こんな時間に誰だよ、と思いながらシャッターを開けると、まず何よりも先に濃い血の匂いが鼻を突いた。
 常夜灯も届かない新月の夜、こんな夜にフランキーを訪(おとな)う者は限られる。情報屋が売るものは営業時間を問わないものと相場は決まっているが、かと言ってこんな夜に、しかも血の匂いをさせて来訪する者など――そう、非常に限られるとは言っても心当たりが一人だけあるのがなんとも、――。
「針と酒と糸と、それから、」
 その男はずるずると頽れながらだしぬけに呟いた。<黄昏>の名を冠する諜報員はフランキーにとってもそこそこ上客だが、こんな血生臭い来訪はルール違反と言っていい。しかしここまで立ち入られてしまったからには、フランキー自身の安全のためにもいっそ招じ入れてしまったほうが話が早いだろう。ここで叩き出せば逆に、深夜にそろそろ手が届く時分に盛大に血糊をつけた男がやってくる煙草屋とは一体どういう店だ、と目をつけられかねない。それは困る。とても困る。
「お前なあ……!」
「縫ったらすぐ出る、迷惑はかけない」
「ここまで来てる時点ですでに盛大に迷惑なんだよわかってんのか」
 さすがにそこは自覚しているのだろう、室内から届いている弱い明かりの下でも、男の顔色はずいぶん悪い。はたはたと新しい血を落としている左手の指先は白を通り越して青かった。残念ながらフランキーはその血色に見覚えがある。
「ほんっとにお前、……」
 思いつくかぎりの罵声を浴びせてやろうかと息を吸い込むものの、数瞬フランキーは言葉を選ぼうとして、結局そこで止めた。蹲る男の襟首へ手を伸ばし、無理矢理こちらへと引き入れる。男の身体で止まっていたかたちの扉がばたりと大きな音を立てて閉じた。
 こちとら日陰の生活を送る側、同じく日陰者を無碍に叩きだせるほど非情にはなれない。
「そこ座れ」
 点々と血痕を落としながら男はなんとか自力で歩き、フランキーが指し示した椅子まで辿り着いた。
 傷を縫うなら針と酒と糸と火、それから布。ピンセットも要るだろう。さてそんな洒落たものはこの家にあっただろうか。
「酒っつっても消毒用アルコールなんかねえぞ」
「ヴォドカか、……キーラー・スプロッテ(アクアビット)あたりがあればいい。なければ蒸留酒、」
「……あー、あるわ。随分前にどっかから貰って飲み方わかんねーやつが」
 戸棚の中を漁るうちに、男は上着の上からきつく巻いた布切れと紐の中間のようなものを片手で解いた。肩越しに見やると銃創であるとわかる。これまた残念ながら見覚えのある手合いだ。
 封を切ったものの数年はそのままだったヴォドカの瓶は、記憶していた量からいつのまにか半分くらい減っている。まあ、腐るようなものでもなし、消毒に使うくらいなら問題ないだろう。文句があるなら自分で消毒液を買ってからやって来い、ということだ。
 縫合用ではない縫い針とボタン付け用の糸、ライター、そろそろくたびれてきたので買い替える予定だった洗いおきのタオル、それから機械弄りもとい発明品開発用ツールの中から埃をかぶっていたピンセットを探し当てて、フランキーは男のもとへ戻った。
 まずシチュー皿の上に針と糸、ピンセットを置いてヴォドカの瓶を傾ける。道具をアルコールに浸しているフランキーを横目に、男は血濡れたジャケットとシャツの袖をまとめて捲り上げた。手首と肘とのほぼ中間、なんとも運のよいことに、血管と骨をうまく避けた場所に赤黒い穴が穿たれている。弾は入ったままなのかどうか。
 うへぇ、とフランキーが舌を出すと、青い顔をした男はやや疲れたように苦笑する。
「弾は?」
「貫通した。とりあえず縫っておいて、明日もっと設備の整った場所で処置する」
「いや今から行けよ」
「……帰ると言ってきている」
「……そういう時にこそお得意の弁明術の出番じゃねえのかよ……」
 ほとほと手の焼ける上客だなとフランキーは天井を仰いだ。
 すっかり血濡れている先ほどの、止血帯として巻いていたものをもう一度、男は銃創より肘に近い位置へきつく巻く。酒の中で糸を軽く振ってからタオルの上へ置いてやった。あとは男が一人でやるだろう。
 縫合用の湾曲した針ではないので縫いにくいだろうが、そこはそれ、背に腹はかえられない。
「聞きたいことがある」
 皿の中から針とピンセットを取りだした男が、ぼそぼそと呟いた。
「あ? なに、仕事の話〜? 代金払ってからにしてくんない?」
 麻酔もなしに無言でちくちく縫うのはさすがに負担なのだろう、気を紛らせるには雑談でもしておいたほうがいい。手術室でもないのでつきあってやるか、と思うくらいにはフランキーも暇だった。
 糸からアルコールが飛んだことを確かめ、男は皿を遠ざけてからライターでピンセットの先と針を炙り、器用に糸を通していく。コイツ精神科じゃなくて外科のほうが向いてんじゃねえの、とフランキーが感心するくらいには、不自由なはずの負傷した左手も使いながらの作業は鮮やかだった。
 糸を通しおえた針をピンセットで摘まみ、一度両肩を落とすように息をついてから、男は迷いなく銃創の端へ針先を当てた。小さく赤い血の玉が膨れていくのを無機質に眺めながら、穴の開いた靴下をまつるように傷口を縫っていく。
「いや、仕事に関することじゃない。私生活で、悩んでいる事があってだな。客観的意見が欲しい。その、…………オレは、別に、可愛くはないよな?」
「……………………はい?」
 傷口を縫いながらの話題として似つかわしいわけがない。実際、男は軽口を叩く表情ではなく、標的を睨むような視線は揺らがず、こめかみには薄く汗が浮いている。
 以前から気になっていた事ではあるのだろう、恐らく。しかしここで持ち出すには少し、……ああいや、何でも良いから口に出しておけば気が紛れる、という事もある。恐らくそれだ。なのでフランキーはそこそこ真面目に対応してやることにする。
 何せもっと設備の整ったセーフハウスで処置をするために帰宅の約束を反故にするくらいならと、こんなにも雑で道具もまともじゃない場所で縫合だけ済ませてしまおうと思わせるくらいには、男にとってあの場所は重要なのだろうから。
「お前のこと、どこをどう見たら、可愛く見えるよ?」
「そう、……だよな?」
「当たり前だろ、こんな背が高くて筋肉ムキムキの男の、どこが『可愛い』だよ! 鏡見て出直せ!」
 あえて大声で言いのけると、血濡れた糸の端をライターで焼き切っていた男が一瞬目を瞠り、ふは、と気が抜けたように笑った。いつだったか、硝煙の匂いがする夜の森で見せたような笑い方だった。
「あ、ああ。悪いな。助かった」
「つーか何でそんな事聞くわけ?」
 貫通した逆側を縫いはじめた男に、フランキーはやや胡乱げな顔で尋ねてみる。出血も痛みもあるのだろう、顔色はまだ冴えないが、針と酒と糸、と暗闇の中から要求したさきほどよりかは生気のある表情をしている。
 ……大丈夫そうだ、と頭の片隅でやや安堵しつつ考えた。
「その、最近ヨルさんがオレに対して頻繁に言うんだ。『ロイドさん、可愛いです!』って」
 前言撤回、お前ここに何しに来たの? と喉元まで出かかった台詞をフランキーは苦労して呑み込んだ。
「それで腑抜けてコレかよ。お前最近ほんとどうかしてるぞ」
 本気で糾弾したかったわけではないので、しょうがねえなあコイツ、と言わんばかりに半笑いで言ってやると、そうかもな、と西国の伝説の諜報員はなんとも表現しにくい笑い方をした。
 こんな場所で、手術用のものでもないボタン付け糸で、自分で凄惨な傷を縫っているという状況なのに、その表情はとても血の通う人間らしいものだった。
<終>
カット
Latest / 74:14
カットモードOFF
文字サイズ
向き
チャットコメント通知
#ロイヨル文字書き交換遊び@佐伯都
初公開日: 2022年08月22日
最終更新日: 2022年08月22日
ブックマーク
スキ!
コメント
流血描写ありのため苦手な方は自衛をお願いします
恥ずかしいアレ
うにょこさんの台詞100選のあれ
佐伯都
ちちとははいちゃいちゃしろ
タイトル通りのちちとははいちゃいちゃしろ的な何か
R-18
佐伯都
仮面舞踏会の夜
三万字こえてますよ!とアラート出て進めなくなったので続きはこちら
佐伯都
【CoC】リアルタイムテキスト化プレイ:忌村N:KPレス1PL1PC
クトゥルフ神話TRPGをプレイしていく様子をリアルタイムでお届けするテキストライブです。シナリオのプ…
MN*B