『幸せのカタチ』
大好きな人がいる。
大事で、大切で、唯一の人。
太陽のように輝いて、迎えに来てくれた人。
だから、幸せになって欲しいんだ。
「なあ、三蔵」
「なんだよ」
「結婚、しないの?」
「はあ?」
昼下がりの、三蔵の執務室。書類仕事を片付ける三蔵の足元でブランケットに包まりながら、悟空はぽつりと尋ねた。
悟空の質問に、三蔵は盛大に顔を顰めた。そんなに嫌がられることを言っただろうか、と悟空が首を傾げると、三蔵は少しだけ思案して、はあ、と小さくため息を吐く。
「知らねえのか。坊主は結婚しねえよ」
「そういうもんなの?」
「そういうもんだ」
三蔵の言葉に、ふうん、と悟空は呟いた。坊主は結婚をしない、とは初めて知った。そういうものなのか、と手元のブランケットを弄っていると、今度は頭上から三蔵が尋ねてくる。
「何をトチ狂ってそんなこと言い出した」
「ええ……」
ただ気になったことを聞いただけだというのに、トチ狂う、とは大袈裟である。そこまで言わなくてもいいのに、と思いながら、視線を斜め上に走らせて先日の光景を思い出した。
「昨日さ、街に行ってきたんだけど」
「ほう」
「三蔵のおつかいじゃん。タバコだよ」
「そういえばそんなの頼んだな」
そ知らぬ顔をする三蔵に苦笑しつつ、それでさ、と言葉を続ける。
「その時にさ。隣の……なんだっけ、指輪とかのお店。あそこに、男の人と女の人が買い物に来ててさ。
結婚、するんだって。二人で幸せになります、って、笑ってた」
鮮明に思い出せる。恐らく三蔵と歳の頃は同じの、男性と女性。腕を組んで、微笑みあって。ああ、この人たちは『幸せ』なんだと、ひと目見るだけで理解出来た。
「三蔵は、今、幸せ?」
三蔵を見上げて問いかけると、その菫色の目が見開かれる。ブランケットを拳で握りしめて、今度は少しだけ、震える声で尋ねた。
「俺と一緒にいて、幸せ?」
再度の問いかけ。三蔵は答えず、暫くの沈黙が部屋の中に流れた。表情を強ばらせた三蔵から視線を逸らして、悟空は窓の外から晴れた空を見上げた。
「ああいうの、ふうふ、っていうんだろ。初めて見た。すごく嬉しそうに笑ってた。
楽しそうでーー幸せそうだった」
なんて輝かしい『幸せ』のカタチ。
あんなふうに三蔵が『幸せ』になってくれたら。
そうしたら、自分だって本当に本当に、『幸せ』なのに。
胸の中に一瞬だけ現れた痛みは、きっと気のせいで。唇を噛んで頭を振って、悟空は三蔵を見上げて、再度尋ねた。
「なあ、三蔵はどうしたら幸せになれる?
俺、三蔵のこと大好きだから。だから、幸せになればいいのに、って思うけど。どうしたらいいか、分かんないんだ」
大好きな人だから。
大事で、大切で、唯一の人だから。
どうか、世界で一番、幸せになって欲しいと願うのだ。
はあ、と三蔵の大きなため息が執務室に響いた。
「お前は馬鹿か」
「なんで?!」
突然の罵倒に、悟空は声を荒げて反論する。人の幸せを願って尋ねたというのに、あまりの言い草である。頬を膨らませる悟空に向けて、三蔵は静かに言葉を続けた。
「俺の幸せは、俺が決める」
手元の筆を置いて、三蔵は袂のタバコを手に取った。カチリ、とライターで火をつけると、タバコの先端が赤く燃える。身体に悪いのにな、と思いながら、悟空はぼうっとそれを見つめた。
「俺は、得にならないことはやらん。不幸になると分かってることもやらん。俺が良いと思って、納得したことしか、やるつもりはない。
特に、人間を一人拾う、なんざ、尚更だ。
この先、捨てる予定もねえしな。分かったか、馬鹿猿」
「……ごめん、よく分かんない」
「テメェ……」
タバコをふかしながら言われた言葉は、恐らく遠回しに何かを言っているのだけれど、悟空にはまだよく理解が出来なかった。きょとんとする悟空に苛ついた三蔵の拳が見えたような気がしたが、ええと、とその拳が振り下ろされる前に慌てて続ける。
「俺が居て、いいの? 俺が此処に居て、三蔵は幸せ?」
尋ねれば、三蔵はフンと鼻を鳴らして、再度タバコを口に含む。吐き出された煙が、執務室の天井へとゆっくり吐き出された。
「……少なくとも、隣にいる奴が馬鹿みたいなことで悩んでるよりは、脳天気に笑っていた方が、俺としては楽ではあるな」
遠回しな言葉。それでも、今回はどうにか理解できた気がする。
一緒に居てもいいのだと。笑っていて欲しいのだと。それが三蔵の納得する『幸せ』なのだと、そう思えた。
「へへ、三蔵」
「なんだ、気持ち悪い」
「今笑ってろって言ったのに?!」
静かな筈の寺院内で、大人と子供の声が響く。
これは一つの『幸せのカタチ』
青い空に響いた声は怒声と叫声であるも、どこか幸せの色を滲ませていた。