晴天に恵まれ、風もない穏やかな朝でした。砂漠のほうから飛んでくる砂も、今日は比較的少なく感じます。空高く浮かぶ譜石帯も、いつもよりはっきりと見えているのがその証拠。
それでも、店先に出している商品たちにはいつのまにやら黄色い小さな砂粒が降り積もってしまうので、今日も今日とて、普段通りに専用のはたきで砂粒を払っていきます。そうしていくと鈍っていた輝きがつるりと戻ってくるのです。
私がここ、ケセドニアで商売を始めて数年になります。巷ではアクセサリーとして響律符(キャパシティコア)を身に付ける人たちも多いようですが、私が商品として扱うのは何の効力も持たない、ただの装飾品です。流行の最先端ではないながらも商人の街で細々と商売できているのは、そういうシンプルなものを求めている人も少なくはないからなのです。
職人たちが丹精込めて作り上げた精巧な商品たちを見下ろすと、商人である身分を忘れて思わずうっとりとしてしまいます。細やかな彫刻に、光の入り方まで精密に考えられた宝石の形。傷ひとつない艶やかな表面と、混ざりもののない美しい色を発する素材たち。
仕入れた商品たちはどれも天下一品です。比較的値段の張るものもある中で、手に取りやすい価格のものも取り揃えているので、この店を訪れる客層は幅広いのが特徴でした。
けれど、まさか。予想だにしなかった高貴な方が店先で足を止めたとき、驚きのあまりその方を無礼にもまじまじと見つめてしまったのです。
「あ、すみません、立ち止まってしまって……すこし、見せてもらっても良いですか?」
「えっ、いや、どうぞ! ごゆっくり!」
口元に上品な笑みをたたえて小さく首を傾げた少年は、ローレライ教団の最高指導者であるイオン様でした。無様にも裏返った声で返事してしまいましたが、イオン様は気にされた様子もなく「ありがとうございます」と応えてくれました。
彼をひと目見てその人だと気付く人間は、実はそう多くはいません。というのも、導師イオンは人前にそう多く姿を現さないからです。ダアトに住まう人であれば式典の折にご尊顔を拝する機会はあるようですが、遠くに住まう人間はそのような機会もありません。
しかし私は商人になる前、ダアトで巡礼の旅をしたことがありました。その際、ちょうど始祖ユリアの生誕祭の式典に参加することができたために、導師イオンのお姿を拝見できたのです。
数年前のイオン様は今よりも幼いように見えましたが、それでも威厳ある佇まいをしていました。しかし、なぜでしょうか。目の前で商品の品定めをしているイオン様の雰囲気はどこか柔らかく、そして等身大の少年のようにも思えたのです。……あまりにも不敬なので、けっして口に出して言えることではありませんが。
「どれも良い品ですね。目移りしてしまいます」
「今日はどういったものをお探しですか?」
「ええと、そうですね……その、女の子への贈り物、です」
いたずらっ子のように、目尻をきゅっと細めて笑う姿は、たいへん愛らしいものでした。男の子に向かって、そしてイオン様に向けて愛らしいと表現するのは如何なものかという思いもありますが、しかしそれ以外の言葉を私はあいにくと持ち合わせていなかったのです。
「贈り物って初めてで……難しい、ですね」
いたずらっぽく笑っていたイオン様が、照れたように「すみません」と謝ってくるので、私も慌てて「いやいや!」と声を張ります。
「とても素敵だと思います! そうですね……どのような方に贈られるんですか?」
「ええと」と悩みながらイオン様が女の子の特徴を口にされるので、私はこっそりと想像します。二つ結びで天真爛漫。小柄の可愛らしい女の子。料理上手で気遣い上手、身軽で丈夫な年下の子。
「丈夫……?」
「あ、はい。騎士団に所属している子で、戦うこともあって」
「なるほど……」
イオン様が丈夫というのなら、たぶんそうなのでしょう。女の子に向かって使って良い表現なのかは判断できかねますが、イオン様にとってはその女の子の魅力のひとつなのかもしれません。
髪を結っているとのことなので、髪飾りをイオン様にはすすめました。普段使いであれば、戦うような場面でも邪魔にならず、簡単には取れないようなものを。特別な日に使うようなものであれば、華やかな造形のものを。
「……僕としては、普段使いしてもらえれば嬉しいです」
「それなら、これはどうでしょうか」
髪結い用のリボンは華やかな装飾品に埋もれて手に取る人も少なかったのですが、今まさに日の目を見るときかもしれない、と思いました。リボンの端には金と赤を主軸に暖色系の糸で美しい刺繍が施されています。目立たない程度のごく小さな宝石も数個縫い付けられているものの、髪を結んでも重さを感じないというこだわりの一品。
「素敵ですね。ぜひ、これを」
等身大の少年のような、という私の印象は間違ってはいないようでした。目を輝かせてリボンを見つめるイオン様に、釣られて私も微笑んでしまいます。きっと、その女の子のことを思い出しているのでしょう。嬉しそうにしているその様相を、イオン様は隠す様子もありません。
まさか、遠くに聞く尊いお方が、これほどまでに自分たちと同じような方だとは思ってもみませんでした。私も嬉しくなって、差し出された金貨に「お代はけっこうですよ」と断ろうとしたところで──遠くから「イオン様ー!!」と大きな声が聞こえてきました。
「もう、イオン様! 探したんですよぅ!」
なんだなんだとざわめく通行人をかき分けて、その女の子はこちらへとやって来ました。ふわふわとした髪を高い位置で結わえた、目が大きな愛らしい女の子。その表情は少し疲れているようにも見えました。
「アニス、すみません」
「もーっ! 謝るなら何も言わずにどっか行っちゃわないでくださいよ! いっつも探す羽目になるアニスちゃんの身もわかってください。何かあったらどうするんですか!」
「そうですね、いつもありがとうございます」
「ありがとうございます、じゃないんだからー!」と頬を膨らます女の子に対して、どこ吹く風のようにイオン様は笑って受け流しているようです。
でも、私は見てしまったのです。買ったリボンを、イオン様がさりげなく背中に隠すその瞬間を。紙袋かカサ、と乾いた音を立てます。
「最近は突然の失踪って少なかったのに……今日はどうしたんですか?」
「アクセサリーのお店?」と怪訝な顔をする女の子の背中を、イオン様は軽く押します。
「まあまあ。行きましょうか、アニス」
「ぶー。イオン様ってば、ホントよくわかんない」
アニス、と呼ばれた女の子は首を傾げながら歩いていきます。その手はしっかりとイオン様の手を掴んでいて、イオン様も少しだけ引っ張られるような形で歩き出しました。
イオン様はこちらを振り返って「ありがとうございました」と口だけを動かしました。私も頭を下げてふたりを見送ります。
いつか、どうか。イオン様の買った、美しいリボンで髪を結わえた彼女の姿を見ることができたらと。そう願わずにはいられませんでした。
おわり