。だが、配達はこの店において生命線でもある。予定時刻まであと15分なんだ。乗せてくれ」
「むう」
ブレイバーンはあまり納得していないようである。だがサタケはよくある事なのか退かない。真顔のまま、淡々と車に交渉を重ねようとしている。
「君はイサミ専属ではなく、このフルリスト・サタケの専属車両だ。それで私は購入している。つまり運転手の決定権は私にあるはずだが」
「ううむ、サタケ店長分かって欲しい。私は確かに君にとってはただの車だろう。ちっぽけな存在だ。だが私には自我がある。私には意思がある。イサミを運転手として選ぶのは、私の意思であり私の思いだ。それをないがしろにするのであれば、」
「じゃあ君を、どこかに売却してもいいと?」
サタケは淡々としている。彼の物言いは、ブレイバーンにとって痛い所を突かれていた。意思がある車両とはいえ、人権があるわけではない。イサミから離れることになるのは避けたい。売却となれば、イサミと遠く離れることになるだろう。
「うぐ」
「先程も言ったが、君はイサミ専属ではなくフルリスト・サタケ専属の車両だ。乗せてもらわないと業務が滞る。乗せてくれ」
「うぐぐ」
「諦めて折れてくれ。このやり取りは三回目だ」
サタケが淡々と詰めるのに、感情論だけのブレイバーンは不利である。元より実権を握る店長に逆らうのが無謀であるのだが。
「…分かった。その条件を呑もう。ただ頼みがある」
「なんだろうか」
「イサミには内緒にしておいてくれ…」
ブレイバーンのはつらつとした声がしょげたように曇る。そしてもごもごと口ごもったと思えば、そんな事を口に出した。サタケはもちろんだと了承する。というより、そもそもイサミはそこまで配達の有無に気を配っていない。それを告げるとこのAIは拗ねるのかショックを受けるのだろうから、サタケは内緒にするとだけ告げて一旦店舗に戻ると、車のキーと配達する花を抱えてきた。
「うう、私はイサミ専用なのに…」
「諦めてくれ。明日からはイサミ専用にするから」
まだもごもごと口ごもるブレイバーンを宥め、サタケは車を発進させる。まるで純真な乙女を踏みにじっているようであるが、これはあくまで車両とのやり取りだ。サタケは小さく苦笑いし、順路に向けてハンドルを左に回したのだった。
セグニティスは大型トラックである。積載量が多く貨物を運ぶ車両である。今日も駐車場において呑気に日を浴びている。だが、その平穏は長くは続かなかった。
「すみません、セグニティスが動かないんですが…」
あまり見たことのない顔がトラックに近付き、キーを押すが開かないドアに困ったような顔をしている。新人らしい。セグニティスはちらりと新人を見たが、素知らぬ顔で眠ろうとしていた。そこに、ベテランの運転手がやってくる。
「どうした?」
「あの、動かなくて」
「ああ、こいつはコツがいるんだ。貸してみろ」
キーを受け取ったベテランは、ぴっと音を鳴らすと同時にドアを少々乱暴に開けた。その間1秒も無い。セグニティスが眠ろうとしていたのに、ベテランはさっさとドアの隙間から体を押し込ませて中に入ってしまうと、運転席に座って見せた。
「ちょ、勘弁してぇな。寝かせてくれや」
「何言ってやがる。今日も配達だ。分かったか新人、コイツは時間との勝負だ。ドアロックすぐ掛けるからな。覚えとけよ」
「は、はい!」
「新人ちゃんが乗るの嫌やなー」
「文句を言うな、トラックの癖に!」
ベテランがドアを蹴るようにして開けると、その乱暴さに一瞬反応が遅れてしまい、新人が助手席に座った。
「よし発車するぞ」
「えーーーーマジでーーーー?」
「セグニティス。今日も仕事だ」
ぶうぶうと不満たらたらでありながら、トラックはライトをちかちかとさせる。だが無視をして、トラックは積み荷を取りに向かうのだった。積み荷を入れている間はサボれる。セグニティスはそう考えていたが、見透かされているのかぺちんとベテランがハンドルを叩く。
「何すんのや」
「後ろを開けろ。寝るな」
どうやらお決まりの事であるらしい。セグニティスは渋々と後部扉のロックを外した。本来ならトラックは人力で開ける筈だが、自動で開いたのを見て新人は目を白黒させる。
「これ、どういう仕組みなんですか」
「なんや兄ちゃん。知らんのかいな」
「セグニティスは黙ってろ」
「えーけったいやなぁ。働いてるんやから、話に混ぜてもろてもええんちゃうん?」
「お前が話すのは大体サボりたい時だからな」
「くっそ、バレてもうてる」
セグニティスは黙る。新人はまだ目を白黒させていた。ここまで高性能なトラックはそれこそ珍しい。だがベテランは多くを語らないし、これ以上はセグニティスは何も喋らなかった。今日も仕事が始まるのだ。
ーーーーーーーーー
物事には諦めが肝心である。だが齢を三〇を超えて育んだ人権や尊厳について、抵抗しなければならない事もある。佐竹健四は齢三四にして危機的な状況であった。だがこの場にあるのは暴力ではない。ただ旧友と甥が本気の顔で迫って来るのに、身を震わせて逃げる機会を窺うのみである。
「やだ!」
悲痛な声を上げたのを無視して、甥がこちらの肩を掴んだ。子供のころから見ていた顔立ちである。成長したがあどけなさが残る二七の甥である。その甥が迫って来ながら片手に持つのは、紫の高級な生地のチャイナドレスである。光沢があるが安っぽく煌めかない。丁寧に織り込まれた服である。甥が着ているのはぎらぎらと電灯の光を反射する安っぽいチャイナ服だ。女性物である。コスチュームプレイ用の物である。叔父に差し出されているのも当然のように女性物なのだろう。健四は首をぶんぶんと振るが、旧友がこちらの服を脱がせようと手を伸ばして来る。
「トーマス。ちょ、お前手伝う気か!」
「当たり前だろう」
「嘘だろ…」
「俺も共謀している」
愕然とした。その手にある物は、先程仲居さんが届けてくれたサタケ宛ての配達業の段ボール箱から出て来た物だ。先だってその中身を覗いて嫌な予感はしていた。だが甥が率先して着た為に、先程まで写真撮影と爆笑に包まれていたはずなのに、いつの間にか自分の分だと差し出されている。これは諦めた方が良さそうだ。分かったからと二人の手を払いのけ、チャイナ服を手に取った。ずっしりと重い気がする。気の進まない重さだ。はああ、と健四の口からため息が漏れた。
「着たぞ」
もうやけくそである。紫の生地は思ったよりも高級なものだ。肌触りがいいが、素肌にはむずがゆい。ひらひらとした布が貼りつくでもなく、時折揺れて触れるのがくすぐったい手前の嫌な感覚だ。素足が寒い。着させられたチャイナ服のスリットはかなり深く太ももまで露わになっている。よくこれの男が着られるサイズを探してきたものだ。男物のパンツが見えているが、それは構わないようで二人は一斉にスマホを向けてきた。
「顔を映すなよ!」
「映さない! 映さないから!」
隆二が一生懸命に答えながらスマホを構えるのを止めない。トーマスはしれっとした顔をしながらスマホを向けてきて、ふと呟いた。
「映さないとそれはそれでいかがわしい写真に見えるが」
「やっぱ映せ!」
「いい、いいよ叔父さん。足が見えるのがいい!」
「隆二眼科行きなさい」
「なんで?」
「男の素足はそんな良くない」
「叔父さんのは綺麗だよ?」
そこまで会話をして、叔父は甥の視力が心配になっている。その甥であるが、次にこれと差し出してきた。ビニール袋に包まれているのはブラウスに見える。嫌な予感はするが、これも女装なのだろう。健四は渋々と受け取るが、ここで拒否をしても力ずくで着せられるのみである。健四はチャイナ服を脱ぐと、新しい服を着始めた。
「おい小僧」
「なんだおっさん」
「これのどこが女装だ?」
「乗馬服をイメージしたパンツスタイルだ。女物だけど」
「それを着させたかったのか?」
どこか棘のあるトーマスの問いに、そうだと隆二は答える。フリルの付いたブラウスであるが、ベストにすらりとしたパンツにブーツ。確かに乗馬服のような気品があるが、女装と言うにはあまりに露出の少ない。だが隆二は満足げにスマホを向けていた。
「似合うと思ったんだ」
「あーうん。まあ、チャイナ服より全然マシ」
「ブーツ込か」
「めっちゃいい。踏まれたい」
「被虐趣味があるとは恐れ入るな」
「隆二めっ! 叔父さんはそんな風に育てた覚えはありません」
「俺の十代と二十代は、叔父さんにめちゃくちゃにされてるけどね?」
それを言われると健四は頭を抱える。甥が健全に育っていなかった。その事に気が付くのは、だいぶ遅かったのだ。今年に入って気が付いたのである。それを隠す技術も育んでいたようだ。
「次はこれ」
「まだあるの…?」
げんなりとした叔父に、甥はにこにこと笑いながら渡して来る。同じようにビニール袋に入った新品の服だ。だが包装を解かれていないのに分かる。大変にフリルが目立っている。白い生地にフリルである。どう考えても長身痩躯の三十代の男には似つかわしくないメルヘンさが漂っている。だがここで断る元気ももはや無かった。着てしまえばいい。着てしまえばいいのだ。そう思ってまた着替えると、想像通り女物のワンピースに大ぶりのフリルのエプロンが付いているセットだった。素足がまた寒い。ワンピースは着られたものの、男の足と釣り合っていない。先程よりは女装らしさが出てきたので、忘れかけていた羞恥心が蘇って来る。
「いい」
「良くない!」
叔父は不満げである。その様を眺めていたプラムマンが、ふと思いついたように呟いた。
「そのエプロン、だいぶ大ぶりだな?」
「ああ、そうね…だいぶ女の子女の子してる」
健四はげんなりとしながら答える。
「ワンピースを脱いで、裸でそれを着たらどうだ」
その手があったかと言わんばかりの甥の顔に、健四は断固として嫌だと首を振った。だが無駄だった。性欲にまみれた男の手が力強いのは身をもって分かっている。そもそも相手は空手の経験者のプラムマンに、自衛官の隆二である。力で敵うはずもない。パンツすら脱がされて、裸にエプロンを付ける時は流石に抵抗して自分で着た。そしてその場にうずくまる。下着を脱がされてしまったので、前は隠れるものの、後ろはほぼ素っ裸も同然だ。じりじりと壁を背にしながら、連射する二人を睨みつける。だいたいこんな男の裸同然の格好をさせて、何が楽しいのか。疑問は尽きないが、二人が抱く好意がそうさせているのだと思うと、そこまで自分を好きなのかと思ったが、よくよく考えると全く嬉しくはない。やはりおかしい。倫理観が手薄である。甥っ子が無心で連射しているのを眺めて、彼が安物のチャイナ服を着ていることに少々の仲間意識が生まれる。だがそれと外れている者がいた。澄ました顔で写真を連射している旧友である。こちらが寒い思いをしているのに。なんだか無性に腹が立った。
「お前もなんか着ろよ、トーマス。俺と隆二が着てるんだぞ?」
「俺には準備されていない」
「あるけど」
隆二が段ボールをかき回し、一着の服を取り出してきた。プラムマンは目を白黒とさせる。
「あるけど」
隆二は念押しし、服を押し付けてきた。プラムマンの視線がその服に落ちる。ビニール袋に包まれていてその全貌が分からない。ただどうやら、セパレートに分かれていて布面積が少ないように見える。だが隆二青年は真っすぐな目で見ているし、健四も死んだような瞳をわくわくとさせて見ている。逃げようは無い。今すぐ部屋の出口に身を翻せばいいが、二人は追ってくるだろう。それにここで逃げおおせると、叔父と甥を二人きりにさせることになる。それはプラムマンに避けたいことだった。旧友の独占をしない為に、締結された同盟である。抜け駆けは許せない。つまり、プラムマンには着る以外の選択肢はない。ネクタイを外し、ベストを脱ぎ、シャツを脱ぎ、不機嫌極まりない顔でその服を見やる。安っぽい生地である。その安っぽさに文句を言いたいが、とりあえずそれを着た。
警官を模した服であった。だが異様に丈が短く、煽情的な網タイツを履く仕様である。丈の短い服のせいで、プラムマンの鍛え抜かれた腹筋が見えている。そして丈の短い服が胸筋を見せている。本来であれば女性の乳房を強調するような物であろう。今は男の武骨な筋肉を際立たせている。健四は爆笑した。そのまま膝から畳に崩れ落ちてしまう。前かがみになり、土下座のように頭を深く下げて前を見えないようにしながら膝と腹の間からくぐもった笑い声が聞こえている。笑い過ぎて泣いているようだ。
「最高、最っ高! …だめだ、見れない。隆二ちょっと、撮って…!」
「俺見たくないんだけど、おっさんのコスプレ」
「視線、視線もらって!」
プラムマンは隆二に向けては嫌そうな顔をした。だが健四が顔を上げて笑いながら声を掛けると、悩殺するようなポーズを取ってみせる。それに健四が笑いを誘われ、またへにゃへにゃと畳に崩れ落ちるので、隆二が渋々と撮影を続ける。その繰り返しだ。隣の部屋には笑い声が届いたことだろう。そうしてようやく慣れて健四が顔を上げると、やはりまだきわどい女装をしている旧友がいる。叔父はまたうずくまった。
「ダメだ…面白過ぎる…!」
「おっさんのチョイス間違えたな」
「いい加減にしろよ小僧」
「ちなみに、おっさんのはまだある」
「ふざけるなよ小僧」
「その前に叔父さん。チャイナ服もう一度着てよ」
「は?」
裸同然の格好だが、先程から笑い過ぎて体が熱い健四は、熱が冷めたように急いで振り返る。
「なんで?」
「さっきパンツの線出てたから。素足のチャイナ服見たい」
「お前のこだわりが分からない…」
「布面積多いからいいでしょ?」
にっこりと甥が笑う。隆二青年の純粋無垢な笑顔に、まあ今よりはと妥協点で健四はエプロンを脱ぐと、素肌にチャイナ服を着こみ始めた。当然のように始まる撮影会の最中、隆二のチャイナ服にそっと触れて叔父は言う。
「なんでお前のはいかにもコスプレって感じなのに、俺のはしっかりしてんの…?」
「叔父さんに着せたかったから!」
「俺もコスプレ感で良かったじゃん…」
「叔父さんには良いものを着て欲しいから!」
「隆二、愛が怖い」
叔父はふるりと震える。甥はまっすぐな目をしている。それ以上に踏み込んではならない気がするのでそれ以上の追究はしないでおいた。チャイナ服に見慣れてしまっているが、プラムマンのミニスカポリスだけ異様である。異様に似合っていない。だがそのアンバランスさが面白くて、視界に入るたびに健四は畳に崩れ落ちそうになる。まさか男三人で泊まった旅館で、こんなコスプレ大会になるとは思わなかった。笑いが溢れる。いつもなら性交渉で埋まるような日程だが、今日はまさか笑みがこぼれるようになるとは。隆二としては健四が笑っているのを見て満足なようだが、プラムマンは不満げだ。
「これでどうやって行為に及ぶんだ小僧」
「もう一着あるから着るか? おっさん」
「…着ないと進まんのか」
「着ないと進まない」
隆二の真っすぐな物言いに、プラムマンは片眉を上げながらその一着を受け取った。健四のチャイナ服から覗く足に目を奪われながらも、これをとっぱらってとっとと寝所に連れ込みたいのだ。セパレートの服を脱ぎ捨てると、ビニール袋から新しい服を開けてみた。先程よりも布面積が異様に少ない。これを着ろと言うのかと隆二に目線を向けると、その通りだと無言の圧が返って来る。表情が少々乏しい印象の青年である。ただ叔父の事になると子供のような顔をする。そのせいでこの悪ふざけが加速しているのだが、とにかくこの青年を味方につけておかないとならない。嫌な予感がする布面積だが、とにかく着てみなければならない。そう思ってふと前を見ると、隆二も服を着替えていた。どういうつもりなのだろう。レース生地が見えているが、どういうつもりでこの甥は自分もきわどい女装に興じているのだろうか。
「小僧。なんだこれは」
「乳首隠しメイド服ランジェリー」
「真顔で商品名を読み上げるな」
「ごふ…っ」
「健四は息をしているのか」
「出来てないかもしれない」
「お前のはなんだ。その無い胸を寄せてるのは。腹が立つ」
「えーと、レース&編み上げすけべチャイナドレス」
「読み上げるな。腹立たしい」
「ひーっ…!」
畳の上で健四は震えている。立ち上がれない様子である。だがようやく顔を上げた涙目で、プラムマンの下半身を隠しているエプロンのような物をひらりとめくった。
「待って、どうなってるのこれ…ごふ!」
そして噴き出した。隆二が冷静に呟く。
「レオタードみたいなのか」
「めちゃくちゃに食い込む」
「おっさんの股間事情はどうでもいいんだけど」
「どうでもよくないだろうが。ふざけるなよ小僧」
「だめだ…俺もうだめだ…!」
健四は息も絶え絶えである。笑い過ぎて、というのが幸いであろうか。その叔父の両肩を掴むと、隆二はにっこりと笑いかけた。
「叔父さん。叔父さんのもあるから起きて」
「ふぇ…?」
「ちゃんとあるから」
健四は笑いで絶え絶えだが、隆二は逃がす気が無いようである。紫のチャイナ服よりも安っぽい生地のようだ。布面積が多いように見えたので、少し安心する。もうここまで来れば毒を喰わねば皿までである。チャイナ服を脱いでそれを着る事にした。
「何これ。首輪?」
「えっと、パイズリタッセル中華ベビードール」
「いやその説明聞いても分かんない。何タッセルって、カーテン?」
「カーテンにもあるね」
「いやカーテンにもあるねじゃなくて」
胸から下げられているのは、ピンク色の生地が集まったタッセルである。胸もとに垂れるのには幾分かおかしい。そもそも、これは巨乳の女性が挟むべきものではないかと思うが、男性の平坦な胸にはただ垂れているだけだった。これも写真を撮られている。胸元が大胆に下がっており、腰から下は生地が薄い。だからこれは男に着せるべきものではないのだろう。それを何故喜んで写真を撮るのか、健四には分からない。
「もういいだろ。みんなこれ脱ごうぜ」
「ああ同意見だ」
そう言いながらプラムマンが健四の肩を掴んだまま押し倒した。健四は目を白黒させる。今日は何もしないで終わるのではないかと思っていたので、思わぬ方向である。プラムマンの顔が健四に覆い被さった。口付けである。舌が濃厚に、ねっとりと上あごから歯列をなぞりながら唾液を好感させるような口付けである。舌をおずおずと絡めると、吸い出される。いつものプラムマンのやり方だ。舌からとろりと劣情を引き出せるのに感心する。頭が少しぼうっとして、プラムマンの口付けに身を任せていると脳天からしびれてくる。健四が力を抜いたのを確認し、プラムマンが満足げに口を離した。ただ、とろけている健四の上にあるプラムマンの服装がふと目に入った。乳首隠しメイド…そんな単語が頭をよぎり、健四は盛大に噴き出した。
「おうふ…!」
「おい健四」
「たんま、たんま。無理。マジで無理…!」
「おい小僧。お前が健四を押さえろ」
「…ぐ、ふ…!」
「お前が沈むな小僧!」
健四の背後に回ったのだろう、隆二は既に笑ってしまっていた。レース服のチャイナドレスを身に着けていると思えないが、とにかく味方はこの場にはいなくなっていた。健四は畳に寝転がったまま腹を抱えてしまっているし、隆二は今更ながら崩れ落ちている。若くて堪え性のない、とプラムマンは隆二を舌打ちするが、面白い格好であることは仕方がない。健四がひとしきり笑ったのか、むくりと起き上がった。
「はー笑った笑った。一年分は笑ったわ。露天風呂いこーぜ」
「は?」
「もちろん、脱いでだよ。みんな浴衣着直せよ? 俺脱いだら行ってっから」
そう言いながら健四は爽やかな顔でチャイナ服を脱ぎ去ると、自分の浴衣を着こんでさっさと部屋を出て行ってしまった。残された隆二とプラムマンは目を合わせる。確かにこの格好でやましい気持ちは起きない。その為にいったん仕切り直すのもいいだろう。脱いだ服を乱雑に段ボール箱に入れる隆二と、わざわざ畳んでいるプラムマン。性格が出る中で、プラムマンが全て畳み終えたところで二人は無言で露天風呂に向かった。待っているとは思わなかったが、叔父を一人にするのも癪なのだ。急いで結託した二人は露天風呂に行き、すっかり汗を落として堪能している叔父と合流すると、ほこほことした湯気を立てながら部屋に戻ってきた。
「あーさいっこー」
そう言って布団に飛び込もうとする健四に、今度は隆二が飛びついた。まるで自分が布団になるかのように、叔父を自分の体に横たわせる。これなら叔父は逃げようもないだろう。プラムマンが背後から近付いて来たのに、浴衣に手が伸びる。そして浴衣を脱がせたところで、振り返った健四は、爆笑していた。
「さっきの、さっきのコスプレが浮かんで来て無理! もう俺の中でトーマスはミニスカポリスだし、リュウジはチャイナ服だし! だめだ!」
プラムマンが眉を顰める。隆二も不満げだ。だがこの空気を打開して、健四をその気にさせるのは不可能であると思われた。そもそも、叔父のコスプレを思い出しているのにも関わらず、隆二の頭の片隅にもいるのだ。プラムマンの悩殺ポーズが。そしてプラムマンの脳裏にも、健四のチャイナ服の隣にレースでほぼ布の意味を成していないチャイナ服を着た隆二が残っている。互いに不可能であった。
二人も無理だと判断し、これ以上は叔父にちょっかいを出さず、敷かれている布団にすごすごと引き下がるのだった。
「笑って楽しかったわー。じゃ、おやすみ!」
そう言って寝息を立てる健四の声を聞きながら、おやすみではないと二人は言いたげだ。だが我慢している。健四の寝息が聞こえているのだから。それから時計の音がしばらくして、プラムマンは叔父の向こうにいる隆二を見やる。隆二も同じ事を考えているのか、頭を上げていた。プラムマンが部屋の外へと親指を立てた。隆二が頷く。二人はなるべく音をたてないように財布を持って部屋を素早く出ると、同じフロアにある自販機に向かったのだった。
「やりすぎだ」
「それはごめん」
プラムマンに咎められて、隆二は素直に謝る。今回のコスプレはほとんど隆二が用意したものであった。共謀はしているが、選択は隆二の物だ。そこでまさか自分の物があると思わなくて、プラムマンはその点を隆二に詰め寄る。
「だって、おっさんだけ着ないのは不公平だろ」
「不公平といっても」
「まあ、破壊力やばいから今度は無しな」
「…二回目をやるつもりか?」
「当たり前だろ。あんたには着せない」
「…用意もするなよ」
「あんたが着たら、叔父さんが死ぬ。だから着せない」
隆二はそこまで言って、自販機で買ったスポドリをごくごくと飲み干した。プラムマンも先程買った水を飲む。秘密の会合はこれで終了した。明日には帰るのだ。段ボール箱を持ち帰るのは隆二青年の役目である。そして爽やかな顔をした健四を見送って、ここは解散となってしまうのだろう。
「いい旅だったな!」
そんなことを言って、健四は去っていくのだ。やっぱりリベンジしたいとスマホの中にある写真を見ながら、隆二はその背を見送りながら、旅館の送迎用バスに乗るのだった。