『手が、大きいなあ、って』
恥じらったように顔を俯かせるリンウェルのつむじをしげしげと見下ろしたのはもうどのくらい前のことだっただろうか。テュオハリムより幾分も低い場所にある小さな身体。石の欠片を持つ己の指先に目をやり、それから行き場をなくしたようにぎゅっと固く握られている小さな拳へと視線を移す。なるほど確かに自分の手でいとも容易く包み込めそうだ、などどその時は見当違いな感心を抱いたものだった。
そう。それがきっかけだったはずである。テュオハリムが少女の小さな手に視線を奪われてしまったのは。
黒いグローブに覆われた手のひら。露出した指先。リンウェルの身長を思えばそのパーツは大きすぎもせず小さすぎもせず、適切な大きさと言って良いものだったのだろう。しかしその指の腹がひどく乾燥していることに気がついたのはいつだったか。そしてその理由は考え込むより先に目の前に答えがあった。
ぺら、と紙がめくられる音に、薄くぼやけたインクの踊る黄ばんだ頁。分厚い装丁の魔道書を彼女は肌身離さず持ち歩いていた。そして時間さえあればその本を読み込むというのを繰り返していた。
数日間そうやって観察した末に、困り果てたリンウェルがキサラを通して苦言を呈してきたために思考は意識の外へ追いやることになった。
──というのを、つい先ほど思い出した。
今やその黒いつむじはテュオハリムの腕の中にいた。呼吸に合わせて穏やかに上下するその様子を眺め、握られて離れない彼女の手をゆるりと握り返す。
枕となっている右手で、リンウェルの長く伸びた艶やかな黒髪の毛先の束を手に取り、そうして離すという動作を繰り返す。さらさらと流れ落ちるようなその様はある種の神秘さもたたえていた。
旅を終え、数年間という歳月は少女だったリンウェルを大人の女性へと変化させるには十分な期間だった。口を開けば明朗快活な少女は、静謐な美しさを纏う女性へと変わった。シスロディアの雪景色のようだ、と賞賛した際にはにかんだその表情はかつての面影もあり、それもまた趣きがあるとテュオハリムも微笑んだものだ。
そうやって長い時間を経て同じ寝具の中で寄り添える関係となった今。唐突に少女の手は小さかったのだと思い出した。
華奢な指先はかつてのように乾燥しておらず滑らかなものだった。戦う機会も減り、忙しい日常の中でも指先の手入れをできる時間を得たのだろう。何せ、勤勉な彼女は戦い終えてもなお魔道書やありとあらゆる本を読むことをやめなかったのだ。むしろ頻度は上がっているとすらも言える。
あの頃と変わらず小さな手だった。テュオハリムが容易に握り込めてしまうほど。
この小さな手に自分は、自分たちは守られていたのだ。
テュオハリムは閉眼する。──何を今更、と。世界の命運を握らせたのは自分たちだっただろう、と。
特殊な血筋、最後の末裔。協力な術を使う貴重な戦力。リンウェル本人が望み、仲間たちも望み、そして受け入れた。その当時はそうするしかなかった。
旅に加わった順番を言えばテュオハリムが後になるため、彼女のことについてとやかく言えるものではなかったが、平和となった今ではそういったことまで思考が及ぶようにもなった。
それだけその当時は余裕がなかった。そしてリンウェルが間違いなく戦いを集結へと導いた立役者の一人だった。
ああ、小さな手よ。私の愛しき人の手よ。
青白い月光の差し込む美しい夜、テュオハリムはリンウェルの右手の薬指に唇を落とす。
「君の美しいその手を、きっと私は守り抜こう」