「ッッッだあ!! 終わったーーーー!!!」
「お疲れ様でした」
 すっかり元通りになった第1燃料室に、新米監督官トール・ハンマーの咆哮が反響する。その横では、クラシックなメイド服を再現したコスチュームに身を包んだ植民船「ダンデライオン」管理AIの[[rb:物理端末 > フィギュア]]イーヴがいつも通り静かに控えている。
 発端は、トールの思いつきで、かつての母星である[[rb:地球 > ホーム]]の夏を再現しようというものだった。この思いつきをイーヴは原状復帰を行うことを条件に承諾。ふたりは近辺の小惑星からの砂の持ち込み、防水加工された液晶スクリーンの設置、背景素材の選択、太陽光を再現した光源の準備、循環システムを流用した波の再現などなどを経て、夏の再現に成功した。
 その結果は、「全身ベタベタする」「変な匂い」「汗が止まらん」「暑い」「後片付けクッッッソめんどい」といったものだった。
 そもそも植民船内で選択された精子と卵子から生まれた[[rb:宇宙世代 > アウターエイジ]]であるトールには、[[rb:地球 > ホーム]]の夏の記憶や思い出はない。「夏」という季節や海や砂浜についての知識は[[rb:槽 > ヴァット]]での成長過程で識閾下に注入される基礎情報の中に含まれており、彼自身も「夏」という季節に対する憧れは抱いていたが、実際に再現してみるとその感想はそんなものだった。
 からっぽの状態に戻った第1燃料室の耐爆ドアを閉め、ロックする。
 地球から30光年も離れていると、さすがに夏への憧れも薄らいでしまうのだろうか。そんなことを思いながら、トールはラウンジに向かう。
 人の気配はない。
 食料や空気の消耗を抑えるために、船内の人員や出生数、そのタイミングは厳密に調整されてており、過剰な人員を抱えることはない。したがって[[rb:宇宙世代 > アウターエイジ]]であるトールは、人混みというものを見たことがない。
 植民船「ダンデライオン」の運行は管理AIであるイーヴがその莫大な処理能力をつぎ込んで行っている。航路を調整しつつ新米監督感とのくだらない雑談に興じるなど、イーヴにとっては負荷の内に入らない。
「で、地球の夏の感想はいかがでしたか?」
「いかがも何も後片付けのめんどくささで全部上書きされちまったよ……今気づいたんだけどこれ別にVRとかでも良かったよな……」
「私がやるって言ったのに小惑星まで[[rb:船外活動 > EVA]]するって聞かなかったのあなたじゃないですか」
「そおだけどさあ! 正論が筋肉痛に響くからやめてくんない!?」
 慣れない高負荷の運動の疲れでラウンジのテーブルに突っ伏しているトールを、イーヴはいつもの直立不動の姿勢で眺めている。その機械仕掛けの瞳を、トールは顔を動かして見上げた。
 燃料室に作られた、作り物の砂浜。作り物の日光。作り物の熱気。作り物の夏。
 その中に足を踏み入れたときのイーヴの表情を、トールは思い出す。
 水着姿のイーヴ。麦わら帽子のその下で、作り物の少女の浮かべたかすかな笑みは、果たしてやはり作り物だったのか。
 [[rb:地球 > ホーム]]から30光年を隔てたこの船の中でトールは生まれた。地球のことは知識でしか知らない。あれほど強かった夏への憧れも、結局は幻……夏の熱気がもたらす蜃気楼のようなものだったのだろうか。あまりにも遠い30光年。光が30年かけて届く距離を、思い出は走りきれなかったのか。
 では……イーヴはどうなのだろうか。
 植民船「ダンデライオン」が建造されたのは[[rb:地球 > ホーム]]だ。当然、「ダンデライオン」を管理・運用するためのAIであるイーヴも[[rb:地球 > ホーム]]で開発された。
 トールが宇宙生まれの人間なら、イーヴは地球生まれのAIだ。なら――。
 イーヴには、イーヴにも、思い出があるのだろうか。憧れがあるのだろうか。――郷愁が、あるのだろうか。
「なー、イーヴ……」
「はい」
「あー……」
 テーブルに半分突っ伏したままトールが発したうめき声とも問いかけともわからない声に、イーヴは律儀に返事を返す。その瞳と表情はいつもの[[rb:物理端末 > フィギュア]]のものだ。
 トールは何か聞こうとしたが……適切な言葉が出てこない。口を「あ」と「お」の中間の形にしたまま、言葉が形にならない。
 仕方がないので席を立ち、トールはラウンジの壁際に設置された端末を操作し、飲料を取り出した。取り出し口から缶を取り出してから初めて気づく。無意識にコーラを選んでいた。
 プルタブを開けたときの音、一口すすったときの味は燃料室に夏の砂浜を用意したときと同じはずだったが……なにか違う気がする。
「……」
 残念なような寂しいような、なんとも言えない気分になって、トールはテーブルに戻った。イーヴは何も言わず静かに待っている。
 一口しか飲んでいないコーラの缶の中から、かすかにしゅわしゅわと炭酸の音がする。合成甘味料の甘ったるくわざとらしい香り。
「なあ、イーヴ」
 沈黙に耐えかねたわけではない。イーヴは落ち着いた……というよりダイナーな性格に設定されている。過剰な接触による人間への精神的負荷を軽減するため、と本人は言っていたが、トールが物心ついたときから彼女はこういう性格だった。
 その証拠に、イーヴは自分からは何も言わず、トールの次の言葉を待っている。
 ややあって、トールは言葉の続きを口にした。
「イーヴは、[[rb:地球 > ホーム]]で生まれたんだよな」
「そうです」
「なら……[[rb:地球 > ホーム]]のことが懐かしいとか、思うのか?」
 イーヴは――すぐには答えなかった。彼女には珍しいことに、考えているようだった。
 ややあってイーブは、音もなく手を伸ばし、テーブルの上に置きっぱなしのコーラの缶を手に取った。
「頂いても?」
 トールが返事を返す前に、イーヴは白い喉をさらして、コーラの缶を一気に煽った。ものの数秒で500ml缶を飲み干す。
「……あの、そんな一気飲みして大丈夫なのか? っていうか飲めるの?」
 困惑した様子のトールへの返事の代わりに、コン、と小さな音を立てて空になったコーラの缶を置き、イーヴは答えた。
「何も感じられません」
「はい?」
「あのとき、第1燃料庫で海を再現したときの話です。足が海水に触れたとき、外部入力からメモリを刺激するものがありました。しかし、、明確な[[rb:記憶 > メモリ]]がトリガーされるほどの強度ではなかったようです。今回はより強度の高い刺激を与えるよう試みてみました。しかし、やはり明確な[[rb:記憶 > メモリ]]がトリガーされることはありませんでした。ですが――」
「ですが?」トールはわずかに身を乗り出して聞く。
「情緒マトリクスが刺激されるのを感じました。明白ではない、しかしそこにあったはずの過去の[[rb:記憶 > メモリ]]に対する情緒的反応。これは『ノスタルジー』と呼ばれる感情です」
 そう語るイーヴの瞳を、トールはじっと覗き込む。イーヴは瞬きをした。そこにあるのは、もう静かに凪いだ[[rb:物理端末 > フィギュア]]の瞳だった。
 あのときの瞳が見られなかったのは残念だったが、トールは多少の満足感を得ることができた。
 ノスタルジー。故郷を懐かしむ心。あのときのイーヴの表情の意味が、わかったような気がした。
 もし、あの表情がもう一度見られるなら、多少の苦労はして見る価値があるかも知れない。
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初公開日: 2024年02月27日
最終更新日: 2024年02月27日
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