亜衣のコンビニバイト
年度と年度の間ということで、3月は稀有な体験をしたような気がする。
私、岩崎亜衣はこの度中学校を卒業した。4月には姉妹揃って高校生になる、卒業式と入学式の間の3月に、私は人生初のコンビニバイトをすることにした。いつもの古本屋さんでバイトをしようとした所、どうやらM大学のミステリ研の人たちが資料を借りる代わりに無給でお手伝いに来てくれるとか。つまり私の出る幕はなく、人手が足りてしまっていたとのことで急遽別のバイトを探していた。
結果、私は住宅街にある、通学路に近いコンビニでバイトを始めた。店長さんが言うには、ちょうどバイトに来ていた高校生や大学生が卒業や帰省でどうしても一週間ほど人手が入り用だったそうで、申し訳程度の面接でトントン拍子に初出勤日が決まった。
一緒に働く人はどんな人なんだろう、と緊張しながら迎えた出勤日当日。
店長さんの代わりに、バックヤードでにこやかに笑って出迎えてくれたのは明るい茶色に髪を染め、ピアスを開けた今どきの若者といったお兄さんだった。人懐っこい笑みとコンビニの制服に、少し緊張がほぐれる。
「岩崎亜衣さん、だよね。はじめまして、俺は花菱仙太郎といいます」
よろしく、ともう一回にっこり笑う花菱さんに、慌ててこちらもお辞儀で返す。
「短い間ですがよろしくお願いします、先輩!」
「先輩か~」
ちょっとはにかんで花菱さんは言った。
「俺ここのコンビニは初めてなんだよね。むしろ地元の人の岩崎さんのほうが先輩かも」
「ここのコンビニは初めて……?」
よくわからないセリフがでてきて、一瞬固まった私になんと思ったのか花菱さんは補足するように言った。決め顔で、サムズアップとともに。
「全国、いや世界中のコンビニを回りながら、俺はコンビニ王を目指している身だ!」
「こんびにおう」
とっても良い笑顔で、白い歯を煌めかせた甘いフェイスと、そこから発された言葉がうまく結びつくのにこんなに大変なことって有るんだ。『混乱』とか『困惑』とかが色濃く滲んでいたのか、花菱さんは「ンン」と咳払いを一つした。話題を変えることにしたらしい。
「続きはまた休憩時間にでも。先に俺レジでてるから、制服着たらきてもらってもいいかな?」
「あ、はい」
「荷物はそこにおいて、もし貴重品あったらポケットにいれてね。ウェストポーチとかある?」
「いえ……持ってきた方が良いでしょうか」
「もしなければ今日は俺の貸すよ。スマホと財布くらいなら全然入るやつ」
ほ、と一つ息を吐く。履いているズボンにスマホと財布を入れようとしたらパンパンになってたいそう動きづらいのは明白だった。帰ったらウェストポーチを真衣から借りようと心のメモを残す。
「すみません、ありがたくお借りします」
「あ、もしくは新品使う?俺ストック持ってるし、そのままバイト終わってからも持ってていいから」
「流石にそんなしてもらうのは」
「ふっふっふ」
ニヤリとまた決め顔で花菱さんが笑う。Vサインを出しながら明るく彼は言った。
「実は副業もあるのでお財布事情的に問題なし! 気にせずもらっちゃって!」
「……なるほど?」
この人、コンビニ王って言ってるけどもしかして冗談で……本業が大家さんとか時間の都合がつくような仕事があるのかもしれない。案外全国のコンビニをなんて言ってたのも、旅行しながら働くような、そういう何か新しい働き方なのかもしれない……?でも、それじゃあ花菱さんの本業って何なんだろう?
どこか不審そうな顔をしていたのを見て、花菱さんはあたりを見回すような素振りを見せてから、コソッと小声で言った。他に誰がいるわけでもないのでポーズだけだ。まるで秘密をささやくみたいに。
「俺、ICPOの探偵卿でさ。そっちのお給料がちゃんとあるから安心して」
目を丸くしてマジマジと、頭の先から爪先まで花菱さんを見る。どこからどう見ても、普通の、どこにでもいそうな若者にしか見えなかった。
「──花菱さん、そんな嘘つかなくても。でもそこまで言っていただけるなら、ありがたく頂戴しますね」
「嘘じゃないんだけどなあ」
私の緊張をほぐすように、もしくはウェストポーチを遠慮なくもらって欲しいと冗談を言ってくれたんだな、と彼の思いやりに笑みがこぼれる。私がふふ、と笑うのとは対象的に、花菱さんはがっくりと肩を落としていた。
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コンビニバイトはやることが多いと聞いていたけれど、初日も二日目も三日目も正直肩透かしのように暇だった。今まで手伝っていた古本屋さんの陰干しはわかってもやっぱり、コンビニの品出しやレジ打ちとは勝手が違うし、たまにタバコの番号を言わずに銘柄だけ言うお客さんを前に戸惑ってしまうのも初めてのことだった。まごまごしているとスッと花菱さんがやってきて、人好きする笑顔で流れるような客さばきを見せる。マジシャンみたいだった。
たまに店長さんが来ることはあっても、気づけばお店を回しているのは花菱さんのようになっていた。期間限定商品の位置は花菱さんが少し手直ししただけなのに驚くほど目を引いたし、「スタッフのイチオシ!」等と少し丸い文字で書かれた手書きのポップが増えるに連れ棚の前で思案する人が増える。何気なく置かれてるのに不思議と目に留まるレジ脇のお菓子コーナーの売上も上々で、一階のコンビニ店員の働きと言うよりも歴戦のコンビニ店員といったほうが的確だった。むしろ本社の人間ですとか、営業職ですと言われても私は納得していたと思う。
お客さんが誰もいない時、一緒に商品を棚に補充している時やホットスナックを揚げてる時にちょこちょこと二人で雑談している。私のシフトが花菱さんとセットになっているようで、おそらくコンビニバイト初心者の私を花菱さんがサポートするように入ってくれているみたいだった。
花菱さんから聞く話は大体なんてことない話ばかりだけど、極稀に、この人はどこにでもいそうな若者の見た目をしながら非日常のような外国の話だったり、鋭い人間観察が垣間見えるのが面白かった。
カウンター裏のフライヤーに向かい、鶏を揚げていた花菱さんがタイマーを付けながら言う。
「岩崎さん、コンビニ店員に大事なものはね……」
「はい」
「コンビニを愛する心だよ」
「……はい?あ、はい」
この世の真理を言うような重たい口ぶりで、拳を握りしめて出てきた言葉はちょっとよくわからなかった。たまに、この人のコンビニへの愛はよくわからない。一緒に働いて三日四日立てば少し慣れてきて、戸惑いながらも続きを促すくらいはできるようになってきた。
「同じコンビニは一店たりとも無いんだ。お店の場所によって客層も違うし、売れる商品も違う。スタッフも違う」
「そうですね」
「極端な事言うと、海外だと置いてる商品も違うし、そもそも二十四時間営業じゃない。ドイツとか平日の八時以降は原則営業禁止って聞くし……」
「外国の人は不便じゃないんでしょうか」
「そうだね……」
ちょっとだけ間をおいて、花菱さんはおもむろに私の方を向いて質問を投げかける。
「岩崎さんは、何で不便だと思う?」
「例えば、ですけど」
少し考えて、思いついた事を口にする。
「働いている方とか、仕事で帰るのが遅くなってもコンビニでちょっと買い物ができるの、やっぱり便利だと思います。遅くなくても、ちょっとした日用品が買えるのは急に必要になったときに良いなって」
「うんうん」
「あと私のお父さん、出張も多いから……真夜中にコンビニが開いてると、ありがたい時があるって。そういう便利さがないのは、不便じゃないですか?」
「なるほどね」
ニコニコと聞いている花菱さんはすごくご機嫌だった。ピピピ、とタイマーが鳴り、花菱さんは流れるようにフライヤーから鶏を引き上げて行く。そして規定通り、ホットスナックの棚へ手慣れた様子で補充しながら言った。
「そう、日本のコンビニってすっごく便利なんだよ」
ちょっと間を溜めて、続けて言う。
「夜遅くまで誰かしらが働いてる人がいる前提の社会だから、当たり前になるくらいにコンビニも便利になったんだ。社会に求められて、進化してきたのがコンビニなんだよ」
「最後のはよくわからないですけど……そうなのかも、ですね」
「さっき言ったドイツだけど、夜八時でお店を閉めないといけないって法律が有るってことはさ、オフィスワーカーが遅くても夜六時で仕事が終わる前提の社会なんだよ。それに、夕食のウェイトが低いっていうか……あまり夜に食べ物を買ってる印象ないかも」
「ドイツの人がですか?」
「うん、知り合いがね。……そんなわけで、個人商店が空いてる時間に仕事が終わる前提だから、ドイツだと日本みたいな根づき方はしないと俺は思う。そもそもスタッフが集まらないんじゃないかな」
花菱さんは、至って真剣な眼差しだった。
「ドイツの人たちが求めてるコンビニと俺達の思うコンビニって違うわけじゃん?だから、他のお店と同じく夜八時まで開いてるんだけど、他のお店にはない物を買えるとか……もし日本のコンビニが進出するなら自社ブランドのお菓子や食品を置くとか、違ったアプローチで無いと根づかないんじゃないかな」
「なるほど……」
「俺は、日本のコンビニを愛してるけど……二十四時間誰かしらが働いていたり、起きてたりするのが前提の社会を、ひっそりと目立たず支えてる縁の下の力持ちだって思う。この社会が良いか悪いか、なんてのはわからないけどさ」
目をキラキラさせて、コンビニを語る花菱さんはなんだか夢見る少年のようだった。
「真夜中に他の店が全部閉まってても、コンビニの光が見えたら嬉しい人はいると思うんだよ」
見た目は全然似てないけれど、今頃フランスに居るであろう長髪の野蛮人ことレーチのことをふと思い出す。フランスにもコンビニはあるんだろうか、なんて。
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勤め始めて四日目、五日目くらいは何だか忙しかった。近くで何か催しでもあるのか、お茶や水を買っていく人たちが多い。小中学生も多くて、何人か友達連れで一緒に来ているお客さんが多かった。必死で間違えないようにレジ打ちをこなしているうちに休憩時間になっていたのに気づいて、一つ息を吐く。
時間では有るけれど、弁当コーナーにいる男の子二人組がそろそろレジに来そうだな……と思い、彼らのレジが終わったら休憩に入ろうと思い直す。少し早めに休憩を上がって、レジにやってきた花菱さんに声をかけようとしたところで、先に花菱さんが「あれ?」と首を傾げた。視線の先にはお弁当コーナーの男子二人。釣られて私も彼らを見る。
一人はワインレッドのメガネと、ワイシャツに落ち着いた茶色のカーディガン。思わず目を引く、眉目秀麗な男の子だ。無造作に十秒でチャージするゼリー系飲料のパウチをかごに入れる。もう一人はTシャツにジーンズの、どこにでもいそうな平凡な見た目の男の子。メガネの子がいれたゼリー系飲料以外に、おにぎりを二つ、インスタントのお味噌汁を二つ、追加でかごに入れる。何だか凸凹コンビ、というのがしっくり来る見た目の二人だった。
レジでお会計を始めると、ワインレッドのメガネの子が花菱さんに「お久しぶりです」とサラリと挨拶を口にした。Tシャツの子が「知り合い?」と聞くのと、私が同じ事を思うのと同タイミングだった。
「まあ、知り合い」
「そうだね~。知り合いだよ」
ニカッと笑う花菱さんと、「それ以上聞くな」オーラの微笑を浮かべるメガネの子は対照的だった。
「仙太郎さんはしばらくこちらに?」
「うん。創也君は今日はどうしたの?」
「リアルRPGのイベントです」
「なるほどなるほど。」
名前で呼び合うほど仲が良いらしい。春休み期間中に友達と遊びに来た子だったんだろう。確かに虹北商店街に、映画がテーマのイベントを誘致するとか何とか、噂だけは聞いたような。合点がいった、と顔に出ていた私を何気なく見て、Tシャツの子が「あれ?」と首を傾げた。
「お姉さん、どこかで会ったことないですか?」
「え?……ううん、ないと思うよ」
「あっ、すみません、変なこと聞いて」
まじまじと男の子を見返すと、バツが悪そうな顔でちょっとうつむいてしまった。責めるつもりはなかったんだけど。興味深げに、眼鏡の子が相方を見て、ちょっと笑ってから私に向けて口を開く。
「僕の友達がすみません」
「全然、気にしないで。よくあることだから」
「……いえ、突然失礼したのは此方ですから。では仙太郎さん、またどこかで」
「は~い。またどこかのコンビニで会おう」
ヒラヒラと軽く笑いながら花菱さんが手を振り、男の子二人は会釈しながら店を出ていった。
彼らが店を出ると急に静かになった気持ちがする。実際、他にお客さんはいない。
「面白い子でしょ、創也くん。今はゲーム作りに熱中してるんだって」
「ゲーム作りってすごいですね、プログラミング?とかやるんでしょうか」
「なのかな~、俺も詳しくは知らないんだよね」
花菱さんが微笑みながら言った。
「てかレジ対応で休憩遅れてごめんね!あと俺やっとくから大丈夫だよ。あ!あと、全然関係ないんだけど、」
言葉を一つ切って、花菱さんは続けた。
「岩崎さんて双子のお姉さんのほう?妹さんのほう?」
「え」
今まで、三つ子どころか、姉妹がいることも言ったことなかったのに。
花菱さんの顔を見る。茶色に染めた髪の向こう側で、人好きのする笑顔を浮かべるその瞳は、なんだか銀色に光っている錯覚を起こさせた。
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