ある男、だが男と断定するにはヒントがなさすぎるのでここでは人間としておこう、ひとりの人間が、左上に消失点の集中している道端を歩いている。
その一人の人間を、同じく人間の恰好をした、やはり人間なのだろうか、それが追いかけている。身体を隠すにはとても足りないような、時代から見ておそらくは木製でもあろうと思われる電柱に身を隠しつつ、はじめにこの文章内に登場した男、ただし男であるとはまだ断定しきれないのでやはりここは人間という呼称を用いたいと思うのだが、その男、少なくとも物であることは確実であろう、それが歩いている、歩くということはやはり人間であるということは断定して良いのかもしれない。
電柱の素材として、従前の木製からコンクリート製に移行してから今年でちょうど百年となる。1923年、函館に建てられた電柱がそれで、まだ鋳造技術が発展しきらなかったからであるのか、四角く象られていて、今も現存している、らしい。ここに出てきている電柱は、底面がゆるく円弧を描いていることから、円柱形のものであると推定することが出来る。してみると、この事件、というのはある男が別の男を隠れながら追いかけている、少なくとも今切り取られている情報からのみ判断すればそのような様子なので、これは明らかに尾行追跡か隠密行動か、はたまたある強迫観念に突き動かされストーカー行為を働いている人物による犯罪行為であると判断せざるを得ないのだが、この事件の起きた時代は、電柱というものが未だ木製であった1922年より以前か、それ以後の電柱がコンクリート製になり鋳造技術が発展したため四角ではない円柱形に再び戻った1924年以後であるかのどちらかであることは、判明した。
つまり、この事件が起きたのは1923年のちょうどその年ではない、ということだけは、上記の事実から判明したことになる。
さて、我々はさらにこの一つの事実を追っていかなければならない。到底見たくもない、誰一人として能動的に関わり合いたくない出来事というのはあるものだが(例えば、ある日道を歩いていて、急激に内的衝動を覚えて「あ、動物が殺処分されている保健所に行こう!」と、その爪先の行く先を変える人はいないだろう、だが全ての人がそうであれば……)、そういったことをその直感のみを信じなおざりにし、目を覆い反旗を翻し尻を捲って逃げるという態度ばかり取っていては、この社会はどうなるだろうか。
ルポライター、記者といった人種は、その書かれたものは珍重され好奇の眼を向けられるにも拘らず、その当人らはまるで不要なことをいちいち暴き出している嫌らしい人物と何となくイメージされることが多い。「パパラッチ」などという単語が、その凡夫の直感をいみじくも表している。だが、それらの人物は、たとえば政治的不正を働こうとしている政治家の行動を抑制する役割も果たしているのだ。
公的機関における、第三者機関と似た機能を持っていると言ってもいいだろう。
まさか欲得なしで職務を遂行していると主張する気はさらさらないが、そこにある使命感が含まれているということは、主張していいと私は思う。一般に、どのような職種においても、どこかしらに後ろめたい部分があるものではないだろうか。単に商売をするにしても、本来対等な関係であれば説明すべき点について、何かしらの印象を生み出したいがために、ある情報を秘匿する、または事実は事実として伝えるのではあるが、そこに通常とは違うニュアンスを加えるといったことが、日常的に行われており、むしろ必須の技術として職場内では推奨されているということも、よくある話なのではないかと思う。
そうして画面外の、消失点に近い所まで歩いて行こうとする男が、次の写真においては、くるりと向きを変え、こちら側、というのは彼が向いているのはほとんど左の方に横向きであるのだが、それは後述する店からちょうど出てきたようであり、その後に向かうと思われるであろう先は、やはり画面の、カメラの位置する方向であるように思われるからなのだが、先述のその男を尾行していた男は、店から出てきた男、これを仮にAと置くと、尾行していたBの方も、Aの視野に入る前に別の曲がり角にでも姿を晦まそうとしているのか、急いで方向を変えて走り去っている様子であった。その急いでいるという証拠に、Bの男の背後には、まるで漫画の技法において走り去っている時に典型的に加えられる効果線のようなものが、残像として残っているからである。
カメラというものが、現在イメージされるカメラの様式に比較的近づいてきたのはおおよそ1900年代のことである。今と比べると信じられないほどの大型ではあるが、手提げ鞄程度のサイズにまで小型化することが出来、正式にアマチュア向けのカメラとして「チェリー手提暗函」が販売されたのが1903年。ここから、個人の写真撮影という文化が始まったのだと言っていいだろう。当時はこの手提げ暗函(あんばこ、と読むらしい)に搭載できる乾板(現在で言うフィルムのことか)は六枚であり、中にあらかじめ仕込んであり撮影の度に抜き去る形式になっていた。当時の苦労を思うと、私の指先からもその乾板の抜き差しの度に擦れた傷から血が滲んでくるように思われる。また、一抱えある撮影機であるから、持ち運ぶにしても、あるいは当時あったのかどうか定かではないが肩に掛けるストラップのようなものがあったにせよ、身体的負担は現在の比ではなかっただろう。
ここまで見てきて、私は、先ほどの電柱年代法により、1923年という年以外であること、それから、人が走り去った時にあたかも漫画的効果線が引かれたかのような残像が残っていたことから、まだシャッター速度がそれほど早くはない、手持ちカメラの黎明期からおおよそ数十年の範囲内として、この事件が起こった年代を想定していたのだが、それとは全く逆の推定をすることも可能であるということにも、気が付いた。ただ、この思い付きに関しては、今までの想定をすべて崩さなければとうてい成り立つものではないので、できれば、思いついた自分の手で、再びどこか、脳髄の中の暗い無意識の底に押し戻したいというのが、正直な所だ。電柱の件でいえば、この街がまだ無電柱化してはいない時期にあるということもまた、想定できることではあるのだが、残念なことに、現代日本においては、まだまだその全土での完全な無電柱化をやり終えてはおらず、ほとんどの地域で、電柱を見掛けることがある、ということは、この事件が起きた年代を、現代の方向まで延長したとすると、その年代を下方に押し下げることはできないのである。
さらに、男Bの背後に生じた効果線のごとき残像であるが、それが効果線に似た映り込みをしているということが、大きなヒントとなる。現在デジタルカメラ、および携帯電話機の内で撮影機能を有するものにおいて、SNOWというソフトウェアを使用すると、完成した写真や、さらには現在動きつつあるリアルタイムの映像について、たとえば動物の耳が生えているように見せるだとか、好きなキャラクターと同じ顔つきにするといったことが可能であり、その中で「漫画風フィルター」というものも存在する。もし、男Bに、その漫画的エフェクトが付け加えられていたのだとしたら……。
のみならず、これから見ていく四葉の写真において、すべてが同一の世代に属していると言い切れる根拠も、またないのである。我々がある現象を解釈するにあたっては、すべての可能性を一つ一つ丹念に調べられるのであればそれ以上のことはないのではあるが、たいがいの場合には、さまざまな資源、人的資源や時間的な資源なども含まれる、それらの制限によって、比較的蓋然性の高いものを選択して、その延長として考える、という選択肢しか与えられないということがほとんどである。
幸いなことに、今回の件の検討については、まだ我々には時間が与えられているので、引き続き、いろいろな可能性に思いを馳せながら見ていこうではないか。
男Bの翻る足底には、下駄の刃の鈍い色が光っている。下駄と、それから古風な羽織というのか作務衣というのか、そんなようなものを着ている。ところが、それにしたところで、コミックマーケットなどに赴けば、そういった姿をしている人がごろごろしている。その姿や街並みを以て、これは大正時代か、遅くとも昭和初期であるとか結論してしまうのは早計だろう。「鬼滅の刃」はいまだに全国の青少年からいい年をした大人までの支持を集めている。鬼滅の刃の舞台となっているのが、ちょうど大正時代である。あのビビッドな色の格子模様の半纏は、その生地のもととなる繊維は、いったいどこから入手したというのだろうか。その点、作品内での考証は、あるのかもしれない。不勉強にして、そのあたりのことには明るくないのだが、全て創作物に言えることは、完全に現実と一致する考証は行えないということだ。フィクションであれば、そこには必ず事実と相違するところが現れる。それに対して、某という事件はこの時代にはまだ起きていないはずだから作品内のこの部分は矛盾しているだとか、反駁することはナンセンスである。ただ、そういうことを言いたい気持ちはわかる。それは、その人がそこまで作品内の世界に引き込まれているという証拠になるだろう。
話が逸れたし、私が今目の前に並べている四葉のそれぞれの写真は、確かに均等に、かなり濃い茶色に変色しているので、よほど日に晒されるような環境に置かれていたのでないとしたら、それぞれやはり均等に、年月を経ていると考えた方がよいだろう。保存状態は良く、こんなにも触れたらすぐに崩れそうな見た目であるにもかかわらず、たとえば紙の端だけが焼けているということもないし、ものすごく丁寧に保管されている紙に独特の、押し花のように押しつぶされた繊維の緊張も、見ていると感じられてくる。
三枚目の写真に移ると、今度は焦点位置が右上の方に変わっていた、ということは、この三名の人物、男Aと男B、そしてこれらの写真の撮影者は、特定の位置から移動してきているということになる、同一の道を角度を変えて撮影しなおしたのでなければという留保はつくのだが、そうでないことは、周辺にあるものが変化していることと、男Bが今度は左側の道の角に隠れているので、もし男Aの視界に入らないように移動しているのだとしたら、もしこの写真1と2、これらに映っている同一の道の左側から右側に映ってしまったら、男Aにどうしたって見つかることになる、ここまで必死に逃げている男が、そのような愚行を犯すはずはない。
第三の否定要素、写真1と2の道、これを仮にイと置くとして、写真3に映っている道はロと置くとする、この道イと道ロが同一の道ではないことに対する否定的要素として、写真2に映り込んでいる男Bの移動速度、これが挙げられる。
我々が本当に発明された当初のカメラというものを想像した時、撮影家の男が黒い垂れ幕を被ってシャッターを開け、被写体は小一時間じっとしている、といった様子や、そこまでいかなくとも数分は留まっていなければいけないという風に想像しがちであるが、すでにアマチュア写真機の一号も無事に発売されたと思われるこの時代においては、そのような想定は、やはり時代が違っていると考えた方が良いだろう。1900年代には既に映画フィルムも今のような実用的な姿になっていたことから、遅くとも100分の1秒単位には、シャッタースピードは上がっていたはずである。このことから、逆算して男の移動スピードを算出することが出来る。男Bは、今の概算でいえば、100分の1秒のあいだに、画像でわかる範囲で概算すればおおよそ1メートルは移動していることになる。とすると、男の移動スピードは秒速100メートル、時速換算すると360km/h、2023年現在開発されている新幹線において、試験車両で出せるか出せないかのスピードであり、その背後に円弧のように描かれている線は、おそらくソニックブームでもあろうか、男Aが店から出てきたときにそのスピードで移動を開始しているので、撮影者が次のフィルムを準備し次の撮影を開始するまでの時間、早くとも十秒程度だろうか、その間には少なく見積もっても1kmは移動している計算になる。以上のことから、道イと道ロとの間の距離が、少なくても1km離れているということが導き出せる。
まだ潤沢にあると思えた時間も、気が付けばもうあと数時間しか残されていない。よく話が長いと言われる、私の悪い癖だ。四枚目の写真に移ると、驚愕の光景が広がっている。ついに大写しになった男A、何の故かはわからないが不気味な笑みを浮かべている。それに対し、自身の顔を隠すことによってあたかも相手から自分が見えないものと思い込む、幼少期に特有の心理的機構が働いているのか、新聞紙で顔を隠して相手から隠れていると思い込んでいる男B、そして最後に今まで登場しなかった人間、この人物は髪型が、頭頂部と襟足とが不自然に丸まっていることからサザエであると結論付けてよいと思う、この三名が映っている、上記のような自分中心の心理的機制が働いているということは男Bはおそらく未就学児であろう。ただ、問題はそれらの中にはない。男Bの左にある障子、そして男Aの手に持っている、その後想定される展開から考察するに爆発物であろうか、それらすべての物からソニックブームが生じているではないか。一秒経たずにこの牧歌的光景は、周囲数百メートル圏内にある家屋を巻き込みながら破壊されたであろう。撮影者の勇気に感嘆することももちろんであるが、彼は無傷でこれらの写真を残したのであるから、このソニックブームが背後に追ってくるより早く、この場から逃げおおせたことになる。その速度は少なく見積もって音速である340km/hより速いということになる。ただし、音速は知っての通り温度と気圧に依存するのであり、……。