煉瓦造りの建物、探偵社の属する階層は内側から燈が煌々と零れていた。
「根を詰めてないと佳いけど……」
 時は二十二時を過ぎている。こんな時間まで社に残っている人間が誰であるかなど、想像に難くは無かった。探偵社が請け負った案件の内、一件厄介なものがあり、私はその情報収集及び問題終息の為の根回しを目的とした独断行動を密かに取っていた。無論、彼はそれを知らない。知らぬままで良いと思っている。
 状況はほぼ解決へと至った筈だ。大方、報告書作成などの後始末に追われている、と云ったところか。私は建物の中へ足を踏み入れ、自動昇降機を使って階層を上がった。
 そろりと探偵社の扉を潜ると、執務室内の一角のみ電燈が灯されていた。ぱちぱちぱち、キーボードを打鍵する音が空調の無機質な稼働音に溶けていく。だが、それは平素ほどの軽やかさ、そして律動的では無い。そうっと音の主を背後から覗き込めば、金色の頭が僅かにぐらぐらと揺れていた。これは愈々限界が近いというものだろう。『無理をするな』『身体は資本だ』、などと彼は後輩達によく宣っているが、彼は彼自身を時折こうして度外視している。思わず溜息が漏れそうになって、私は足音を忍ばせながら、彼へと近付いた。
「ばぁっ」
 彼の前に回って両手を挙げ、お化けの真似をしてみた。暗がりから突如湧き出た不気味な声にきっと驚き椅子から転げ落ちるだろうと思っていたが、対する彼の反応はと云うと、『無』である。
「……あれ? おーい、国木田くーん」
 幾度か呼び続けていると、ふと彼の動きが止まった。そして。
「き、さま……っ! 何処をほっつき歩いておった?! この唐変木がぁっ!!」
「うわぁっ」
 突然立ち上がり怒鳴り散らされた私は吃驚してそのまま尻餅をついた。打ったお尻を摩っていた私に濃い影が下りる。見上げた先では彼が腕組をして仁王立ちをしていた。
「俺達が、どれだけ、忙しかったと、思って……」
 だが威勢が良かったのは初めだけ、直に限界が来たように、彼はふらりと揺れて、机に片手を着き反対の手で顔を押さえていた。
「あぁほら、働きすぎだよ、君。もしかして、二徹くらいしちゃった?」
「煩、い。誰の、所為だと」
「えぇ、それはお門違いじゃないかなぁ。私が居ても居なくても、君が特段忙しい事に変わりはないでしょう」
 彼はどっかりと椅子に座り、項垂れて、はぁ、と深く溜息を吐いた。
「人手が足りんのだ。全く、そんな時に貴様はふらふらと……」
「まぁまぁ。ところで、それは報告書かい」
 そう問い掛けながら、ちらりと液晶画面を覗き見た。文面に出てくる単語からそれが件のものだと直ぐに判った。
「別に今日仕上げる必要も無いでしょう。もうこんな時間だ。今日はもう終いにして、飲みに行こうじゃあないか」
 とんとん、と少し草臥れた胴着を叩けば、彼はじっとりと私を睨み付けた。しっかりと目の下に作られたクマの所為でちっとも怖くない。すると彼は一度画面を一瞥して、また私の顔へ視線を投げた。
「ほらほら、社には君以外もう誰も残っていないのでしょう。ならどの道今日完成させたとて誰も検閲出来ないのだし。明日で良いじゃないか」
 もう少しで陥落させられそうだ。否、彼がこんな口車に簡単に載せられるのは、相当疲労を溜めている証左であろう。早いところ休ませねば、本当に倒れて仕舞い兼ねない。
 すると彼はふうと肩の力を抜き、パソコンをぱたんと閉じた。無言のまま机上を片付け、退勤前の最終確認を行った。それを社の入り口でしげしげと眺めていると、最後にぱちんと電燈が切られ、彼は扉を潜った。私もそれに続く。
「何処に行く? そうだなぁ、この近くだと……」
 私は脳内に地図を描き、幾つかの居酒屋を列挙した。しかし、建物を出るなり彼は迷う事無く歩みを進め始めた。
「おや、行くお店は決まっているのかい」
「違う。帰るのだ」
 彼の言葉に、私は一つ瞬いた。居酒屋に寄って適度に酒精を入れて休ませようと思ったが、どうやらその必要も無いらしい。なら社員寮まで同行しようと、私は彼の隣に並んだ。
「先に云っておくが、大したものは作れんぞ」
「え? ……なに、御相伴に与って良いのかい」
「どうせ腹が減っているのだろう。飯は抜くな。身体に悪い」
 自分の心配より他人の心配とは。全くもって彼らしい。胸の中でだけくすりと笑って、なら御馳走になろうかな、と云って、いつもより緩慢な彼の歩みに従った。
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202206211506
初公開日: 2022年06月21日
最終更新日: 2022年06月21日
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コメント
初めて使わせていただきます。SSの執筆過程。中途半端なところで終わってます。書くのがトロいので4倍速以上でご覧頂くのを推奨。作品は完成したら支部へ上げる予定です。所々言葉遣いがおかしいのは後程修正いたします…。