※この日記は1/20に書かれていますが気にしないように。刻が未来に進むと誰が決めたんだ。ターンAターン。
 さて、7日8日と戸村支配人&岩浪音響監督の2日連続トークショーの興奮も冷めやらぬまま、今度は吉浦監督の舞台挨拶付きの「アイの歌声を聴かせて」&「サカサマのパテマ」上映が始まります。
 まだ年明けて1ヶ月も経ってないというのに、サンサン劇場のあまりのフルスロットルに振り落とされそうです。
 さて今回は、「アイうた」は2回目の鑑賞となりますが「サカサマのパテマ」の方はタイトルは知っているものの公開当時は見ていなかったので今回が初見となります。今までも何度も言っていますが、サンサン劇場では最新作だけでなくそれに関連した過去作も上映してくれるので、作品やその作品を作った監督のルーツを知ることができるのが面白い。
 今回は、「アイうた」「パテマ」ともに、上映前に吉浦監督の舞台挨拶が入る形となっていました。
 めでたく満席となったシアター4にて、さっそく吉浦監督の舞台挨拶が始まります。
 のっけから吉浦監督の「サンサン劇場は極めて特殊な環境だと聞いています」で会場爆笑。そりゃあこんな特殊な環境の映画館なんてそうそうないよなあ……。
 今回の舞台挨拶は岩浪監督登壇のトークショーに比べてなんというか話題が常識的で安心しました。塚口に通ってると徐々に間隔が麻痺してきますが、これが普通なんだよなあ……。
 以下、主要な内容をピックアップ。
・「アイうた」のタイトルは終盤までなかなか決まらなかった。
・吉浦監督の心の名作は「ノートルダムの鐘」。作画的には黒澤映画を意識している。
・キャラクターのちょっとしたセリフで性格を表現する。
・シオンはもとから「突然歌い出す」というキャラではなく、「シン」という仮名だった。
・アンドロイドやAIが普及しつつある近未来で現実と地続きな世界観なので、あまり突飛なことはしない、できない作品だった。
・シオンの表情は意図的に限定的なものにしている。
 などなど。驚くところもあり納得するところもありといった感じの内容でした。
 特に、吉浦監督が自身に影響を与えた作品として古典SF、特に名指しでハインラインを挙げていたのに強く納得。「イヴの時間」も「アイうた」も、明らかにその根底には古典SFの香りがします。
 あと言及はありませんでしたが、ああいった作品を作っておいてP・K・ディックの影響を受けてないとか言ったら吉浦監督は詐欺罪で即刻逮捕されると思います。
 こうした舞台挨拶やトークショーで聞ける話はどれも面白いんですが、やはり個人的には「影響を受けた作品」、さらに言うならその人が作った作品のバックボーンとなるものを知ることができるのがいちばん面白い。その人の「好き」が垣間見えるから。また、作品を見ててその人の「好き」を予想するのも楽しいです。
 さて、2回目となる「アイうた」ですが、今回は前回の感想で言及しなかった点について書いていきましょう。
 やはり色々書きたいのは、ヒロインとも主人公とも、そして本作における重要な舞台装置とも言えるシオンについてです。
 舞台挨拶やパンフレットにて明言・明記されていますが、やはりシオンの表情は限定的なものであり、よくある「レッテルだけロボット」なキャラにはなっていません。そして、限定的なのは表情だけではない。
 「人間社会に入り込んだ人外キャラ」のお約束として突飛な行動を繰り返すシオンですが、その言動は前回の日記の通り巧妙に人間的な意志に基づくものなのか、あるいはAIとしてのコマンドに従っているだけなのかが簡単には判別できない状態となっています。
 この日記を書いている時点でアイうたは2回視聴していますが、シオンは天真爛漫で可愛いキャラとして描写されているものの、時々(そして明らかに吉浦監督の計算通りに)非常に得体のしれない、不気味な存在としての顔が垣間見えることがあります。
 例えば中盤のクライマックスとなるメガソーラーでのミュージカルシーンの直前、サトミのスマホにシオンからの連絡が来るシーン。
 この場面はかなりあからさまに不穏な雰囲気を演出されていますが、このシーンのさらに前の段階から、かなり巧妙にシオンの得体のしれなさというか、「人間の制御を離れつつある(ように見える)AI」特有の嫌な予感を少しずつ少しずつ醸し出しているように思います。
 というかシオンのキャラデザ自体、可愛いだけじゃなくて意図的に「不気味の谷」的な不気味さを残しているようにも思えます。表情についてもそうですし、なんかシオンって常に目をかっぴらいてる印象があって、ベーシックの表情がそもそも非人間的なイメージがあるんですよね。
 サトミのセリフに「シオンってめちゃくちゃだよね……」というものがありますが、シオンは劇中で描写されている数々のAIシステムのように人間に対して従順でもなければ、人間社会における常識内に収まる行動をとっているわけでもない。シオンは完全になにか規格外、予想外の存在であることを少しずつ 少しずつほのめかしている。
 ここでわかりやすく「シオンは無制限の自律意思を獲得した存在だ」とやらないのが吉浦監督の巧妙さ。
 劇中のシオンの行動をよく見れば見るほど、彼女はAIとしてのコマンドでもなく人間的な自律意思でもなく、なにかもっと別のものによって稼働しているのではないか、そんな風に見えてくるのです。あの一間人間と変わらない天真爛漫な笑顔の奥底には、一体何が潜んでいるのか、そもそもそこに「彼女」と呼べるものは存在するのか。作品を見ていて、なんだかだんだんシオンの奥底には、人間の期待するような明確でわかりやすい人間的な心なんてものはないんじゃないか、大きな空洞が広がっているんじゃないか、そんな風に感じてきました。
 しかし、彼女の中は空(カラ)であっても虚(ウロ)ではない。
 確かに彼女の出自はトウマが作った初歩的なAIであり、彼女の行動原理は徹頭徹尾「サトミを幸せにすること」。その行動はあくまでAIとしてのコマンドに対するうレスポンスに過ぎないかもしれません。そこには彼女の独立した意思は介在どころかそもそも存在しないかもしれません。
 しかし、彼女の存在と行動によってゴッちゃんとアヤは本心を吐露して仲直りする機会を得て、サンダーは柔道大会で優勝し、そしてサトミとトウマは幼い頃のわだかまりを乗り越えて再び手を取り合うことができた。
 前回の日記で書いたとおり、シオンの行動は最初のコマンドである「サトミを幸せにすること」から一切逸脱していません。それは彼女自身が言及しているように「命令されたからやったこと」に過ぎず、シオン自身の意志によるものではない。
 しかし、シオンの中が空(カラ)だったからこそ、あそこまで多くの想いをその中にインプットし、そして彼女が8年かけて学習した「サトミを幸せにする方法」である歌としてアウトプットすることができたのではないかと思います。
 劇中では繰り返し、「人を幸せにするのがAI」と言われますが、その伝で行けばシオンもまた徹頭徹尾、我を持たずにその願いに沿った行動を取り続けていたのだとも考えられるのではないでしょうかね。
 そこにいくとやはりラストの、明らかにシオンどころかシオン以外のAIもすでに「目覚めて」いることが明らかな展開はやはり怖い。文字通り人間の手の届かないところでAIの進化が始まっているどころか下手をすればすでに進化は完了してしまっているという。
 本作がハッピーエンドであることに異論を挟むつもりではありませんが、本作がハッピーエンドなのはもしかしたら非常にわかりやすい悪役である西城というキャラクターあってこそのような気がします。むしろ、サトミの母である美津子への嫉妬を差し引けば、西城の行動は人間側としてはむしろ正しい。アンダーコントロールでないAIなんて非常にわかりやすい危険物ですからねえ。
 このように、「アイの歌声を聴かせて」は1万字超えの記事を書いてもまだまだ言いたいことや書きたいことの尽きないすっげー作品です。
 まだまだシオン以外のキャラや各シーンについて書きたいことはたくさんあるんですが、まあどのみち20日(というかこの日記を書いている日)にはサンサン劇場での最終上映を見に行くので、そのときにまたいろいろ書いていこうと思います。
 さて、次は「サカサマのパテマ」。アイうたの上映終了からそのまま吉浦監督の舞台挨拶に移行します。
 例によって例のごとく、詳細な内容については危険物なのであんまり直接的には触れません。
 吉浦監督の言によれば本作はもう9年前の作品ということで、今見返すのはかなり辛いとのことでした……。ULTIMATE WAKARU。
 また、先日の日記でも言及しましたが、こうして現在の作品だけでなく同じ監督の過去の作品を同時に見ていくと、やはりその監督や作者のルーツや描きたいもの、性向がわかってくるのが楽しい。
 そしてこうした舞台挨拶だと、その本人の話が聞けるので、総合的に作品への理解度が深まっていくのが楽しい。
 あとですね、上の写真だと光が反射して分かりづらいですが、スクリーンに表示されている日付が「20211.1.15」になってることに舞台挨拶が始まって10分くらい経ってから気づくという実に塚口らしい一幕がありました。塚口は特殊な環境の映画館だからね、仕方ないね。
 そして、アイうたの視聴および2回の吉浦監督の舞台挨拶を経ての「サカサマのパテマ」です。
 本作は前述の通り今回が初見で、世界観について多少知っている程度。
 まず最初に思ったのは、「あーこれ好きな人が作ってるやつだ分かる分かる」でした。
 だって最初の廃墟のシーンとか潜水艦の居住ブロックみたいな狭っ苦しい部屋とかもう最初の10分でフェチがダダ漏れ。
 こうした世界観に凝った作品でよくある失敗として、世界観を延々説明してしまい展開が冗長になるというパターンがありますが、本作を含む吉浦監督作品はそれをせず、映画というビジュルに大きなアドバンテージがある媒体の強みを生かして、まず絵でバーンと見せるという。
 アイうたでも「すでにAIが実社会に浸透している世界」ということでAIバスや田植えロボ、スマートセキュリティのある家を見せるという手法を取ってましたね。
 イヴの時間ではもっとあからさまに、キービジュアルともなっているお腹からコードを出しているサミィとそのコードを端末につないでデータを確認しているリクオという絵をいきなり出す。
 この手法によって、視聴者は一気に作品世界に引っ張り込まれるわけです。
 特に本作では、世界観の説明のみならず、さまざまなシーンの意味を絵で見せるという手法が取られています。
 たとえばサカサマの世界に住んでいるヒロイン・パテマのパートに続く、地上に住んでいるエイジのパート。
 彼の世界は典型的なディストピア世界であり、エイジたちをはじめとする子どもたちは画一的な思想教育を受けています。こうした状態はしばしば「敷かれたレールの上を進むだけ」と表現されますが、本作ではそのまんま、この状態を「敷かれたムービングウォークに乗って同じ方向に向かって移動していく子どもたち」というビジュアルでバーンと見せる。あれで視聴者はエイジの住む世界がどういうものか、言葉ではなく魂でりかいするわけですよ。
 また、ストーリーの進行に伴ってエイジとパテマの距離が近づいていき、同時に地上世界と地下世界の秘密が明かされていくシーン。
 これを、要所要所で映し出されていたパテマの持つカプセル(多分重力方向を確認するためのアイテム? 名前がわからん)に入っている赤い液体が、それまでは重力の影響で上か下かに偏っていたのが、最終的に水平になるという形で表現しているのがまた巧妙(ウマ)い。
 というか本作の演出は全部、そもそもの根本的なアイデアである「重力の逆転した世界」に基づくものなんですよね。
 そもそも「違う世界に住んでいた主人公とヒロインが心を通わせる」という王道を、文字通り「重力が違う世界」という形で表現したりしてますし、違う世界で生きてきたふたりの人物が出会ったシーンで、どちらの主観から見たパートなのかを文字通りエイジ/パテマの重力方向に合わせて画面を回転させることで提示したりと、とにかくビジュアルで見せてくれるので、説明でダレることがないし何よりビジュアル的なインパクトが楽しめる。
 というか演出の強度が違うんですよ強度が。なにせ世界観設定に担保されている演出だから。
 なので、上下逆さまのエイジとパテマが抱き合うという本作のキービジュアルとも最重要ギミックとも言えるあの絵面は、まさにあの世界でしか成立し得ない、世界そのものに支えられた演出と言えるものでした。
 特殊な世界観を持った作品というのは、ともすれば設定倒れになってしまうことも少なくありません。
 しかし本作はこの「重力が反転した世界」でなくては絶対に描写できないインパクトのあるビジュアルでもって、非常に完成度の高い作品になっていると感じました。
 あと単純に「重力が反転した世界」ってのがSFとして魅力的。
 はーやっと書き終わりました溜まってた日記。
 なんとかその日のうちに書いてしまいたいものですが、これだけ言いたいことがどんどん出てくる作品だとそれも大変です。1日が1564984534387435時間になーれ。
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塚口サンサン劇場「アイの歌声を聴かせて」&「サカサマのパテマ」吉浦監督舞台挨拶行ってきました!
初公開日: 2022年01月18日
最終更新日: 2022年01月20日
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1/15のサンサン劇場の「アイの歌声を聴かせて」&「サカサマのパテマ」吉浦監督舞台挨拶の感想を書いていきます。