ロロ・フランムはある館の門前に立っていた。
鉄格子を思わせる門の両脇にはグリフォンの像が赤い目を光らせて招かれざる客であるかのごとくロロを見下ろしていた。ロロは居心地の悪さにハンカチで口元を抑え眉間に皺を寄せる。門の内側に目を遣れば、こぢんまりとした前庭が見てとれた。館には使用人がいるので程よく手入れされているようだった。ただ、意匠をこらした石像や石碑が無造作に配置されている様子は少し気になった。庭の花壇にこんもりと盛られた土は掘り返されてからまだ日が浅い様子で、柔らかく見えた。その大きさが丁度人が横になったほどのサイズで、ロロは思わず鼻をすんとさせて腐臭が漂っていないか確認したが、感ぜられるのは甘い香りばかりだった。
目的の館は遠く夜闇の中で赤煉瓦の外壁をほの青く浮かび上がらせて不気味にそびえ立っていた。
ロロは通勤鞄の持ち手を持ち直す。日頃から使用している帆布の鞄は持ち手がすっかり手に馴染んでいた。常は職場で使用する文房具の類が入っているが、本日は小さな箱と大袋の包みが入っており重みがあった。
背後では楽しげな音と煌びやかな光を感じる。街行く人々も皆大通に集まって、まるで魔法のような行列に注目しており館の前は閑散としていた。ロロは人目を避けたかったので、あえてこの時間帯を選んでこの館にやってきたのだ。
待機時間は13分と表示されている。
門扉が開くのをじっと待っていたロロの横から声が掛かる。
「フランム?!」
横を見遣れば、チェスターコートと燕尾服を兼ねたような深緑の衣装を纏ったマレウスが足早に近付いてくるのが見えた。
現在マレウスはこの寂れた館に住まう亡霊、ゴーストホストを主人とし執事の職を得ている。チェスターコートは上襟が黒いベルベットの切り替えしになっており、この意匠はフランス革命の折に貴族が大量に断頭台の露と消えた時期、隣のイギリス貴族たちが同じ貴族として哀悼の念を表した為に黒い。また、燕尾服は本来礼服でありタイは白かシルバー出なければ邪道であるとされているが、マレウスは黒いタイを締めていた。黒いタイも喪服を現している。主人が亡霊となれば、常に喪に服する様相であってもおかしくはないだろう。
ロロは普段からマレウスの仕事が終わる時刻を見計らって迎えにきているが、今日は目的があったのとマレウスが仕えている999人の亡霊が住まう館というものを少し見てみたいと思って早く来てみたのだった。マレウスを驚かせてやろうという心づもりも少しあったが、こうも早く見付かるとは思わず少しつまらなさそうな顔をしていた。
入口ではない門の前でじっとしていれば、自然と目立ってしまう。その上この館「ホーンテッドマンション」の所属キャストたちの間で噂になっていたどう考えてもドラコニアさんの恋人にしか聞こえない同居人とロロの特徴的すぎる見た目は完全一致しており、矢文の如き速さでマレウスに伝わってしまったのだった。
そもそも、何故ツイステッドワンダーランドから遠く離れたこの浦安は夢の国にマレウスが職を得ているのかといえば、話は一年ほど前に遡る。
ナイトレイブンカレッジに転がり込んだ魔法を有していない監督生は元の世界に帰る手立てを探す間、学園の皆に世話になっていた。オンボロ寮の鏡を通してきっかけを得て、ついに元の世界に戻ることが出来たのだった。しかし監督生はナイトレイブンカレッジ生達と交流してきた日々はかけがえのないもので、愛別離苦を感受しうるには皆若過ぎた上に賢すぎた。闇の鏡をどうにか監督生の世界に繋げて、誰でもいつでもお手軽にツイステッドワンダーランド側からであれば魔法のない世界へ遊びに行けるようになった。魔法のない世界では監督生がアテンドをしてくれたので交流のあった者たちのほとんどが鏡の向こう側に行ったことがあった。
「マレウスも行ってみるか」
という運びになった時、マレウスはヒースグレイの唇を孤のかたちにして黒い革手袋の人差し指を添えてにこりと微笑むと皆に提案した。
「ひとり『招待』したい者がいるのだが、構わないだろうか」
魔法のない世界を望んでいた男がひとりいる。
ロロはマレウスに『招待』されて、監督生の世界へ強制的に連れてこられてしまった。
「この悪党!」
「お前の望んでいた世界だろう」
微妙なニュワンスの違いがマレウスにはよくわからなかった。ロロが抵抗してマレウスの手を振り解いて踵を返そうとした時、引き足が当たって闇の鏡と繋がっていた姿見が倒れた。
「あ……」
姿見は鏡面ガラスが粉々に砕けてしまい、ふたりはツイステッドワンダーランドに帰ることが出来なくなった。
根が生真面目なロロは、己の落ち度でマレウス諸共帰ることが出来なくなったことを内心猛省していた。マレウスはスマホが壊れていて日頃から人見の鏡を携帯していたので、通信を取ることは出来たが、ロロが割ってしまった鏡は特殊な呪いの掛かった鏡だったので、通路を繋げ直すのは至難の業であることがわかった。監督生がふたりを面倒見るには迷惑がかかると遠慮をした為、ふたりは職を求めることにした。ロロは元々魔法をあまり使わない生活をしていたので、監督生の伝手の伝手で仕事を得ることが出来たが、マレウスはなかなかに難しかった。まず角が目立つ。そこで助け舟を出してくれたのが、監督生とは鏡越しのマブダチであるミッキーだった。夢の国は角の有無くらいで人を選ばず、マレウスは「ホーンテッドマンション」で執事の職を得ることになった。
ふたりは東京の下町で下宿をしながら寝食を共にするうちに、ロロはすっかりマレウスに絆されていた。魔法に頼り切った生活から一変してしまった為に、つい癖で人差し指を振ってしまい、何も起こらずに肩を落とす後ろ姿を見ていると、元来の性根が優しいロロはいたたまれない心地がした。
しかし、マレウスがロロに対して怒ったことは一度もなかった。『招待』を謀られたことに比べれば全て大したことではないと云って、マレウスは鼻歌混じりに洗濯物を干していた。
ロロは魔法こそ悪だと思い、魔法のない世界をずっと望んでいたが、いざその世界に放り込まれてしまったならば心細い思いがしただろうと予想出来た。魔法が使えない為に彫刻のごとく端麗なマレウスの面差しに些か疲れが見てとれて、申し訳なく思うようになった。
何か日頃の感謝を表せるものはないだろうか、きっかけはないだろうかと思っていた頃、やたらと街がピンク色とハートにあふれ出したので職場の同僚に尋ねたところ「バレンタインですよ」と教えてもらった。聞けば、チョコレート業界の戦略により日頃お世話になっている相手や労いたい相手にチョコを送る習わしがあるのだと聞いた。ロロの職場には男性しかいないので、上司が部下を労うためのチョコがもたらされていた。
故にロロは百貨店でチョコを買ってみたのである。周りが女性だらけなのは少し気になったが、時間が急いていたので構っていられなかった。
大袋はマレウスに日頃よくしてくれている「ホーンテッドマンション」の同僚キャストへの義理チョコである。
「マレウスくん、何故私がここにいるとわかったのかね」
「同僚のメイド達が嬉々とした様子で僕に報告してくれてな、顔見知りなのか?」
「いや、私は今日初めてこの門前に立ったのだ。ここのメイドは何かユニーク魔法でも有しているのだろうか」
「いや、ここの者達も魔法を持つ者はいない様子だ」
「……そうか」
「僕はまだ仕事中だが、どうかしたのか?」
「いや、マレウスくんが気に入っている職場を一度見てみたいと思っただけだ。仕事の邪魔をしてすまなかったな」
マレウスは喜色満面の笑みでロロを抱き締めた。ロロは驚いて何の抵抗も出来なかった。
「そうか! フランムもついに廃墟の良さに興味を持ってくれたのだな?!」
違う、何故そうなる。という言葉を口から発することは出来なかった。マレウスが旋風もかくやという速度でロロの手を引いて門扉の横側から館の敷地内へ導き入れつつ、庭に点在している石像達について説明をしてくれる。
「ここには館に住んでいた人間や動物達の墓がある。そこのブタはロージー、あのネコはフラッフィー、猫には9つの命があるとされているから9回分の没年月日が記されているんだ。アヒルはスキマー、リスはバズ、ウサギは……きっと名はあったのだろうが石碑がないから誰の記憶からも失われてしまったようだな。カエルはフライベイト。あの子連れの親犬はディガー」
館の要所には至る所にコウモリの意匠が見てとれた。作りかけの霊廟のモルタルには枝を束ねたような跡が残って、まるで足跡のように館へ向かっている。
「いま、ホーンテッドマンションは、ストーリービヨンドと称してアトラクションの背景を用いて謎解きをするイベントを開催している。館の使用人達が代々記してきた亡霊達についての大切な書物のページが失われてしまったのだ。LINEのトーク画面を用いて参加できるが、現在その本が完売中でな」
「いや、私は謎解きに参加はしないぞ」
「フランムはページ探しを手伝ってはくれないのか?」
「……困っているのか?」
「ああ、困っている」
「では、本が入荷したら参加しよう」
マレウスはにこりと笑ってロロの手を引っ張ったまま引き寄せてくるりとターンした。遠心力でロロもターンすることになる。
「楽しいな、フランム」
言葉を継ぐ前にマレウスがまた引っ張るので、ロロは何も言えなかった。
ロロはそのまま館の中まで案内されて、死の車が連なる道をマレウスと運ばれる羽目になった。
「まさか、フランムと死の車に乗る機会を得られるとは思わなかった」
「ああ……」
ロロはまだ心臓がどくどくと耳にうるさかった。死の花嫁、コンスタンスが誘う鼓動がロロの心音を乱したのか、最後にマレウスの吐息が掛かるほど近くで見詰められたからなのか。
「マレウスくん、今日はこれを渡す為に少し早く来たのだよ」
ロロが手渡した小さな箱はピンクのエナメル包装紙で丁寧にラッピングされていた。
「卿をこの世界に留めてしまったにも関わらず、私の傍にいてくれてありがとう」
「フランム……ずっと、そう思い詰めていたのか?」
「思い詰めてはいない。だが、ずっとすまないとは思っていた」
「これはばれんたいんのチョコか?」
「ああ、私の気持ちだ」
「僕の同僚のメイド達が云っていた。ばれんたいんは意中の相手にチョコを贈る日なのだと」
「……ん? いや、私は」
「フランム、僕はお前の心をもらってしまっていいのだろうか」
「……少し勘違いがあるかもしれない、一旦返してくれないか」
マレウスはにこりと笑って、跳ねるように一歩退いた。
「いやだ」
いたずらっ子のように云って、ラッピングをざっと取り払うと宝石のような輝きを放つチョコをひと粒、ぱくりと食べてしまった。芳醇な香りが鼻を抜けて、層になったガナッシュがマレウスの舌の熱で緩やかに溶けて混ざってとても甘い。
「フランムの僕に贈る心はこんなに甘いのだな」
マレウスはひたすら楽しげだった。夜闇に紛れて立ち尽くすロロはすっかり赤面して動けなくなっていた。冷たい夜風が火照った頬に心地よくて、ロロは夜天を見上げた。ちょうどパレードが終わりシンデレラ城から花火が打ち上がるところだった。
ロロが魔法を根絶やしにしようとしたのは弟への懺悔からだった。魔法に溺れたいたずら好きの悪党をひとりだけ道連れにして、己の魔法もろともなきものにしただけではきっと許されないだろうという思いがあった。きっと世界は変わらない。花の街でも祭りの時期に愚かな魔法士達が簡素な魔法で花火を打ち上げている。目蓋の裏にはいつもあの炎が燃えている。魔法に満ちた世界を正す使命はロロが命を賭してでも成さなければならない。
「私は……諦めてはならない」
ただ、魔法にあふれた世界で憎くてならなかった相手が、あべこべの世界では愛しくなってしまうこともあるのかもしれない。
ーーいまひと時だけ、魔法のない世界ではこの心に従ってもいいだろうか。
「フランム、僕はそろそろ上がっても良いそうだ。どこか温かいカフェででも待っていてくれ」
マレウスが無邪気に笑うのが目に入って、ロロは苦笑いを浮かべた。
「わかった。その前にメイド長殿にマレウスくんが普段お世話になっている礼としてチョコを渡したいのだが」
「ダメだ」
「何故」
「フランムのチョコは全部僕が欲しい」
そういうが早いかマレウスはチョコの包みを持って駆けていってしまった。
「……また今度別の品でも用意するか」
ロロはため息をつくと出口に向かって歩き出した。
[終わり]