「おい、返事を――」
そこまで叫んでワンは唐突に気づいた。
知らない。
あれほどわめき合ってきたのに。
あれほど生身の人間のような言動をする相手だったのに。
あれほどそこにいるのが当たり前の存在となっていたのに。
自分は、このサポートAIの――この少女の名前を知らない。
だから、今まさに消えようとしているこの少女の名を、呼ぶことができない。
ワンの認識が、炎の熱気でゆらぐ。過去と現在の境界線が灼き熔かされる。
[[rb:操作卓 > コンソール]]の向こうに、ひとりの少女の顔を幻視した。片時も忘れたことがない、血を分けた、たったひとりの妹。――そのたったひとりの妹を、なぜ[[rb:操作卓 > コンソール]]の向こうに幻視したのかをワンが悟るよりも早く、その声がノイズの間から聞こえた。残酷なまでに明瞭に。
『助けて、[[rb:哥哥 > おにいちゃん]]!!』
その声の意味をワンが理解するよりも早く、システムがシャットダウンされた。同時にコクピットブロックが自動的に閉鎖。HMDには「EJECT」の表示だけが真っ赤に瞬く。
突然の浮遊感。機体からコクピットブロックが分離・射出された。ワンはその中でHMDをかなぐり捨ててコクピットブロックの床に向かって噛みつくように叫んだ。
答えるものはない。答えるべきものがどこにいるのか、ワンには分からなかった。
意識を取り戻したワンが身を横たえていたのは、いつものベッド。凍項電子開発公司が用意した病室。
しかし、そこにはひとつ、足りないものがあった。そのかわりにあるのは、沈黙したままのスピーカー。あの小生意気で底意地の悪い声が、今は聞こえてこない。
「……」
茫洋とした意識で天井の照明を見る。白い照明の向こうに、燃え盛る炎が見えた。
薬剤のためか、それ以外の理由か、思考がまとまらない。
そんな思考の中で、ワンは考えていた。
見つけたのか、それとも、失ったのか。
繋がったのか、それとも、途切れたのか。
わからない。
ただひとつだけ、わかっていることがある。
病室のドアが開いた。入ってきたのは、あの幽霊のような男だった。
「今回の任務は残念だったが、生きていてくれて何よりだ」
男は無表情に言う。ワンはそれを無視して聞いた。可能な限り、平静を装って。
「機体はどうなった」
「あなたが脱出した後に我が社の傭兵部隊が任務を引き継いだ。機体は回収され、修復が完了している」
「――機体に搭載されていたサポートAIはどうなった。あれの育成がアンタらの目的だったはずだ」
「当時の状況はこちらでも把握している。データボックスからの[[rb:逆 > カウンター]]ハッキングとはな」
「機体のシステムはワームに汚染されていた。あのサポートAIも全部パァか?」
「安心しろ。機体側の基礎システムの除染は完了している。サポートAIも復元作業が完了したところだ。これまで蓄積されたデータが失われたのは正直痛いが、これまでの戦闘で蓄積されたデータは確保してある。今後に活かせばいい」
「そうかい。それなら、引き続き俺はこの仕事ができるってわけだ」
「そのとおりだ」
「そうかい――」
ワンの右手は、シーツの下でマットレスの間に隠した自動拳銃を探り当てた。迷わず引き金を引く。幽霊のような男は死体になった。
まだ痛みの残る体を引きずるようにベッドから抜け出し、男の懐を探る。ワンは見つけたキーカードで病室を抜け出した。
行き交う人間は、医療施設のスタッフ、傭兵、スーツ姿のエージェントさまざまだったが、病衣のワンに注意を払うものはいない。アジア系の人種に対する扱いに初めて感謝しながら、ワンは病室と同じように通い慣れた[[rb:格納庫 > ハンガー]]へ向かう。
[[rb:格納庫 > ハンガー]]の入口から中を覗く。[[rb:飛虎 > フェイフー]]の機体はそこにあった。武装と装甲も取り付けられている。
逸る気持ちを抑えるようにして、ワンはコンテナの影に隠れながら機体に近づいていく。タラップにへばりつくようにしてコクピットハッチに取り付く。その時にはすでに異常に気づいた周囲の作業員が警備兵を呼んでいた。
ハッチを閉じ、ヘッドギアを装着。機体を起動させたときには、コクピットハッチ越しに警備兵の銃撃音が聞こえている。
しかし、装甲を叩く銃弾の音はワンには遠い。聞くべきはそれではない。耳を澄ます。
『……アンタ、だれ?』
その声に、ワンは一定の満足を覚えた。
すべてが満たされたわけではない。
すべてが帰ってきたわけでもない。
それでも――。
タラップを押し倒し、バーニア全開。[[rb:格納庫 > ハンガー]]の天井を突き破る。皮肉なくらいの、青い空。
空中に飛び出した[[rb:飛虎 > フェイフー]]の機体は[[rb:格納庫 > ハンガー]]周辺のトラックを踏み潰しつつ着地。装備されていたアサルトライフル「[[rb:飛刀 > フェタオ]]」を斉射しつつ後退。
群がってきた装甲車両を火の海にしつつ、全速で離脱。