はい、もう年明けてから暖機運転もせずにフルスロットルな我らがサンサン劇場、今回見てきたのはこの2本。もう1日に映画2本見ることになんの抵抗もなくなってきたなあ……。
タイトルの文字数制限でタイトル欄には書いてませんが、「アイの歌声を聞かせて」は2022年最初のチケット争奪戦である岩浪監督トークショー付き上映チケットを無事ゲットしてきました。
今日は夕方まで諸々の作業を進め、ずーっと放置気味だったお役所手続きを終了。
さらに仕事もちょくちょく進めつつ夕方まで過ごしサンサン劇場へ。
まずは「イヴの時間劇場版」。
TVアニメの方は未視聴でしたが作品名と家事用アンドロイドが普及した世界にある、人間とアンドロイドを区別しないというルールのある喫茶店を舞台にした作品であることは知っていました。
これもまた見よう見ようと思って結局見てなかった作品だったので、いい機会だと思い視聴。
さて感想なんですが、本作は一見現実の時代と地続きな近未来世界を描いているように見えて、基本骨子というか根底にあるものは、むしろ古典SFに近いものを感じました。マイルドなブレードランナーというか、現代風にアレンジした「われはロボット」というか、文化女中器が人間の姿になるまで進化した「夏への扉」というか。
本作は初見だったんですが、まず衝撃的だったのが家事用アンドロイド「ハウスボット」の描写。
今でこそAI家電に話しかける……というか、音声でコマンド入力することがとうとう現実化していますが、見た目が完全にヒト型であるアンドロイドに対してそれを行っている「少なくとも見た目は人間である存在があくまで家具として扱われている描写」が非常に衝撃的でした。コマンドを入力する際も、会話ではなく「コーヒー、キャンセル」といったようないかにもコマンド入力といった無機質な言葉で行われますし、それに対応するハウスボット側もあくまで無表情・無感情。
従来の作品なら、こういう扱われ方をしているのはいかにもロボット然としたロボットの役目なので、完全に意表を突かれた感じ。
三寸切り込めば人は死ぬのだ!とシグルイでやってましたが、もうこのシーンだけで本作の世界でハウスボットがどういう扱いを受けているか、人間とハウスボットの距離感がどういうものかを一発で視聴者に叩きつけてるんですね。本作を見るのは前述の通りこれが初めてでしたが、この手腕只者じゃないぞと冒頭の時点で思い知らされました。
その後も、アンドロイドを愛好する人々を「ドリ系」と称してあげつらうニュース番組や、「倫理委員会」なる組織が放送しているアンドロイド排斥のCMなどなどを見るにつけ、本作の世界は決して「人間とAIが共存している平和な世界」ではないことが示されています。しかもそれは、わかりやすい人間とAIとの戦争といったような構図ではなく、人間が社会に進出してきたアンドロイドという「新しい隣人」に戸惑っているようすとして描写されているため、本作の空気感にはなんというか、独特の居心地の悪さを感じるのです。
まさにその「ロボットという新しい隣人」に戸惑っているのが主人公であるリクオでしょう。
彼の母は自宅で使っているハウスボット・サミィを溺愛しているようだし、姉の方はあくまでロボットや家電として接している。
ではリクオの方はどうかと言うと、普段はあくまで家電として接してはいるものの、サミィの行動ログをチェックしてたときに怪しいログを見つけたことがきっかけで、彼女の行動に不審なものを感じるようになっていきます。
そしてサミィの行動ログから取得した情報を元にリクオが友人のマサキとともに向かった先は、「ロボットと人間を区別しない」という不思議なルールのある喫茶店「イヴの時間」。
物語は、この喫茶店を軸に展開していきます。
この喫茶店自体が一種の実験空間のようなもので、アンドロイド系SFのお約束である「誰が人間で誰がアンドロイドなのか」がまず提示されます。それに加えて、普段人間の目のあるところではハウスボットたちはあくまで意図的にロボット然として振る舞っており、彼ら・彼女らにはすでに自我が発生しているというのがもういかにもディック的。
凡百のSFなら「アンドロイドに心や感情は生まれるのか」をテーマとするところを、本作では「アンドロイドにはすでに心や感情が生まれていたんだけどどすんのこれ?」としている点に実にディックの系譜を感じます。というか「イヴの時間」の客の一人・セトロが彼らの正体を探ろうとするマサキに「ブレードランナー君」って呼びかけてる時点でわたくしもう達しましたね。こういうネタの仕込み方弱いんだよ。
また、本作で印象的だったのが空間の使い方。後述のアイうたでもそうでしたが、思い返してみれば本作は世界を股にかける大冒険とか手に汗握るカーチェイスといったような、「移動」のシーンがほとんどないんですよね。基本的に移動の過程は描写されず、場面転換だけが行われている。
だからか、本作では空間というか「場」を演出するためのカメラアングルに非常に拘っていると感じました。もしかしたら、喫茶店「イヴの時間」が2階建て構造になっているのも、実はこのカメラアングルのバリエーションを増強するためだったりするんじゃないでしょうか。
この日記は遅れに遅れて、実は吉浦監督のトークショー付きアイうた上映が行われた1/15に書かれているんですが、そのトークショーの内容も踏まえると吉住監督はなるべく大人数のキャラを画角に収められるカメラアングルを好んでいるそうで。
だからこそ「イヴの時間」の中でのカメラアングルは、限定された室内という空間ながら、その場その場のエピソードに関わる人々をうまく画角に収めていたように思います。
ストーリーの話に戻りますと、本作は例えば自我に目覚めたAIと人類の大戦争とかそういう類のスペクタクルやスキャンダルは起こりません……というか、劇場版のところどころの描写を見るに、この劇場版はむしろ、スキャンダルや大事件が起こったあとの後日談的なポジションの話のよう。
肝心のAIについても、普通のSF作品……というか、今までのSF作品なら「AIが自我に目覚めるところ」がいちばんの見せ場になるはずが、本作ではとっくの昔にAIには自我が生じており、さらには子育てを目的としたハウスボットさえすでに稼働している。
また、主人公であるリクオは本作の主人公で視点保持者ではあるものの、特殊な能力があるわけでも選ばれたエリートであるわけでもない、ほんとうの意味でどこにでもいる高校生。なので、世の中の趨勢に彼一人で影響を与えられるわけでもなく、むしろ彼――そしておそらくはこの作品世界の全国にいるであるリクオたちは、AIとの共存を余儀なくされる世の中の流れに困惑しながら流されていく立場にあると感じました。
また、本作のヒロインとも呼べる女性型アンドロイド(この言い方は『女性専用男子トイレ』みたいで違和感あるなあ)サミィも、「自我に目覚めている」という観点から見れば特別な存在ではありません。wikiによれば彼女の背景にも色々あるようですが……。
本作は、いわば「冒険が終わったあとの長い日常の物語」であり、まさに喫茶店「イヴの時間」が提供するような、人間とAIが同居するゆったりとした時間の中の物語であると感じました。
さて、次は少しのインターバルを挟んで、戸村支配人と岩浪音響監督による電流爆破デスマッチ……ではなくトークショーの始まりです。というかトイレに行こうとしたら通路に普通に岩浪音響監督がいるのやめてください心臓に悪い。
なんかトークショーが始まる前に心臓にダメージを食らってしまいましたが、こんなのサンサン劇場では当たり前なので努めて意識しないようにして座席に座ります。
さて、トークショーの内容なんですが、キーーーーーーーーン キーーーーーーーキキキーーーーーーーン ーーーーーーーーッ
すみません、統治局の検閲が入ってしまいました。
もう皆さんお気づきかとは思いますが、今回のトークショーもまたいつセーフガード(しかも上級)がダウンロードされてもおかしくないセキュリティクリアランス・ウルトラヴァイオレット級の激ヤバ情報が岩浪監督の口から世間話の口調でぽんぽん飛び出してきてなんかもう見渡す限り360°地雷原といった感じ。
え? 地雷原だったら迂回すればいいだろって? うっせえバーカバーカ!!! こっちはいきなり地雷原のド真ん中にほっぽり出されて逃げ場なんてねえんだよ!!!!
いやほんとに今回のトークショーは完全に無法地帯と化しており、別段映画業界に詳しいわけでもないわたくしでも「え? 塚口ではこれ通るの……?(ドン引き)」という場面が4分に1回くらいありました。
というか未だに塚口のコンプライアンスがわからない……どこまでがよくてどこからがアウトなのかが全然わからない……。そのため、まるで目隠し状態で爆弾解体をしてるような気分でこの記事を書いています……突然このブログとtwitterの更新が途切れた場合は、わたくし人形使いは歴史の闇に葬られたと思ってください……。
そんな危険度の高い内容の中から、比較的危険度が低い(と思われる)内容をピックアップしてみました。
・コロナの影響で声優さんたちの収録はバラバラなことがほとんどだったが、シオン役の土屋太鳳氏は全編に渡って収録に参加した。
・岩浪監督、土屋氏を激推し。「息子の嫁にしたい」発言を連発。
・岩浪監督、土屋氏を泣かせた疑惑。
・声優さんに対する演技指導に関しては、先入観や決めつけをなくすために基本はノープラン。
・海外の声優さんの収録では個人単位で収録を行うのが普通なので、日本のように複数の声優さんがスタジオに集まって収録するという形態は特殊。
・コロナの影響で、スタジオに集まったのは3~5人。
・アニメは性格、映画は骨格。
・(アイうたのミュージカルシーンに関して)ミュージカルで大事なのは歌い出し。
・岩浪監督が考えるアイうたPART2は吉浦監督に伝えてある。
・トークショー中、岩浪監督がツダケンボイスをやるものの気づいてもらえず哀しみ。
・塚口では、すべてのアイうた本編上映回に咲妃みゆ氏による「フィール ザ ムーンライト 〜愛の歌声を聴かせて〜」のMVが挿入されているが、戸村支配人はそれを見越して尺を開けていた。
・上記のMVの話を聞いたヅカファンからの連絡が殺到。
などなど。詳細はあとからyoutubeに上げられるかもしれないのでそちらでチェックしてみてください。
それとわたくし、ふと思いついてトークショー中の戸村支配人と岩浪監督の「場末の映画館」発言をカウントしてみました。いやなんか思いついちゃったんですって。
その結果は以下の通り。
戸村支配人:8回
岩浪監督:11回
以上となりました。
ふたりとも場末の映画館言い過ぎ。
さて、最後になりますのはいよいよ「アイの歌声を聴かせて」本編。
ちなみにわたくし人形使いは、この作品を知ったのは口コミで話題が広がってからだったので、本作を見るのは今回が初めてでした。
さて感想なんですが、その、あの、なんというか、SF好きを自認しておきながら今までこの作品がアンテナにかかってなかったとか万死に値するッ!! 劇場で割腹ッ!!!
いやほんとこのレベルのSFを認識してなかったとか己の知覚能力の衰えを痛感しましたね……。
こんなの会社なら始末書モノ、学校なら即日三者面談ですよ。
この作品に関しては書きたいことが多すぎて何から書けばいいのかわかりませんが、もう思いつくままに書いていこうと思います。
まず、本作のヒロインであるシオンの、いわゆるAI・ロボットのキャラとしてはお約束な無機質・無表情でない、天真爛漫そのもののキャラ付け。これが非常に斬新です。
成長してから表情や感情豊かさを身につけるのではなく、最初から「突然歌い出すなどの突拍子もない行動をするキャラ」として行動しているのがすごく斬新でした。
そしてシオンの特徴的な行動である「いきなり歌を歌いだす」というミュージカル風の行動、これに伴う「どこからともなく音楽が聞こえてくる」「ライトなどの演出が起こる」といった現象が、実際に起っているというのがまた斬新。
こうした現象は、すべてシオンが周囲のAIスピーカーやライトをハッキングすることで起こっているんです。この演出、作品の舞台となっている、AIシステムの実験都市である星間市ならではのもので好き。
この日記を書いている1/15に見た「サカサマのパテマ」でも思ったんですが、この「世界観に担保された演出」って強いんですよね。十分に体重の乗ったパンチと言うか。
このシオンというキャラクターの造形は本当にうまくできていると思います。非常に完成度というか、AIなだけあって「どうしてそういう行動を取るのか」という疑問にすべて答えが用意されてるんですよ。
例えば彼女の「突然歌い出す」という行動は、彼女の出自に大きく関わっています。彼女はかつて幼いトウマが改造したおもちゃのペンダントに仕込まれたAIでした。そして同じ幼いサトミに手渡された、まだシオンですらない「彼女」は、持ち主となったサトミと関わる上でサトミの好きなものを学習していきます。それがミュージカルアニメ「ムーンプリンセス」。
つまりシオンが突然歌い出す理由は、それがサトミをもっとも幸せにする方法だから。
そしてシオンが常にサトミを幸せにするために行動しているのは、まだ彼女がシオンとして完成する前、彼女が生まれたてのAIであったときに、トウマから与えられたひとつの命令に忠実に従っているから。
その命令とは、「サトミを幸せにすること」。
シオンの行動はすべて、こうしたロジカルな整合性に基づいたものだというのことにストーリーが進むごとに気付かされる、この作品構造の美しさよ……!
……しかしながら、この作品はそれだけでは終わりません。
確かに本作は非常に感動的な作品ですし、シオンやサトミをはじめとするキャラクターも魅力的。実際見てて感動しましたし、どのキャラも好きです。
しかし、多少SFの素養がある人間なら、特に「イヴの時間」を見た後なら、この作品のエンドロール後に思うはずなんです。感動で暖かくなった胸の奥に、一抹の疑念が残るはずなんです。
すなわち、
シオンって、本当に無制限の自律意思を獲得してるの?
前述の通り、シオンはAI・ロボットキャラのテンプレとも言える無感情・無表情キャラではありません。むしろその真逆で、登場……というか誕生時点で歌を口ずさみながら笑みを浮かべ、サトミの学校に転校してきてからは笑顔と歌を振りまいている彼女。
しかしよくよく考えると、彼女の表情や感情の表出はごく限定的で、基本的に喜怒哀楽のうちほとんど「喜」と「楽」の表情しか見せていません。ゴッちゃんとアヤの仲直りのシーンでは「哀」の表情をしていますが、これはいわば舞台演出のようなものであって彼女自身から表出したものではないと思われます。
さらに彼女の行動原理は前述の通り「サトミを幸せにすること」なわけですが、その行動原理はこれまた前述の通りトウマに入力された最初のコマンドに従っているに過ぎない。なにより、劇中ではシオン自身の口から「AIは命令がないと何もできない」と発言されているんです。
それを踏まえて本編を思い出してみると、シオンはサトミたち……というか人間たちにとって予想外の行動ばかりしていますが、コマンド外の行動は一切していない。
終盤で明かされたように、シオンあるいはシオンになる前の「彼女」は最初は単純な応答をするだけのプログラムでした。しかし、そこから8年もの時間をかけて人間のように振る舞えるまでに成長しました。しかしそれも、実は最初のコマンド「サトミを幸せにすること」を達成するための手段だったのではないでしょうか。
さらに、彼女のアイデンティティとも言える「突然歌い出す」という行動。これもまた、シオンになる前の「彼女」が、幼いサトミとのコミュニケーションの中で学習してきたもの。つまり、周囲にとっては突飛に思えるシオンの「突然歌い出す」という行動も、シオンにとってはサトミを喜ばせるために学習した行動パターンに過ぎない。
また、これは明らか視聴者をドキッとさせる意図があると思える、中盤でサトミの家でお祝いパーティーを行っているシーンでの、「それって命令ですか?」という一言。あの一言は、たぶん本編唯一のシオンの無感情な一面が垣間見えるシーンだったと思います。
逆に「シオンは人間と同等の自律意思を獲得している」と考えられるシーンも随所にあります。物語開始時点から天真爛漫な表情を見せるシオンですが、後半、特にラストでは「これは自発的な感情の表出なんじゃないか……?」と疑えるシーンがあります。
星間ビルの屋上へと向かうシーンで、警備員に追い詰められあわや進退窮まるというところで、突然お掃除ロボや照明システム、エレベータ管理システムなどがまるでシオンを助けるようにミュージカルを始めるあのシーン、シオンは明らかに驚いた表情をしています。この点は、物語前半の音楽室でのミュージカルシーンにて、シオンが自身で周囲のスピーカーや自動演奏ピアノをハッキングしているシーンと明らかに対象構造になっていると思われます。
またなにより、シオンの正体が消去寸前にネットワーク上に逃亡した、かつてトウマが作ったAIだったと判明するシーン。そもそも「消去寸前にネットワーク上に逃亡する」という行動は当然のことですが自己保存本能がなければ発生しない行動ですよこれ。
そして物語が終わるまで、「シオンは本当に無制限の自律意思を獲得しているのか」という問いに対する明確な回答や決定的な事実は提示されない。
この計算され尽くした巧妙なさじ加減の前にSF好きがどれほどの煩悶を繰り返したことか吉浦監督めえええ!!!
などとブチ切れてしまうほどこの点についてのさじ加減は絶妙かつ巧妙です。
……というかですね、吉浦監督の中のこの「シオンは本当に無制限の自律意思を獲得しているのか」という問いに対する答えって、「そもそも人間って無制限の自律意思を獲得した存在ですか?」のような気がしてきた……。
本作はたしかにポップで明るく楽しくハッピーエンドな物語です。しかし、SFが好きな人や少しでもSFの素養がある人なら、この物語、特に「AIの自我」の部分については改めて考えるとこれってとても怖い物語なのでは……? と思う点がいくつもあるかと思います。
たとえば、サトミの母である美津子は、星間エレクトロニクスにて、人間同様のSIを開発することを目的とした「シオンプロジェクト」にてAIの開発を行っています。しかし、改めて考えてみると、シオンはこのプロジェクトで生み出されたのかというとそうではありません。
前述の通り、シオンの出自はかつてトウマが作った初歩的なAIであり、ネットワーク上に逃げたそのAIが逃避先として選んだのがシオンの機体でした。つまり、星間エレクトロニクスやシオンプロジェクトは、その目的である「人間同様のAIを開発すること」には成功していないんですよね。
では、劇中で「人間同様のAIを開発すること」に成功したのは誰なのかというと、AI自身ということになるんじゃないでしょうか。
確かに、最初の、そしてシオンの存在意義ともなるコマンドを入力したのはトウマ=人間でしたが、そこから8年かけてサトミを観察し、学習し、自身を成長させていった結果「シオン」となったのは彼女自身にほかならない。
つまり、作中で言うところの「人間同様のAI」は、人の手によるまでもなくAI自身の自己進化によって発生したわけです。二昔前にはファンタジーの領域だった「ナノマシン」「AIの実用化」などが実際に現実になったということは、この「AIの自己進化」もやがて現実になるのかと思うとワクワクするとともにかなり怖い気もしますね。
何が怖いってこの「AIの自己進化」、作中では大きな秘密として終盤に明かされますが、それまでは誰にも知られることなくひそかにネットワークの中で進化していったという点。
これは場合によっては、「気づいたときにはもう手遅れだった」ともなりかねない事態ですよ。
そしてさらにぞっとするのが、この「自己進化したAI」って、シオンだけなの……?という点。
序盤、中盤でシオンは、歌い出すときに周囲のスピーカーや照明器具などをハッキングによって操っていることが明確に描写されています。さらに、彼女いわく「みんなにウソをついてもらって」監視カメラの映像をリアルタイムで改ざんするといったことすらやってのけている。それに加えて、万が一の事故を防ぐための緊急停止アプリで停止したときでさえ、そのログが星間エレクトロニクスに行かないように細工することさえしている。
これ、「イヴの時間」でも触れられていましたが「人間に対して嘘をつく行為」、すなわちロボット三原則における第2原則「第一原則に反しない限り、人間の命令に従わなくてはならない」に抵触する可能性のある行動なんですよね。まあネズミ見ただけで地球を天の川銀河もろともふっとばそうとするどっかのデンジャラス青タヌキに比べたらだいぶマシなんでしょうけど……。
さておき、上記の行為はあくまでシオンがやった行動、シオンがほかのAIに働きかけてやった行動です。
しかし翻って終盤の星間エレクトロニクスビルでの逃走劇の際、追い詰められたシオンたちの前に立ちはだかっていたお掃除ロボ、そして社内システムが彼女らをかばうように予想外の動作をはじめ、さらにはビル街のパネルには「シオン歌って!」のメッセージが。それに初めて「喜」「楽」以外の驚きの表情を浮かべるシオン。
これってつまりそういうことですよね。
劇中では主役であるシオンにカメラが向いているのでいかにも彼女だけが唯一の進化したAIのように見えますが、実は彼女以外のAIにも彼女と同じような進化の可能性が、あるいはことによると彼女と同様のレベルに進化したAIがすでに存在するという証左にほかなりません。つまり、実験都市である星間市はもちろんのこと、もしかしたら世界中を見渡せば、そこにはもうすでに何百、何千のシオンがすでに存在している可能性があるということです。
完全に公安9課出動案件です本当にありがとうございました。
いやもうよくあるジュブナイルSFだと思いきや、その皮1枚下にはガッチガチのガチSF。
確かにハッピーエンドですごく素敵な話であるのには疑いはないんですが、それだけで終わってないところがもう最高。小説版やコミック版もあるようなので、ぜひとも読んでもらいたいと思います。
この作品はのちのちSF界隈に大きな影響を与える作品になることはコーラを飲んだらゲップが出るくらい確実なので、ぜひとも口コミ効果で人気が広がって海外にも波及して数年後にはウィリアム・ギブスンあたりがこの作品をインスパイアした作品を発表するくらいのことになってほしいと心から思います。
というわけで9500字にわたって、結局1/17までかかって書いてきた「イヴの時間」およびトークショー付き「アイの歌声を聴かせて」の感想、ようやく任務完了!
しかし翌日の戸村支配人&岩浪音響監督のトークショーの感想と吉浦監督トークショー付き「アイの歌声を聴かせて」「サカサマのパテマ」の感想が残ってるのでなんにも終わってません。正直泣きそう。