羽衣
むかしむかしあるところに、というのはどうにも古いでしょう。なんといっても現代です。インターネットさえあれば、この世のどこからでもこの物語を聞くことができますので、昔話の口上はどうやら用を成しません。
さてフィギュアスケートの神さまは、天からうら若い夜鷹を地上に遣りました。この国の童話では実にみにくい鳥として知られていますが、この夜鷹は「きたないはきれい、きれいはきたない」と古く外つ国の戯曲にありますとおり、うつくしい鳥でもありました。神さまの寵愛に報いた夜鷹はたいそうきれいな羽衣を与えられていたからです。もうどこまでもいつまでも飛んでいって天を駆け上がらんばかりの、純粋にスケートを愛する心を、夜鷹はまとっていました。長野の合宿では毎回シードを獲得、ノービスは4連覇、11歳でトリプルルッツートリプルループにトリプルアクセルまで跳びました。天賦の才というにふさわしい才能を発揮した夜鷹が飛んで地に向かっていくのに神さまは胸を撫で下ろしました。これならば地上に激しい4回転時代を呼び、この競技の芸術性に美学者たちの眼を開かせ、そうして全体のレベルを底上げできるだろう。間違いない。そう確信する神さまは、スケートのことだけを考えていて、夜鷹のしあわせはてんで頭にありませんでした。しかしそれもしかたのないことです。羽衣はしあわせになるために与えられるものとはかぎりませんし、神さまも非力で、おのれの創造物に必ずしも恩寵を授けられるものとはかぎりませんから。
羽衣を着た天女は、画面のなかで人のかたちに化けて、銀盤に立つようになりました。グランプリファイナル、四大陸選手権、世界選手権とあらゆるタイトルを踊り、そのうつくしさを見つけた地民はそれはもう熱狂しました。
しかしこれが困ったことになったのです。天女はなにしろもとは夜鷹です。真夜中の空を滑る生きものですから、太陽や明かりの下では生きられません。たとえばじぶんよりすこし前に降りた鴗鳥は昼の鳥でした。たくさんのスポットライトを浴びせかけられると、羽衣の翡翠色や橙色の艶が宝石のようにきらきら濡れて、みんなをますますうっとりさせます。ですが天女はそうじゃありません。光にさらされると目がくらんだり羽が焼き切れたりして、もうひりついて爛れてどうしようもなく痛いのでした。なによりリンクを降りて輝かしい羽衣を脱いでしまったら、じぶんがそれにまるで似つかわしくない、口のおおきいまだらもようの鳥でしかないことを面白半分に照らされて、人に笑われたり罵られたりするようにもなりました。あまりにうつくしい天女だったぶん、あまりにみにくい夜鷹だったことはとにかく目をひいて、あれやこれやと口さがないことの語り種になりました。
夜鷹がだれより高く飛べるのは、さかのぼればじぶんのみにくさを隠すためでもありましたから、これはもうひどくつらいことでした。ですが夜鷹は泣きませんでした。それは夜鷹が強いからではありません。ほかの人にはしばしばそう見えるようでしたが、実のところただ夜鷹は泣きかたを知らないだけなのです。神さまに羽衣を渡されるよりずっとまえ、みにくさからみんなに邪険にされてひとりだった夜鷹には、泣いたら手を差しのべてくれるだれかがいたことがありませんでした。泣いてもだれも来てくれませんでしたし、悲しみを和らげようというときには涙ではなく怒りに変えてしまわないと耐えられませんから、泣くことの意味が分からないままでした。羽衣をまとった夜鷹を愛するものもいましたが、それもぽっかり胸に穴が開いていてうまく感じられないようなふらふらした具合でしたから、傷つけられても怒ったり壊したりすることでしか、痛いと言えないままだったのです。
それにその羽衣もいまはもう煤け、地民の言葉に引き裂かれ、繊維はすっかり傷みきっています。すくなくとももうこれでは、あのたまらなく恋しく懐かしい空のうえに帰ることはできなさそうでした。せいぜいがもう一度氷のうえに立つのに、耐えられるかどうかというところでした。
いままでもこれからも僕はもうずっとひとりなんだな、と天女はふと、神さまがじぶんを見捨てられたことに気がつきました。そのとおりでした。天にいようが地にいようが天女は孤独を宿命づけられていました。神さまが夜鷹を遣ったと冒頭でお話ししましたね。あれははじめから地獄への一方通行の切符だったのです。百年前ほどから地上はどこもかしこも明るくなって夜を失っていましたから、夜鷹が目を開けて天に飛んで帰れるわけがないのです。そんな場所に夜鷹を落とした神さまです。またこの天女を讃えて天に召し上げてやろうなどとお考えになっているはずもなく、それどころか失望に嘆いている始末でした。世紀にふたりいるかどうかの逸材だったが、なんということか、たったの20年しか持たなかった、さあ次を探そうとそんな了見で、神さまは地上を眺めるのをもうおしまいにしてしまわれました。やけどを負って痛みに眠れない日は、神さま神さまと羽衣を抱きしめてちいさくなって呼んでいることもありましたが、叫びは喉につかえて出てこなくなってそのうち消えてしまいました。
天も地も居場所にはなりえず、もう羽衣も擦りきれてしまうのならば、灼けて死んでしまおう。それはたいへんに気楽なことだ。ひとりぼっちの生命が息絶えたところで、世界にはなにひとつ関係がない。天女はすっかりじぶんのからだがじぶんのものでないようになってしまって、こころがこわいほどしんと静まり返っていくのを感じました。とはいえもうほとんど天女ではありませんでしたから、夜鷹と呼ぶのがいいかもしれませんけれども、この名前も夜と鷹から借りて神さまが適当にあてがった、地民にさんざんはやしたてられた名前ですから、呼ばれることさえもういやかもしれません。もう憎しみも怒りも通りこした透明なかなしみに刺されてぐちゃぐちゃになって、じぶんがだれかも分からなくなって、燃え果てる命で天女は最期にオリンピックを踊ったのです。
このあとの顛末は、みなさまいやというほどよくご存じになるでしょうから、言葉を尽くすのも無粋というものです。ただひとつ語らせていただけるならば、あの奇跡のような4分半ばかりは、天はあの神さまの足元にではなく、天女の足元に広がっていたということです。神に裏切られたのなら、神をじぶんに下ろすしかなかったのでしょう。天に向かって手を透かして焼け落ちた天女は、それはそれは惨めでかなしくて、狂おしいほどにうつくしかったので、心揺さぶられるあまりのちに太陽神の一柱がリンクのうえに上がろうとしたものの、熱で溶けてしまうので足を何度も何度も滑らして、それでも氷の鏡に亡き天女の幻影を見たいがために立ちつづけたとかいうことですが、それも無理もございませんでしょう。この太陽神のこれまたうつくしい物語には唯一無二のすばらしい語り手がおりますから、わたしから語ることはなにもございません。
それからはもう、天路は永く塞されました。天女の亡霊は、長い時間をかけて、すこしずつ地民と変わらない生命になりました。地上で生きるには軽すぎる肺の持ち主でしたので、大量のニコチンを重しにしたり、かつてのじぶんを目にするまいとテレビを破壊して足や手をおそろしく血まみれにしたり、顔かたちばかりは代えがきかないので身を隠して息をひそめました。そのくらいでちょうどいいのかもしれません。粗暴な言動でだれかを傷つけても気づかないでいる調子はむかしに増して高まってきましたが、それは心をいばらで覆わなければ生きていけないほど否応なく弱っているということでもありました。それにあいかわらず、濡れ羽色のさらさらした髪やはるか遠くの星明かりを灯した瞳の色は、なにかはしっとひとを黙らせるような透きとおった威厳があって、気の毒なひとびとはそのひとの横暴を目の前にしてもすごすご引き下がるといった具合でした。ただやさしい鴗鳥だけは気遣わしげに見ていましたが、その着古された羽衣はいまだにぴかぴかのままでしたから、夜鷹にとっては私が目に入るのももういやかろうと遠くから眺めていることしかできませんでした。
ひとりになっていくのは、もうそのひとにはいまさらどうでもよい、むしろ安らぎを与えてくれることになり果てていました。しかし名前を奪われて、羽衣を燃やして、じぶんの依って立つものを順番に失ってきたのに、どうしてまだ生きているのかということだけには、困惑せずにいられませんでした。もうここにはなにもありません。天上に生きていたころは、羽衣を失ったときがじぶんの命運が尽きるのだと信じていましたし、じっさい最後はもう生きていられないと膝をつくまで命を削って滑ったのです。氷のうえに立つことはできるのですけれど、たまにおのれの余生が無性に堪えられなくなって、星のない夜空を仰いでは羽衣を返してくれるようにと祈りともつかない渇望にとりつかれるのでした。だんだんとじぶんはスケートから逃げたのではないかと思いはじめていました。しかしどうすればよかったというのでしょう。光に灼かれて生きられない夜鷹に生まれついたことは、このひとのどうにかできることではありません。ならばいっそのこと生まれなければよかったのだろうか。
そんなことを思った矢先のことでした。闇夜にぱっと閃いて射しこんでくるものがありました。それはきらめく光のようでしたが、しかし闇のやさしさを押しのけるところはまったくないので、星あかりにより似ていました。長く生きているうちに、天と地の息吹がそのひとの血のなかで混ざりあって、いつのまにやら一匹の狼の命を孕ませて産み落とさせたのでした。その眼光のうつくしいことといったら! 地に生まれた獣だというのに、天女だったそのひとは、その光に羽衣にも勝るとも劣らない輝きを、かつてのじぶんを見たのです。はじめは子を疎んだそのひとも、この狼はたしかに僕の子どもだと思わずにはいられなくなってしまいました。極めつけにオリンピックに連れていってくださいとお願いされては、もういちど天にかえれるかもしれないと、この狼を夜空にあかあかと燃えている星の光に掲げてやるくらいならできるかもしれないと、痛切に心を揺り動かされてしまってもうふたりで生きていくほかになくなってしまいました。こうしてこのひとは、生まれてはじめてひとりぼっちでなくなったのでした。しかしもう肺は重くなって飛んでいけませんし、もうそのひとの羽衣は戻ってきませんから、ただ狼と同じように地を這ってとなりにいるということです。獣一匹のちいさな影に隠れて、傷んだ翼を憩わせているということです。
おしまい