題「菩提樹」
木材にも種類がある。その中でも、菩提樹には虫が付きにくい。花の蜜は滋養化が高いしい、内皮は繊維に富んで、製紙に向いている。包帯として使われていたこともあるくらいだ。
様々な用途で使われるほど、菩提樹は重宝されてきた木である。だからこそ、この木には様々な物語が付いて回る。
その兄弟は、とある貴族の生まれだった。貴族、とはいっても、豪華絢爛な暮らしが出来ていたわけでも、貧しい民に財を分け与え義務を果たすノーブレスオブリージュを行えていたわけでもない。
彼らが貴族として生を受けたのは、階級制度と無理な徴税に苦しめられた民衆たちが集い始め、あちこちで反乱がおきていた時代だ。つまり。兄弟のいた貴族社会が最も権力闘争で荒み「邪魔者め」と謗りを受け、下界に出れば「悪者め」と石を投げられる。そんな日々だったのだ。
「リンデン家の兄妹」と呼ばれる彼らが、実際にどのような関係であったのか、詳しく知る人はいない。弟は養子だったという話もあれば、兄は婚外子だったという話もあった。兄は黄金よりも美しい金髪と、湖よりも深いターコイズ色の瞳を持っていた。弟は桃色に近い赤毛と、鮮やかな翡翠色の目をしていた。二人が兄弟であると、周囲の人間は想像し難かったのだろう。
二人に母はいなかった。二人に父はいなかった。叔父に引き取られて育てられたが、ずっと「早く死ね」と繰り替えし言われてきた。殺されなかったのは、体裁の悪さを危惧した事と、また、不憫な二人の兄弟を育てることで、「社交界向きのいい顔」をしようとしていたのである。
その日は、兄弟が15年と3カ月を迎えた日だった。何やら、外がいつもより騒がしかった。
「兄さん、兄さん、今日はお祭りだろうか」
「祭り? いや、ああ、違う。反乱軍が、この領土にも来たんだね」
兄は、弟を窓際から引き放し、手早く着替えさせた。ベッドの下に隠していた袋を二つ背負いこむと、すでに火の手が上がり始めている屋敷の中を、弟の手を引いて駆け出した。
「急がないと、急がないと」
「兄さん、あそこ!」
弟が声を上げた方を見ると、人だかりができていた。あそこを通らなければ、外には出られない。後ろからは炎が迫ってきている。後戻りはできそうになかった。
「おい、生き残りだ! 汚い格好だな、召使か?」
「関係ない!! 殺すべきだ、子どもも、赤子も、貴族の子は、貴族のままだ! 悪い種は、必ず同じことをする!」
あっという間に民衆たちは兄弟を取り囲んだ。
「お願い止めて、ぼくら、何もしないから、ぼくら、出ていくだけだから」
「悪魔の言葉だ、惑わされるな! ほら、殺せ!」
弟を庇う兄の、もその首が農具で落とされてしまうかと思ったその時、集団の中から、悲鳴が上がる。
「化け物だ!」
「こいつ、手が、手が生えてくるぞ!」
叔父がいた。その手は斧で切り落とされていた。ぼたぼたと血が流れているはずの切り口が、あっという間に再生していく。手が、生えている。異常な光景に、農民たちは言葉を失った。ひときわ勇気のある青年が、兄弟を指さした。
「化け物だ!! こいつ等は、人間のふりをした悪魔だった! きっと、こいつだけじゃない!! あの兄弟も、お前の子か、ならば化け物だ!」
民衆たちは武器を構えた。その顔は恐怖にひきつっている。そんな彼らを嘲笑するように、叔父は肩を震わせていたかと思うと、大きな声で笑いだした。
「は、ははは、ハハハハハハハ!」
静まり返ったその場で、叔父の笑い声だけがこだましている。気違ったような呵々大笑が続いたのち、ソレは言った。
「あんな小汚い生き物が、このオレの仲間? 子? 人間は想像力に富んでいるんじゃなかったのか? あれは食料だ。成人したら、食べるのだ。街に打ち捨てられてた人間を、育てて好みの味に仕立てて食べるのだ。そうだ! 貴様らの子も、そうしてやろう。ちゃんと育ててやろう。ああ、安心しろ、成人までは、不自由一つさせないさ!!」
いうや否や、携えていた剣を振り上げ、近くにいた農民を切りつけた。血しぶきが上がる。民衆はたった一人の男を相手にしているだけであるのに、気圧されている。彼が先程捕らえられたのは茶番であったとでもいうのだろうか。
もはや兄弟を見ている者はいなかった。兄弟はその隙に扉の方へと歩みを進めていた。兄は自分たちを苦しめてきた叔父を最後に見た。弟も、つられるようにしてあの男がいる方を振り返った。肘から先が何度も再生するその様はまさに化け物にふさわしい。
「……?」
だが、兄は気が付いた。その体の、腕以外の箇所の傷は、まったく治っていないことに。
立ち止まる。叔父を凝視する。戦いながらでもその視線に気づいたのか。兄弟の目など見てくれなかったその瞳と、初めて視線を交わす。
「さっさと何処かへ行ってしまえ」
兄が悲鳴を上げた。叔父の方へ駆け出そうとした兄の身体を、弟が泣きながら止め、出口へと引っ張っていく。その声が優しかったことを、弟は感じていた。兄の目に映った叔父はきっと、笑っていたであろうことも、わかっていた。
その叔父は、善き人だった。強欲な貴族たちが許せなかった。人の死が許せなかった。策略が嫌いだった。人間が好きだった。生き物を愛していた。
人々も、そうでないモノも、平等に救いたかった。悪しき時代に生まれてきた、善きものを、生かしたいと考えていた。そんな時、菩提樹の近くの泉で、この二人を見つけたのだ。高貴で清く、勇敢だった女性と分かる死体と、無残に散らばっていても、二つの命を守り通したと分かる男の死体があった。兄弟は、泉に浸かっていた。叔父は──男は、その命たちを、泉から両の腕ですくい出し、民衆によって殺された親戚の忘れ形見として育てることに決めた。
それでも、今の現状では貴族として生きる方が分が悪い。いずれ火の手は及ぶだろう。それならば、愛情をかけてはいけない。彼らが一人で生きていけるように、工夫できるように、この屋敷全体を、彼らが生き延びるための知識と知恵を蓄えられる場所にしよう。「早く死ね」君たちは命を狙われているのだ。「早く死ね」君たちは考えなければいけない。「早く死ね」君たちは二人で生きていける。
民衆によって腕を切り落とされた時、その部分だけ再生していく感触がして、人間であった男は悟った。あの泉だ。あの菩提樹の泉は、浸かるだけで不死になるのだ。自分は腕しか入らなかったから、腕だけ再生するのだろう。では、あの兄弟は?
男は心の中で悲鳴を上げた。死ねないものは、死ぬものたちに何をされるかわからない。一度で終わる苦痛が、何度も繰り返されてしまうかもしれない。死ねないとは、再生するとは、そういうことなのだ。
「さっさと何処かへ行ってしまえ」
目を見ていた兄が悲鳴を上げ、声を聞いていた弟も涙を流した。男は気づく。ああ、その力もきっと、君たちを苦しめるだろう、と。
兄弟よ、死ねないことは苦痛ではないだろうか。不死であることは、悲しい事ではないだろうか。ああ、早く死ね。出来れば、楽しく愉快な毎日を過ごして、満足して、もういらないほど生きて、それから、死ね。早く死ね。どうか、この凄惨な日々が一日でも早く終わって、君たちが笑える明日の、さらにその先で、死んでくれ。