俺の恋人は素直じゃない。
「Mork……、」
大学からPiを車で家へと送った別れ際、彼は決まって俺の服の裾をきゅっ、と軽く引っ張る。これが彼の『キスがしたい』の合図だったことに気づいたのはいつのことだろう。
俺はその彼のその精一杯のお誘いに乗って、柔らかな唇を堪能するのだ。そうすると彼は「急に何するんだ?!」と怒りながらも満足そうな顔をする。そういう素直じゃないところも可愛いと思う。だけど、なかなか口にしてくれない彼だからこそ、俺だって彼からの言葉が欲しい時くらいある。
今日も彼を家まで送った別れ際に、服の裾をいつものように引っ張られた。だが今日は何事もなかったかのようにそれに気づかない振りをした。
俺の行動が想定外だったのかPiは動揺したように瞳が揺れていた。もしかしたら怒り出すかもしれないと思っていたが、不安そうにユラユラと揺れる瞳にうっかり負けそうになる。だがここでいつものようにキスをするのは不自然で、「じゃあ、またな…」と彼は切なそうな顔をして車を降りた。ただ言葉で「キスがしたい」とねだる彼が見たかっただけなのに、あんな顔をさせるつもりなんてなかった、と後悔をした。
そして今日こそはいつも通りに彼の誘いに乗るつもりだったのだ。それなのに今日のPiは俺の服の裾を引っ張る合図すら送って来ない。その理由は昨日のせいだと分かっている。
彼の可愛らしい精一杯の誘惑を、自身の欲望のせいで台無しにしてしまった。それが残念で仕方ない。
だが、彼は昨日みたいに一向に車を降りる気配もなく、ユラユラと不安そうに瞳はまた揺れていた。
「Pi、どうした……?」
声を掛けるとその肩がピクリと震える。そして俺のその質問になんでもない、と首を横に振った。その姿があまりにも可哀想だったので俺はもう降参することにした。
「Pi、キスしていいか?」
昨日も出来なかったのに今日も出来ないなんて嫌だった。俺の言葉にパッと顔を上げた彼は「いちいち聞くな!」と嬉しそうな顔をして文句を言った。
その文句を塞ぐようにキスをして、これで解決出来たと思っていた。
それなのに彼は、そっと離れた際にもまだ物欲しそうな顔をする。素直じゃない恋人。まだもう少し彼の唇を堪能していいのかどうなのか判断するのは難しい。
だけど昨日の分も、と自分に勝手な言い訳をして彼に怒られてもいいからとその柔らかさを存分に味わう。
はっ…ふっ、と彼から鼻に抜けるような声が漏れ聞こえて思わず止められなくなった。彼は一生懸命、俺のキスに応えながら服の裾をクイクイと引っ張っている。これはきっと『息が出来ないからやめて』の合図だとは分かってはいる。だけどもキスをねだる時の合図もそれなのだ。
「それ逆効果だよ、Pi……」
彼の身体を抱き締めて、あやすように背中をポンポンと叩く。だけど彼は未だに俺の服の裾を引っ張るのだ。
「Pi……?」
「………もうお前は気づいてるんじゃ、なかったのか?」
上目遣いで睨み付けられて、未だに彼の誘惑が続いていたことに気づく。だけど、彼の誘惑に素直に乗っかってばかりじゃなんだか悔しい。
「Pi、俺は鈍感だから口で言ってくれ」
その俺の言葉にえっ…?と驚いた顔をした彼は俺の服の裾を引っ張る手はそのままに、ぎゅっぅ、と力を込めた。そして顔を真っ赤にして「し、舌絡めるやつもしてみたい……」なんてとんでもない爆弾を俺に投下するのだった。