はじめて彼を見たとき、わたしは思わず両手で作ったキャンバスで風景ごと彼を切り取っていた。
その日、わたしは課題の為の資料を探して図書館の中をうろうろしていた。本棚の向こうで、ふと、奥の出窓のカーテンが揺れているのが見えて、そちらに視線を遣ると、窓辺に片膝を立てて座ってうたた寝している人がいる事に気づく。不意に興味を引かれて、まるで吸い寄せられるように、様子を覗きに窓へ近づいた。
「……ッ!」
風に揺れるレースの奥で眠っていたのは、わたしと同じくらいの歳の男の子だった。鼻筋のすっと通った見事な造形の横顔は図説に出てくる芸術品のようで。色素の薄いサラサラの前髪がカーテンの揺らぎと同じリズムで靡く。伏せられた長い睫毛は女のわたしなんかよりずっと長く、白い陶器のような肌に陰影を作っていた。おまけに、その彼が身につけている服は、俗にいう特攻服と呼ばれるものだった。白い特攻服に靴は、なんと女の人が履くような黒いヒールのあるミュールを履いている。その強烈なまでのコントラスト、というかギャップがわたしの創作意欲のスイッチを全開にしていくのがわかった。
「あぁ……なんて、綺麗……」
人気のない図書館に、わたしの大きなひとりごとが響く。それと同時にわたしはバッグからクロッキーブックを取り出し、急いで空いてるページを開くと、夢中で4Bを走らせた。
「……何してんの?」
どれくらいの時間が経っただろう。無我夢中で絵を描くのに没頭していたわたしは、モデルである彼が目を覚ましたことに気がつかなかった。低く少し甘い、想像していた通りの声で一言だけ喋って、彼はわたしをまじまじと見た。
「ご、ごめんなさい」
確かに、昼寝から目を覚ましてみれば、見知らぬ女が目の前で勝手に自分の寝姿を絵に描いていたら、びっくりして当然だと思うし、もしかしたら、気分を害したのかもしれない。そう思ってわたしは反射的にクロッキーブックを抱えたまま、頭を下げた。
「それ、もしかしてオレ?」
「えっ?」
「ちょっと見して……アンタ絵上手いんだな」
彼は大きな欠伸をしながら、わたしから受け取ったクロッキーブックをパラパラとめくった。その何気ない所作でさえも、神々しいまでに美しく、わたしは思わず目を細めた。
「ん。サンキュ」
「あのッ……」
特攻服という出で立ちが全く似合わない、それは穏やかな顔で彼がクロッキーブックをわたしに返す。それを受け取りながら、わたしは意を決して彼に声をかけた。
「わたしの絵のモデルになってくれませんかっ?」
「は?」
「モデルって言っても、その、大層なものじゃなくて、今日みたいにちょっと描かせてくれればよくて……だめ、ですか?」
「なんで、オレ?」
「なんで、って……あなたが、綺麗だから!綺麗なのに、特攻服着てて、そのギャップが堪らなく創作意欲を掻き立てるというか……って、何言ってんだろ。すみません、忘れてください……」
「ぶっ……ははっ……!」
とにかく、モデルになって欲しい一心で、恥も外聞もなく自分の欲望を曝け出してしまったわたしの前で、彼が突然吹き出した。先ほどから澄ました猫みたいに無表情だった彼の初めて見せた笑顔は、氷の微笑なんかじゃなくて、年相応の男の子のそれで、わたしの気持ちがさらに昂ぶってしまう。
「真面目な顔して言ってることがめちゃくちゃでウケる……まぁ、いーけど」
「えっ……?」
「アンタが言うモデル?になんのかわかんねーけど、ここには良く来るからそれでいーなら」
「ほ、本当ですかっ?ありがとうございます!」
「ケータイ、貸して」
もう一度深々と頭を下げたわたしに、彼が骨ばった意外と男らしい手を差し出す。わたしは言われるがまま自分の携帯をバッグから取り出して、彼に手渡した。彼は受け取ると、慣れた手つきで携帯を弄って、はい、とわたしに返した。
「オレの連絡先入れといた」
「乾青宗……」
ひえぇ、名前まで美しいなんて反則だよー、と心の中で叫びながら、わたしは携帯に登録された彼の名前を小さく呟いた。それだけで、胸がなぜかいっぱいになる。
「乾さん、あらためてよろしくお願いします!」
「まぁ、大した事はできねーけど」
「いえ、モデルになってくれるだけで、わたしには大した事なんで。あ、今さらなんですが、いつかわたしにヌード描かせて欲しいです。じゃ、また!」
「はぁ?!」
終始穏やかだった彼が目を見開いた。その顔がやっぱり子供みたいに可愛くて、わたしは思わずそのままスケッチしたい気持ちを抑えて、にっこり笑って彼にくるりと背を向けた。
かくして、最高のモデルを手に入れたわたしが、乾さんをあの手この手で脱がそうと画策することになるのは、また別のお話。
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乾青宗にモデルになって欲しい美術女子の話
初公開日: 2021年10月06日
最終更新日: 2021年10月10日
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