穏やかな春の日差しを思わせる暖かな午後だった。
ラントは窓辺の定位置に置かれた椅子に腰掛けて、ゆるゆると記憶の糸をたぐり寄せていた。
あのY学園で過ごした懐かしい日々を。
それまで家族の復讐のためだけに生きていたラントの目の前に現れた風変わりで生意気な下級生。ラントの人生は、そこでまた大きな転換を迎えた事を。
「ジンペイ」
小さくつぶやくその声に答える者はいない。今は。
不意にそんな思いに耽るのも、この優しい日差しのせいだろう。
あの日もこんな小春日和だった。
ジンペイとラントと二人、日常の食材をいつものスーパーへ買い出しに行った。二人珍しく休みが合って、少し多めに買い込んだ食材は一部を作り置きに、一部を冷凍庫に……と頭の中で整理しながら。
何気ない会話。当たり前の日常。
その時目の前を勢い良くサッカーボールが横切り車道へと転がって行く。
嫌な汗が出た。
次の瞬間、すぐ隣を並んで歩いていたはずのジンペイの身体がロケットのように飛び出した。
ボールを追いかけて飛び出してきた幼子を抱きかかえるジンペイの姿を見た。
それから。
記憶を手繰るのを止めて顔を上げる。
窓ガラスに映る自分の顔を確かめる。
そこにいるのは、白髪を肩まで垂らした老人の自分。
ジンペイとは中学の時に一度恋人関係になった。それから進学などの影響で気持ちが離れ、社会人として暮らすようになった頃によりを戻した。つかず離れず心地良い距離。その生活にも慣れ落ち着いた頃、里親として幾人か子を迎え入れたりもした。
その子らもこの家を巣立ち、また二人の生活が始まった矢先の事故だった。
子供が好きだったから、あいつらしい最期だとラントは思う。
あれから幾年月。
あいつの記憶とは随分かけ離れた容姿になったことだろう。
子供たちはこの家を出てからも頻繁に顔を見せに来てくれる。近頃は“孫”にも恵まれて賑やかになった。
ある日“娘”にポツリと、
「こんなしわくちゃの爺さんじゃ、ジンペイが迎えに来てもわからないかもしれないな」
と自嘲気味にこぼしたら、
「ラント父さんはイケオジだもの、ジンペイ父さん見間違えないわよ」
と笑って言った。孫には「じいじ、まほうつかいみたい」と何かの映画の登場人物について熱く語られたが。
ジンペイは妖怪の類に好かれていたから。もしかしたら呼ばれてしまったのかも知れない。いつか聞いた絵空事の世界。果たしてそうだったとして、そこに私の居場所はあるのだろうかとラントは思う。
自分のしわくちゃの手をさする。
もう一度あいつに触れたい。
最近そんなことばかり考えるのも、もしかするとその時が近いのではないかと思う。
「ジンペイ」
無意識にまたつぶやいていた。
「なあに? 会長」
幻聴。
瞬きをする。
急に視界がクリアになる。
ああ、夢を、見ているのだろうか。
目の前に、ジンペイがいた。
あの若かりし日々、学び舎でともに過ごした、出会った頃のジンペイだった。
「迎えに、来てくれたのか?」
あの人好きのする笑顔が答える。
「だって、呼んだだろ?」
手を差し伸べられて、一瞬躊躇する。引っ込めた自分の手をさする。滑らかさに驚く。
「ああ、お前がいないと私は寂しい」
ガラスに映るラントもまた、あの14歳の若々しい姿だった。
「長いこと一人で待たせてごめんね。でも与えられた寿命は全うしなきゃダメってエンマ様が言うからさぁ」
懐かしい声。
懐かしい匂い。
ラントは目を閉じ深く息を吸う。
「さあ、連れて行ってくれ」
今度はしっかりと手を差し出す。その手をジンペイは恭しく握る。
「うん、行こう、ラント」
それは、穏やかな春の日差しを思わせる暖かな午後だった。
終